階段を下りると、そこにクリスがいた。
「普通、掃除などは機械に任せるものではありませんか?」
フィラはその姿を見て、何気なく質問した。
クリスは清掃の手を休め、掃除機のスイッチをオフにした。
「普通はそうかもしれませんが、ここでは違います。それぞれが役割を持って仕事をしております。私の仕事は清掃と接客だと、主人に仰せつかりました。そういう契約を結んでいるのです。ですから、これは人間であろうとも私の仕事です。」
クリスはやわらかく微笑しながら言った。
「フィラは面白いですね。エステラードは、本当に無口ですから。何を尋ねても、マニュアルのような答えが淡々と返ってくるのみなのですよ。」
クリスはまた、楽しそうに笑う。
「昼食などは、召し上がりますか?」
クリスはフィラに聞いてみた。
フィラは少し首を傾け、考えるような素振りを見せる。
「有機物を分解する仕組みはありますので、食べる振りはできますが。基本的に食事は必要としません。」
「そうですか。・・・・・主人から、仕事は承りましたか?」
「ええ。」
「では、今夜の晩餐会にはご出席なさるのですね。・・・気をつけて下さい。あまり・・・アンドロイドを快く思わない方もいらっしゃいます。リスト社の方の事は分かりませんけれど、私は主人が恥をかくのは見たくありません。」
にっこりと、クリスは笑う。言葉に些かの棘が含まれる。まるで、フィラを試そうとしているかのように。
それにフィラは、同じように笑って返す。
「はい。要様にも同じような事を言われました。人間の振りをご所望されましたので、私が秘書として認めてもらえるまでは、もしかしたら貴方にも迷惑がかかってしまうかもしれませんが、ご了承頂けますか。・・・クリスさんは要様が、本当にお大切なのですね。」
「え?」
「今の言葉は、要様を思っての事でしょう。」
「・・・・・驚いた・・・・・。フィラは・・・本当に今までの人形とは違うのですね。少し、安心しました。・・・そうですか、主人が、そんな命令を。では、気をつけないといけませんね。これからの行動、全て。」
「全て・・・・・ああ、そう・・・そうですね。人間として行動しなくてはならないと言う事は、昼食も頂かなくてはなりませんね。」
確認するかのように、フィラはそう言った。
「主人から、そう言われませんでしたか?」
クリスは少し意外そうな表情を見せる。
「はい。似たような事なら仰られましたが。」
いつも人形には的確な発現をする方なのに、とクリスは思う。
人間と違い、感覚で理解できないのがアンドロイドだ。明確に指令を出さないと理解しない。エステラードが、インプットされた事と、言われた事しかできないように。
洗車を頼んだ時など、「綺麗になったら終わり」という事を伝えなかった為、止められるまで何時間も作業していた程だ。
クリスは改めてフィラを見た。
人形とは思えない表情を見せるフィラ。
もしかしたら主人にも、フィラが人形には見えなかったのかもしれない。だから、そんな命令を出したのではないだろうか・・・とクリスは考えた。
余りにも、今までの人形と反応が違う。
「主人は恐らく貴方を秘書として、人間として扱うように仰るでしょう。私はそれに従うつもりです。ですからフィラ、貴方もそのつもりで行動なさって下さい。よろしいですか?」
クリスがそう言うと、フィラは頷いた。その顔に、クリスは瞬間どきりとした。
「分かりました。ご期待に沿えるよう、尽力致します。」
フィラは頭を下げると、自らの部屋のほうへ去って行った。
クリスはその背を見送りながら思う。
(・・・・・本当に・・・人間かと思った。人形が、あんなふうに笑えるかしら?)
フィラは扉を開いて、あてがわれた室内に入った。その瞬間、目にしたものは一枚の絵。
正面にある窓のすぐ右横の壁に、その絵はかかっていた。
フィラは呆然としてその絵に見入る。
そこには女のものらしき両手が、画面の上方の両端から画面中心を包み込むように描かれていた。
『かわいそうな子・・・・・』
頭の奥で言葉がリピートする。
白い手の女が、自分の髪を撫でてくる。
フィラは眠りにつく。
やわらかな、あたたかい感触。
不思議な感覚。そして安心。
絵の両手が包み込んでいるものは、胎児のようにも見えた。
形のはっきりとしない、何か。木の芽にも見える。
中心部はやわらかな色調で、光を感じさせた。外側に向かって円を描くように濃度が増してゆく。
ドクン、とフィラの中で何かが動いた。体に変調はない。ただ、奥のほうでメモリと重なった衝撃。それは忘れられない感覚だった。
絵自体は、お飾り程度の小さなものだったが、フィラは食い入るようにそれに見入る。
メモリを引き出そうとするが、依然としてリピートを繰り返すのみだった。
消去した覚えなどない、メモリ。
まるで夢のようで、明確ではない。人形である自分は夢など見ない。消した記憶のないメモリなど・・ましてや覚えていない事など、普通は考えられない事だ。
しかしそれは現実に起こり得ていた。
まるで幻想。人形である自分の視た幻惑。
フィラはエステラードが来るその時まで、微動だにせず絵を見続けた。