記憶力がないと分かってはいても、まさかそんなに・・という事は良くあった。
それでも俺は俺の記憶を信じていた時もあったし、そんな事なかったと言い切った
事もあった。
言われるまで忘れていたことも、言われてすら思い出せない事も、俺には
等しく一緒くたで、どんなことでも「覚えていないこと」に変わりなかった。
友達と休みに喧嘩しても、休み明けにはケロリとしてた。宿題を忘れることも
しばしば。特に目先よりは過去の記憶の欠け方は、寧ろ軽快なくらいに甚だしかった。
そんな俺と付き合っていける人間などたかがしれていて、凡そ、俺の悪癖とも
言える「記憶忘れ」を許容できるやつだけが俺の友達として回りにいた。
「マジ、覚えてねぇのかよーーー・・・・・・」
目の前で、友人・呉 肇(クレ ハジメ)が、情けない顔を
して言った。
「・・・・・ごめん。」
懇願するような視線を受けても、俺は思い出せなかった。
「お前の物忘れの多さは、確かに知ってる。けどさ、けど・・・・・・・」
更に情けない顔をして、肇はガックリと肩を落とした。
肇は、中学からの友人だ。高校も一緒で、部活もバスケ部で一緒。家も近くて
良く遊ぶ。いわば幼馴染に近しい存在で、親友と言っていい。
肇は背が高くて、まさにバスケは適材適所、と言った感じだった。高校に入ってから
グングン伸びたので、今は180を越している。クラスの中でも一際目立つ。性格も明るくて
闊達。成績は中の下。運動は勿論抜群で、少々難点なその成績は完璧すぎなくていいと
言う意味で、長所かもしれない。
顔は・・・悪くない。寧ろいい。中学の頃はまだ幼さがあって、かわいい印象が強かった。
クラスの女子というより、学年の女子からそういう意味で、マスコットみたいに
かわいがられていた。あの頃の肇は、俺とそう背が変わらなかったし、無理も
なかったのかもしれない。
今は遠巻きに見る下級生やらまでいて、ともすれば何か徒党を組んでるようなのも
いるっぽい。ファンクラブ・・と言うには大袈裟のような気がするけれど。
何にせよ、もてる事だけは確かだ。表立ってではない分、結構本気で想っている女子が
多い気がする。・・・・・・客観で見てというより、主観も入っているので、はっきり
とは分からないのだけれど。
高校に入ってから、肇は20センチは伸びた。俺は10センチ前後だっていうのに。益々
差が広がってゆくのを、少し寂しく感じたこともある。俺は上を見ないと肇と
話も碌にできないわけで。見下ろされる事に関するコンプレックスがどうしてもあった。
でも、肇の態度はどこまでもいつも通りで、俺は嫉妬するのすらバカバカしくなってしまっ
た。
どんなにこっちがどう思おうが、肇には知る由もないだろうし、それに肇はいい奴だ。
くだらない嫉妬心で親友は失いたくない。それこそ馬鹿だろう。
というわけで、俺はいよいよそう言った感情すら忘れた。ある意味、俺と言う人間は
生きやすい類だろうと最近は楽観して考えていた。
覚えたい事は記入する癖もつけたので、差し当って問題なのは日常会話の内容を全て
覚えてられない、という程度で、そうそう問題はなかった筈・・・・・だった。
肇はまだ俺の目の前で、じーーーと俺を見据えながら半ば泣き出しそうな顔すらしてみせた。
「うーーーーーん・・・・・・・・」
俺はというと、そんな肇の目の前で唸っていた。どうしても思い出せない。
肇は先週の日曜日、俺に大事な事を話したという。その返答を聞きたいと言うのだ。
案の定、俺はその「大事な話」が分からなかった。あの日は普通に肇が俺のうちに遊びに来て、
いつものようにプレステなんかを立ち上げて対戦ゲームに興じた後、菓子を食いつつだべった。
相応の時間になって肇が帰って行った。
・・・・・・という記憶しかないのだが。
「ほら!帰り際!!思い出せよーーーー!!」
肇は食い下がる。いつもなら俺の忘れ癖を知っているから、すぐに「こういう事言っただろ」と
教えてくれる。なのに今回は、何だか俺に思い出して欲しいらしい。
「帰り際ーーーー?」
俺は記憶をダメだしで遡ってみる。
「じゃ、そろそろ帰るわ」
肇が立ち上がった。夕食時に近い時間で、母親が台所で支度をしていた。
台所を通って、肇はいつものように俺の母親に頭を下げる。
「ごちそうさまでした!」
快活な肇を母親は気に入っていて、笑顔でそれに応えた。
「また来てね、肇君。」
俺は肇をやっぱりいつも通り玄関先まで送り、いつものように
「じゃ、また学校で!」
「明日なー!」
と、別れたような気がする・・・・・・?
ん・・・・・あれ?そういえば肇、戻って来なかったっけ?
数歩歩いた後、ちょっと振り返って
「俺、晴義(ハルヨシ)のこと、好きだから」
とか言ったような?
「ああ、思い出した!」
帰り際、ってそこまでの際か!!
「マジで!?」
「・・・・・俺も肇のことは好きだよ?」
そう俺が言った途端、肇はまたガクリと肩を落とした。
「・・・・・・・・お前、根本に間違ってるだろ・・・・・・・そりゃ・・・忘れるわ。」
「?何が。」
「俺が今更、高校二年にもなって、わざわざ親友に向かって、ああいう事言うと思うわけ!?」
「・・・・・・まぁ、確かにあんま言わないよな。ハハハ。」
「笑うなぁああ!」
「でも別に言ったっていいだろ。俺だってまぁ・・・恥ずかしいとは思うけど悪い気はしないし。」
「・・いや、だからな。晴義・・・。・・・・・お前が忘れたわけは分かったよ。・・・普通の
会話の何気ない一言として、処理しちまったって事もな。」
「・・・・・・・え?」
「ここまで言っても分かんねぇ?」
肇は俺の右腕を力任せに、いきなり、引っ張った。俺は反動で肇のほうによろける。
「こういう意味で、好きだって言ってんの!!」
俺は肇の腕の中で、思いっきり赤面するハメになった。脳内はハテナマークとビックリマークで
いっぱいだった。
「あ・・・え?えぇ・・・?!ちょ・・・ちょっと待て!待て待て待て!!」
頭の中を整理する。
こういう意味?俺は現状を理解しようとした。
俺は今、何故か肇の腕の中にいて、あー・・・と、先週の日曜に肇は俺を好きだと言って。
えーー・・・。だから、つまり。
「は・・・肇・・・ッ・・・肇!!」
俺は逃れようともがいた。力まで差が広がってると、この時初めて知った。
俺は肇にがっしりと抱えられていて、抵抗は余りに無意味だった。
「返答、聞かせてよ。・・・・・玉砕覚悟で言ったんだからさ。」
「へへへへへ・・・ヘン・・・返答・・・・ッ!?」
またもやパニックに陥った。参った。
「当然だろ。俺、晴義に告白したんだぜ?結果は分かりきってると思っても、やっぱり
晴義から直接聞かないと諦め難いしね。」
「な・・・・何で・・・。友達じゃ・・駄目なわけ?」
「馬鹿だなぁ、晴義。」
「ば・・馬鹿!?」
告白された上に馬鹿とは何事なのだろう。
そんな俺におかまいなしに、肇は俺を抱きしめたまま耳元で言った。
「友達相手にこういう事したりできないじゃんか。俺、気持ち悪いと思われるかもしれない
けど、晴義にキスしたり、できたらそれ以上の事をしたいんだよ。」
「・・・・・・!?!?」
もう、脳内処理の許容範囲を超えた。駄目だ。纏まるわけがない。考えも何もかも。
凡そ、その能力すら俺は失ったと思った。
「何で!?何で!?!?分かんないんだけど!!俺、男だし、そんなに女顔してるわけ
でもないし、ガサツだし、それにそれに・・そんなに性格だって良くないぞ!?」
だんだん自分が何を言いたいのか分からなくなってくる。
「別に関係ないかなぁ。何となくいつのまにか、晴義が性的対象になってたんだよね。
俺、晴義が好きだと思うし、それは本当だよ。性別とかじゃなくって、晴義っていう
人間が好きなんだよ。・・・・・・・・って何言わせるんだよ!!恥ずかしいだろう!」
照れ隠しに語尾を荒げて、肇は言い切った。・・・・・返答しないわけにはいかない
のだろう・・・・・。俺は確信した。
って・・・アレ?
「せ・・・・性的・・・・・・ッ!?」
「悪いと思ったけど、俺、晴義で何回か・・・」
「いい!!いい!!それ以上言うな!!頼むから!!!」
一瞬、酷く逃げ出したい心境に駆られた。・・まぁ、無理なんだけれども。
「あ・ああああああ・あのさ、肇。」
「うん?」
「お、俺は肇のこと、好きだと思うよ。でもそれはやっぱり友人としてしか思った事ないし、
ましてやそういう目で肇の事を見たこともないし。・・・良く、分かんないっていうのが
・・・・・・本音なんだけど・・・・・。」
「んーーー、とりあえず、俺の事は好きなわけだよな?」
「え?あ。うん。友達としてね。」
俺は「友達」に力を入れる。
「希望は全然ないわけじゃないんだな。」
「は?・・・え?」
「そうだろう。こうしててもものすごーく嫌だったら、もっと抵抗するだろ。普通。
それに返答としては「嫌い」が妥当だよな。まだ俺の事を友人としてだろうが
「好き」だとか言えちゃうってのは、そういう風にとるけど。」
サラリ、と肇は言ってのけた。・・・・・そういうもの・・だろうか・・・。
「分かんないよ・・・俺は・・・」
そう答えるのが、精一杯だった。本当に思考回路はもう滅茶苦茶で、やたら
冷めてきている部分はあるのだけれど、心臓の奥のほうはドクドクしてて、
簡単には収まりそうになかった。
ぐるぐるぐるぐる回っている色んな言葉と感情が、俺の冷静さを欠いてもいた。
「じゃ、俺少し頑張るわ。」
そう言うと、肇は力を込めた。肇が少し震えていることに、俺はこの時初めて
気が付いた。・・・・・肇だって、怖くないわけがないのだ。勇気がいっただろうなぁ、
と俺は冷めた部分で思った。
で、それからというと。
・・・俺は、肇を意識してしまった。いつも通りといかなくなってしまった。あれから
ぐるぐるぐるぐると色々色々考え考え考えてしまって、どうにも立ち行かなくなってしまった
のだ。
肇の事は好きだ。無くしたくない親友だと思っている。例え学校やらが離れても友達で
いたいと思うのは本当だ。
ただ・・・・・恋愛対象かと言われると、どうにも頭を抱えてしまう。
何気なく肩を叩かれたり、タックルされたりというのは日常茶飯事だったが、俺は
それを避けるようになってしまった。それに気づかない肇ではなかったし、時折寂しそうな
表情を見せるようにもなった。俺は罪悪感を感じるはめになった。
そういう事が、一ヶ月続いた。
「肇・・・・・あのさぁ。」
「何?」
部活帰り、いつものように俺たちは並んで帰路に着いていた。水曜日は外部からコーチが
来るので、少し遅くなる。街灯が住宅街に転々と点っていた。
「俺、やっぱり友達じゃ駄目?」
肇の表情が、くしゃりと歪んだ。俺は思わず顔を背けた。
「一ヶ月さ、考えたんだ。でも、どうしても肇は肇なんだよ。」
「・・・・・そりゃ・・そうだろうな。」
「違う。そういう事じゃなくって。・・・・・何て言うか、んーー・・・。俺にとって
肇はずっと友達でいたい人間なんだ。なくしたくない。
・・・・・・でもそれは・・・恋愛感情じゃないんだよ。」
いくら考えても。どれだけ考えても。俺はやっぱり肇とキスしたり何だリしたいとは
思わなかった。ただ、一緒にいたいとは思った。それが友愛以上の感情かなんて、
やっぱり俺には分からなかった。
「悪い・・。」
肇が謝った。俺が顔を上げて肇を見ると、辛そうな顔が目に入った。
「お前が凄く真剣に考えてその答えを出したのは分かる。・・・・・でも俺、晴義と
このまま友達をやっていける自信はない。」
今度は肇が俯いた。搾り出すように声を発する。
「きちんと返答貰うまでは我慢しようって思ってた。本当はいつも通りにするのもきつかった。
好きだって気持ちはそのままだからな。きちんと答えて貰わないうちは宙ぶらりんだし、
けじめをつけようにも諦め難かったし。・・・・・・・でも、返答聞いても、俺はやっぱり
晴義が好きだよ。・・・・・・だから、目の前で今まで通りなんて・・・・・無理だ。」
肇がどれほど我慢しているのか、俺には計れなかった。
「うん・・・・・・・ごめん。」
俺は謝るしかできなかった。
高校を卒業するまでで、肇とは会話もなくなった。部活の必要最低限のみで、一緒に行動もしない。
同級はこぞって喧嘩したのかなどと聞いてきて、最初は不信がったものだったが、
それも時がたつに連れて自然な事となった。
大学はバラバラで、そのまま肇とは疎遠になった。俺は普通に商社に就職して、やはり普通に
働いている。偶に・・肇の事を思い出す。
今思い出してもやっぱり俺の気持ちは変わらない。肇とは親友でいたかったと、今でも思っている。
恋愛感情を俺がもたなければ、肇とはいられなかった。逆もそうだ。肇が俺に恋愛感情を抱かなければ、
俺たちは親友のままで、今なら酒でも酌み交わして会社の愚痴なんか言ってたかもしれない。
その事だけが、少し寂しかった。
(感傷だなぁ。年かな。)
うす曇の空を見上げて思った。ビルに囲まれた自分は酷く小さくて、隅っこで生きている気がした。
今俺は、好きな人がいる。会社の同僚で、事務をしている女性だ。・・・・・少しだけ性格が
肇に似ている。はっきりしていて、裏表がなさそうな快活な人だ。そうしてみていると俺は、
肇の姿を追って彼女を好きな気がしてきて、告白に踏み切れない。どう考えてみても肇と彼女は
別人だと言うのに。
ふと、思った。あの時はあの時で、俺なりに肇の事は好きだったのだと。物忘れの激しい俺が、
未だに忘れられない程に。きっと今までで、自分にとって一番の友達だったのだ。
・・・・・どう、してるかな。
ぼんやりと思った。見上げた先から雨が降りそうだった。梅雨入りしたと報じられたのは先週。いつ
雨が降ってもおかしくなかった。
ま、元気でいるだろ。
勝手にそう思う事で、俺は自分の心を軽くした。
肇の事だからきっとそつなく人生を、世の中を渡っているに違いない。俺がこうして
片隅で生きているように。
感傷も手伝って、俺は偶に肇を思い出す。
もしかしたら一生涯、親友でいられたかもしれない、その存在を。