『zaregoto5』

其処にいる事を、厭わないと思った。
其処にいる存在を、愛おしいと思った。
其の存在がいる世界を、狂おしいほどに。

*******

「ああ、いたんだ」
彼はそう言った。
「ホントに、本読んでると周りみてねーな、お前は」
「ハハ。どうしてもね。ずっと待ってたし、この本」
彼は手元に視線を移しながら、たった今読み終えたばかりの本を閉じた。
「何?」
俺は本を指差して聞いた。
「『オルガニスト』」
「オルガニスト?」
「パイプオルガンが凄く好きな男の人の・・まぁ・・ファンタジーかな。ちょっと切ない系の。 面白かったよ。」
「ふぅん」
「読んでみる?」
「いいよ。俺、本読む柄じゃないしさ。」
「柄で本読むわけじゃないじゃんか。」
そう言って彼はまた笑った。
屋上に吹く風は既に温かく、日差しも強くなってきている。7月。気だるい暑さにはまだ、 少し早い。
彼は空を見上げた。
「こっからね、飛んだ人がいるんだって。」
何処か夢見がちな表情。憧れに似ている。・・・・・・少し不安になった。
「だから、本当は立ち入り禁止なんだよね。ココ」
彼は俺を振り返ってから、フェンスに近寄った。そして下を覗き込む。
「どんな気分だったかな。本当にその人は、飛べたのかな。落ちなかったんだろうか。」
俺はゆっくりと彼に近寄る。刺激しないように。小さな鳥をこの手にするように。慎重に。
「落ちない人間なんて、いないさ。」
彼の髪が、風に吹かれて揺れる。茶色というより栗色。
日に反射して、それは金にも見えた。
「そうかな。視点の問題だろ?その人の感覚・・・・。実質的な感覚じゃなくてさ、 精神的な感覚・・・って言うか。何がその人にとって真実だったか、他人には解らないさ。」
「それは・・・・・」
釘を刺された気がした。俺とお前は違うんだと。だから不可侵な部分を汚さないでくれ、と。
「そうなんだろうけど・・・。」
ヒョロゥ、という声と共に、頭上を鳥が飛んでいる。彼が空を見上げた。
俺は彼から瞳を逸らせなかった。

*******

聞いた事があった。
此処から落ちた人の話。目撃していた人がいたという。その話・・・・・。
フェンスが外れて、一瞬だったと。伸ばした手は届かず、その人は「落ちて」言ったのだと。
ただ、それだけの、刹那の出来事。

*******

俺は彼がそうならないように瞳が逸らせなかった。何時でも手の届く場所に居たかった。
「オルガニスト」。その話を俺は、本当は読んだ事があった。最期に彼は生死をさまよい、 結局友人の助けを借りてオルガンそのものになって生き続けるという話だ。
ただただ、弾いていたかった男の話だ。
「此処から飛んだ人は、ただ、飛びたかったのかもしれない。鳥みたいに。」
「鳥には、なれないよ。」
「実質的にはな。」
彼は俺を見て笑った。
「それでも・・・・・。」
俺は耐え兼ねて彼の腕を取った。彼は驚いた顔をした。
「行くな!絶対に、・・・・・・・・・行かないでくれ!!!!!」
目を真っ直ぐに見て、俺は哀願と言っていい行為に出た。それしか俺には、彼を引き止める術も 方法も思い付かなかった。彼は薄弱と笑うと
「行かないよ・・・・・。お前は、俺を必要としてくれるんだろ?そのうちは、まだ・・・・・・」
金属質な音が、学校中に響く。昼休みの予鈴だ。後5分もすれば、本鈴が鳴る。
「戻ろうか」
彼が出口に向った。俺は、後を追う。
ふと振り返った其処に、二つの影を見た気がした。
落ちていく影と、届かない手。穏やかに笑う口元。
ああ、そうか・・・・・。その人は、手にしたのだ。愛しい人を。永遠に。
でも、俺は生きて手にしていたい。例えどんなに叶わなくても。想いを伝えるだけが、 縛執だけが、生き方ではない。
「遅れるぞ」
彼が呼ぶ。
「ああ。」
俺こそが、本当はあのフェンスの「向こう側」に憧れているのだ。
俺達は、屋上を後にした。

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