『zaregoto4』

いつの頃だったろう。月が登るのが、少し遅かった気がする。
十六夜の月。

道に迷う・・・という何とも常套な結果に陥って、俺は居心地が悪かった。「心配する事ない。 スグに戻ってくる」そう言って家を出たものの、迷い始めてから既に1日半が経過している。 周りは暗く、森の緑は黒々としていて不気味な事この上ない。
右も左も同じ景色で、進退すら分からない。疲弊しきった体だけが、無意味に歩き回った事 だけを感じさせる。
辺りを見回してみても捜索隊の影もないし、このご時世だというのに「面倒だ」という理由で 携帯の一つも持っていない俺は、些か後悔し始めていた。
(無事に帰れたら、電話の一つでも持つかなぁ・・・・)
頭を上空に向けながら、ぼんやりと思う。見上げた場所に思い描くような空はなく、ただ 鬱蒼とした緑が全てを覆い隠している。満天の星空は都会では見られないが、今ここでも 見られないんだな・・・と更に哀しくなってくる。
本当に、もう上下も分からないので俺は歩く事を放棄した。木の幹に腰掛けると目を瞑る。
(あー・・・このまま死んだら洒落になんないんだけど。来週からテストだろ?就職活動も控えてるし・・ まぁ、この辺はどーでもいいか。でもなー 再来週には見たかった映画の公開が・・・・。こんな事ならDVDプレーヤーもPS2も買っておけば 良かった・・・遊び足りねぇよ・・・・。)
そこで一つ溜め息を吐いて、俺は再び見えない空を見上げた。
(・・・・・こんな事なら・・・・・告白の一つでもしとけば良かった・・・・・・。)
瞼の裏に、相手を思い浮かべる。茶髪に、ピアス穴は左右合わせて6つも空けている友人。 大声で笑って、大声で怒る。喜怒哀楽が激しく、激情家。その上涙もろくて負けず嫌いで、人一倍の 努力を惜しまない。
自分の持っていないものを目の前で見せられる事の苦痛は、いつしか恋情といったものに変わっ ていた。その人と共にありたいと思った。それが叶わないと思っていた。何もしない自分。
相手が、同性だったからだ。そうでなければこんなに躊躇はしなかった。拒否だけならばまだいいが、 侮蔑は耐えられなかった。告白する事によって、気まずさが生まれてもまだ我慢できた。けれども、 嫌悪は許せなかった。
様々な憶測が、俺の足を踏み止めていた。友人であるという立場に、甘んじていたわけではない・・・ とは言えない。
(甘えてるんだよなぁ・・・本当に)
俺は頭を抱えた。再び息を吐く。思考がネガティブになっている。(駄目だなぁ・・)と思いつつも、 その思考の渦から抜けられない。
気分が矢鱈沈んで来て、一人きりという寂しさと孤独感と焦燥感。鳥の声・物音の一つしない 森中は、俺の気を奥底に持っていこうとしてるようだ。「諦めろ」と、何かが囁く。このまま 世の中の煩わしい事も、嬉しい事も哀しい事も辛い事も楽しい事も、家族も友達もかなぐり捨てて、 眠ってしまえばいいのだろう・・・と。俺は背負い続けたリュックを側に降ろす。何だか、やっと 自分がどれだけ疲れていたのかが客観視できた気がした。頭がグルグル回っている。そして

生きるか死ぬかの瀬戸際に俺はそいつに会った。

「クスクス・・・・・」「あはは・・・・・」
最初は空耳かと思った。(笑い声?ついにキたかな。)と思ったほどだ。たかが1日半で精神に 異常をきたすなんて、俺も弱いなぁ・・なんて。
「馬鹿だね。馬鹿だよ。人間?人間だよね。僕と似てるもの。きちんと足で歩くよね?歩くん だよね?歩くのに、手も使ったりする?だったら違うかなぁ・・・ね、言ってる事分かる?僕の 言葉、通じてる?間違ってないかなぁ。」
俺は思わず跳ね起きた。すぐ近くに、顔がある。やけに小奇麗な顔だ。そしてやけに白い。まるで 雪のようだ。雪花石膏という言葉が浮かんだ。小説の中でしか使われなくなった言葉だが、 何となくそれが一番近い表現のように思う。
「ああ、通じているよ・・・・」
俺はバカみたいにそう応えた。もうどうでもいいや。狐狸妖怪の類だろうが、幽霊悪霊の類だろうが 何だろうが・・・そういう投げ槍な気持ちになっていた。
「ね。貴方の望むのは何?僕ね、それに惹かれて来たんだ。普通そういう思考って聴かないもの。 生理的欲求とか生存欲とかは、色んな動物から聴くんだけどね。」
少年・・といって差し支えないだろう。でも、どこか曖昧なものを感じた。ハスキーな声、すらりとした 手足に短めの髪。丸みを帯びた顔に、くるりとした、好奇心を湛えた瞳。紅梅を思わせるような 唇から紡がれる言葉は、年相応の子供を思わせる。
「願望?」
ふと、あいつの事が浮かんだ。途端
「ああ!そっか!!」
少年は笑うと、変貌した。それは一瞬で、俺は少年ではなく、最初からあいつが現れたのかと錯覚し た程だ。
「章弘」
あいつが、俺を・・・・呼んだ・・・・・・。

俺は目を見開いた。
「どうしたんだ、章弘?」
「貴樹・・・・・」
貴樹が、俺の首に腕を回してくる。そして、首筋に顔を埋めるように押し付けてきた。
「章弘、章弘・・・・・・」
貴樹の艶を帯びたような声に、俺は当惑した。どこかから春の暖かさを思わせるような風が吹いてくる。 その風にのって、花のような芳香が漂う。甘く・気だるさを含んだ空気。
ふと・・意識が遠のく。俺は貴樹に応えるように、その体に腕を回し抱き締めた。思っていたよりも 細い体だった。何だか、涙が出てきた。
「何で泣くの?これが、望んだ事なんでしょう?」
少年の声が聞えた。でも、俺は涙を止められなかった。貴樹をこの手にしたまま、いや、正確には 貴樹と同じ姿をした「少年」を抱えたまま、俺はひたすら泣いた。少年は、困惑しているようだった。 俺の全てを読み切れないのだろう。望んだものを与えその行為を許そうというのに、そうはせずに ただ鳴咽を上げ続ける俺が理解できないのだろう。

ひとしきり泣いた後、俺は「少年」をその身から引き離した。「少年」は少し悲哀を込めた瞳を していた。
「・・・いいんだね」
「少年」は一言そういうと、元の姿に戻った。
「ありがとう」
俺はそう言った。感謝の気持ちを伝えるのに、俺はその言葉しか知らない。少年はぱっと表情を 和らげて、嬉しそうに笑った。
「簡単な事なんだね。僕には貴方の全てを読む事はできない。本当に貴方が欲しいものは与えられ ないんだ。でも、喜ばす事・慰める事・寂しさを一時でも和らげる事はできるんだね。貴方は それに対して僕に礼をくれるんだ。」
それから少年は少し俯く。
「同時に、悲しさを認識させてしまう事も、叶わない事を突きつける事もしてしまった。」
俺は少年の頭を抱えた。そしてその柔らかな髪を撫でる。
「負の感情も正の感情も、人間には不可欠なんだ。俺にも、君にも。一辺倒な感情だけでは生物は 生きて行けない。」
少年は、少しだけ涙を流したようだった。

目を覚ますと俺は病院にいた。捜索隊が俺を見つけた時、既に行方不明になってから5日が経過 していて、「絶望的」という見解がなされ始めた頃だったという。傍らには妹と両親とがいて、 叱責をくらったが、その中には安堵といったものが交じっていた。3日を過ぎると病院での検査も 終わり面会も解け、友人などがチラホラと顔を出すようになった。
勿論、貴樹も。彼は開口一番「良かった」と、顔をぐしゃぐしゃにしながら涙を流して言った。 それから大声で泣いた。「顔を見たら一気に何か切れた」とか何とか言ってたが、その泣き方に 看護婦が何かあったのかと飛び込んできた程だった。俺は、苦笑いをしながら「すみません」と 謝った。
貴樹は1日と開けずに来た。大学の講義のノートやプリントを持ってくるのだが、 その中には貴樹自身は取ってない教科分も交じっていて、申し訳ないと共に有り難かった。
俺は貴樹に想いは伝えていなかった。ただ一度だけ
「俺、遭難中に貴樹に会ったよ。」
とだけ言った。貴樹は少し驚いた顔をしたが、「好きな女でも思い出せよ」と言って笑った。

日常がやけに愛しく感じられた。あれだけ毎日を何もなく暮らしてつまらないと思っていた自分が、 ただ時を費やすだけの自分が。いつも通りの日々を過ごす事、それ自体が楽しくて仕方なかった。
俺は、近いうちに貴樹に少年の話をするだろう。俺の想いと共に。
軽蔑も、嫌悪も受け止めようと今なら思える。後悔するかもしれない。それでも、生と死の狭間で 「告白すれば良かった」と思った事も事実だ。それくらいなら如何なる謗りも受けてみよう。 俺という人生は、一度しかないのだから。
取り合えず。
俺は携帯を買った。

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