『夏の残骸』
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 熱を持った肌が、夏の暑さを受けて欲を増長させてゆく。



 九月に入って、連日30度強を記録していた暑さも、若干はマシになったようだった。
 真夏の暑さでじめついた風ではない、冷涼な秋風に変わりつつあるのを感じる。蝉の声に交じって、鈴虫やコオロギの声が聞こえるようにもなった。
 それでもまだ、30度付近をうろうろしている為、暑いことには変わりない。
 そして。
 あいつはまだ 上を向いている。

 少し・・・斜め上。あいつには何が見えているんだろう。どんな世界が見えているんだろう。そこに・・・・・・・・何が見えているんだろう。
 視線の先に、一本の銀杏の木がある。青緑の葉が風にサワサラと揺れていた。幾分かやわらかくなったものの、強い日差しは、あいつに濃い影を落としていた。

「日差しが強い分、影は濃くなる。・・・それと似たようなものだよ。」

 真夏の、暑い暑い日差しの中であいつは言った。幽冥の境を、そう例えた。夏のほうが良く見えるのかと・・・そう聞いた時の答えだ。
 俺は、あいつのその癖を、本当に信じているのだろうか・・・と、偶に思う。あいつが見ているものを、見えるというものを、俺は、本当に信じているのだろうか。

 銀杏の木の下で、あいつは少しだけ泣いていた。「さよなら」と、呟くように唇が動いた。「幸せに」とも、言っていたようだった。
 そして空に右腕を伸ばす。ゆっくりと持ち上がる腕を、俺は不意に掴んだ。
「明津(アクツ)。」
 俺を認めて、少し寂しげに微笑む。涸れることはないのだろうか。頬を涙が伝う。
 右腕を捉えたまま、俺はその頬に唇を寄せた。
「・・・・・見られるよ、明津。」
 ひっそりと、咎められる。銀杏の木が、風にそよぐ。ザワザワザワ。
 咎められたけれど、抵抗はされなかった。・・・寂しいのだろう。多分。だから、人肌が恋しくなる。寂しくて、苦しくなって。胸の中に、ぽっかりとしたものが空いてしまって。それを・・・・・自覚するから。
 俺は頬に伝う一滴に口付ける。
「・・・・・・明津、家に行こう。・・・誰もいないから。」
 死が、近くにありすぎる感覚とは、どういうものだろう。俺にそれは一生分からないのだろう。何度も何度も何度も。絶え間なく続く別れ。
 銀杏の木が、夕方の涼しくなった風に、揺れていた。蝉の鳴き声はまだ・・・響いている。




「祥夜(ショウヤ)」
 名前を呼ぶと、振り返る。けれどその目は、いつもどこを見ているのだろう。俺を通り越して・・・もっと遠くを見ているような気がする。透明な視線を俺は、受ける事が出来ないまま。まるで陽炎のような・・・。
 俺が何も言わないのが分かると、祥夜は再び窓に向き直り、カーテンを閉めた。窓も締め切られ、薄暗くなった室内は、湿気と熱を滞らせる。浮遊し、沈殿するしか術の無い、逃げ道のない空間が出来上がる。そうしてからやっと、俺は祥夜に触れられる。
「祥夜」
 再度名前を呼ぶと、こちらを向いて首を傾ぐ。涙を流して潤んだ瞳が、やけに煽動的だった。俺が腕を伸ばすと、少し臆する気配が感じられる。それがまた、欲を掻き立てた。
 腕を伸ばした先にある肌に触れる。ゆっくりと。祥夜という存在を確かめるように。組み敷く事に、いくばくかの抵抗を感じるのは何故か。そんなことを思う。
 祥夜が、やはりゆっくりと俺の首に腕を回した。薄く開かれた唇に誘われるまま、口付ける。まるで繰り人形みたいだと思う。祥夜にいいように繰られる・・・俺は人形なのかもしれなかった。

 夏が終わろうとしている。
 気だるい暑さは息を潜め、涼しげな風が吹き始めている。暑さは、もう、最後の足掻きを見せていた。
 ふと見えたカーテンの隙間から覗く空は。
 怖いくらいの茜色だった。




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