『夏の誘惑』



** 6 **
「ああ、熱下がったみたいだな。」
 保険医が、俺から体温計を奪って言った。
「おかげさまで。」
 皮肉交じりの声で答える。
「・・・休んでくか?」
「・・・・なんだよ。アヤカチャンに、まだ手、出せないのかよ。」
「出せるわけないって、言ってるだろ。せめて高校になるまではね。」
「・・・・・オヤジ・・・・・。」
 顔を背けると、無理矢理前を向かされた。
「・・・・・・・やだ。やりたくない。」
「なんだ。阿佐ヶ谷と同室になってから、ずっとヤってないだろ?・・いつもなら、一週間と置かずにこっちの気分もおかまいなしだったくせに。」
「・・・やだ。気分じゃない。」
「ほんとに?」
 腕を引っ張られる。不意打ちをくらった俺は、保険医に倒れこむ形となった。瞬間、ゾクリ、と悪寒に似たものが背筋を走った。・・・・気持ち悪い。
 思ったと同時に、俺は保険医を突き飛ばしていた。
「あ・・・!ご・・ごめん・・・・!」
 保険医の座っていた椅子が、音をたてて転げていた。咄嗟にバランスをとったのだろう。保険医のほうは立ち上がっていて、・・・俺の腕も掴まれたままだった。
「ほんと、都合いいよな。有哉は。今までの同室者も、お前に振り回されて終わったしな。有哉の父親が相手の家すら牽制するような実力者だからこそ、お前はなんの報復も受けずに済んでたんだ。分かってる?」
「・・・・・・・」
「あいつらだって、お前のことが好きだった。気付いてたろ?お前だけが本気になれなかったんだ。良かったな、割合、家のことも考えられる常識人ばっかだったからこそ、お前は何も考えず、突き放す事が出来てたんだ。」
「・・・・・・・・・俺、は・・・・・・」
 腕に彼の指が食い込むようだった。苦しい・・・。息が、出来なくなりそうだ。苦しい・・・・・。
「なぁ、有哉。阿佐ヶ谷はどう?今までの奴らよりいい?俺よりも?ここに・・阿佐ヶ谷はどんな風に触れる?」
 俺の首筋に保険医の生暖かい舌が触れた。
「や・・だ・・・。嫌だ・・・。」
「なんで?今まで散々、俺に抱かれただろう。」
 怖い。夜の闇だ。苦しい。怖い。苦しい。怖い。誰も居ない。思い通りになる事なんて、ひとつもない。一人きりの闇。
 記憶が、巻き戻る。阿佐ヶ谷は、何も聞かずに俺を抱き締めてくれた。阿佐ヶ谷の寝顔を見ているだけで、俺は夜が怖くなくなった。違ったのだ、と思った。どれだけ抱き締められても、体を重ねても、夜の闇が怖くなくなることはなかったから。
 一人きりを、埋められる事はなかった。どんなに誰と肌をあわせても、逆に孤独を実感するだけだった。何故だろうと思うたび、相手を傷つけた。
 当然だ。
「・・・・・俺は、一人きりで、自分を抱いていたようなものだった・・・・・。」
 どんなに相手がいても、俺がその相手を思う事がなければ・・・。俺はやはり一人だった。
「だから、もう、先生とセックスなんてしたくない。・・・他の、誰とも。」
 阿佐ヶ谷が、それに気付かせた。何の他意もない、始めて俺をそういう目で見なかった同室者。報酬がなくても、傍にいてくれる。俺のことを、大切に扱ってくれる。
「・・・・・そう。」
 保険医が、俺の腕を放す。
「・・・・?」
「最初から、ヤる気なんてないから。」
 しれっとした顔で、言った。
「阿佐ヶ谷は、いい奴だろう?」
 頷く。それに異論はなかった。保険医はにっこりという形容が似合うような、そんな笑い方をした。
「泣かせるなよ。・・・承知しないからな。」
「・・・・なんで・・・・・・」
 保険医は、やはり意味深な笑みを浮かべた。
「好きなんだろう。」
「・・・・好・・・き・・・・・・。」
「一緒に、いたいだろう、と聞いているんだ。」
 俺は頷く。
「それだけ分かっていれば、十分。さ、早く出て行ってくれ。授業が始まる。ズルはもうなしだ!」
 明るい声だった。俺の背を押すと、扉の外に締め出す。扉を閉める瞬間
「大切にしろよ。・・・大事な・・・俺の愛した人との子だ。」
 そう・・・確かに言った。驚いて振り返ったが、目の前で閉じられた扉は、俺を拒むかのようで開けることが出来なかった。
 これから先も、問いただす事は出来ないだろう。きっと先生だって、言ってしまって失敗したと思っているに違いないから。





「斎木!」
 高架橋で、阿佐ヶ谷が声をかけてきた。俺はぼんやりと空を眺めていた。
「お前ほんと、この位置好きだよなぁ!確かに夕暮れ時、綺麗だもんな。」
「・・・ああ。」
 紅から紫雲。ビルの合間を縫って、色は確実な変化を魅せる。
「阿佐ヶ谷。」
「何?」
 阿佐ヶ谷の黒髪が、夕日に染まっている。母親の名前を聞いてみようか、と思っていたのだが、なんだか気分が逸れてしまった。
「何でもない。」
「あ、そういえばさー、俺、当初、母さんの体調が治ったら家に戻るつもりでいたんだけどさ。」
 え!?初耳だと、俺は思わず阿佐ヶ谷を凝視した。
「戻れなさそう。母さんさ、子供が出来たんだって。父さんも、今更恥ずかしいって、言えなかったらしくてさー。どうせバレんだから、そん時に言ってくれりゃいいのに。過労だとか嘘ついてくれちゃってさ。」
 思わず、肩の力が抜けた。
「・・・俺、母さんの連れ子だったからさ。初めて二人の間に子供できんだよね。だから、寮にいようと思うんだ。遠慮とか、そういうんじゃなくてさ。そのほうがいい気がするんだ。俺の心の準備も必要だから。」
 そう言って、阿佐ヶ谷が笑った。俺は、無粋にも考えてしまった。先生の年齢は・・確か、30・・・・。阿佐ヶ谷の年齢を考えると、当時、先生は15・6歳だった事になる。
 アヤカチャンと先生の話。あの話を作った先生を思った。実際は逆だったんだろう。アヤカチャン、が年上だった。多分、そう年は離れていなかったのだろうけれど・・・。
「そっか・・・・安心した。」
「なんだよ、それ。」
「俺も、時間が必要だったんだ。」
 阿佐ヶ谷と、いる時間が。
 分かっているのかいないのか、阿佐ヶ谷が穏やかに笑った。
「さ、帰ろうぜ。」
「なぁ、阿佐ヶ谷。」
「なんだよ。」
「今日も一緒に寝て。」
「・・・・・・・・はぁあああ!?」
 やだよ!暑いし!! 阿佐ヶ谷はそう付け加えた。俺は食い下がる。
 大丈夫。俺は知っている。阿佐ヶ谷は、俺を拒んだりしない。
「夜が怖いんだよ。なぁ、阿佐ヶ谷。」
 阿佐ヶ谷は早足で寮に向かう。俺はそれを追う。
「こ・・怖くなくなるまでだからな・・・!」
 振り向いてそう言った。
 ほら、やっぱりやさしい。
 俺は笑う。笑いながら、阿佐ヶ谷に背中から飛びついた。阿佐ヶ谷の顔が、朱に染まって見える。夕日の色が、染め上げているだけじゃない・・・俺はそう思いたかった。



 夏が終わろうとしている。
 夏が終わったら、寒いと言って布団にいれて貰うことにしよう。
 阿佐ヶ谷はきっと拒まない。

 夜が怖くなることも・・・きっと、もうない。

INDEX ○ END.....THANKS!!