『夏の誘惑』



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 ”夏樹”を初めてみたのは、あれから二日後。
 移動教室途中の阿佐ヶ谷と、出くわした時だった。声を掛けて来たのは阿佐ヶ谷だ。
「斎木ー!」
 左手に教科書やノート等を持ち、右手で俺にぶんぶんと勢い良く手を振っている。昼食も終わって、エネルギー満点、という感じだった。
「阿佐ヶ谷。」
 俺も、そちらへ歩み寄る。
 俺はと言えば、一眠り(サボリとも言う)しようと、保健室に向かっているところだった。
「何?次、移動?」
 見れば分かる事だったが、あえて口に出す。阿佐ヶ谷を見ながら、隣の人物に目を向けた。
 明るい茶色の髪。明らかに染めている色だったが、彼に良く似合っている。背は阿佐ヶ谷より心持ち低い、中肉中背。
 俺の視線に気付いたのだろうか、”夏樹”は少しだけ俺を見た。
「稔、俺、先に行ってるよ。」
「え、待って。行く行く。じゃ、またな斎木!」
 同じようにまた、右手を振り上げながら阿佐ヶ谷は去って行った。台風一過みたいだ。
「あ、そうだ斎木ー!」
 まだ何かあるのかと、俺は訝しみつつ振り返る。と
「お前なんか顔色悪いぞ?保健室行けよーーー!」
 ・・・・・・・まさに、行くところだったのだが。
 俺は返事の変わりに、右手をあげた。そうか、本当に顔色が悪いのか・・・と思いながら。
 俺は気付いた。”夏樹”が、俺にあまりよくない感情を抱いている事を。
 阿佐ヶ谷の話だと、夏樹は誰とでも仲良くなるタイプらしい。明るくて、楽しい。冗談も適度で、かといって人をバカにするような事は言わない、いい奴。
 阿佐ヶ谷の話を総合すると、人当たりのいい人気者・・・みたいな感じだ。
 なのに・・・あの素っ気なさはどうだ。俺の噂を知っていて、かつ、ある程度真実をも知っているのだろう。阿佐ヶ谷には告げていないのかもしれないが。


 保健室は南校舎一階、美術室から一部屋あけて、その隣にある。
「失礼します。」
 ノックをしてから入る。椅子に身を預けた保険医が、クルリと椅子を回転させて振り返った。
「なんだ、また来たのか。・・・・・・?今日は本当に具合悪そうだな。熱測るか。」
 ・・・・・この生臭保険医がそう言うのだ。俺はどうやらかなり顔色が悪いらしい。
「いや、いい。それより寝かせて。」
「今誰もいねーから、好きなとこ寝ていいぞ。」
 言われて俺は、三つ並んだベッドの一番奥、窓際を選んで横になった。途端、保険医が歩み寄ってくる気配を感じた。
「・・・・・そういう気分じゃない。」
「分かってる。ちょっと額だけ貸せ。それで大体分かるから。」
 俺が承諾しないうちに、保険医はその骨ばった右手を俺の額に重ねた。
「微熱があるみたいだな。吐き気は?腹いてぇとかないか。」
「特には。」
「昼食は?」
「パンと牛乳。」
「相変わらずバランス悪ぃな、お前は。だから痩せぎすなんだ。肉とか魚とか食えよ。俺はもう少し抱き甲斐が欲しい。」
 お前の趣味など知ったことか。余計なお世話だと言わんばかりに、俺は布団に潜り込む。
「ふん・・・。好きな奴でも出来たか。」
「・・・・・・・・・」
「なんだ。図星なのか。珍しいな。」
「・・・・・・・・勝手に決めるなよ。」
「答えないからだ。好きなように解釈するさ。ま、さしずめ・・・今度の同室の阿佐ヶ谷あたりが妥当かな。」
「何でだ。」
「気付いてるかお前。阿佐ヶ谷と同室になってから、ぱったりここに来なくなりやがって。俺は寂しい。」
「彼女いるくせに。嘘ばっかり。」
 俺を抱きながら、この保険医にはかなりベタ惚れしている彼女がいる事を、俺は知っていた。
「それに、一週間以上同室でいて、手を出しも出されもしなかったのは初めてだろう?それで続いてるっていうんだから、そう思うじゃないか。」
 ・・・・・・・言われて俺は、初めてその事に気付いた。そういえばそうだ。
「でも別に、キスしたいとかセックスしたいとは思わないけど。」
 保険医はニヤリと俺に向かって笑う。
「好きの種類も色々だ。そればっかりが形じゃないさ。現にお前は今まで好きでもない奴とばっかり寝てたろう。」
 そう言われると、そうなのだけれど。
「でも、好きだと思ったら、触れたいと思うもんだろ。」
「一概にそうとは言えないさ。」
「先生はどうなんだよ。」
 保険医は再び、含むような笑みを漏らす。
「むやみに手を出せないからこそ、お前に手を出したんじゃないか。」
「・・・・・サイテー。」
「出せるわけ、ないだろ。」
「・・・・じゃ、出したい、とは思ってるわけだろ。」
「俺はね。」
「じゃ、やっぱり好きなら触れたいもんなんじゃないか。」
「だから、俺は、ってつけたろ。」
「アヤカチャンは何歳になったんだっけ。」
「ジューゴ。この夏は受験期只中。」
「・・・・・・・ほんと、犯罪だよな。」
「後10年もしたら10才くらいの年の差、なんでもなくなるさ。」
「それまで向こうが付き合ってくれればいいけどな。」
「ま、俺の話は置いておいて。お前の場合、好きでもない相手とヤり過ぎたんじゃねぇの?反動で、本当に好きな相手には性欲が出ないとかさ。矢鱈めったら大事にしちゃいたいとか思ってたりしてv」
「そんなアホな。」
「分かんないよ。人間って一言で言えちゃうけどな。その心は千差万別。好きの形にしたって、それで相手を殺しちゃう人だっているわけだからな・・・」
 殺したい・・・殺してしまう程の好き。それは本当に好きなんだろうかと俺は思う。けど、それは口に出さなかった。
「・・と、つい話し込んじゃったな。少し寝ろよ。本当に顔色悪いぞ?」
「ああ・・・。」
 俺は促されるまま、ゆっくりと目を閉じた。保険室の中は適度な冷房がきいていて、暑さとは無縁だった。校庭で体育をしているのだろう。掛け声や足音が遠く、霞んで聞こえてくる。笛の音がピリリと響く。その張り裂けそうな音すら、ガラスの向こう数百メートル先の世界で、俺とは無関係だ。

 ああ、そういえば。
 夜になれば阿佐ヶ谷を見ているな俺は。
 それだけでいいんだ。それだけで。
 それ以上はいらないと思いもするんだ。
 それだけで
          安らぐから。
 

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