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(・・・・ほんとに、なんとも思ってないんだなぁ・・・・・・)
阿佐ヶ谷稔。
自分と同室のその青年・・・と言うには、まだまだ幼い面が見え隠れする。かといって少年という程、子供染みてもいない。
漆黒と言っていいほどの黒髪と、黒曜と言ってもいい程の瞳。俺を見る、真っ直ぐな視線は、今まで向けられた事がないほど、無邪気だ。
東洋人らしい顔つきだが、目じりが少しあがっていて、笑うと快活さが前面に出る。憎めないタイプ、とは阿佐ヶ谷のような人間の事を言うのだろう。
いつもなら、「片づけをしろ。」などと言われたら、速攻で同室などやめている。理事に顔が利き、多額の寄付を学校にしている父を持つからこそ、自分の我侭が通る。
所詮、親の力。それに不愉快を覚えないわけがない。けれど、そんな感情だけで”我侭が通る今の環境”を、捨てる気もない。
俺の目の前で、阿佐ヶ谷は、緩やかな寝息をたてていた。
意外と睫が長いな・・・と思う。
夏の暑さは大分和らいだものの、湿度の高い日本の夏はまだ寝苦しい。二段ベッドの上段で阿佐ヶ谷は俺に見られているのも知らず、眠り込んでいる。余程疲れているのかもしれない。
俺はと言えば、寝苦しさに負けて(というより、授業中に居眠りをしすぎたのかもしれない。)ベッド添えつけの階段に上がったまま、阿佐ヶ谷を観察している。
何が面白いわけでもないが、人の寝顔を見ていると眠くなってきたりするから・・・それを期待しての事だった。
「・・・ん・・・斎・・・木・・・」
ドキリ、とした。起こしてしまったのだろうかと思ったが、すぐに寝言だと分かる。
「・・・・・・・また・・・ゴミ・・そんな・・・と・・に・・・」
・・・・・夢でまで、片付けているのか。と、思わず苦笑した。
そんなに綺麗好きには見えない阿佐ヶ谷は、ある一定以上部屋が散らかると我慢が出来なくなる性質だと言う。本来謝るのは俺のほうであるのに、阿佐ヶ谷はそんな自分に付き合わせて悪い、と逆に謝ってきたりする。変な奴だと、その時に思った。
てっきり、俺目当てで同室になったんだと思っていたから、わざと目の前で眠り込んでみたり、着替えをしてみたり、意味深な視線を向けてみたり・・・まぁ、ありとあらゆることを一週間に詰め込んでみたのだが・・・。
阿佐ヶ谷は、俺に一向に手を出す気配がない。ならば受けなのかと思って、こっちが手を出せば、目を白黒させて硬直した。
そこで初めて俺は、阿佐ヶ谷が本当に、ただの同室の級友なのだと・・・・理解したのだった。
今まで三人と同室になったが、そういった人間は一人もいなかった。
俺はそれでいいと思っていたし、実際ギブアンドテイクな面もあった。それでも一ヶ月もすると飽きてしまって、その度に追い出す・・・という事を繰り返していた。
請われれば金で寝る事もあったし、それでいいと思っていたのに。
そういう世界をまるっきり知らない人間がいると言うのは・・・俺にとってはまさに予想だにしない事実だったから。
手を、出す事すら憚られたのは初めてだ。そんな事はあるわけがなかった。でも、阿佐ヶ谷をこうして目の前にしていると、違う、と思ってしまう。
俺を組み敷く事も、何も・・・考えていない阿佐ヶ谷。同室の級友、くらいにしか思っていないのだろう。俺の噂にしても知らないわけはないだろうが、信じていない風だ。
・・・・・・・・本当だと知ったら、どんな顔をするのだろうか。
非難されて嫌われるのか・・・・・・・・・・・
そこまで考えると、それは嫌だと思ってしまう。阿佐ヶ谷には嫌われたくないと思う。それも初めての事だった。
今まで、他人に嫌われようが好かれようが、俺には関係がなかった。通り過ぎてゆく世界に用はなかったし、それは相手も同じだったろう。
だから正直、今俺は自分の感情を持て余している。
阿佐ヶ谷に嫌われたくない=好き、という事なのかもしれないが、それがどの種の好きなのかは、判然としない。
実際こうして観ていても・・・キスしたいわけでもないし、触れたいわけでもないのだ。
ただ、こういうのも悪くないなぁ・・・と思ったりはする。
俺にとって阿佐ヶ谷は、”自分では有り得ないと思っていた、普通の同室者”なのだった。
と、前触れもなしに阿佐ヶ谷が目を覚ます。俺は思わずビックリして身を引いた。が、こんなベッド添えつけの簡易階段では、逃げるところなどあるわけもない。
阿佐ヶ谷は俺に視線をあわせると、疑問にも何も思わない顔で
「・・・・・・・夏樹・・・・・・・・?」
そう一言呟くと、またすぐに眠りに落ちてしまった。どうやら、人の気配で目を覚ましたものの、寝ぼけていたらしい。
・・・・・それより、ナツキ、とは誰だろう。クラスの人間だろうか。夢でも見ていたのだろうか。それとも、女友達の名前だったりするだろうか・・・。ナツキという名なら、男女のどちらとも考えられた。
何となく気になった。
「阿佐ヶ谷さぁ、昨日寝言で名前呼んでたよ。」
俺は起きてすぐ、そう言ってしまっていた。朝の光はカーテンにぶつかり、その隙間の分だけ、部屋に真っ直ぐな光の筋を描いている。
まだまだ残暑が続く事を予想させるような、そんな強い光の朝だった。
「え。」
阿佐ヶ谷の顔色がサッと変わった。これは、夢を覚えている・・・という事だろうか。
「ナツキ、って誰?彼女?」
「え、ああ、夏樹か。いや、男だよ。クラスメイト。」
阿佐ヶ谷は制服のシャツのボタンを留めながら、笑う。どこかほっとしたような表情だった。
「変な言い方するから、一瞬、斎木の名でも呼んだのかと思った。」
悪びれる様子もなく、阿佐ヶ谷はそう付け加えた。
「何?俺の夢でも見てたわけ?」
「・・・・・・・いた・・ような気がする、程度かな。覚えてない。」
「ふーん。」
阿佐ヶ谷に嘘をついている風はない。そりゃそうだろう。こんな事で嘘をつく必要などあるわけがない。けれど、俺はどこかでツマラナイと感じていた。それが何故なのかは分からない。
「ナツキって、どんな奴?」
俺のその問いに、阿佐ヶ谷は少し考える。
「どんな奴と言われても・・・。中学からの友達でさ、ま、類友かなー。明るくていい奴だよ。ちょっと噂好きなのが偶にアレだけどな。情報通って言えば聞こえがいいのかもしんないけど。後、夏樹の山勘って結構あたってさー。テストの度に思わず頼ってしまう。」
楽しそうに喋る阿佐ヶ谷に、俺はやはり何故かツマラナイ、と感じる。
「今度の少テストも、夏樹の勘が頼りなんだけどさー。斎木って勉強できるほうだっけ。学年順位何番くらい?」
「・・・30番以内くらい。」
「え、マジで!?なぁ、化け学得意!?」
「そこそこ。ある程度の点数とっとかないと、色々と面倒だからさ。・・・・親とか理事との関係とか。」
「えー。それで点数とれるなんてすげぇ!いっつも寝てばっかりいると思ってたけど、やる時はちゃんとやってんだな。・・・・・・・・・・・・・教えてくれ!」
「化学?」
阿佐ヶ谷は、大きく頷く。
「夏樹もさ、化学はあんま得意じゃないんだよ。いくら山勘があたるって言ったって、丸暗記じゃ高が知れてるし。どうにも数字でもないくせに、共有結合だとか分子式だとか元素がどうとか・・・苦手でさー。」
「いいけど。あんま教えるの得意じゃないよ?」
「そんな真面目にがっつり、って程じゃなくていいんだ。分かんないとこ聞くからさ、何かの片手間にでも答えてくれれば。」
「まぁ・・それくらいなら。」
「ありがと。よろしく頼むよ。」
そう言って阿佐ヶ谷は、満面の笑みを俺に向けた。
話している間に着替えも、鞄の準備も済ませて、阿佐ヶ谷は戸口に立つ。
「じゃ、俺、今日日直だから早く行くな。斎木もさっさと着替えないと、遅刻するよ。」
躊躇いもなくドアを開け放ち、俺を置いて出て行く。俺は最早聞こえないだろうに、生半可な返事を、その戸に返した。
ドアが閉じられた途端、室内には閑散とした空気が漂った。常なら、同室者が出て行った後、俺はホッとしたものだった。やっぱり一人がいい、と思って、その度に同室者を追い出した。
こんな風に、静かになった事に違和感を覚えるなんてこと、なかった。
「夏樹・・・か。阿佐ヶ谷があんな言い方するなんて、どんな奴かな・・・・・」
そういえば、阿佐ヶ谷と話をすると良く「友人」という言葉が出てくる。固有名詞を使ってもピンと来ないと分かっているからだろうか。
多分、その代名詞である「友人」の殆どが「夏樹」と呼ばれた人物を指すに違いない。
少し聞いただけだが、かなり仲が良さそうなのは伺い知れた。
その日から、夜中の一時間くらい・・・俺は阿佐ヶ谷の寝顔を見るのが日課になった。
自分の感情も分からないまま。