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夏が終わろうとしていた。
既に、夕方を過ぎ夜になれば、涼しい日が続いている。
それでも昼間の暑さはまだ夏のそれで、風が秋を予見させる程度だ。蝉の鳴き声に混じってひぐらしが鳴く。
夏と秋の境。
俺たちは、そんな季節に出会った。
ぼんやり・・・違うな。茫洋、放心・・・・・
「あ、呆然、だ。」
目の前の人物が、思わず出てしまった俺の言葉に反応した。
日に反射した瞳が、明るいグリーンを宿らせる。呆然、と俺が例えた表情は消え、視線が俺を捉えた。彼の色素の薄い髪が、夕暮れの涼しい風に揺らぐ。夕日に反射した髪は金に靡く。
「・・・・・君、誰。」
流暢な英語しか許さないような唇から、明瞭な日本語が紡がれた。
「阿佐ヶ谷稔(アサガヤミノリ)。よろしく。今日から同室だよ。」
俺は彼に手を伸ばした。彼はその手をじっと見ると、不思議そうな顔をしながら右手を差し出した。ゆっくりとした動作だった。
「よろ・・・しく。斎木・・・有哉(サイキアリヤ)です。」
顔とは不釣合いの、和名。
学生寮へと続く高架橋で、俺は初めて噂の人物に会ったのだった。
噂。
男子校にはありがちな噂・・・なんだろうか。他の学校を知らないから、俺には良く分からない。ただ、同じ高校内で付き合っている奴等がいる、というのは聞いた事があった。そういう趣向があることも、知ってはいた。
でも俺には関係がなかった。
好きならそれでいいじゃないか。
俺が父親に教わったのは、そういう道徳観念だけだ。父は勉強しろとか、運動しろとか、ああしろこうしろ、と言った事がない。そんな父が愛した母は、元レディースだかにいた上、ヘッドだった。
くそ真面目な父が、どうやって母と知り合ったのかは知らない。
結婚する時、周囲から散々反対されたと聞いた。それはそうだろう。真面目一筋、東大現役合格の父が、二十歳そこそこで「結婚する」と言って連れてきたのが、レディースのヘッドでは。
母は曲がった事が嫌いで、一般人には決して手を出さなかったと言う。父は一度だけ、そんな母に惚れたのだと俺に明かし、そして好きになってしまったらそれはもうどうにもならないのだ、と言ったのだった。
そして今夏。その母が過労で倒れた。
仕事と家事。そして実家の祖父の様子見に週末は出かけていく。母は、多忙の極みを、何でもない顔でこなしていた。だから気付かなかったと言ってもいい。今まで何事もなかったのが不思議なくらいだと医者は言った。
父はこれをきっかけに家事をするようになり、俺は寮に入る事になった。
そして同室が噂の人物、斎木だと知ったのは入寮する3日前だった。
噂。
売りをしているという・・・噂。
一般的に言う、売春行為。目の前を歩く斎木は、そういうタイプには見えなかった。
少し、俺とは違う種の人間のような気はした。でもそれは金持ちと一般人の違い・・・みたいな、そういう些細な空気の違い。
(やっぱ、単なる噂かな。)
日本人離れした面立ちは、祖父母のどちらかが、ヨーロッパの方の人だから、と聞いた事があった。それは良くも悪くも目立ち、だからこそ、そんな噂が実しやかに囁かれるのかもしれない。
誰が幾ら払って斎木を抱いたとか、そういう話はしょっちゅうあった。だがそれは、大概がいるかいないか分からない、友達でも知人でもない人間の名前で、根も葉もない噂の一欠けらだった。
斎木が石畳の玄関をあがり、俺のほうを確認するように見る。
「荷物、来てるみたいだよ。」
入り口すぐにある管理人室を覗き込みながら、その荷物の山を指差した。管理人室には誰もいない。少し席を外すだけにしても・・・ちょっと無用心だなと思った。
「少ないね。一度に運んでしまおうか。」
当然のように斎木はダンボール二箱を抱えた。俺は残り一箱を抱える。
「二階の端の部屋だから。」
ダンボールはそう軽くない筈なのに、斎木は軽々と持ち上げている。制服のシャツから覗く腕は細身に見えたが、意外と筋肉がしっかりついているようだ。
階段を上り、二階の一番奥の扉を目指す。そこには既に俺の名札が付け加えられていた。
「有哉って、こう書くんだ。」
俺は独り言のように、ボソリと呟いた。
「・・・母が、アリアが好きで。女だったらアリアってつけられたんだろうけどね。」
苦笑するような・・・いや、嘲笑に似た笑みが斎木から漏れた。
「いいじゃないか。男でアリアってつけられなかっただけ。」
「それはそうだ。」
斎木は一旦ダンボールをその場に置くと、ズボンのポケットから鍵を取り出す。ガチャリ、と少し重いような古風な音がして、これから俺が住むことになる部屋が眼前に広がった。
俺が・・・住む・・・・・・・
「すげぇ汚・・・・・!」
「あー・・・掃除、一月はしてないな、そういえば。」
しゃあしゃあと言う斎木に、俺は思わず「顔に似合わねぇ・・・・!」と言いそうになった。
寮生活一日目。前途多難。
・・・・・・・・・・掃除から始まる。