「おい、藤村・・・・・・」
美術教官の野桐が第一美術室を訪れた時、いたはずの生徒、藤村の姿はなかった。
教卓の抽斗にしまってあった筈の画集が二冊、無造作に机に乗ったままになっている。
(?何だ。珍しいな、藤村はそんな事した事ないんだが。)
「・・・・・にしても。帰るときは言っていけって言ってあるのに。」
野桐は一人呟く。まぁいいかと思った後、藤村の絵の進み具合を
見ようという気になって、野桐はキャンバスを置く棚に目をやった。しかし、
藤村の名前のあるところは空洞になっている。ふと見ると藤村のキャンバスが、
所定の棚に戻されないまま床に転がっていた。
おかしい、と思った。
藤村は、美術部の中では真面目な生徒だ。確かに絵はそう上手くないが、
描く事が好きだというのは見ていても感じられる。休み中も一番美術室に
通っていると、野桐は記憶していた。
その藤村が、キャンバスを放って行く筈はなかった。しかも、床に投げ出された
ようになっている。
良く見ると、藤村がいたであろう机の周辺には、まだ油絵の道具が置かれていた。イーゼル
も畳んでいない。帰る準備をしていた様子はあるものの、帰った形跡が
希薄なのだ。
それは、イーゼルの支えにかかっていた携帯電話を見た時に、確信に
変わった。
「藤村!?」
野桐はいないと思いつつも、その名を呼んだ。
「藤村!藤村!!」
名前を呼びながら、校舎を巡った。校庭で後片付けをしていた運動部の
生徒と教員が、野桐の様子を認めて一緒に探してくれたが、校舎内のどこにも
藤村の姿はなかった。
「先生!藤村いた!?」
「・・・・・・沢下。いや・・・さっき家にも電話したんだが、帰ってない。」
沢下は藤村の親友で、陸上部に所属している。六時半を過ぎた頃、藤村が何らか
の事件に巻き込まれた可能性も考慮され、生徒は帰宅させた。しかしこの沢下
だけは、幾ら言って聞かせても帰らなかった。
野桐と沢下は外の中央通路の近くで話をしていた。その右側の奥が、第一美術室に
あたる。中央通路は北と南棟を繋ぐ通路で、今その右側の扉は開け放たれていた。
しんとした通路は薄暗く、ぼんやりと非常灯と消化栓の明かりが点っているのが
分かるだけだった。
「いいから、お前ももう帰れ。一応・・敷地内で怪しい人間を見たものは
いないが、藤村が見つからないのは事実だ。・・・・・どこかで遊んでるだけ
だといいんだが。捜索願も出されているわけだし。・・・・・・心配するな。
何かあったら連絡するから。」
「野桐先生・・・でしたか?ちょっといいですか!」
昇降口の辺りにいた警官の一人が、野桐を呼んだ。どうやら探していたらしい。
警察には様子がおかしいと判断されてから、すぐ通報されていた。七時前には学校敷
地内の捜索、及び生徒や先生への事情聴取が終わり、今は4.5人の警官が学校内に残っ
ている。
「あ、はい!ちょっと待って戴けますか。」
「そちらの・・・生徒さんですか。良かったらお送りしますよ。事件性は少ないと
判断されていますが、状況が状況ですから。」
少々離れた場所同士の会話は、夜の闇の中、やけに響く。
「お言葉に甘えます。・・・・・いいな。沢下。」
沢下は俯いた。それから顔を上げる。
「野桐先生・・・あいつがメモも何も残さずに帰るわけないんですよ。俺、一緒に帰る
約束してたんだ。なのに・・・・・・。」
「分かってる。何かがあったのは確かなんだ。この上、お前にまでいなくなられたら
捜索の手が二分される。・・・・・沢下が安全であることも、藤村を助ける最善でも
ある。」
「・・・・・・・・」
その時だった。沢下の目に、その姿が映った。校舎を背にしていた野桐には見えなかった
が、沢下はその野桐の肩越しにかの姿を認める事ができた。
「・・・・・・・藤村!!!」
沢下は校舎に向かって駆け出した。中央通路の開いた扉に向かう。
「・・・・おい!!沢下!?」
駆け出す沢下を追おうとした野桐を、警官の声が呼び止めた。
「どうかしたんですか!」
野桐の視線はそこで一旦、警官のほうに移ってしまった。
二人の警官が野桐のほうに向かって来た時には、既に沢下の姿は校内に消えていた。