『夏の廻り』
** 2 **

**********

「珍しい。こんなところまで来る人がいるなんて。しかも子供か。」
僕は思わずビクリと体を振るわせた。目の前には、大人の男の人。長い髪を垂らして、 半そでにGパンという格好をしている。
「何だ。迷ったのか?別に真っ直ぐ歩って来たのだろう?すぐ後ろに鳥居があるから、 そんな泣きそうな顔をしなくても。」
違う。僕はこの男の人に怯えているのだ。そんな事は露知らない彼は、話を進める。
「何なら送ろうか。・・・・ほんの50年ほど前に会ってたら、食ってたかもしれないがなー! もう、そんな事しないし。安心していいぞ?」
食ってた!?食ってたって何を!?人!?
人食い族ーーーーーーーーーーー!?
丁度テレビのドキュメンタリーか何かで、そういう種族がいる事を知っていた僕は、 もうパニック寸前だった。
「僕は美味しくないですーーーーーーーーーーーーー!!!!!」
言うなり、僕は一目散に鳥居に向かって回れ右して走った。全力疾走だった。
後方で何か声がしたけど、振り向かずにただひたすら走った。
そのことをお婆ちゃんに話すと、
「お狐様じゃ。なんぞ罰当たりな事したんと違うか。逃げてくるなぞ、今頃おこっとるかも しれん。謝ってきぃ。子供には寛容だと言う。はよ、言ってこ。」
そう、諭された。
「えー?だってあんな格好した神様なんていないよ。この辺の人じゃなかったみたい だけど、でも・・・・・・」
「神域に足踏み入れたら、お参りするもんだ。いいからはよ行ってこ!」
「やだー!怖いもん。またいたらヤだもん!!」
「婆も途中まで行ってやるから。ホラ。」
渋々僕はお参りに行った。鳴らす鈴もない本堂を前にして、改めて周りを見渡すと 何だか寂しい気分になる。
お婆ちゃんに渡された100円硬貨を、既に壊れて朽ちている賽銭箱に投げ入れた。
何でか、泣いた。
何だか寂しくて、寂しくて。
「逃げちゃって、ごめんなさい。」
そう、謝りながら。



**********

「再びお参りに行った時には、もうその人はいなかったんですけど。あの時その人に 会ったからだと思うんですよね。俺がわざわざ宗教学のある高校選んだ理由って。 だから、見た事はないですけど、信じたいって思ったりします。」
「そうか・・・・・・」
雷は徐々に近づき、空は既に曇天。あと1時間もすればどしゃ振りになるだろう。
「なら、俺も一つ昔話をしようか。」
そう言って、耶古さんは話を始めた。

「その神社に祀られていたのも、やはりここと同じ、お狐様だった。そこには神の形が あって、信仰厚い村人たちが毎年毎年、祭りを開いた。それは、人を捧げる祭り。つまり、 生贄信仰でもあった。土着の神にはその手の話は多い。その神社のお狐様は、 流れてきた九尾の狐で、偉い坊さんに封じられ退治されたという謂れがある。祟りを 恐れた人間は、その九尾狐を社を作って祀り、大切にしていた・・・・というわけだ。 まぁ、こういう神のなり方もある。菅原道真なども、祟りを恐れた人間が祀りあげた神だろう。」



**********

「フン。祀られたところで、何が楽しい。」
「そう、言うな。悪い気はしないだろう。」
「生臭坊主に言われたくないね!何でお前なぞにやられたのか、さっぱり分からない。」
「それが敗因だ。私を甘くみたところに、隙がある。主ほどの力があるならば、神になるのも その心次第では容易いことだ。そうすれば再び体を得る事もできよう。人の祈りの形というもの、 念とは恐ろしいほどの力があるからな。」
カラカラと笑いながら、目の前の袈裟を来た人間は、こともあろうに本堂で酒を煽った。
「まぁ、いいさ。お前がいる限り、俺はここから出られん。」
「私が死んでも、子々孫々、この社に血が続く限り、呪縛は解けん。」
「ああ!?てめ、それ密教の呪法使ってねぇか!?禁制書とか持ってんじゃねぇだろうな!?」
「持ってる。」
事もなげに、サラリ、と坊主は言った。生臭にもほどがある。
「なら、追われてんじゃねぇか!!何考えてやがる!」
「あの場にあったほうが、余程悪用されるわ。生臭の溜まり場だからな。私が持ち出して、丁度 よい代物。これからはお前が守るがいい。禁書の封じ場くらい、作ってやるからな。」
「何だよ!てめぇの尻拭いかよ!!やってられねぇ。」
「今に分かる。祀るという事、祀られるという事。生という意味が。」
分かるか!
俺は九尾の狐だぞ!?徳の高い坊主にだって、俺をやれるものはいなかったのに。 何でこのクソ坊主に。
ちくしょう!!


そうしていくばくかの時が流れ、ある日照りの続く年、初めて人身御供が立てられた。
俺は、雨を降らせた。その、人を食って力を得たのだ。
「愚かなことを・・・・・。」
坊主は、村人を必死に説得した。そんなことをしても、何の解決にもならないと。
しかし、現実に雨は降った。そして、降らせたのはこの俺。神として祀られた、この・・・・・・。
俺は、笑った。
それまでただの白い浮雲のような、霞だった俺はうっすらとだが形を持ち始めたのだ。
人の祈り、願い。
そう言ったものにプラスされ、毎年のように生贄が捧げられるようになると、俺の妖力は年を 重ねるごとに元の力へと近づいた。いや、寧ろ元よりも強くなる勢いだった。
ものの数年で俺は、実体を持ち、酷く辛そうな顔をした坊主がそこにいた。
「そろそろ限界か?俺を封じておくのは?」
坊主の目は、真っ直ぐに俺を捉えていた。憐れみの目を浮かべて。
「お前にそういう事を教えたかったのではない。」
そう言って、数珠を取り出す。
「最後の呪をかけよう。私の魂を使った、呪いを。」
「何しやがる!!やめろ・・・・・・!!そんなことをすれば、お前がーーーーーーーーー!!!」

そして俺は、この社から出られなくなった。どんなに強大な力を得ようとも、どうすることも できないまま。
命と引き換えにした、最後の呪は、坊主の魂そのもので出来ていた。
毎年届く贄も無駄に消費し、力だけが高まり俺は鬱憤を晴らせないまま。いつかという希望を 抱き、怨念に似たものを抱き。それでも神という立場で贄を得るため、奇跡を起こしながら。


その年の贄は、珍しく男だった。駕籠に乗せられ、社の前に作った祭壇に置かれる。
神主は生贄を清め、通例どうりに儀式をこなす。
習慣化した祭りをもう誰も咎めず、あるのは一心の祈りのみ。
そうして夜半過ぎ、俺は生贄を得る為本堂から抜け出した。

「お狐様ですか。私を、食らうのですか?」
俺は少し驚いた。今まで喚くものはいたが、話しかけてくるものなどはいなかった。
「私には悲しむ両親も、友もおりません。ただ、もし一つだけお聞き届けくださるなら、 どうか食らう前にお姿をお見せ下さいませ。」
「ほぅ。やけに丁寧な喋りだ。どこぞから落ちて来たのか。」
「そのようなところです。ここの村人は、信仰厚いのですね。私をお上に差し出せば、 どれほどの金子になるか分かりませんのに。」
バサリ、と俺は駕籠の簾を押し上げた。
「ああ、思ったとおり、綺麗な神だ。後はどうぞ、他に望むことは御座いません。」
一瞬の躊躇いが生じた。何故かは分からない。真っ黒い目が俺を見据え、それから瞳を閉じた。
俺は、彼を食らった。


時代が移るにつれ、生贄という習慣はなくなり参拝するものも減った。俺の力も、 この地から抜け出せない限り、後は衰えるのみだろう。そう、悟った。
「何でだ!これだけの妖力を持ちながら、何故ここから出られない!!」
俺は、鳥居の外に向かって拳を突き出した。
バリッと衝撃が伝わり、後ろに跳ね返される。
「・・・・・・・・?」
違和感。
「俺の妖力は、多少なりと下がったはずだ。なのに・・・・痛手が少ないのはどうしてだ?」
そこで、俺は初めてあの坊主の張った結界の正体を知った。
高笑いが口から漏れた。それは嘲笑に等しい。
「あの坊主!謀ったな・・・・・・!!妖力が強いほど、結界は結界として成り立つ。なるほど、 妖力が落ちれば俺はここから出られると、そういう事か。」
俺は、ひたすら待つことにした。自分の妖力を落とさなければ、ここから出る術はない。 しかし、一度ここから出てしまえば、後は好き放題にできるのだ。時間は掛かっても、元の力を 取り戻すのに何の困難があろう。
奇跡を起こすこともせず、祈りも願いも聞くこともなく。

そうして、俺の願いは成就する。

それからは妖力を得る為、人を食らった。人間は戦争というものを初め、俺が人を狩るのには 容易い時代だった。誰がいついなくなろうと、可笑しくない。
「後少し、後少しだ!」
「ハハハハハハ!!ざまぁみろ!お前の掛けた呪など、何の意味も成さなかったわ!」
ザザザザザザ・・・・・・・・・
風が吹く。草が踏み荒らされ、道を作る。迷走の道。逃げる場所など、どこにもない。
「いや・・・・いやぁっ!!!!!!!」
逃げ惑う人間を見るのは楽しい。血が吹き出る瞬間。あの生暖かく生が滾る液体を、自分の 糧とし力を得る事が嬉しい。
肉を引き裂く感覚、何もかもが新鮮で。封じられて来た時を思えば思うほど、愉快になる。 もう、自由なのだ、と。


「ああ、お前は俺を食べるのか?」
手を伸ばし、爪が届く瞬間、男はそう聞いた。
どこかで聞いた言葉だ・・・・・そう、思った。
「そう、長い命でもない。好きにするといい。」
凛と背筋を張り、正座した姿は潔くもあった。襖も障子も、ところどころが破けた、みすぼらしい 部屋。畳の傷みも激しく、家具もろくろくない。
「見てのとおり、無くすものもなければ俺の死を悲しむものもいない。このまま徴兵されて 人を殺さなければならないのなら、今ここでお前に殺されたほうが楽だろう。」
男は、まだ少年の風情を残している。少し、面白いと思った。
天皇崇拝を掲げ、お国の為に生を捧げるが本望。そういう者ばかりだと思っていた。 目の前の人間は、今、それを否定したのだ。
「お前は、俺が食うと言っても抵抗しないのか?」
「弱肉強食と言う。それは自然の摂理だろう。物盗りではなさそうだし、ただ殺すのでも ないのだろう?食われてお前の糧となるならば、それもいいだろう。」
「ふぅん。そういうものか。」
「お前は、一人か?そうして、同族を食べて生きて来たのか。地を這うように。」
思わず、笑った。
「同族!?笑わせる。人間など下位種。俺と同列に並ぼうなど、おこがましい。」
「なら、お前は何だと言うのか。」
「狐だ。」
「くくっ・・・・何だ。野ギツネか。」
男は喉の奥で笑った。
「なんだと!その辺の狐と一緒にするな!!俺は九尾だっっ!!!」
「九尾だろうが、何だろうが、構いはしないさ。俺にとっては些細なことだ。」
「てめぇ・・・・・ッ!」
「餌に怒るなど、無意味だろう?餌の言う事など聞き流して、さっさと食えばいい。」
男の深淵を思わせる目を、俺はやはりどこかで見たことがあると思った。
俺は男を食わなかった代わりに、いついた。これを人間の言葉では”とり憑く”と言うらしい。


「食わないのか。」
「お前が泣いて命を請うまで、食わない。」
「へそ曲がりな。」
そうして和史(かずし)は、やはり喉の奥で笑った。
「その前に、徴兵されるさ。望まなくとも、望むとも、死地へと送られる。そうしたら お前、どうするんだ?」
「行かせない。まもなく終戦を迎える。この国は負ける。その後には今とは比べ物にならない 生活ができるようになる。その時が来ても、和史は死を恐れないのか?俺は そうは思わない。」
和史は天井を見ていた。こげ茶色の板張りの向うから、トタタ・・・と鼠の走る音がする。 暗い部屋の中でも俺には和史の顔が良く見えた。
「やはり、負けるのだな。お前がそう言うのなら、真実なのだろう。」
「何だ。こんな国でも、多くの者を奪われても、負けるのは嫌か。」
「そうではないさ。無意味な争いなど、早く終わればそれでいい。ただ、・・・・・ただ、少し 彼女のことを思い出しただけだ。」
この国をそれでも好きだと言った、幼馴染を。
「感傷か。まぁ、いいんじゃねぇの。人間ってのはウダウダとこ面倒臭ぇが、だからこそ 俺みたいなのが実体を持てる。」
ゴソリ、と和史が布団から出た。そうして俺を見下ろす。
「何だ。」
「さっさと、食えばいいものを。そうすれば、俺は・・・・・・・」
佳澄(かすみ)の元へ行けるのに。約束を、果たせるのに。
いつまでも、一緒にいると言った、儚い約束。
ポタリ、と和史の目から零れた涙は、俺の頬に落ちた。
「ああ、お前は綺麗だな。野ギツネとは言ったものの、人ではない綺麗さ。それはある意味 での純粋さなのだろうな・・・・・。」
「何を・・・・・」
言っている、と言おうとし、そしてやはり俺はどこかでその言葉を聞いた、と思った。
言葉は、言葉にならなかった。心の奥に留まって、空中に流れ出ることはなかった。
和史の唇が、ゆっくりと俺から離れた。
「こういうのも、悪くは、ないだろう。・・・ふ・・・・はは・・・・・・」
泣きながら、和史は笑った。両手で顔を覆い、流れる涙を止める事ができないまま。
自暴自棄、という言葉があるが、まさにそういう状態だったのだと思う。
「餌に、情けをかけるような事はしないぞ。俺は。」
「そうか?すぐに食いもしないくせに。それこそが情だと、俺は知っている。寂しくはないのか? ただ一人きり。仲間となるものもいず、誰にも心を許さず。お前は本当に 妖力を得る為だけに人を食らうのか?・・・・・・・それならば、俺の意思など関係ないだろう。 俺が拒もうが、何だろうが、関係ないじゃないか。そうだろう?」
「挑発か?本当に、人間というやつは聡い。愚かなのに、その愚かさ故の知恵がある。 自らを滅ぼすのも、焼き尽くすのも、他の生物まで巻き添えにする。それは寂しいという 感情か?それとも嫉妬か。」
「両方さ。他人が幸せなのは辛い。自分の不幸を思い知らされるから。一人を知るから。 それが・・・・羨ましいから。そう、ただの逆恨みのようなもの。」
「フン。知っていていさかう気持ちは、俺には分からん。理解する気もない。」
俺は気まぐれを起こして、和史に触れた。
「だが、そうだな。その人という種の中に、お前がいるのか。面白い。」
クツクツと笑いが漏れた。ゆっくりと唇を重ね、俺は和史を組み伏せる。抵抗はなかった。ただ、 自分を見てくる真っ黒な瞳が遠い記憶と重なった。
ただ、それだけだ。ただ・・・・・・・・・・・・・。

知らなくて良かった事を、俺は思い知らされた。

それは、俺に和史を食えなくした。

『そういう事を、お前に教えたかったわけではない。』

『私を、食らうのですか?・・・・・・ああ。綺麗な神だ。』

『寂しくはないのか?』

『・・・・・・・淋しくは。』



ああ、ああ。
それを、知ることさえなければ。感情を交わらせることさえなかったのなら。
俺は分からないまま過ごしただろう。人を食らい続けただろう。
和史、お前をすぐに食ってさえいたのなら。知ることなど。
淋しさも、愛しさも。
嫉妬や欲望や羨望。
国という形の為のお題目を掲げ、先陣切って突っ込むことを疑問にも思わず。 それが時代だったのだと後世の輩は言うのだろう。人間という、愚かなものの行為をそうして 正当化し、無にしてしまうつもりなのだろう。
俺は、ただそれだけの存在だと、そう思っていた。
和史。
お前が俺にそれ以外の存在を、教えた。
時代を否定し、自分自身を壊しながら懊悩する。自分の為ではない、誰か別のものに対する 想い。そう、本当は俺はそれを知っていた筈なのに。ずっと見てきていた筈なのに。
それは通り過ぎる風のように、俺の中に残らなかったから。
人の願いも祈りも、俺にはただ無機質で、自分勝手な自己満足だと思っていた。 それだけではなかったことを、お前が俺に教えた。
言葉ではなく、その姿で。
自らの精神を壊して、狂って、そして。

25の年、終戦間近に短い生涯を閉じるまで。

そして俺は、
失う痛みを、初めて知った。



INDEX 夏の廻り01 夏の廻り03