ここは田舎だ。
家屋の数より、田畑の数のほうが多い。
俺は毎日電車に乗って、二時間かけて学校へ行く。
高校は既に村にはない。小学校と中学校が一校ずつ。100人に満たない
生徒で成り立っている。
そういう、ある意味ギリギリのラインで成り立っていた。
俺はそれでもこの地に執着している。
両親が俺のためにも、村を出ようと言ったことがあったが、俺は即答で
断った。
元々街にいた両親は、忙しさに辟易してこの地に来た。
自給自足とはいかなくても、通勤に多少時間がかかるようになっても。
娯楽と言えば、一軒飲み屋があるくらいの小さな村。
俺はこの地が好きだと思う。自分の育った村を。そしてもう一つ、俺がこの地に
残りたい理由は、近くの神社にある。もう、無人になって久しい神社。
本当は二時間かけて高校に行かなくても、一時間未満のところに公立高校が
ある。大体はそこに入学する。でも俺は二時間かける場所を選んだ。
というより、俺の行きたい学科のある高校がたまたま遠かったという、
それだけのことだ。
そして、俺は彼に会った。
「よぉ。今日も勉強か?帰りにはちょっと寄れる?」
「今日は大丈夫です。部活ないし。」
「遠雷が夕方には聞こえる。こっちまで来るには、それから三時間ぐらいだ。」
「分かりました。3時には来れると思います。」
「待ってる。」
彼はニコリと笑って寄りかかっていた大木から離れ、俺のほうに歩む。
そして俺の髪に触れ、目を閉じて
「今日1日が、無事であるよう。」
そう言った。
「じゃ!行って来ます。」
「おぅ、しっかり学んで来いよーー。」
いつものように、彼は手を振って俺を見送った。
毎朝、神社を通る。境内を通って行くと、若干だが学校に近いからだ。
住宅地の中にある神社は、そこだけ隔絶した空間に感じる。表通りの車の
音も遠く、替わりのように蝉の鳴く声が木霊していた。
紅葉やニセアカシアに囲まれた参道は至るところに影を作っていて、
その枝葉の隙間から夏の強い日差しが零れて揺れた。生暖かい風は、
それでも木陰を通れば涼しい。
あまり通学路としてここを通る人は少ないけれど、そんなところも
気に入って俺はここを通る。
神社を通るようになって、何人か朝の参拝をしている人を見掛けていた。
俺のような学生とか、小学生とその父親とか、会社員の人とか。
通る時間がまちまちなのか、そう頻繁に会うようなことはなかったけれど。
偶に見掛けていた参拝者の一人。それが彼だった。
参拝者の中でも、彼は良く見掛けるほうだった。
それは彼も思っていたようで、声を掛けられた時の言葉が、
「良く見掛けるけど、狭烏(さう)高校の生徒?」
だった。
俺が落としまくったノートやら教科書を拾いながら、彼は人懐こい笑みを浮かべて
いた。
「ああ。ハイ。」
突然話し掛けられたので、些か面食らったのは事実だ。
「すみません。手伝って戴いてしまって。」
彼からノートなどを受け取りながら、俺は頭を下げた。
「いや、別に。大したことじゃないし。それより学校は大丈夫か?」
「大丈夫です。」
鞄に物を詰めて、俺は再び頭を下げ、礼を言ってから学校へ向かった。
その時にはまさか帰りにも同じ場所で会うとは、思ってもいなかったけれど。
「あ、今帰り?」
やはり人嫌いのしない笑みで、彼は話し掛けてきた。
「はい。今朝はありがとうございます。」
「そんなに何度も礼言わなくってもいいよ。」
最初、何かヤバい人かと俺は思った。大学生くらいなのに、学校へ行っている様子も
なければ、勤め人という服装でもない。
無地のTシャツにGパンという至ってラフな服装。髪はちょっと鬱陶しい感じに
前髪が長い。後ろも極端なシャギーが入っていて、長くて尻尾みたいだ。
おまけに日に反射する白金に近い色。染めているにしても、綺麗に染まっている。
いわゆる、プーというやつなんだろうか。その割に熱心に拝んでいる姿を何度か
みかけているし、朝は親切な一面を見たりもしたけれど。
人は外見じゃないと言っても、大概外見に左右されがちだ。余り関わらないほうがいい
ような気もして、俺は早々に帰宅の途につこうと話を切り上げようとした。
「もう、帰んの?時間なかったら別に無理強いしないけど、ちょっと手伝って欲しい
ことあんだけど。」
・・・・・・・・タカリーーーーーーーーーーーーーー!?
朝のことを恩にして、金とかせびられるんだろうか!?俺、そんなに持ち歩いてないし、
それでボコボコになるのもかなり嫌だが!
「あ、別に何もしないよ?ここで猫生まれてさ。ノラなんだけど。まだこんなちっちゃ
くってさー。」
言いながら彼は10センチにもならないような幅を、手で示した。
「子供がさ、親猫が隠してるのを見つけて触っちゃったんだよ。知ってる?猫って
子猫に自分以外の知らない匂いとかつくと、その子猫食っちゃうんだよ。かわいそう
だけど放っとけないし、俺が預かっててさ。里親探したら、ここで参拝してる会社員の
人が、貰ってくれるって。」
「はぁ。」
それで、俺に何をさせようと言うのだろう。
「今日、その人の娘の誕生日なんだって。良かったらすぐそこの家だから、届けて
くれないかって。普段忙しい人でさ。帰宅が何時になるか分からないから、できたら
頼みたいって言ってきて。言葉は濁したんだけど、それくらい叶えてあげたいし。」
そこで、彼は一息吐く。困ったような顔をしながら、
「悪いんだけど、届けて貰えないかなぁ・・・・・」
そう言った。
「俺が・・・ですか?」
「ちょっと事情があって。俺・・・・もう、ここから出られないから・・・・・・」
最後のほうは呟きだったけど、聞き取れた。出られない?何故・・・・。やっぱり
変な人?でもまぁ、悪い人ではなさそうだ。
「いいですよ。家と、名前を教えて貰えますか。」
そんな事があってから、俺は彼と話をするようになった。
彼の名前は耶古(やこ)と言った。下の名前は知らない。俺が聞かなかったせい
だけれど、機会を逃してしまったために聞きそびれたというのが本音だ。
「標(しるべ)!」
学校が終わってから、時間があれば神社で彼と話をした。断片的に話を聞くに、
どうやら耶古さんは神職に就きたいらしい。三顧の礼を尽くしてもまだ足りず、
受け入れて貰えないのだそうだ。
それで毎朝、毎夕、参拝をしているという。お伺いを立てに。
他の人と会うこともできなくて、日がな一日誰とも話さない日も多く、だから俺が
通るのを、耶古さんは楽しみにしているとも言った。
「ずっとここにいるんですか?」
「んーそうだね。ずっといるね。俺はずいぶんと悪いことしてきたからさ、ちょっとや
そっとじゃ戻れないんだ。」
「?もともとは神職だったんですか?」
「・・・・・・・一応ね。」
そう言った彼の目は、少し寂しそうだった。
「それよりさ、今日は?宿題とか出た?何の教科書持ってる?」
楽しそうに、聞いてくる。
「んー、数2の例題の解釈から問3-5くらい。教科書は歴史と英語と国語は古文と
物理。何かみたいのありますか?」
「歴史。」
「耶古さんは、歴史好きですね。」
「ん?ああ。面白いよ。本当もあるけど嘘も多くて。」
まるで歴史を知っているような物言いに、俺はやはりどこかおかしな人のように思うこと
があったけれど、問いただしたことはない。
余程俺より勉強はできるし、わからない問題はよく教えてくれる。
ゴロ・・・
遠くで雷の音がし始めた。
「遠雷・・・・」
俺は呟いた。歴史の教科書に目を落としていた耶古さんも、顔を上げる。
「ああ、来たか。」
「耶古さんは、よく天気をあてますね。余程天気予報よりもあたります。何故ですか。」
疑問のひとつを、俺は聞いてみた。耶古さんは、俺を見てニコリと笑んだ。
「そういう仕事を、してたからね。」
「?気象予報士?だって、神職をしてらしたんでしょう?」
「神職の一つかな。」
「そういうのも、あるんですか。」
「天気がよくなって欲しい時とか、てるてるぼうずつるすだろう。あれも神頼みの一種だ。
全て叶えるわけにもいかないが、稀にはな。」
「何か、耶古さん神様みたいですね。」
俺は笑って言ったが、やはり彼は少し寂しそうな目をした。
「神というのは、自然世界に宿るものだけれど、それも人という種が望むから生まれた
形だ。」
唐突に、耶古さんは話し始める。教科書を膝の上で閉じ、遠くを見るような目をした。
「もともとは形のないモノでも、望まれれば転じる。分かるか?」
俺は首を横に振った。
「そうだな・・・・。神道の話は、良く人そのものが神に転じる。不遇な目にあった人が、
神という偶像に祈る。話ではその偶像が実際にいて、そして彼らはその不幸から救われる
形となる。しかし、そうならない場合が神道は多い。さまざまな策略によって命を落としたり、
不遇が続く心清きものは、後にその地の神になったと神道集などに記される。
まぁ、荒神となったものに追われ、その地を離れて神となった者たちもいる。色々だがな。」
ゴロゴロ・・・
雨雲を連れて、雷は若干近くなったようだった。
「記述として残る神には、必ず社がある。それが形だ。そこには神仏像がある。それも形だ。
そしてそれに祈る者たちがいる。祈る者たちが、その像に魂を吹き込む。祈りという、目に
見えないものが幾重も集合し、それは本当に”いる”ものとなる。」
耶古さんが、俺を見た。
「・・・・何となく、分かるような・・・・。」
「偶像崇拝も、いる人にとってはいるという事だ。」
「俺も、割と信じてますよ。いや・・・信じたいっていうほうが、強いけれど。」
少し、雲が多くなる。空を覆う灰色は、青を隠し始める。
「俺の家の近くに、神社があるんです。・・・・あったっていうほうが、正しいかな。今はもう、
神主さんもいないから。参拝する人がいなくなって、随分前から無人なんだそうです。
何があったのかは知らないけれど、近所のお婆さんが言うには自分が子供の頃には
もうすでにああだったって。話ではお狐様が祀られていたそうです。」
俺は、そこで人に会った。
小学校の中学年になって少し経った頃、そう、丁度夏休み直前だったから、今と似たような
時期だったのだろう。
高く生い茂った草叢は俺の背丈ほどもあり、それが面白くて俺は神社の奥へと進んだ。
参道などもう分からなくて、ただ赤茶色の煤けた鳥居を通って真っ直ぐ進んだから、恐らく
そこは参道であったところなのだとは思う。