「・・・・・・先生、もう、いいよ。」
俺は思わず、そう言ってしまっていた。
「もういいって・・・・・何言ってるんですか・・・・・」
目の前で、至冬先生は驚いたような顔で言った。
「補修終えないと、単位あげられないですよ。後、このプリントやって、問題解けたら終わりですから。」
やんわりと、諭すように。
俺は至冬先生の顔を見た。少し・・・・・先生は怯えたように、視線を横に逸らす。俺は溜息を吐いた。
「・・・・・・先生さー・・・自分で分かってると思うけど。すっげぇ顔色、悪いし。気になって俺、勉強どころじゃないから。だから、今日はもう帰る。」
俺は先生の言い分を聞く気もなく、さっさと机に広げてたプリントやらノートや教科書を纏めて、適当に机の中に放り込んだ。元より、持って帰るつもりなどない。
「ちょっと待って。今日逃すと、後があんまりないんですっ。夏休みまで補修で潰す気ですか。」
「あーーー?どうせ、部活で出てくるし。・・・・・・先生が、出て来たくない?」
「そんなわけありますか。」
呆れたように、至冬先生は言った。その、顰めた眉とか口元が、やたらかわいく見えてしまう俺は、何かが末期かもしれない。
・・・・・恋愛って恐ろしい・・・・・・
「とにかく、先生、昨日の今日だろ。顔色悪いってば。俺、別に夏休み潰してもいいから。・・・日にちとかも、先生の都合のいい日、時間帯でいーし。」
俺はさっさと鞄を持つ。先生がオロオロとしているのが、目の端に入った。毎回・・・困らせてばかりだなぁ・・・・と思った。
先生の気を引きたくて、なるべく一緒にいたくて。それで選択したのが、数学の成績を下げる事、だった。分かる問題も解かないで、答案用紙にはわざと間違う箇所が増えた。結果、至冬先生が教頭先生とかに何を言われてるか・・・俺だって予想がつかないわけじゃない。担任にもしつこく聞かれた。「何故、成績が落ちたのか。」。
これだって、俺の自分勝手から生まれた。好きなのに、・・好きだからこそ。迷惑かけて、困らせている。想いが通じない事は分かってる。苛立っても仕方ない。
「片倉・・・・っ」
至冬先生が俺の腕を掴んだ。昨日と逆だな・・・と、ふと思った。
「後・・・・少し・・・だろう。俺は大丈夫だから・・・だか・・・ら・・・・・」
「・・・・?先生・・・・・・?」
明らかに、様子がおかしい。ヒヤリとした先生の手が、俺の腕に食い込む。
「・・・・った・・・・・痛い・・・・ってば!」
先生の額から、汗が滲んでいた。
「・・・・せん・・・・せ・・・・・・・ちょ・・・・大丈夫かよ!?先生っっ!!」
俺の腕を掴んだまま、先生は少し俯かせていた顔を上げた。その、小さく開かれた口内に・・・見間違いだろうか。牙が・・・・・見えた気がした。
『俺の』
『俺の 首 に 』
「・・・・・至冬先生・・・俺の、首・・・・・・やる、よ。」
至冬先生は、少し虚ろな目で俺を見た。その視線は、俺の首筋に注がれている。
瞬間。
俺は、何をされたのか分からなかった。
何が起こったのかさえ・・・・・・俺が言った言葉の意味も、俺は、何も分からなかった。
「・・・・って・・・・を・・・・!唐沢!!!お前は・・・・・ッ!!」
目が覚めた時、聞こえてきたのが至冬先生の声だと、俺はすぐに分かった。頭がズキズキする。頭を押さえながら、起き上がる。先生の声は、まだ聞こえてきた。
「だから!何でそういう事言ったんだ!!唐沢!」
至冬先生の声が荒い。あんなに怒っている先生の声を、俺ははじめて聞いた。
「・・・お前、本当に大丈夫だと思ってるのか。いざとなったら記憶消せるだろ。・・・俺だけじゃ、足りないくせに。」
「・・・・・・唐沢のバカッ!!!そうやって欲しいだけ摂取したら、俺はいつまで経っても血から逃れられないじゃないか!・・・・・いつまで経っても・・・俺は・・・化け物のままじゃないか・・・・・・・」
「・・・至冬、お前まだあの女の言った事、気にしてんのかよ。・・・忘れろって言ったろ。向こうだってもう、何も覚えてないんだから。」
「俺は・・・覚えてる。」
「至冬、俺はお前のことを監視してるわけじゃない。俺はお前のことを、化け物なんて思ったことない。それくらいは、分かってるだろう?」
「分からない!俺をここに居させてるのも、お前の親の力だろ!?・・・・・俺は・・・・ッ」
「いい加減にしろよ。お前は血がないと生きていけない。いい加減、認めたらどうなんだ。どうしていつまでも逃げてる!?人間が肉を食うのと同じだ。それにお前は、殺すわけじゃない。・・・・・・結局我慢できなくて、片倉の血を飲んだのはお前だろ!!」
「・・・・・唐沢先生・・・・・・・ッッ!!!」
俺は思わず飛び出していた。何となく、居てもたってもいられなくなっていた。
二人が、俺のほうを見た。
「・・・・・・片倉・・・・・?」
至冬先生が、俺を凝視する。唐沢先生も、同じだった。
「お前・・・おきられるのか。」
「は?唐沢先生、何言ってんの??」
「・・・・・驚いた・・・・・・・。至冬、お前・・・・・・」
「え?いや・・・そんな事、は・・・・・・・」
至冬先生の顔が、みるみる赤くなっていく。
「でも、片倉は元気だ。それは、証拠・・・だろ。首に、やったんだろ?」
至冬先生は、唐沢先生から視線を外してから、頷いた。
「?何の、話?」
「・・・・・俺は帰る。後は、二人で話せ。・・・・・・・・至冬、逃げたら怒るからな。逃げるな。幸い片倉は・・・・・・」
言いかけてから、唐沢先生は俺を見た。
「続きは自分で言え、片倉。とにかく俺は帰る。・・・・・片倉、お前もこの機会を逃したら、単位が消えると思え・・・・・・。俺はこの学校に顔が利く。つまりは、先生にも顔が利く。・・・・・・これで理解できるな・・・?」
物騒なことを言って、唐沢先生は出て行った。俺は呆然としたまま、至冬先生を見た。
先生は・・・やはり顔をほんのりと紅潮させていて、少しだけ俺のほうに視線を向けたがすぐに外す。
「先生ッ!」
「あ・・・・はい・・・・っ!?」
ビクリ、と肩を震わせて、先生は俺を見た。
「俺は!先生のことが好きですッ。」
「・・・・は・・・・・・・ ・・・・・・・ええ!?」
若干、後ず去る。俺は前に出た。
「そういう意味で、好きです。俺の血でよかったら、いくらでもやるから。・・・別に・・・好きになってくれなんて事は・・・言わないから・・・・・・・ただ・・・・・」
「・・・・そんなこと、言うもんじゃないです。・・・唐沢から聞いた事、・・・片倉は、本当に分かってる?」
「俺はどっちかっていうと血の気が多いし、それに・・・言っただろ・・・・・・・・・・・好きなんだってば・・・・・・・好きな人の力になりたいとか、そういう事思うのは・・・普通だろ。・・・・それともやっぱり迷惑かよ・・・・・」
至冬先生は、困惑したような表情を、張り付かせていた。
「・・・・・そう、だよな・・・。男にこんな事言われても、気持ち悪いよな・・・ごめん・・・・・」
俺は謝ると、戸口に向かった。これ以上先生の顔を見ているのも、辛かった。この場にいることも、いたたまれない。
俺は本当にバカだ。本当は、告白する気なんてなかった。先生と生徒でいられれば、とりあえず後一年ちょっと、安穏としていられる。見ていられる。話しかけられる。俺にとって大事なのは「今」だった。卒業後の事は、とりあえず考えてなかった。
「・・・・・・・・・なんで・・・・・・・」
俺は、絞りだすように言った。これ以上、ここに居たくない。先生の傍にいたら、俺は。元々行き場のない思いを口に出してしまった、俺は・・・・・。
至冬先生は、俺の腕を掴んでいた。
「ちょ・・・ちょっと、待って・・・・下さい」
振り返ると、やはり顔を赤くした先生がそこにいる。抱きしめたい衝動に駆られるのを我慢して、俺は俯いた。
「あ・・・あの、俺は・・・・・・その・・・母方の祖父が・・・トランシルバニアの人間・・・いや・・・人間とはちょっと・・・・違うんですが・・・・・・。つまり、クォーターなんです。」
「とらんしるばにあ?」
「えー・・・と知らないですか?映画とかでも良く、その・・・ドラキュラとかの出身地で知られてたりするんですが・・・・・・」
聞いた事、あるような。俺、ホラー系とかはあんまり見ないからな・・・・・・。
「そ・・それでその・・・。祖父は人間の女性を迎えて、生まれたのが母で。つまり母はハーフなんですが・・・。知られていない事ですが、吸血鬼の血というのは本来劣性なので、母はその血を余り受け継ぐ事はなかったんです。・・・ただ、血が消え去ったわけではないので、俺に隔世遺伝として色濃く現れたというか。・・・クォーターだし、そうそう欲しがる事はないですが、それでも夏はちょっとキツくて・・・。日差しが強すぎて、何か痛いし・・・。それにその、俺の場合、体力とか気力とかが落ち込むと、その糧として血を欲するようなとこが・・あって・・・・・で・・・・・・」
「ちょ・・・・ちょっと待って、先生!じゃ、何!?本当にあんた、吸血鬼なの??」
「・・・あれ?唐沢から、きちんと聞いたんじゃ・・・・・・」
「ちゃんと・・・?ちゃんとは・・。唐沢先生は俺に、至冬先生に、「首に噛みつけ」って言えっては・・言ったけど。」
「〜〜〜〜〜ッッ!?!?」
先生の顔が、みるみる青褪める。
「か・・・・・唐沢ーーーーーーーッッ!!!・・・ご・・・ごめん、片倉!わ・・・忘れてっ。忘れていいから!!・・・い・・いや・・・記憶消したほうが・・早いか・・・・・」
「ああ!?俺は強制的に忘れさせられんのは嫌だっ。別に誰にも言わねーし、言っても精神科行き確実だし!とにかく嫌だからな!!」
俺はやけくそになってそう言った。
「じゃ、俺は帰る!もう構わないし、数学も点数とってやるから、安心しててくれ。」
投げ捨てるようにそう言って、去ろうとしたが、先生は俺の腕を掴んだままだ。
「ああああああ、あの、話には・・・ つ・・・・続きが・・・あって・・・・・・・」
体温が急上昇するように、至冬先生は再び顔を赤くした。・・・・・俺が限界になりそうだから、早くして欲しい。俺ってば、年頃の割りに我慢がきくなぁ・・・とバカみたいに思った。
「その・・・祖父の時もそうだったらしいんだけど・・・・・。そ・・・その・・・・普通、首筋に噛み付いた後って、相手は半日くらい昏倒してしまうわけで。でも自分が好意を持ってる相手に限っては・・・・そうじゃ・・・なく・・・て・・・・・・・それ、で、もしかしたら、俺、は・・・あ・・の・・片倉の事、が・・・・・・」
先生の声はみるみると小さくなっていく。いくら俺でも、至冬先生の言わんとしてる事は分かった。
「・・・・・・じゃぁ、いいの?」
「え?・・・あ・・・・・・・・・・」
至冬先生の手に、力が込められる。更に顔を紅潮させて、「よく、分からない。」と、言った。
「嫌だったら、言って。俺は結構、我慢強いほうみたいだから。」
「え?」
俺は至冬先生を引き寄せると、そのまま抱きすくめた。先生の身体が強張るのが分かる。
「・・・か・・・片倉・・・・・・」
「嫌?」
「・・・・・・嫌では・・・ない・・・けど・・・・・」
・・・・・・男の抱き心地なんて、絶対良くないって思ってはいたんだけど。
やっぱ、好きな人間は、別だよなぁ・・・・・・。
俺はのんきにそう思った。
「平気?」
「え・・・?あ・・・ああ・・・・・・ ・・・・・!?・・・・・・か・・・・っ・・・・・・ッッ・・・・」
俺はその頤を押さえつけて、ゆっくりと顔を近づけて、そして。
「・・・・は・・・・・・っ・・・・・・・あ」
「・・・・・・ン・・・せんせ・・・・・」
あ、やっぱり俺、我慢きかないかも。
「・・・・・・・平気・・・・・?」
「し・・・した後に聞くヤツがありますかっ」
真っ赤にした顔で、至冬先生は俺を睨みながら言った。それすら凄くかわいく見えてしまって。「恋は盲目」と言ったヤツは、正しい。
「いや・・・。えーと・・・。そうじゃなくって。この、続き。」
カーーーー、と、先生の耳朶までが朱に染まる。
「・・・・・そ・・・それは・・・・・その・・・・・・せ・・・生徒と・・教師・・・だし。男・・・だし。その上俺は・・・人外・・・っぽい・・・し・・・・・・・」
「関係ないない。・・・先生が、俺を好きかどうか、だよ。それだけだろ?」
「か・・・簡単に言わないで下さい!・・・ずっと、夢・・・で・・・。教師に・・なるの。」
「・・・・・・・・・・・でもごめん。先生。俺、卒業までとかって、そういうの、無理。全然無理。さっきは我慢出来そうなこと言ったけど、何かやっぱり駄目みたいだ。・・・ごめんな。」
「何で・・謝る・・・・・・ !?」
俺は至冬先生を強引に引っ張って、ベッドに投げ出すように放った。
「か・・・片倉・・・・・・・」
「凄く嫌だったら・・・抵抗すればいい。先生なら・・・・・できるだろ?ココに、噛み付いていいから。」
俺は自分の首筋を指し示した。先生は、少し顔を歪めた。それから少しだけ・・・笑った。
「ハイハイ、ゴチソーサマ。」
唐沢は、踵を返した。保健室の前で二人のやりとりを聞いていたのだが、途中から阿呆らしくなった。
(・・・・・昔っから、鈍いヤツだったけど。まさか自分の感情にまで鈍いとは・・・・・・)
半ば呆れる。
「結局、最後まで俺の気持ちにも気付かねーでやんの。ほんっと阿呆らしい。・・・・・・何の酔狂で、同じ学校で、しかも保険医なんっつーのになったんだっつーの。・・・・・わざわざ共学の私立にしたのだって、・・・・・・せめて女生徒とくっつけてやろうと思ってたのに。・・・あいつはアホか・・・・・・・」
(阿呆なのは、俺だけどな。・・・傍に居られる事に、満足しすぎたから。)
唐沢は、少しだけ泣き出しそうな自分に気付く。
(ウワーーー!?嫌だ!柄じゃない、気持ち悪ッ)
(さっさと帰ろう。明日、いじめてやれ。)
バタバタと、人気のない廊下に彼の足音だけが響いた。
「今度から新しく数学を担当する、至冬です。」
そう言った後、ふと執拗なほどの視線を感じた。この教室に入る少し前から香っていた、RH−の血の匂い・・・・・その甘い匂いの方向から。彼は右端、一番前の席の人物を見た。
じっと自分を見ているその眼差しに耐えられず、すぐに視線を外したものの、何だか焼きついて離れない。鼻腔をつく、教室に広がるその、至冬にしか分からない甘美なほどの香りと共に。
『片倉京理』。座席名簿にはそう書いてあった。後で成績表を調べてみたら、理数系では学年で1.2を争うほどの成績のいい生徒だった。
(真っ直ぐな目、してたなぁ・・・。数学も好きかな。・・・だったら・・・嬉しいけど。・・・でもあの、匂いはきっついなぁ・・・・・・)
この時の至冬はまだ知らない。片倉のその視線の意味も、この時に芽生えただろう自分の感情も。
「う・・・うわぁぁぁぁあああっっ・・・か・・・片倉っっっど・・・どこ・・・をっっ」
「大丈夫大丈夫。ね、先生。好きだよ。初めて会った、あの、夏の日から。ずっと。先生は?」
俺に問われて、至冬先生は思い返しているような所作を見せる。
「多分・・・俺、も・・・・・・・」
あの、夏の教室から。
ずっと