絶対おかしい。
俺はその顔を、ジーーーーーと見た。
その視線に気付いているのだろう。至冬先生は教鞭を取りながら、居心地が悪そうだった。偶に俺のほうを見ては、目が合うとすぐ逸らす。教科書もノートもおざなりに机に乗っているだけの状態で、至冬先生だけを見てるのだ。不気味がられても仕方ない。
あー・・・でもまさか、唐沢先生に気付かれているとは思わなかった。そんなにあからさまだったろうか?だったら、級友の誰かしらも気付いててもおかしくない。でも、何も言われた事はないし・・・・・・。
教壇の先生は、相変わらずの暑苦しい格好だった。シャツの袖を捲くる事もなく、ぴっちりと着込んでいる。その素材も、夏に着るような薄手のものではない。
昨日の今日だからだろう。若干顔色も悪かった。
ああ、心配だなぁ。・・・・・・・触りたいなぁ・・・・・・。
昨日のヒンヤリとした感触を思い出して、俺は無粋にもそう思った。
教室に入ってくる風は、生温さを通り越していて、余計に暑さを室内に充満させているようだった。全快に開け放たれた窓からは、蝉の鳴き声がひっきりなしで、それに混じって偶に、鳥の羽音が聞こえてくる。葉ずれの音だけが、少しの涼を感じさせた。
・・・・・早く、放課後にならないかなぁ・・・・・
俺はぼんやりとそう思った。頬杖をついた手がじっとりと汗で滲み、俺はその不快さに顔を顰める。
先生は、まださっきと同じ事をしていた。すっかりだれている生徒達を目の前に、くそ真面目に関数の説明。「ここはテストに出る確率が高い」と言い、「この公式は覚えて置くように」と、ちらりと俺のほうを見ながら言った。目が合うと、やはり先生はすぐ逸らす。
周りの級友の、シャープペンを走らせる音が、蝉の声に混じった。だるさは最高潮。湿度の高い日本の夏は、俺からやる気を奪っている。
早く早く。
放課後にならないか・・・・・・。
俺が学校に来てる理由は、それだけだ。昨日と違って、今日は俺だけの為の補修だから、先生は俺だけを見る事になる。それを思うと、少し嬉しくなって。そして・・・その不毛さに悲しくなった。
「片倉。」
ようやく昼休みになったばかりだった。俺は弁当を片手に、友人と学食へ向かおうとしていた。
「?何?」
訝しく思った。俺の隣で友人も、不思議そうな顔をしている。
俺を教室の入り口で呼んでいるのは、保険医の唐沢先生だったからだ。
「ちょっと時間あるか?保健室で弁当食っていいから。」
話・・・と言えば、至冬先生のことしかないだろう。俺が悩む理由はない。
「行く、行きます!」
怪訝な顔をしている友人に断りをいれ、俺は唐沢先生に着いて行った。白衣の先生は、普段は校内で見かける事が少ない。保健室をやたら空ける事が出来ない為だろう、と思う。そのせいか、なんだか少し・・・違和感のようなものを感じた。
保健室につくと、まるで女の子にするみたいに唐沢先生は扉を開け、俺を先に招きいれた。俺の後に先生は入ってくると、ガチャリと鍵を閉める。
「そこ、座っていいから。」
長テーブルに、四つのパイプ椅子が向かい合って並んでいる。その一つに俺は腰掛けて、弁当を広げた。その様子を唐沢先生は凝視してくる。居心地があんまり良くない。そう感じてから、俺に凝視されてた至冬先生も、こんな気持ちだったのかなと、考えた。
俺は弁当を口に運びながら、目の前に座った唐沢先生に問う。
「で、話って何?・・・・・・至冬先生の事?」
というか、それしかないだろう。
少し考えるふうを見せてから、唐沢先生はゆっくりと俺に視線を戻す。
それから、やけに厳しい・・・真剣な目をして俺を見た。
「お前、本気で至冬が好きか?」
グハッと吹き出してしまった。「うわっ、お前汚っ!!」遠慮もなく、唐沢先生はそう言った。俺がむせてるのを見て、先生は雑巾とティッシュを放って寄越す。むせながら俺は雑巾で机を拭き、ティッシュで口回りを拭いた。
「・・・・・で、本気なのか?」
何となく落ち着いてくると、唐沢先生は再び聞き返してくる。その目は、やはり真剣そのものだった。
「・・・・・・先生と至冬先生は・・・同じ学校だったって聞いたけど・・・本当なんだ。」
「そうだよ。・・・同じ学校というか・・出身地も一緒だ。幼稚園からの腐れ縁だ。」
「・・・・・長い・・・・・・」
「そう、長い。・・・そうだな。どっちかというと、俺が至冬を放って置けなくて、着いて回ってたと言っていい。保険医なんてのになったのも、親のコネを使ってわざわざこの学校に来たのも、あいつの為だ。」
きっぱりと、恥ずかしげもなく唐沢先生は言った。
「それは・・・至冬先生を・・・・・・」
「ちょっと待て。誤解はするな。」
口をへの字に曲げ、眉を顰めながら先生は言った。
「俺は至冬の事は好きだが、お前のような意味で好きなわけじゃない。・・・・・・そうだな。子供を心配する母親の心境と言ったほうが早い。あまりに近くにいすぎて、しかもあいつはあの通りのぼんやり型だからな。・・・それに・・・至冬の両親から、頼まれてたせいもある。」
「?」
「で、ここから先は、お前が至冬を本気で好きか。それを聞いてからだ。酔狂で同性を好きになるとは考えにくいが、事、お前達の年代はそういうものに惑わされやすい。女子にもあることだ。一時的に同性に目が行く・・・それを恋愛だと思ってしまう時期がな。つまりは憧れがそのまま好きに変換されてるようなものだ。」
「俺は。」
「早急に答えを出すな。・・・お前はクラスメイトを・・・例えば鹿波(カナミ)とかを、どう思う。」
鹿波とは、クラスで一番かわいい女の子だ。
「・・・・・かわいいとは・・・思うけど。」
「至冬と何が違う?何故お前は、至冬なんだ。」
何故・・・・・・。
そんなのは理屈ではない。
「今度から新しく数学を担当する、至冬です。」
そうして目の前に現れたあの一瞬から、あの・・・夏の日から・・・・・・。
最初は、産休に入った先生の臨時だった。その先生の転任がそのまま決まり、結果、至冬先生は臨時から正規職員に変わった。
「ふーーん。あれな。やっぱり俺の親のコネなんだけどね。失敗したかな。」
「・・・・・・え?」
「俺の親は文部省とか教委にちょっとしたコネが・・・まぁ、そんな事はどうでもいいか。とにかく俺は至冬が心配だったから、色々根回ししたわけ。ここだと私立だから、本当は転任ってないしねぇ。公立だと絶対赴任とかあるだろ。これ以上南に行ったら、あいつは死ぬ。だから早いうちに手を打ったわけ。」
「・・・・・死ぬ?」
「・・・・・・・そうだな。これ以上はやっぱ言うの止すわ。至冬に怒られるし。・・・・・もし、本気であいつが好きで、それで、助けてやりたいと思うなら。こう言え。『俺の首に噛みつけ』ってな。」
「・・・・何、それ。まるで先生が吸血鬼みたいじゃないか。」
「・・・あったなーそういう病気。吸血病みたいなやつー・・・・・。」
そう、唐沢先生は少し遠くを見ながら言った。
「そういうのだったら、俺だって少しはあいつの力に・・・なれたんだけどな・・・・・。」
唐沢先生の視線はもう全く俺を見ておらず、俺の胸中には言い知れない不安だけが残った。
先生が、吸血鬼?
ありえねーー・・・・・・・。
からかわれただろうか。
それでも唐沢先生の、生真面目な目だけは疑えず、俺は午後の授業も上の空で受けた。