俺は、祀を許せない。
冷涼祭が始まった。午後3時からそれは始まり、9時には終わる。
舞台が神社の敷地内中央に設置されていて、神楽が舞われている。近隣の神社の巫女さんに頼んだのだと、爺さんは言った。
「ここ数年、神楽なんぞ舞われたことなかったけ。久しぶりじゃなぁ…。巫女さんがおらんもんでな。辛うじて神主さんおるがな。今回で祭りも終わりじゃけ、手配してくれたみたいじゃ。」
爺さんは舞台を仰ぎながら言った。
神社の様相も、以前よりどこか寂しく見える。手入れがされていた庭は、今では草が生えていた。池にいた鯉も、今はいない。月が水面に反射してきらめくばかりで、生物の揺らぎがなかった。
右手にある三重の塔には提灯が吊るされていたが、どこか色褪せていた。時間が着実にこの村に、過疎という現実を刻んでいる。
夜店が5店並んでいる。俺が子供の頃は20はくだらなかった筈だ。祭りに来る人々も、俺の知っている時の半分以下だろう。それでも爺さんに言わせると、例年よりずっと多いと言う。
水に沈む村の最後の祭り。そのせいだろう。
ここ7.8年の間で、僅か20世帯にも満たない村になった。時の流れ、仕方ないと言えばそうなのかもしれないが、この地に最後まで残った住民の気持ちはいかばかりなのだろうか。
傍を、子供が駆け抜けていった。金魚のヒラヒラ帯をした幼稚園くらいの少女と、小学校の中学年くらいの少年だ。
「転んじゃうぞ、真奈美!」
『転ぶぞ、彰人』
声が重なった。
恐らく兄妹である二人は、笑いながら走って行った。幾ら寂れたと言っても彼らには関係なくて、祭りは面白く、楽しいのだろう。
眺めていた俺に爺さんは言った。
「懐かしいなぁ。な。彰人。お前もあんなだったけ。よぉく明良さ着いて回って言われてたな。」
「うん。そうだった。」
俺は笑って返した。
神輿も、帰省していたのであろう何人かの叔父さん(残っていた住民の息子なのだろう。)が担いで回った。掛け声が村に響く。先ほどの兄妹が着いて回っていた。どうやら担ぎ手に父親がいるらしい。ふと見渡すと、中には泣いている人もいた。最後…というのをひしひしと感じさせられる瞬間だった。
人々がそれぞれ帰路につき、粗方の片付けも済んだ。神社は閑散とした様相をみせ、かつ祭りの後特有の静寂が漂っている。提灯の明かりだけが柔らかく辺りを照らしていた。
俺は爺さんに「散歩してから帰る」と言って、一人裏手に回った。
昔と変わらない位置に祠はあったが、その周りには草が生え、訪う者がいなくなった事を示していた。
「祀。」
「いるんだろ、祀。」
祠の後ろから、白い影が現れる。
「明良……?」
風に乗って響いてきたような声だった。
「違う。彰人だ。」
俺は何度目かの訂正を繰り返した。俺を彰人だと認めた祀は、いかにもつまらなそうな、不機嫌そうな表情だった。それに関しては俺もいい勝負だとは思うが。
「弟…か……。俺は、明良を待っとるから。だから構わんといて。」
「構いに来たんじゃないよ。ずっと避けてたくらいなのに。俺は責めに来たんだ。」
俺はそこで一呼吸置いた。
「・・・・・・兄さんを殺したお前を!!」
祀はピクリと眉を動かした。金の双眸がこちらを見る。
「・・・・・・そうやな・・・・・・。彰人にはその権利があるやろな・・・。俺が明良を殺したと言っても、差し支えないんやろうから。」
「兄さんは待ってたって来ないよ。来るわけないじゃないか。」
俺は睨み付けながら急くように言葉を発した。
「来る。」
祀のそれは確信を含んでいて、俺は何故だか無償にイライラした。
「じゃぁ・・・じゃぁ何で兄さんを殺したりしたんだ!!毎年来てたじゃないか!きちんと!!・・・・何で・・・何で・・・・ッ!」
「・・・・・・彰人は、何で俺が明良を殺したって思うてんの?」
不意の質問に、俺は多少面食らった。今更、何を言っているのだろう。今更、それを聞いてどうしようと言うのだろう。
「聞いてたんだ。祀が、兄さんに『死期が近くなってる』って言ってるのを。あれは兄さんの事だろう!?あれから3年としないうちに兄さんは亡くなった。祀は神だろ!?救えたんだろ!?兄さんを…。」
それ以上は言葉にならなかった。俺は嗚咽を上げていた。たまならく悲しかった。助かるはずの人だった、死なずに済んだかもしれない人だった。自分にとって、とても大切で必要だったのだ。
祀は何も言わなかった。ただ、俺の頭を撫でた。小さな子供にするように、優しく。
俺はその手を振り払う。
「此処に来るまで、半信半疑だった。俺の記憶は幼くて、確証を得られるものではなかったから。…でも、祀はいた……。俺の気持ちが分かる?兄さんが死んでからずっとこの地を避けてきた事…!もしかしたら助かったかもしれないという事を確信してしまう事!!その全てが恐ろしかった!!何で!?何でだ!!!救えたんだろ!?兄さんは死ななくてはならなかった!?……どうして……ッッ!!!」
俺はその場に蹲った。
「…ごめんなぁ。俺にもっと力があったら良かったんやけど。俺には明良を救うだけの力は……。」
俺は顔を上げた。何だって?救えないって何?力って何……。
祀は木々の隙間から零れる月光に晒され、切ない程の表情をしていた。
「大切やったよ。俺はもう、待つ事しか許されへんけど。俺は、此処におるしかない存在やから。」
祀が、ふと空を見上げた。
「明良を…一人の人間を特別視した時点で、俺は神としては失格やったから。だから、もう、俺には明良しか残ってないんや……。」
「…だって…水没するじゃないか。社は移されるって聞いた…。祀も行くんだろ?ずっと此処になんて居られるわけないじゃないか。居られたとしても、兄さんは来ないよ!」
来られない……俺はその言葉を飲み込んだ。
祀が、ふ・・と俺の方を見た。そして歩み寄ってくる。木々がザワザワとなって、黒い森を背負って祀は歩む。草を踏みしめる音が祀からはなくて、それがこの世とは違う世界のものなのだと急速に俺に実感させた。目の前で消えられた時よりも何故かそれは強く、俺はそれが祀の瞳が光っているからだと気付いた。
祀は俺の目の前に止まり、ひざまづき、俺の頬に触れた。
「兄弟やからやっぱり似とるとこがあるなぁ。雰囲気なんかそっくりや。彰人の方が多少、勝気っぽいけどな。」
「俺はな、彰人、土着と神と違う。此処に奉られる為に来た神や。この「社」にではなく、この「地」に奉られる為に。俺は此処から動かへんよ。移った社にはその地の神が住まうやろ。」
移れるんだろう…?とは聞けなかった。だって、その為に色んな儀式やら何やらをやるじゃないか…。でも、祀はそんな事の関係ない顔をしていた。
「俺の為に、そこまでしなくていいんだよ…祀……」
え!?
待て…今の…俺の言葉なのか!?ちょっと待て…ッ!
途端に祀の目から、ボロボロと涙が溢れる。気がつくと俺は、俺自身の思う通りに体が動かせなくなっていた。
「祀。もういいんだよ。祀は精一杯やってくれた。本来は許されない行為であった筈なのに、俺を生かそうとしてくれたじゃないか。十分だよ。ありがとう。」
祀は堪えられなくなったのか、俺に……正しくは俺である筈の体だけれど、俺ではないもの……を抱き締めた。
『…兄さん?…』
俺の声は音にはならなかった。ただ、それが兄であると何故だか確信していた。
「明良……」
祀の呼び声に応えるように、兄さんが顔を上げる。瞳が交錯して、それから
『ちょっと待ってくれ、兄さん!!・・・・・それは俺の体だーーーーーー!!』
俺は叫んだ・・・。声にはなってなかったけれど・・・・・・。
兄さんと祀は軽い口付けを交わす。その時の俺の気持ちを表現するのなら、まさしく「泣きたいような気持ち」であった。
「・・・本当に、俺は感謝しても仕切れないんだ。祀。だから、俺に捕われては駄目だ。俺に負い目を感じる必要なんて、どこにもないんだ。」
兄さんは、どこまでも柔らかな表情で、真摯な瞳で祀を見詰めた。祀は涙を止められないでいる。感情の流出が堰を切って、7年分を吐き出すかのように。
祀は首を横に振った。
「そうやない・・・。俺がこうしたいんや。明良、これは俺の自己欺瞞やから。だから・・・・・。待ってても本当は来ないって知ってたんや。それでも待ち続けたのは、俺がそうしたかったから。明良こそ・・・俺にそんなに気ぃ遣わへんでも良かったのに・・・・・・」
兄さんが、祀の頭を抱える。
「違うよ。俺も、祀に会いたかったんだよ。本当に、伝えたいことがあったんだけれど・・・。会った途端に忘れてしまったよ。」
そう言って兄さんは笑った。祀も、「ありがとう」と言って笑う。
俺は・・・二人のお互いを想う気持ちが、恋愛なのかはわからなかった。けれども其処にはどこまでも温かく、穏やかな空気が流れていて・・・・。おかしいだろうか?俺はその光景を、綺麗だと思ったんだ。このまま俺が消えて、兄さんと祀をこの地に残したいとさえ思ったんだ。
それは、叶わないと誰もが知っていたのだけれど。
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「じゃ、今度は父さんか母さんが来るからさ。それまで準備しておいてって。あ、トラックの準備は父さんがやるって言ってたから。部屋も空けておくって母さんも言ってたし。・・・今年の年末年始は俺も家に帰るからさ、また、色々話をしようよ。俺、小さかった頃の覚えてない事とかもっと聞きたい。」
爺さんは嬉しそうに笑った。
「そうか。そうじゃなぁ・・・。幾らでも話してやるけ。おいぼれると昔話が得意になるっちゅうしな。」
そう言ってカラカラと笑った爺さんは、昔のままのように見えた。
「冷涼祭についてもさ、聞かせてくれる?あの神社に纏わる話とかさ」
「珍しなぁ。彰人がそんな事いうなんざ。明良は良く聞いてきたがなぁ・・・。血は争えんっつー事かな。」
俺は笑った。
「うん。そうだね。今年・・・冷涼祭に誘ってくれて、ありがとう。」
そう言うと、爺さんは少し照れくさそうにした。
「無理に呼んだに、そう言って貰えると嬉しいもんじゃなぁ・・・」
何て言って、頭を掻いた。
「じゃぁ、待ってるよ、爺さん。」
俺は手を振って爺さんと別れた。そしてバス停に向かう。日はまだ高いが、東京に着く頃には夜中だろうな・・と思った。
日に二本のバス。午前と午後に1本ずつ、冷涼祭の翌日とあってか、それともいつもこうなのか、来るときと同じで俺のほかに乗客はいないようだった。
炎天下の中で俺はバスを待った。蝉が鳴いているのに気づいた時、そんな余裕、最近なかったな・・と思った。
空気を胸に吸い込む。深呼吸をすると、色々な音が俺の中に浸透する。煩いくらいの蝉の声、葉ずれの音、視線を逸らした先にある川のせせらぎ。目の前に続く道に視線を預けると、陽炎が立ち上っている。今日も30度を越す暑さが、全国的に広がっているのだろう。
まもなく、バスが来て俺は乗り込んだ。二人座席の窓際に座って外を見る。
木陰に祀の姿があった。何をするでもなく、突っ立ってこちらを見ている。
俺はゆっくりと口を動かした。
『ごめんな。』
『あ り が と う』
祀は、俺に向って深く頭を下げた。
東京に戻った俺を待っていたのは、バイト先の先輩からの地酒請求と、バイトとレポート課題に明け暮れる日々だった。