『冷涼祭』―レイリョウサイ―

まずはバイト先にて休暇届け連絡。店長からは嫌な顔と嫌な声を発せられたが、二つ返事で承諾を貰った。『残りの休み中の夜勤』と『日曜・祝日の返上』と言う事で。
やめさせられる事も覚悟してはいたが、それはなかった。「盆時期は忙しいんだぞ」と先輩から文句を言われ、それでも事情を話すと少し気の毒そうな顔をされた。「ま、せいぜいジジィ孝行して来れば。あ、お前の替わりに俺の休み減ったんだからな?土産は地酒で頼む。」という温かい お言葉も頂いた。
コンビニは時給が安い割に人使いが荒い・・・と再認識した・・・・・。


まずは新幹線で3時間・それから電車・地方線に乗り換えて2時間半。更に乗り換え 三回の統計所要時間が一時間強で最寄りの駅につく。ここまでざっと5時間半。その他道を違えたり何だりしたロスを交ぜると、凡そここまで来るのに7時間近く掛かっている。
そこからバスだ。バスも乗り換えを二度。所用時間が2時間。しかし矢鱈本数がなく、最後に乗ったバスは日に二本・・・というバスだった。客も俺一人。お陰でバス停に着いた頃には、辺りが薄暗くなり始めていた。
夏草の生える田舎道を歩き始める。時計を見ると午後6時を回ったところだった。朝の7時過ぎに出たのにも関わらず、何だかんだと10時間以上が経過している。
辺りを見回しても、誰もいない。此処から20分くらい歩くのだが、何だかそれすら億劫に感じてしまう。
都会の暑さよりは緩和されるとはいえ、暑い事に変わりない。俺は流れる汗をTシャツの裾で拭うと一つ溜息を吐き、赤から紫のグラデーションの空を眺めながら歩き出した。

「明良……?」
不意の声は、後方から聞こえた。振り向こうとした……のだけれど……
ドスッ
俺は背中から抱き付かれる形になった。っつーか、突進をくらったというのが一番正しい。その勢いに負け、数秒後には前のめりに倒れ伏していた……。何なんだ…一体……。
「…ってぇ……ッ…!」
「明良、明良、明良!!」
尚も後からの重みは消えないどころか、よりきつく抱き締められて俺は起き上がる事も叶わなかった。
「ちょ……ッ…離せ!俺は明良じゃねぇよ!!彰人だッッ!!!」
耐えかねて、大声で叫んでしまった。
直後、ふ…と重みが消えて、俺はやっと解放された。
見ると、そこには銀糸の髪…いや白い髪の男が立っている。日に反射して銀糸に見えるのだ。直衣のような着物(?)を着ていて、その色も真っ白だ。
俺には、それが誰だか分かっていた。
「俺は…俺は兄さんじゃないよ、祀。」
真っ直ぐ彼を見据えて言った。彼は少し驚いた顔をしてから、直ぐに悲しそうな顔を見せた。
「明良は……。ああ、そうか。お前は弟の方か……」
彼は俯き、その短い髪を風にそよがせるようにして踵を返すと消えた。風景に溶けたと言ったほうが適切かもしれない。
俺は…俺は彼を許せない。
この地に来たくなかった、最大の理由。

兄が亡くなって、それでも夏休みには田舎に行こうか、という話が出なかったわけではない。行かなくなったのは、俺が頑なに嫌がったからだ。「寂しがるわよ」と幾ら言われても、俺は首を横に振り続けた。
兄も亡くなったばかりだしと両親は俺の気持ちを優先してくれた。その最初の年を堺に俺は田舎に赴く事はなく、部活などに明け暮れた。そのまま、婆さんが亡くなった時に一度訪れたのみだ。(しかしそれも蜻蛉帰りした)
神社に近づこうなどとは、その時ですらしなかった。

冷涼祭は明日だ。俺は祀に会うのだろう。きっと、絶対。


「こんばんは」
ガラリと引き戸を開けて、俺は中を覗いた。少々薄暗い玄関には、居間からの明かりがぼんやりと漏れている。そこから顔をひょいと覗かせて、爺さんが言った。
「久しぶりじぁけなぁ。ささ、はよ上がれ。」
俺は遠慮なくお邪魔した。居間に入ると、テレビが付いていて演歌が流れていた。レトロな扇風機が鈍い音を立てて回っていて、さほど大きくも無い(けれど一人にしては大きい)角テーブルが置かれている。
テーブルの上にはお茶セットが無造作にあり、爺さんは窓際に座っていた。俺を見て、見るからに嬉しそうに笑っている。けれど、その笑みに昔ほどの強さはなく、俺は流れた年月を感じた。
「何年振りだ?ちっとも来ねからな、彰人は。」
そう言って、少し寂しそうに笑む。
「5年・・かな。ごめん。忙しくてさ…」
爺さんは少し視線をずらすと、テレビのチャンネルを替えながら言った。
「悪かったなぁ…。急に来いなんて言って。じゃけ、こうでも言わんと来んと思ったけ…。」
「うん…いいんだって。一段落ついてるしさ。今まで随分ご無沙汰で、申し訳ないのは俺のほうだよ。」
俺は、苦笑いしながらそう答えた。爺さんは戸口に立ったままでいた俺に座るように促すと、お茶を淹れてくれた。
「冷涼祭は明日じゃけ。すっかり村も祭りも寂びれてしまったが、夜店も少しは出る。神輿は…爺婆が担ぐで、そう歩きまわりゃせんがな。」
やはり寂しそうに爺さんは笑った。

気だるいような暑さも若干は緩むこの村でさえ、夜になっても気温はそう変わらず寝苦しい。
それでも俺は早々に蚊取り線香の匂いのたちこめる部屋に、昔のように蚊帳を吊って床についた。一人きりの慣れない空間は何処か居心地が悪い。
しかし10時間の旅の疲れも手伝って、俺はすぐに眠りに付いた。

しばらくして、微かな音が聞こえたのは気のせいだろうか。
俺は覚醒しない頭で、「煩いな…」と呟いた。音は止まず、俺は段段と夢から現実に引き戻される。そしてそれが「音」などではなく「声」だと気付いた。
「……き……ら…」
「明良……」
どこか悲痛な、か細い声。俺は何故か身動きどころか、瞳すら開ける事ができないでいた。気配が、俺の間近に迫っている。俺は、声も出せなかった。
「明良」
声が明瞭なものとなって、俺の耳元で響く。 体に重みを感じ、ひやりとしたものが頬に触れた。それは俺の唇に重なって、首筋へと移動する。
(違う……俺は…俺は……!!)
「ち…が……ッ…違……う…俺は……」
声を振り絞る。その冷ややかな感触が胸元に移動すると同時に、俺は叫んだ。
「俺は彰人だ……ッッ!!」
戒めがとけたかのように体は動くようになり、俺は目を開けた。目の前には金の瞳を細め、眉を顰めた祀がいた。
今にも泣き出しそうな表情をしていた祀を、俺は右手で払いのける。
「言ったろう。俺は兄さんじゃない。兄さんは…明良兄さんは死んだんだ!7年も前に!!お前が殺したんだ!!!!!!」
瞬間、祀は歪み、顔を両手で隠すようにして消えた。
俺は荒く息をしながら、半ばはだけた衣服を正し唇を拭った。
自分では分からないが、かなりな顰め面をしていたと思う。矢鱈気分が悪いのは、羞恥と怒りのせいだろう。
(あんな顔…俺が悪いみたいじゃないか……)
傷つけられた…とでも言いたげな祀の表情を思い出す。ムカムカする。嫌悪すら感じた。
兄を殺しておいて、そしてそれでも兄を求めるのか。殺すだけでは飽き足らないのか。あの優しかった兄を俺から奪ったのは、他ならぬ祀だ。
俺は結局それから寝直す事も出来ず、朝方まで布団に寝転がって天井ばかり睨みつけていた。


確かな兄さんの幻影が、この地には存在している。
「祀」という形をとって。

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