幼い頃・小学校を卒業するまで、夏休みの度に母方の爺さんの家に行った。
爺さんの住んでいるところは過疎化の進みつつある「村」で、田舎も田舎、店に行くにも車で一時間という場所だった。
けれども退屈だと感じた事は無かった。
その頃はまだ兄も生きていて、一緒に林に入ったり川で泳いだり、虫取り、かけっこ、
草滑り、と、飽く事無く遊んだ記憶がある。
その時既に大学生だった兄は、俺が中学生に上がる頃あっさりと事故で亡くなった。年の離れた俺を矢鱈かわいがってくれて、「まるで親子みたいね」と両親にまで言わせる程面倒見が良かった。
母が言うには、兄は再三「弟が欲しい」と言っていたらしい。俺は兄にとって念願の「弟」だったのだ。
両親にとって念願の「子供」だった兄と、兄にとって念願だった「弟」の俺。
居心地が悪くなったのは、当然の事だと思う。それが俺の気のせいかと思ってみても、一度どこかぎこちなさを覚えてしまうと妙に意識してしまって、それは心中で肥大して行く。
それでも表面上の変わりはなかった・・・と思う。ただ俺が、「兄のいない家」という変化に着いて行けなかったのかもしれない。
俺は大学を東京に選んで家から離れた。
7年、あの家の中で異物のように感じていた事に開放されようとして。
「暑いなぁ・・・・」
六畳一間、風呂付きアパート。月4.0000なり。
という部屋で、俺はただゴロゴロとしていた。バイトは午後からの上、こうも暑くては動く気にもなれない。俺の目の前で扇風機は温風器に変っていて、一層の気だるさを感じる。
雑然とした部屋には棚が一つと押し入れ一つ、小柄な箪笥が一つ。ノートパソコンが乗っている卓袱台にテレビにCDコンポ。畳の上には夏休みの課題に必要な教科書にノートに専門書が散らばっている。
言っておくが、かなり汚い。俺が現在寝転がっているスペース以外に、足が踏める場所はない。
今年は夏がいつもより早く来た。梅雨の頃から既に30度周辺をフラフラしはじめ、7月にはほぼ連日30度強。8月に入った現在、35度を超す暑さに悩まされる日々を送っている。
大学は既に休みに入っていたが、今年も帰郷する気にはなれなかった。両親からかわるがわる電話を受け取ったが、「課題とバイト」を理由に断り続けた。
最近やっと分かったが、両親はもう一人の息子を亡くしたくないと、神経質になっているようだった。
中学生の頃の俺にそれは、精神的な重責でしかなかったのだと思う。その両親の感情が分からなくて、曲解していたのだとも思う。その結果の東京行きとなったわけだが・・・。
今現在の俺にとっても、少々その気持ちが重荷なのは否めない。
TRRRRRR
着信を見ると、家からだった。出るのを一瞬躊躇うが、受話器を取る。
『もしもし、彰人(あきと)?』
聞きなれた母親の声。
「何?家にはやっぱり無理なんだけど・・・・・。ずっと連絡しなかったのは、悪かったと思ってるよ。」
『・・・・・分かってる。・・・ねぇ、彰人。父さんと話したんだけどね、あんた・・・お爺ちゃんのところに行く気はない?2.3日でいいんだけれど・・・』
電話口から聞こえた母の声はどこか切迫していて、それでいて俺の意表をつくのには充分な内容だった。
「何で?俺、バイトもあるし・・そんな休めないよ・・・・。それに爺さんの田舎なんて、ここ数年全然行ってないじゃん。場所だってウロ覚えだし・・・・」
『あそこね・・過疎化が進んでいたの覚えてる?今度正式にダム建設の予定地になったの。今年中には決定して、村は水没するだろう・・・って。』
それは少なからずショックだった。兄との夏の思い出はあの田舎だ。疎遠になっていた理由もその辺りにあるのだが、その場所が消失するという事となると別問題だ。それに…
『それでね、お爺ちゃん落ち込んじゃって・・お婆さんももう亡くなってるし、そろそろ年だし・・・うちに呼ぼうかって話になったの。それには一応承諾してくれたんだけどね』
「一応?」
『・・・条件付きだったのよ。彰人、あんたが迎えに来てくれるなら・・・ていう・・・・。』
「何で俺?」
言いながら俺は、過去の薄れた記憶を呼び戻そうとした。豪快に笑う爺さんと、割腹のいいどこか女将さん的な印象の婆さん。団子になるようにして遊びから戻った俺におやつを出してくれた婆さんは、5年程前亡くなった。
「いいけぇ、子供っこは外で遊ぶがええ。泥になってなんぼのもんじゃけぇ。」
遊びに行く度汚れてくる俺に呆れる母を尻目に、爺さんはそう言って良くカラカラと笑った。
父がそんな僕を見て頭を撫で、「今日の収穫はどうだった?」と聞くと、母は「もう、男の人っていつまでも子供よね」と言って苦笑いした。
兄は僕の後ろからゆっくりと歩んできて、そんな様子を柔らかく笑って見ているような人
だった。「今日は彰人一人での奮闘劇だったさ」と、俺が放り出した虫取り網を携えながら。
そして…そしてあの白い……
『今年で最後になる冷涼祭をあんたに見せたいんだって。子供の頃良く行ったでしょう?』
「・・・あ・・・ああ・・・・・」
意識の飛び掛かっていた俺に、母の言葉が響く。何時の間にか握り締めていた拳を緩め、母の言葉に答えた。
『どう?行ける?・・・というか・・・どうしても行って欲しいんだけど・・・・』
母はどこか申し訳無さそうに言った。
『母さんも父さんも、仕事の関係で盆休みがズレるのよ。だからね・・お願い。』
「分かったよ・・。地図と住所、ファックスで送ってくれる?盆の時期でいいんだろ。行ってくるよ。」
そうして俺は、自分自身の答えを出す為にも、爺さんのいる田舎に赴く事にした。