始まってしまえばテストは一瞬で、10日はあっという間だった。その間も彼は僕の部屋にいて、僕は机に向かっている、という奇妙な形を続けていた。
テスト終了日の翌日から答案が返って来始め、僕はそう悪くもない結果に安堵していた。
7月ももう半ばで、夏の暑さは本格さを増してきていた。
あと1週間半で夏休み。
僕は休みの予定を話す級友達を前に、ぼんやりとしていた。基本的に一般家庭の夏休みなんて、大概皆似たり寄ったりだ。
海に行く、山にキャンプ、親戚の田舎に行くとか・・・そんなモンだ。
僕は適当な相槌を打っていた。
ふと教室の窓から見上げた空。僕は窓の縁に座っていたから、本当に・・・何とはなしに見上げたのだ。
嫌になるくらいの快晴で、僕の心中なんてお構いなし。僕は・・・あのブルーライトを思い出す。その蒼を。
晴れた空なんてイメージじゃない。彼はそんな印象からは遠い存在だ。ただ、あの瞳だけは・・、まるでその空を写し撮ったように鮮明で、蒼海すら思わせる。
それは一点の曇りのない鏡のような瞳で、僕はその瞳に取り込まれ困惑する。
(困惑のみで・・・・・済んでいれば良かったんだ。)
空を漂う雲が、まるで彼のように見えた。ただ・・・ただ、流されてゆく存在。それは僕のほうなのかも知れなかったが、僕は何故か彼を思った。ある意味で白。けれどもその生は偽りのような、たゆたうのみの形のような。
「・・・だよな、イシュ」
はっと我に返る。視線を、友人に戻す。
「ああ、ごめん。何の話だったっけ?」
友人二人は、少々怪訝な顔をした。眉を顰める。椅子に座っていた友達が言った。
「だからさ、今週末だろ。今期最後の『学習会』。」
「ああ・・・そういえば。」
「今回の課題がさ、理数系らしいんだよ。これクリアしないと休みないらしいよ。」
机に座っている友人が言った。
「理数かぁ・・・。ちょっと辛いね。」
「だよなぁ。一朝一夕で終わんないからね。あれは。学習会は一晩なくせに。」
「とりあえず次の日に見せるノートさえあれば、いいんじゃないの?」
「・・・・課題ページ分は手ぇつけとくのが最低限じゃん・・アレ・・・・」
そんな話をしているうちに、授業開始のチャイムが鳴った。
学習会とは、その名の通りだ。三月に一回、グループを作って勉強会を行うというもので、決められた部屋番へ赴いて勉強をする。課題もその時々で変わる。
初めの頃は月一でやっていたのが、無理が生じて三月に一回というものになったという謂れがある。それくらい生徒に嫌われていて、かつ面倒な「行事」の一つだ。
今月の課題は理数。化学・科学・数学・基礎解析の4教科からの選択で、決められたページ数をグループ内で教えあいながらこなして、翌日にはノート提出となる。
グループは基本的に一年変わることはなく、そのグループ内で部屋を行き来する・・・という至極単純なものだ。ただ、その課題が問題だ。
午後8時から10時までの間が『学習会』とされているのだが、本気で一杯一杯頑張らないと終わらない。特に理数となると、国語のような曖昧な教科とは違うので、きちんとした「答え」を出す必要がある。
それはそれでいいのだけれど・・・・・・如何せん時間がかかるのだ。
それで大概は前々日くらいから友人の部屋を行き来して、当日に纏めにかかって終わらせる。先生の方でもそれは承諾しているようで、特に何も言われない。恐らくそれを見越しての課題であり、そうさせることが目的なのだと思う。所謂無理矢理な策略なのだ。
(何て、勉強が好きな学校なんだろう・・・・)
僕は半ばうんざりした。
ジュニアからこれでは、ハイスクールに上がったらまさに瓶詰めされるが如くだろう、と僕はその先行きに思わず視線が遠くなった。
教壇では歴史の授業が行われていたが、僕の意識は始終飛びっぱなしだった。
部屋に戻ると、彼はやはり其処にいた。
変わらない。当初と寸分と変わらない彼。
僕はいつもどおりに無視をする。
それでもあの白い面と、細い首。その肢体を見ると、衝動が湧き上がる。完璧な無視ができないまま、僕はその存在を拒否し続けて、息を呑む。
死体に存在感を見るなんて、馬鹿げた妄想だ。現に彼は死体ではないのだから、存在感があって然るべきなのは分かっている。
分かっていないのは・・・・・僕の精神的な部分なのだ。本当の意味での理解ができない。
(・・・・・だから殺したいと、殺してくれと言っているように思えるのか。)
僕は頭を振った。考えても仕方ないと分かっているのに、その存在を目にするたびに煩悶を繰り返す。
とうに狂っているのは・・・・・・・・。
暑さのせいだと思う事にする。そして僕は何時もの結論を毎日のように反芻してから、机に向かう。
(変わらないのは、僕もなのか。)
横で寝ている彼を、再び見る。少しでも生を感じる事ができるのなら、僕は正常でいられたのに・・・・・。いや、彼さえ僕を見つけることがなかったのなら。僕が彼にさえ気づかなければ。
彼が部屋にさえ来なければ。
いつもなら夕闇が迫って来ると彼は去って行き、僕はそれを窓越しに送る。
今日も、夕闇が濃くなろうとする頃、彼は音もなく起き上がった。でも、そのまま去って行きはしなかった。
彼は窓から足だけ出した状態で、僕の方を振り返った。彼を見ていたことを僕は一瞬恥じた。すぐに視線を逸らす。
彼が・・・・・笑ったような気がした。
「ねぇ、マキアベリズムって、知ってる?」
不意の問いに、僕は彼を見た。ブルーライトの瞳に、僕が映っていた。
「・・・・・何・・・・・・?」
マキアベリズム?
彼は目を細めて、何処か自嘲的に笑った。そのまま身を翻すと、窓の向こうへと去って行った。
彼の行動は何時も唐突で、・・・あのキスの事も・・・僕は聞けないままでいる。彼の行動が全く読めないまま。
――――殺して―――――?
その言葉を感じるだけで。
彼はその身一つで、その一言でその所作で、僕という人間を惑わせる。
僕はふと思い立って、彼の寝ていた場所に同じように寝転がった。彼がしているように手を組んで。
瞼を閉じる。
開け放たれた窓から生暖かく湿った風が入ってきて、僕の髪を、肌を通り過ぎてゆく。昼の暑さとは違う、夜の暑さ。
昼の暑さは熱気であるのに、夜の暑さは何かを奪うようなけだるさ感じさせる。
10分程動かないでいてみたが、そう長くは持たなかった。
組んだ指は暑さを助長させるし、汗は溜まるし。ずっと同じところに背を付けているのも苦痛だ。
彼に忍耐があるのか、それとも彼の特性なのか。
そんな事を何となく考えていると、頭がぼやけてきて僕は何時の間にか眠ってしまった。
ガチャ。
物音に、僕はうっすらと目を開けた。まだ覚醒し切れない頭で其処に人影を確認する。
電気がパッと点けられて、僕は眩しさにまた目を閉じた。
「ああ・・・・。――――がいたのかと思いました・・・・。」
呟くような声が耳に届く。
「誰・・・・・・。」
僕は既に暗くなっていた事にようやっと気づき、身を起した。そうすると、僕の頭も除所
に明瞭になってきて、その人影が寮監であると分かった。
「寝ていたのですか?ああ、また窓を開け放して。無用心にも程がありますよ。」
柔らかく、寮監は諭すように言った。
僕は「はぁ、スミマセン」と、おざなりに謝罪した。
「・・・・・誰が・・・・・・いたのかと・・・・・・?」
その質問は僕の口を付くようにして出た。寮監が窓を閉めながら僕の方を振り返る。そして柔和な笑みを浮かべた。
「・・・・彼・・・・ですよ。来ているのでしょう?」
僕はドキリとした。窓の外には満月が明るく照っていて、寮監はその月を背負いながら笑みを浮かべていた。そして、
そして僕は瞳を逸らす事ができない。