今日も一日が始まろうとしている。
後一週間ほどでテスト開始となる。何事にも始まりがあるから終わりがあるのだと分かってはいても、
「テスト」という言葉を重く感じる事には変わりはない。
それは、日が立つごとに憂鬱を僕に運ぶ。
かといって僕の成績がそれ程悪いのかというと、そうでもない。何事につけても平均値を突破する
のが僕だった。・・・・・というより、平均にしかならなかった。
そんな僕に何故彼が興味を持ったのか、それが疑問だった。でも僕は問わなかった。それを問う事が
怖かった。
それは何故なのか分からない。
そして少し恐ろしい。
彼が屍であるから。
僕には分からない事が増えていた。彼と死体の区別。僕には「彼」という屍が必要なのかもしれなかった。
殺せと命令されている気がする。あのブルーライトの瞳が開かれる度に、僕は何かを訴えられて
いる。
『殺してくれないの?』
僕は何時か彼を殺すのだろうか。あの、白く細い、まだ僕と同じ「少年」である彼の首を絞めるのだろうか。
それともその胸にナイフを立てるのだろうか。
彼を「少年」である僕が葬るのだろうか。・・・・・・何の為に・・・・・?
僕は彼を殺したくない。そう思う。けれども彼は「殺して」と言う。・・・・実際に口に出してそう言われた
事はない。だけど気のせいではない。僕は何故かその事に確信を抱いていた。
矢張り僕は狂っているのかもしれない。この暑さの中、僕こそが死体なのかもしれない。僕の精神は
その死体の腐臭で、内からどんどんどんどん荒れて行くのだ。
どんどんどんどん・・・・・侵食されて行くのだ。
僕は寮への道を急ぐ。いつも通りに。
最近は友人の誘いも断って、寮に直帰している。友人は訝しがりながらも、僕に深く問う事はなかった。
友人とは言っても、その程度だ。お互いの内部にまでは関わらない。暗黙の了解。卒業と同時に
縁の切れる「友人」。それは代えの利くもののような気がした。その事に、僕は少し切ない感情を
覚えたが、それも一瞬で、それが一番楽な事を知っていた。
人に関わる。その事は僕を疲労させた。
他人と接するという事自体が、僕にとって苦痛だった。リーラとの事も大きいかもしれない。
リーラに嫌われる事に理由は見出せなかったが、僕の何かが彼に障るのだろう。僕をそう捉える事が
僕にとってはリーラを厭う理由だ。もし僕がリーラを遠ざけている事が、リーラにとって僕を厭う
理由だとしたら、堂々巡りだ。
でもそれで構わない。僕はリーラがいなくても生きていけるからだ。この学校の誰が周りからいなく
なっても、僕は生きて行ける。だから別に僕に関わってこないリーラに嫌われても、僕は一向に
平気だった。それに、クラス全員から虐めにあっているわけでもない。そこそこに付合える友人が
いて、適当に勉強でも不自由していない。僕という人間は、ある意味差し障りの無い、当たり障りの無い
人間だった。
僕は寮室の扉を開けた。
そしていつも通りにその場所に目を向ける。
彼も矢張り何時も通り、その場所に、その格好で横たわっていた。夕暮れ時の日が、辺りをうっすらと
赤く染めている。彼の顔にその色は反射して、少し頬が紅潮しているように見えた。
相変わらず其処は僕の部屋ではないような、ある意味厳かな空間を形成していた。幻のような、夢の
ような。
しかし、それでも彼は生きている者の気配を感じさせていなかった。微動だにしないせいもあるだろう。
ピクリとも動かない。
ただ、僕は彼が何時もそうしていても起上がる事を知っていた。眠っている時の彼が、動かず、かつ
とても僅かな寝息しか立てない事も。他の人が見たら明らかに死んでいると思われるようでも僕には
それが分かっていた。
僕は一つ溜め息を吐くと、机に向った。基本的に彼の事は無視している。関わる事が出来ず、かと言
って追い払う事も出来ない。それでは最良の策は、何もしない事、だ。彼の好きなようにさせて
おくのが、一番いいに違いない。迷惑ではあるけれど、別に寝ているだけだし煩くするわけでもない。
完全な夜が来る前に、何時も勝手に帰って行くのだからそれまで放っておけばいいだろう。
そう、考えていた。
僕は鞄からテキストを取り出すと、今日の課題に取り掛かった。必ず一日2教科分は課題が出る。
どうも、勉強が好きな学校に入ったらしい。そろそろテストだから、その為の課題も増えているし、
独自の勉強もしなくてはならない。
そういえば、彼はどうしているのだろう。此処に居て、一体何時勉強をしているのだろう。しかし、
ハイソサエティの彼と僕ではカリキュラムがまた異なるだろうし、課題もテスト内容も違うのかも
しれない。
僕は彼に聞く事はしなかった。知る必要も無かったからだ。相変わらず彼は僕にとって、一通行人
に近い存在だった。
「捗ってる?」
不意に彼が声を掛けてきた。答えないわけにはいかないのだろう。僕は渋々手を止めて、彼の方に
向き直った。
彼は変らず、顔だけを僕に向けている。人形のようだな・・と思った。僕は一瞬迷って、それから眉を
顰めて首を横に振った。『お前に邪魔されたんだよ、たった今』そう、無言で訴えようとしたのだ。
だが、彼には通じないようだ。「・・そう、・・・・」と一言呟くように言っただけで、また瞳を閉じて
しまった。
僕は彼から目を背ける度に、溜め息をついているような気がした。
それから彼は30分もしないうちに、僕の部屋から姿を消した。矢張り唐突に起上がって、開け放たれて
いる窓から身を乗り出すと、こちらを振り返りもせずに去って行った。
雲は茜色を通り過ぎて、紫に棚引いている。うっすらとした月明かりを見ると、一番最初に彼をこの
部屋で見た時の事を思い出した。確かあの時も月が出ていて、彼を照らしていた。まだ太陽は沈みきって
はいなかったが、徐々に闇が侵食を始めようとする時間。
(・・日が延びたな・・・)
僕はそう思う。
そういえば、彼はどうするのだろう。家に帰るのだろうか。
・・・帰るのが普通だろう。ましてや、彼に帰る家が無いわけが無いのだ。そして、彼が帰れない理由は
この学校には無い筈だ。
どうして僕は両親の再三の電話も断って、此処に居続けようとしたのだろう。
思い当たる事柄は一つしか無かったが、僕はそれすら無視をした。不快だった。僕にとって、彼が
そんな存在であってはならないからだ。
僕は窓を閉める。
ピタリと閉じられた窓は、僕と彼の間の隔たりのように思えた。
そうこうしている間にテストが始まった。それでも彼は僕が部屋に戻ると、既に其処に居て、
何時も通り眠っていた。しかし、帰って行くのは幾分早くなったように感じる。
一応、テスト期間だからか・・・・・と思うが、良くは分からない。邪魔にならなければそれでいいので、
僕は彼を気にせずに勉強をした。彼もまた、不意に声を掛けてくる事は無かった。気を遣ってくれ
ているのかも知れないと思ったが、それなら来ないだろうとも思った。
テストは10日間続く。終わった後も1週間は学校がある。その後に夏休みだ。それでも、生徒達は
既に浮き足だっていた。憂鬱なテストも、その後を考えると少しは晴れるのかもしれない。
テストが終われば夏休み。
でも、僕の心は何故か晴れない。