...1Episode

今日も「死体」が其処にいる。

寮室のドアを開ける。すぐに目に飛び込んでくるのは、そんな光景だった。
(またか・・・・。)
諦めにも似た感情が、僕の内で広がって行く。
ドアと向かい合っているのは、大きな窓。1階にある僕の部屋は、窓から 入る事ができる。一人部屋な上、寮棟の中でも特に人目に付きにくい位置に あるこの部屋に、彼は難無く入り込む。
窓の外には、大きく高いもみの木が立っている。これが、更に僕の部屋を ある意味暗く、そして目に付きにくくしている。夏場などは涼しい木陰がで きるので、有りがたい存在でもあるのだが。
(こうなってしまっては、彼の存在を隠す為のモノだな・・・・・。)
そんな事を思う。
勿論、そうでなくてはいけないのだ。彼が・・・ハイソサエティである彼が 僕の部屋に来ていると知れたら、どんな事になるのか想像もつかない。
かといって、彼は此処に来て何をするわけでもないし、僕も話し掛けるこ とは皆無だ。だが、そういう事は問題ではない。ハイソサエティな彼がただ の一般人な僕と共にいる・・・そもそもそこからが問題なのだ。
関わりたくない・・それが僕の本音だ。関わればそれだけ後が面倒な気がす る。厭な予感は、彼が僕を見ていたことに気付いてから感じてはいた。・・・ そしてそれ以外の予感も・・・・・。
僕は一つ溜め息をつく。

「お疲れ?」

何時の間にか目覚めた彼が、横たわったまま顔だけ僕の方に向けて口を開 いた。
僕は驚いて彼の方を見た。今まで、話し掛けてきたことはなかった。当然、 僕の方から話し掛けたことなどない。
彼はやはり何時ものように手を組んでいる。祈るような恰好。
「疲れてるの?」
再び彼が口を開く。僕は答えていいものかどうか、迷っていた。だから唯 ゆっくりとかぶりを振った。それ以上は何もできなかった。彼はやわらかな ・・けれども何処か自嘲めいた笑みで僕を見た。
それから彼は顔を背けると、再び瞳を閉じた。そして僕はまるで彼がいな いかのように、何時も通り机に向い明日提出の課題をはじめた。小一時間の 後、彼は目を覚ますとやはりいつものように窓から去っていった。まだ、日 は落ちておらず、夕暮れ時の赤い空に、桜色がかった雲がたなびいていた。
彼が僕の部屋を訪れるようになってから、2ヶ月目のことだった。



「イシュ」
不意の呼び声に、僕は振り向いた。その声には聞き覚えがあり、振り向く前 に誰かは分かった。だから、できれば本当は無視をしたかった。
「リーラ・・・・。」
僕は感情を隠す事が得手ではない。どちらかと言えば、何時も失敗している 位だ。だから、リーラの方でもきっと、僕がリーラを苦手としている事は分かっ ている筈だ。実際リーラは僕に必要最低限話し掛けて等来ないし、逆に嫌って いるような素振りまで見せる程だ。更に僕は、自分を嫌ったりしている人間に 対して、好意的な感情を持てる筈もなく、ある意味互いに牽制しあっている面 すらあった。
アーチ上になっている2階の廊下を、僕は中庭を見下ろしながら歩いていた。 庭には様々な花が、花壇に所狭しと植えられている。今の季節には紫陽花が中 央で大輪の花を咲かせている。他にラベンダーやパンジー。芝の上にはわざと 刈らなかったのだろうか、小さな白い花が転々と咲いている。
折角天気も良く、気分良くしていたのを害されて、僕は些か不機嫌な声になる。
「何か用。」
リーラが僕の気配を察する。
「用だよ。じゃなけりゃ話し掛けない。」
不機嫌な・・・且つ厭々応対する僕も僕なのだが、彼も負けてはいない。
「僕にはないけど。何。」
リーラは少し迷った風に視線をずらす。それから中庭に目をやりつつ、口を 開いた。
「・・・・・は・・何時から・・・・・」
何・・・・?何だって・・・・・??僕はリーラのセリフが聞き取れなかった。いぶか しそうにしている僕に、リーラは再び何かを言おうとした。けれども、リーラ はそれ以上何も言わなかった。口を閉ざしたまま、俯く。
僕は痺れを切らす。
「用があったんだろう?何も言わないなんて、何時ものリーラらしくないね。」
僕は、些か棘のある口調でそう言った。 それでも、リーラに動揺の様子も、 何時もの憎まれ口を叩く様子も見られなかった。ただ、じっと考える風に顔を 歪ませている。それから重々しく、こう言った。
「必要とだけは、してはいけない。」
リーラは、その時だけは真っ直ぐ眼を向けた。僕の方に。
けれども、その瞳の奥では僕ではなく・・・・もっと遠くの何かを見ているようだっ た。それが何なのかは、僕には解る筈も無かった。そして、その言葉の意味も。
僕は更に理解不能の意志を、表情で示した。・・・恐らく顔に出ていたと思う。
急に要点のみを言われても、何をどうなのかがはっきり解らない。前段階が踏ま れていない話は、会話として成り立たない。
「リーラ・・・・?何が・・・」
僕が最後まで言葉を発する前に、リーラは遮るように言葉を重ねた。
「それだけだ。」
僕はもっと明瞭に聞こうと思って口を開きかけたが、リーラは背を向けて元来た 方へ走って行ってしまった。
これ以降、リーラが僕に話掛けてくる事は無かった。


7月に入った。休暇が間近になってくる。次第に浮き足だつものだが、その前に テストが控えている事も、忘れてはならない。
彼が僕の部屋に来るようになってから、4ヶ月が過ぎようとしていた。何時の間 にか、彼と僕の距離は僅かに近くなっているようだった。
かといって、何が変わったと言うわけでもない。彼は相変わらず僕の部屋に勝手 に入って、勝手に出て行く。そして何時も寝ている。それ以外は何も無い。
僕は寮室に入って、彼を見る。「ああ、今日もいるな」とそう思う。一種の安心 感に似た感情が、僕の中にあった。恐らく、それが自然な事になったからだ。
彼が此処に来ると言う事。居ると言う事。
僕の生活そのままに。それが当たり前になってゆく。
話をしなくても。例えそれが死体のようなものだったとしても・・・・。

そう、彼は死体のように・・・矢張り眠っているのだ。
僕はその死体を、今日も見ている。手を胸の下辺りで組み、仰向けになったその 死体。微動だにしないその身体。静かな呼吸は、寝息すら立てていない。
(本当に死んでいるのではないか。)
何度そう思ったか知れない。でも、彼は何時も起き上がる。その死んだような身 体を起こして、其処に生命を宿らせて。
まるで甦り。
その死体と蘇生を見ていると、死にたくても死ねないのではないか・・・・・・そんな 錯覚に捕らわれる。その思惑は広がり、拡張し、肥大して増幅する。

殺せ・・・・・・・

そう、彼が言っているように感じるのだ。
勿論それは妄想なのだろう。・・・そう・・・思いたい。
僕は椅子から立ちあがって、彼の前に膝を着く。両手を彼の首元へ持って行く。 ・・・けれども触れはしない。その直前で止めた。
(馬鹿馬鹿しい)
僕は苛ただしく感じていた。汗が、体中を這っているようで気持ち悪い。暑さの せいだろう。この不快感も、彼が腐臭すら放っているように感じるのも。全てこの 暑さが、熱気が、僕の正常な精神を損なっているに違いない。
彼を見ると、汗一つかいていない。眠っている時の人間は、体温が下がるという が、それにしてもこの暑さの中、不可思議な光景だった。彼の口元に耳を近づけて みると、微かな寝息が聞える。生きている事は間違いない。
僕はそれでも不安で、そっと・・・彼の腕に触れた。
ヒヤリ
尋常ではないほどの冷たさを感じる。夏真っ只中という事を、僕は一瞬忘れた。

殺してくれるの・・・・・・・

声が頭の中でこだました。それは恐怖に変換される。
暑い筈だ。汗が体中を這っている。
なのに、僕は寒気を感じていた。汗は、恐怖と緊張からくる膠着状態を更に 悪化させた。
殺して殺して殺して
殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ・・・・・・・・・・・
無限に続く、頭の中で響く声。呪文のように。
(僕は呪われている。)
「彼」という存在に。

ヒヤ・・・・・

びくっとして、僕は僕に触れてきた存在を見た。彼が僕の腕に触れている。 その冷たさは、僕の心の均衡を崩すのに拍車をかける。僕は再び彼の首を 絞めそうになる。刃物をこの手にしたくなる。
彼はそんな僕の心中を知ってか知らずか・・・・唯その瞳を真っ直ぐに僕に向けて くる。
(やめてくれ・・・・・やめてくれ!!!!!)
僕は訳もわからず心で叫びつづけた。自己の衝動を抑えるのに精一杯だった。 彼の心は見えない。僕の心も彼には届いてはいないだろう。
視線は止まったまま。僕は微動だにも出来ないでいた。彼は
彼は笑った。
微笑・・といった風な笑みだった。それから。

外は俄かに暗くなり始めている。日が傾いて、夕映えの空は綺麗なピンク色 をしていた。空もそこに浮かぶ雲も、その日を浴びる全てのものが薄桃色に 染め上げられている。
当然のように、窓際にいる僕らも。

それから彼は、ゆっくりと唇を重ねた。
僕は矢張り凍り付いたまま、動けないでいた。頭はパニック状態で、何が 何だか分からない。
彼は立ち上がると、窓を開け放ち外へと躍り出た。夕方の、少し冷ややかな 風が部屋に入りこむ。
僕は呆然としたまま、暫くの間窓際に座りこんだままだった。

彼の姿は、一瞬のうちに見えなくなっていた。

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