「アホくさ。」
隣りで木村先輩が、ぼやくように言った。その声音には「呆れ」のニュアンスが完璧に含まれている。
阪井の家、二階のベランダに俺たちは並んでいた。風は冷たく、頬を刺すように通り過ぎる。コートは着ていたものの、吐く息の白さに更に寒さを実感する。
「・・・・・・・・すみません・・・・・・・」
謝る俺に、先輩はやはり冷ややかな一瞥をくれた。
「・・・・・・・まぁな・・・ホントは、大体予想してたんだけどな・・・」
呟くように言う。白い息がフゥッと空気に溶ける。その白の長さから、溜息が混じっていると分かる。
「・・・・・・・・は?」
変な声が出てしまった。先輩は一度は外した視線を再び俺に向け、それからまた下方の庭を見た。
冬の庭はどこか物悲しい。手入れのされていない庭は、下生えの雑草すらも色褪せている。唯一、生垣に使われている山茶花だけが、鮮やかな赤を見せていた。もうすぐ散るのだろう。ところどころが茶がかっている。最後の足掻きとばかりに、気力を振り絞っているような赤だった。
「真次だけだよ。お前の気持ちに気付いてないの。・・・俺は、萩が真次を見てる事を、知ってた。」
・・・・・・・・はぁああああ?????
何だか、信じられない言葉が飛び出している。それでも俺の表情は変わっていないのだろう、先輩はそのまま話を進めた。
「自分でも気付いてなかったろ。無意識なんだな。・・・だからこじれた。だから、萩が悪い。」
「・・・そんなに、分かる、ほど?」
先輩はそこで、意地悪く笑った。
「俺だから、気付いたんだよ。ばぁか。」
それは・・・それだけ、阪井を見てたと、そういう事。
「あんな不安定な弟から、目が離せるわけないだろ。」
俺の心中を図ったように付け足された言葉は、何だか少しだけ痛い。
きっと・・・そんなわけはないのだ。きっと、先輩は。
「・・・・・先輩、何かキャラ違いますね。」
俺はいつも柔和だった先輩を思い出しながら言った。
「意地悪か?」
やはり笑みを含ませて、先輩は言う。
「本来の俺はこういう人間だからな。いつもニコニコしてるのは、周囲との軋轢を生まない為だ。一部の親しい人間が分かってれば、それでいんだよ。」
俺は先輩の横顔を見た。すっと伸びた鼻梁が、少し日本人離れして見える。今日、玄関で俺を迎えてくれた女性と、良く似ていた。
「・・・・・・もしかしたら再婚に・・・なるかもしれないな。」
ポツリと、先輩が呟いた。
「萩はどうすんだ?親。・・・・・うちのほうは、なし崩しにバレたからな。真次も隠す気なんてサラッともないだろうし。」
まぁだから、今話してるのか。と、先輩は付け加えた。
そう、今、阪井は、両親に俺との事を話している。俺が同席していないのは、阪井がそれを望んだからだ。そのほうが緊張せずに話せる・・・という理由らしい。
「・・・うちは今、妹が来年中学三年なんです。・・・・・・まだ、話せる状態ではないですよ。・・・どうなるかも、分からないし。」
「付き合う前からその言い草かよ。真次が可哀想だ。・・・・・萩のその表情のなさは、何かあったのか?」
無遠慮なほどはっきりと、先輩はそう聞いてきた。
「別に何もないですよ。・・・昔からこうなんです。」
「素か。・・・・・・お前らってホント、損なタイプだよな。」
「先輩に言われたくないですよ。」
どう考えても、先輩も損をするタイプだ。
「俺は好きでやってるからいいの。それに、逃げる術も知ってるから。面倒な事にはならない。」
その言葉に・・・やはり少しの物悲しさを感じる。
阪井が内に篭るように、表情を消したのに対し、この人は逆に社交的になる事によって本心を隠したのだ。・・・・・・・恐らく、弟の為に。
どちらも、痛ましい。そんな事を俺が思っても、仕方ないと分かってはいるのだけれど。
「本当に先輩は、阪井を守ってきたんですね・・・」
しみじみと思わず言ってしまった。
「何だそりゃ。俺たちに関する感想か?・・・・・・・だから、あいつを捨てたら俺がただじゃおかないからな。」
「分かってますよ。」
そこまで話をしたところで、阪井が部屋に入って来た。俺たちがベランダに出ている事に、一瞬いぶかしそうな顔をしてから、こちらに歩んでくる。
それに気付いた先輩が、部屋に戻るために踵を返した。
そしてガラス戸を開ける一瞬
「あ、でも、お前が捨てられる分には歓迎だから。」
背を向けたまま、そう言った。
「・・・・・・・ありえませんよ。」
「・・・・・・・・・・・アホ。」
ガラリ
先輩がガラス戸を開ける。阪井はもうすぐそこに立っていた。
「兄さんも萩先輩も・・・このクソ寒いのに何で外にいるんです。」
心配を含んだ阪井の声に、俺は安心する。
「ちょっとだけだよ。庭の山茶花を見てた。」
「そんなのいつも見てるじゃないか。」
兄弟の問答を聞きながら、俺も部屋へと足を踏み入れた。ガラス戸を閉める。外とは全く違って、暖房で温められた部屋は、俺の冷えた手足を弛緩させた。
「で、話はついたのか。」
「・・・・・・・うん。二人とも・・・なかなか受け入れ難い様子ではあったけど・・・責められなかった。ただ、黙って話を聞いてた。」
「そうか。」
「父さんが、萩先輩に話しがあるって。・・・・・・いいですか?」
不意に振られた言葉に、俺は一瞬躊躇した。声が出ないまま、阪井に頷きだけを返す。
コートを脱いでから・・・・・言われるままに一階に降りた。
「萩君・・・・・・でいいのよね?」
やわらかな声には、いささかの非難も感じられなかった。実の子ではない阪井に、実の子と変わらない愛情で接していたという、木下先輩の母親。
思った以上に白い顔(カンバセ)は、少し具合が悪そうだった。
「真次から、聞いたよ。・・・その、萩君は・・・・・・」
阪井の父親の声にも、侮蔑は感じない。ただ、わが子を思う親が、そこにいるだけだ。
「阪井が、好き、です。」
俺はきっぱりと言った。
「・・・・・そう。」
「・・・・・そうか。」
それが二人の返答だった。
「息子を・・・真次を、頼みます。」
そう言って、彼らが頭を下げるので、俺はどうしたらいいか分からなくて・・・とりあえず頭を下げた。
立ち上がり、座を辞そうとする俺に、父親のほうが呼び止める。
「・・・・・・義文から聞いた。・・・真次は・・・萩君に対してだけ、笑うと・・・。さっき話をした時も、萩君の事・・・大切だと言って笑った。真次のああいう顔見るの・・本当に本当に凄く久し振りで。・・・・・・・・・ありがとう。」
「ありがとう、萩君。」
母親までが、俺に礼を言う。
「いえ・・・俺は・・・・・・。・・・・・・・・・すみません・・・・・。」
思わず謝ってしまう。
「萩君。親というのはね、子供の幸せを願うものだ。・・・俺はずっと放任してしまったけれど・・・それだけは、譲らないんだよ。」
それは、受け入れようとしている姿だった。
「・・・・・はい。ありがとうございます。」
俺は、会釈をしてから、居間を後にした。
扉を閉めた直後、母親のほうの、啜り泣くような声が聞こえた。・・・ずっと、我慢していたのだろう。いたたまれなかった。そして・・・俺の両親もこの事を知ったら泣くのだろうかと・・・そう、考えた。
これからの事を考えると、気が重い。けれども・・・それでも。
「萩先輩。」
階段を上っている途中で、頭上から声をかけられた。阪井が手摺に身を預けて、やわらかく笑いながら俺を見ている。それに、俺も同じように笑みを返した。
阪井は、何も聞いてはこなかった。俺も、阪井と両親の会話の事は、聞かなかった。
「あれ?木下先輩は。」
阪井の部屋に、既に先輩の姿はない。
「アホらしいから、帰るって言って。受験生はそんなに暇じゃないとも、言ってました。」
「・・・・・・・・それもそうだよな・・・・・・・。」
「結局、振り回してしまいましたから。・・・・・兄さんも、両親も。」
阪井の顔が曇る。
「・・・・・・阪井。・・・・・・・ごめんな。」
「え?」
「先輩に言われた。俺が悪いって。・・・俺さえ自覚してれば・・・阪井を苦しめる事もなかったし、こんな形で阪井の両親に迷惑をかけることもなかった。」
「何、言ってるんですか。・・・・・いつかは、知れる事です。」
たとえそうだとしても、こんな形でなくとも良かった筈だと思う。そうは思っていても、そんな事は最早、言っても意味のない事だ。
「・・・・・・・阪井。」
どう言葉を繋げたらいいのか、俺は逡巡して、阪井を見た。
そんな俺に、阪井は変わらない瞳を向けてくる。
「先輩、キス、していいですか?」
「・・・・・・・・・・」
「先輩?」
俺は、阪井から視線を逸らす。そしてまた、阪井を見る。ふざけている様子はどこにもなく、阪井は真っ直ぐに俺を見ていた。
「・・・・・・・ああ。」
俺が肯定すると、阪井はゆっくりと腕を回してくる。
唇が、重なった。チラリと阪井の背後に見えた窓の外では、雪が降り始めていた。真っ白な綿のような雪が、ふわふわと舞っている。
俺は、阪井の背で指を絡めた。阪井の体温は温かい。
「ホワイトクリスマスに、なりますね。」
阪井が言った。
「そうだな。・・・俺は、雪が好きなんだ。」
「・・・・・・・・・知っています。」
事も無げにそう言った阪井と目が合って、俺たちは、再び口付けを交わした。
外は寒さを増して、雪は積もりそうだった。
END
20041225