『恋ってなんだ !』7


ピルルルルル ピルルルルルル
 遠くの音が、徐々に近づいてくる。俺はハッとして目を開けた。
 枕元の携帯が、自己主張を繰り返している。まだ覚めやらない頭が、それを認識するまで少しかかったが、その間も諦めずに携帯は鳴り響いていた。
 時計に目をやる。ぼんやりとして見えない。傍に置いてある眼鏡を手にし、再度時間を確認する。
 午前4時27分。
 ・・・・・・・。まだ、窓の外も暗い。刺すような寒さが、布団から出した腕に感じられた。
ピルルルルル ピルルルルルル
 携帯は、懲りずに鳴り続けている。
ピッ
「はい。」
 誰からの電話か、画面に表示された番号で、すぐに分かった。名前ではなく、番号表示されるのは・・・今のところ一人しかいない。
「・・・・・萩。お前、真次に何した?」
 低い声だった。木下先輩のこんな声は、初めて聞く。いつも柔和な雰囲気を崩されない彼の。
「・・・・・・・」
 そこで俺は、気付いた。昨日・・・あんな状態の阪井をそのままにしてしまったら、どうなるのかという事・・・。俺は自分の事でいっぱいになってしまって、阪井の事を考えていなかった。あの時の惨状が瞼の裏に浮かんだ。
 家の中を、滅茶苦茶にしてた阪井。その、表情と―――――
「聞いているか?萩。」
「聞いて・・・・・ます。」
「あのな、俺は、これでも随分無理して話してる。それは、分かるな?」
「分かり・・・ます。」
「・・・・・・・・何があったか、真次は喋らない。」
「先輩は・・・何故・・・・・」
「元父親から、電話が来たんだよ。あの人は職業柄、午前様に帰る事も多いから。帰宅したら、・・・・・・真次が倒れてたって。玄関先で。家の中が荒れてる事は、なかったけど・・・。・・・・・・・・あいつ・・・腕とか・・・・・躊躇い傷みたいなのがあって、出血してて・・・・・」
「・・・・・・・!?」
「萩のせいだろう!お前が・・・・・真次は割り切ろうとしてだろう!?何でだ!何で追った!?真次が好きでもないくせに、思いに応える事もできないくせに・・・!!傷つけてる事すら分からないのか、お前は――――!!」
「・・・・・さ・・・阪井・・・は・・・・・?阪井は・・・・・!」
「罪悪感か?迷惑だ。真次がこんなヤツに惚れてるのかと思うと、吐き気がする。あいつはお前のせいじゃないって、そう言ったが、そうじゃないだろう。それくらい、俺にだって分かる。・・・・・・いいか。二度と真次に近付くな。話しかけるな!」
「待って・・・先輩・・・・せ・・・・・・」
 電話は一方的に切られた。携帯を持ってる右手が、ガタガタと震えているのに気がつく。
 阪井・・・・・・阪井・・・・・・が・・・・・・・・・・・
 俺はそのままの格好に、コートを羽織って外に飛び出た。
 日の出がまだの冬の空は、澄み渡り、ピシピシと凍るような音を感じさせる。道路には誰もいない。人の気配も、獣の気配も・・・・・闇にすっぽりと覆い隠されている。
 外灯だけが時折、ジジ・・・と接続不良な音を立てた。
 俺は迷わず、阪井の家のほうに駆け出す。静寂は掻き乱されて、俺の靴音はやけに響いた。
 阪井の家は・・・・・・・そこだけ切り取られているかのように、明るく灯っていた。

 二階の阪井の部屋と、一階の居間にあたる部屋の電気が点いている。周囲で、他に電気が点いている家はない。俺は乱れた息を整えながら、ドアホンに手を伸ばした。
 ・・・・・・・・・何、する気なんだ俺は。
 そう、思った。
 『残酷なこと』
 阪井は俺にそう言った。俺は、自分の事しか考えてない。
 木下先輩は『罪悪感』だと言った。・・・・・阪井に・・・・応えられないのに・・・・・?
 そう、だろうか。俺は、阪井に応えられないんだろうか。
 阪井を失いたくない。グダグダと考えるのは、性に合わない。
 俺は
    今 阪井に会いたい。
 躊躇っていた指で、俺はチャイムを鳴らした。

 しつこいくらいに、とにかく鳴らした。誰も出てこなかったからだ。何十回目かのチャイムで、玄関に明かりがさした。
「煩いんだよ、バカ。」
 顔を出したのは、木下先輩だった。一目でどれだけ怒っているのか分かるような、そんな表情をしていた。隠す気などはさらさらないようだ。
「何しに来た。近所迷惑考えろよ。じゃ。」
 さっさとドアを閉めようとする先輩に対し、俺はドアに脚を挟む。チェーンがはずされていないままなので、無理に押し入る事は出来ない。が、戸を閉ざされたのでは、どうしようもなくなってしまう。
 先輩が、冷ややかな表情を変えないまま、俺のその足を思いっきり踏みつけた。
「・・・・・!!」
 それでも俺は声も上げず、木下先輩から、目も逸らさなかった。
「阪井に・・・会わせて下さい。お願いします。」
「お前のせいだって言っただろ。何しに来てんだよ。迷惑だって、そうも言ったよな。・・・・・・・・真次に構うな。お前がいたほうが、尚悪いんだよ。それくらい、分かるだろ!?」
「それ・・・でも、俺は阪井に会いたい。」
 俺は息を吸った。
「俺は、阪井に会いたいんです。」
「お前は・・・・・・・!」
 先輩が、拳を振り上げる。俺は勿論避ける気などなかった。

「やめなさい。義文(ヨシフミ)。」

 穏やかで落ち着いた声が、木下先輩の後方からした。
「父・・・さん」
 40代後半だろうか。日に焼けたような浅黒い肌。短い髪に黒縁の眼鏡をかけたその人は、俺に視線を寄越した。
「愚息がすまなかった。・・・君が、萩君・・・・・だね。真次が呼んでる。どうぞ。」
 阪井に似た、背筋の真っ直ぐな人だった。淀みのない歩みで俺と先輩の間に割って入り、チェーンを外す。
 戸が開け放たれ、俺は彼に招き入れられた。玄関をあがり、居間へと続く扉がふと目に入る。そこには、一人の女性が項垂れたようにして座っていた。
 俺の視線に気付いたのだろう。
「・・・・・・・・別れた家内だ。・・・・義文の、母親だよ。」
 阪井の父親は、そう、簡潔に言った。
「あれにとっても、例え血が繋がらずとも・・・真次は子供と変わらないからな。」
 ボソリと独り言のように、付け加える。階段を上りながら振り返ると、木下先輩が睨むようにしてこちらを見ていた。俺は、申し訳ない思いもこめて、会釈した。

「どうぞ。」
 阪井は、ベッドから起きあがってこちらを見ていた。俺を見てから、父親を見る。
「・・・・・・・父さん。」
「真次、俺は責めない。落ち着いたら、話そう。今は・・・彼と話をしなさい。」
 そう言ってから、阪井の父親は俺に視線を戻し「頼みます」と言って、部屋を出て行った。
 いたたまれない静寂が、部屋に充満している。
「・・・・萩先輩。こっち・・・来てくれますか。」
 戸口にいた俺に阪井は言う。俺は請われるまま、歩を進めた。阪井のすぐ脇に来て、目線を合わせるように屈んで。・・・俺は。
「ああ、萩先輩は、泣いてもかっこいいですね。」
 阪井は、俺の涙をその指で掬う。 
 その左腕に包帯が巻かれている。二の腕と、手首の辺りの二箇所だ。
「阪井・・・・・阪井・・・・・・・・!」
 謝ろうと思った。それなのに俺が口にした言葉は
「会いたかった」
 この言葉だった。阪井は俺の涙を拭いながら、場違いなほど優しく笑った。
「先輩。俺は・・・別に死のうとしたわけじゃないんです。先輩のせいじゃありません。本当に先輩を諦めようと思ってたんです。・・・・・・・・・これは、俺の弱さです。」
 手の包帯を見ながら、阪井は話を進める。
「少しでいいから・・・痛みが欲しかったんです。外的な痛みに頼るのは、良くないと分かっていたけれど・・・この身体から、先輩への想いが少しでも流れ出ればいいと・・そう、思った。・・・・・・・・すみません。」
「何で・・・お前が謝るんだ。」
「泣かせて、しまったからです。・・・兄さんが酷い事、言ったでしょう?」
「そんな事、どうでもいい。」
「そんな事・・・・・は・・・・・」
 俺は一度立ち上がって、ベッドに膝をついた。
「・・・・・・・先輩・・・・・・・・?」
 そのまま、阪井に軽く口付ける。唇を離そうとしたところで、阪井の両腕が俺の頭部を捉え、抑えつけた。
「・・・・・っ・・・さ・・・ぅん・・・・・」
 腰に回された腕も、俺は拒まなかった。阪井の熱を帯びた体温はあたたかくて、冷え切っている俺には心地よかった。
「先輩・・・パジャマ?」
 阪井が聞いて来る。その視線は、俺がベッドに乗せた右足に注がれていた。
 濃紺のそれは、口の部分までストンと同じ太さで、生地もパジャマとしか言いようがない。
「・・・・・・・急いでた・・・から。」
「帰るとき、洋服貸しますね。背丈も大体同じくらいだし・・・多分大丈夫だと思うんですけど。」
「・・・・・・・・阪井。」
「はい?」
「俺は・・・・・・・・」

「俺はお前に、恋している・・みたいだ。」

 表情の変わらない阪井の顔が、目の前にある。
「先輩・・・・・・告白・・・なんですよねぇ・・・・・?」
 間抜けたセリフが返って来る。
「・・・・・・・本当、俺たちは、告白に不向きですね。先輩の顔、あんまり変わってないです。」
 軽く阪井が笑う。
「阪井の表情も、変わってない。」
 つられるようにして、俺も笑った。

「しかも先輩、順番が逆です。キスしてから告白ってなんですか。」

・・・・・・・言われてみれば、全くだ。



20041224

INDEX 06 08