・・・・・・・・・結局、眠れなかった。
頭がぼんやりとしている。ベッドの上でボーッとしながら、最早思考拒否している脳を、叱咤したい気分だった。
阪井の事は・・・ちゃんと考えなくちゃならない。
俺は起きあがって眼鏡をかけ、時計を見た。既に9時を回っている。すぐにジーパンとセーターを着て、階下に降りた。
足取りが重くなる。精神が沈む。いつまでもおんなじ事を考えてるのは、精神衛生上良くないもんだな・・・と思った。
嫌じゃ・・・なかった。
昨日の事を思い出す。
嫌じゃないからって、それは・・・好きになるんだろうか。
・・・・・・・恋愛って、面倒だなぁ・・・・・・・。
好きってなんなんだ。
嫌じゃない事?
相手を知りたいと思う気持ち?
・・・・・・・・なんか、しっくり来ねぇ・・・・・・・・。
台所に足を踏み入れても、続きの居間に目をやっても、両親の姿はなかった。
テーブルの上に紙切れが一枚載っていて、「叔母さんのとこへ行って来ます」と書いてある。朝食の準備は出来ていて、茶碗が伏せてあり、おかずの大根と鰤の煮物とサラダには、ラップをかけて置いてあった。
「昼は適当に」とも書いてある。俺はとりあえず茶碗にご飯をよそい、煮物をレンジで温めて、幾分か遅い朝食を摂った。
ああ、今日も一日が始る。
ピンポ――――ン。
10時過ぎ、チャイムが鳴った。出るかどうか・・・躊躇う。面倒だなと思ってしまう。そうこうしているうちに、もう一度、チャイムが鳴った。仕方なしに居間から、玄関をちょっと覗いてみる。
摺りガラスに映る影に・・・俺の心臓が跳ねた。
急いで玄関に行き、戸を開ける。案の定それは、阪井だった。
黒いハーフコートに身を包んだ阪井が、しゃんと背筋を伸ばして立って、一言「話があるのですが。」と言った。
「話、って。」
玄関口に突っ立ったまま、俺は話を進めようとした。それで阪井もいいと思っているらしい。
聞かなくても、昨日の事だとは分かっていた。阪井はやはり真っ直ぐに俺を見ている。・・・・・なんでこんなに真っ直ぐなんだろう。
「・・・・・・・萩先輩、俺・・・・先輩を苦しめてるんじゃないかと、そう思って。」
「?」
「俺が、萩先輩に伝えた事は・・・本気です。諦めようと思っても、すぐには諦められません。」
そこで阪井は一呼吸置いた。
「でも・・・それが萩先輩を・・・追い詰めてるようだから。」
「俺を?」
「昨日、先輩は「嫌じゃない」と言ってくれましたけど・・・だからって、俺が好きとは・・・限らないと思ってるでしょう・・・?」
「それは・・・」
「いいんです。・・・・・・・同性である俺が告白して、気持ち悪いと言わないどころか、避ける事もしなかった。・・・それどころか、俺が避けた事に対して・・・・・変ですね・・・・・何で先輩が・・・傷ついてるんだろう・・・・・・・。」
困ったように、阪井は小さく笑った。
「安心されると思ってました。・・・・・俺が関わってこなくなって・・・それで先輩は、安心するだろうって。当分は、近寄られる事だってきっと嫌だと思うに決まってると、そう思ってましたから。・・・・・・あの告白、本当にかなり勇気がいったんですよ。」
・・・・・確かに、そうかもしれない。
阪井は・・・俺をそういう対象としてみている、という事だ。
同性にそう思われる事に、抵抗を感じなかった?
そう・・・だ、俺は、別に抵抗を感じなかった。まさか今更そんな事に気付くなんて、自分のアホ加減に腹ただしい程だ。
それは、阪井だから?
それとも・・・余りに現実感がなくて、だろうか。冗談のような気が、していたんだろうか。
「萩先輩、俺は・・・萩先輩にキスしたいとか・・・その・・・気持ち悪いと思われるかもしれませんが、抱きたいと思ってます。萩先輩は、そんなの耐えられないでしょう?だから、」
阪井・・・それ、は。それ以上、は。
言わないで。
俺のそんな思いは空しく、阪井はその真摯な目で、俺を射抜いた。
「俺は、貴方を諦めます。」
ザァッと、何かが上から降ってきたような衝撃があった。瞬きすら出来ない。阪井から、目が逸らせない。一瞬でも阪井を見失ったら、もう二度とこの目にする事はないような気すらした。
「・・・・・・だから、この事ではもう悩まないで下さい。・・・・・それだけ、言いに来たんです。・・・・・・すみませんでした。」
「ま・・・・・ちょっと待て!阪井・・・・・!」
背を向けた阪井の、その右腕を掴む。そのまま玄関に引き摺り、戸を閉めた。バタン!と大きな音がして、そこで俺はやっと我に返った。
ああ。一体また俺は、何を言うつもりで引き止めたんだろう・・・。
「・・・・・・・・・先輩。」
黙ったままの俺に、阪井が口火を切った。
「俺は・・・辛いんです。」
「・・・・・・・え?」
「諦めなくてはならないのに、こういう事をされるのは・・・辛い、です。」
「・・・・・・・・」
阪井の腕がゆっくりと、俺を抱き締める。俺は・・・分かっていて避けなかった。
「これじゃ・・・すまないんです。これだけじゃ。俺は・・・」
阪井の手が俺の頤を押さえた。阪井が、苦しそうな顔をしている。カシン、と眼鏡が音を立てた。阪井の爪がフレームにぶつかったみたいだった。そして、阪井の顔が近付いてくるのも、俺は避けなかった。
「・・・・・・・ん・・・・・・・・・・っ」
息を継ぐのに出来た隙間から、阪井の舌が入り込んでくる。互いの舌と唾液の絡む音と、息遣いが耳に届く。
「・・・・・!・・・か・・・い・・・阪・・井・・・・・っ!」
背筋に寒気が走った。セーターの中に入り込んできた、その冷ややかな手。
俺は思わず、阪井を突き飛ばしていた。
戸を背にして阪井は・・・俺を射抜く視線を向ける。
「ほら・・・だから言ったじゃないですか。・・・・・萩先輩は同情してるだけです、俺に。兄さんから話を聞いて、実際に目の当たりにして。・・・・・・・先輩、それは・・・・とても残酷な事なんですよ。」
「阪・・・・・・」
手を伸ばしかけた俺に
「・・・・・・・近付くな」
阪井は、感情を押し殺すように、その瞳に苦悩を滲ませながら・・・はっきりと言った。
「・・・・・・・すみません。」
何故か阪井は謝って、そして出て行った。俺はその一連の動作を、ただ、見ている事しか出来なかった。
閉じられた戸は、もう二度と開かれない気がした。
20041223