『恋ってなんだ !』2


「昭浩(アキヒロ)起きてる?」
 トトン、とドアが叩かれて、母親の声が部屋の外でした。
 俺は転寝の、半覚醒状態で返事をする。
「あ・・・うん。」
「お見舞いの人が見えてるわよ。大丈夫そう?」
 見舞い・・・?そんな小学生じゃあるまいし。一体誰が。
「え、ああ・・・」
 俺が曖昧に答えると、母は階下へ降りて行った。それからまもなく話し声が近付いてきて、ドアが開き・・・
・・・母の後ろに、俺は以外な人物を見た。
「・・・・・・・・・木下、先輩。」
 先輩は、いつもの柔和な笑みを俺に向けた。
「じゃぁ、ごゆっくり。」
「ありがとうございます。学校からのプリントを届けに来ただけですから。無理させないように、すぐ帰りますので。」
 先輩がスラスラと嘘を吐く。学校からのプリントって・・・それこそ小学生だ。おまけに先輩が・・・学年も違うというのに届けに来るのはそもそもおかしい。
 けれども母はそんな事は気にせず、先輩の対応の丁寧さに満足したようだった。軽い会釈をして、部屋を出て行く。
 いいしれない沈黙が落ちた。
「すみません・・・今、座布団を・・・。」
 俺が立ちかけると、先輩が手でそれを制す。無造作に置かれていた座布団を、自ら手にして、ベットの脇に置いた。そして座る。
「・・・・・すみません。」
「病人だろう。いきなり押しかけてしまって、悪いね。」
 少し・・・横柄なニュアンスがそこに交じって、俺は意外に感じた。・・・一体、先輩は何をしに来たのだろう。
「ああ、そうそう。本当にプリントは預かって来たんだ。」
「?・・・先輩が・・・ですか?」
「そう。萩のクラスまで行ってね。用事があって行くから、何かあったら一緒に持っていきますと、先生にそう言ったら渡されたんだ。後、机の中に突っ込まれたものとかね。それはクラスの人に聞いて纏めて来たから。はい、これ。」
 先輩は持っていた鞄から、A4やB5版の4.5枚のプリントを取り出す。俺に渡そうとして・・・・・
「机の上において置いたほうがいいかな。」
 俺が返答をする前に、先輩は後ろにある机にその紙を置いた。
「ありがとうございます。」
 先輩が俺に向き直る。その顔に瞬間・・・嫌な予感がした。嫌というか・・・何と言うのだろう・・・今はあまり触れたくない事を・・・触れられるような。
 そしてそれはやはり、的中するのだった。

「・・・・・阪井の事、なんだけど。」

 来た、と思った。
「はい。」
「先週・・・・・言われただろう。」
「・・・・・・・・・・・・・・」
 先輩が知っている事に、俺は不思議と驚かなかった。多分・・・若干の予感はあったのだと思う。こんなに律儀な人が、毎回木曜日の当番には何かにつけて休むという事。それで謝る時も・・・どことなく、俺のほうに視線を寄越していた事。
 軽い溜息が、先輩から漏れた。そして、目を伏せる。
「真次(シンジ)・・・ああ、阪井のことだけど。」
「分かります。」
「・・・あれは俺の、義弟・・・だったんだけどね。」
「・・・・・・・・・」
 顔を上げた先輩が俺を見て、少し笑みを浮かべた。
「本当に萩は、表情が変わらなくて分からないな。・・・知ってたわけじゃないだろう?」
「・・・・・知りません。これでも、驚いているのですが。・・・いいんですか。そんな身内の話。」
「いいんだ。萩は・・・・・言いふらすタイプじゃないって知ってるから。」
「それは・・・そんな事はしませんけれど。」
「じゃぁ、いいだろう。」
 先輩はこともなげに言った。そして話しを進める。

「俺の母と、真次の父親が再婚したのは、10年前だ。・・・別れたのは、2年前。8年間、俺と真次は兄弟だった。今はもう親二人は全く接触ないみたいだけど。俺達まではそうはならなかった。そしてそれは・・・真次の父親から、頼まれた事でもあった。」
 そこで先輩は、言い難そうに表情を曇らせた。膝の上の両手に、力が増しているのが分かる。
「両親が別れてから・・・酷い・・・状態になって。中学2年の、暮れだった。俺が様子を見に行くたびに、部屋中がぐちゃぐちゃになってる。・・・学校では普通なんだ。担任の先生に、父親が確認した。いつもと変わりないという。明るくて・・・クラスの中心になってますよって言われたと。・・・・・なのに、一度家に戻った途端・・・手がつけられなくなる。」
「精神的に・・・凄く不安定だった。特に父に対して。暴力は振るわなかったけれど、物に対してそれは向けられた。本当は父に・・・向けたかったんだろうけれど。・・・俺が行くとね、あいつはいつも泣きそうな顔で笑った。・・・無理に笑ってるんだ。『ああ兄さんごめんね散らかってて』っていっつも棒読みで言われた。・・・俺は・・・どうする事も出来なかった。」

「兄さん・・・。」
 俺がドアホンを慣らすと、少し遅れて、真次はドアを開けた。真次の後ろに、何気なく視線をやる。
「ああ、ごめんなさい。散らかってて。・・・昨日・・・片付けて貰ったのに・・・」
 泣きそうな顔で笑う。
「今から・・・片付ける・・・から。とりあえず、入る・・・?」
 俺は倒れた鉢植えや、投げ出されている懐中電灯やその他用具を跨ぎ、真次に続いてリビングに入った。・・・リビングも・・・色々な物が散乱していた。買い揃えた食器は割れて、床に破片が散っている。棚に収めてあったテープや本も、叩きつけられたように折り重なっていた。
 本のところどころは破かれていて、その紙片は最早原型を留めていない。そして・・・リビングの壁に、明らかに凹んでいる箇所があった。
「・・・・真次・・・・・!」
 俺はその右手を取った。
「何を・・・こんな・・・・・・。」
「大丈夫・・・大丈夫・・・・・痛くないんだ。」
 明らかに腫れて赤くなっている。痛くない筈がない。
「真次・・・真次・・・・・・・!」
 視線が虚ろに彷徨う。俺を見てなどいない。
「どうしたの兄さん。・・・ああ、これじゃぁ座るところもないよね。ちょっと待っててよ。本当、すぐ片付くからさ。」
「いいから・・・もう、いいから・・・・・!!」
 何も出来ない事に・・俺は苛立ちを感じた。こうしてただ毎日、訪れるだけの日々。そして、半年が過ぎる頃には・・・・・・

「真次の顔から・・・表情が消えてた。」
 先輩は、ポツリと呟くように言った。
「学校で、真次が何て言われてるか知ってるだろう?”落ち着いてる”とかはまだいい。”無表情”とか”無愛想”とか。真次は・・・辛い事を辛いと認識しない為に、一切の感情を殺した。」
 俺は・・・何も言えなかった。言えないまま時が過ぎて、脳裏に阪井の顔が浮かぶ。
「・・・・・・・笑ってた・・・・のに?」
 その顔を思い出す。他愛の無い会話の中、確かに阪井は笑っていた。
「・・・・・萩、お前にだけなんだ。・・・・・お前にだけ・・・・・・真次は、」
 俺に、だけ。
「入学当初から、・・・萩の事、気になってたみたいだった。俺も前期は学級委員をしてて、何度か萩とは話した事あったよな。・・・真次は、しつこいくらい萩の事、聞いて来たよ。」
「俺・・・は・・・だって、阪井と話した事もないんです。なのに、何故・・・」
「知らないけど、多分どっかで・・・お前が”落ち着きすぎてる”とか”表情にあんまりでない”とか・・言われてるのを聞いたのが・・・きっかけじゃないかと思う。自分と重なるところがある人間は、普通気になるだろう?」
「・・・・・それは・・・・そう、かもしれませんが・・・」
「最初は、好きとか、そういう訳じゃなかったと思う。ただ、気になったんだ。それまで何にも興味を示さなかったあいつが、・・・それも、人間に興味を持った事が俺は嬉しかった。だから、お前の事を良く話したよ。・・・来期は、図書委員とかになりたいって言ってただろう。だから真次は・・・図書委員を選んだんだ。勿論、クラスが重なったのは偶然だ。・・・でも、真次には運命だったんだ。」
「先輩は・・・阪井の気持ちを知って、協力してたという事ですか。」
「そう、いう事になる。あいつが何を言ったわけじゃない。俺が、勝手にそうしたんだ。・・・・・・・・萩、お前の気持ちを無視して。」
「・・・・・・・・・。それは・・・仕方がないと、思いますから。」
 俺は・・・俺は、阪井を拒否した。・・・じゃぁ、阪井は・・・・・・。しかも今日、俺は休んだ。
「先輩・・・阪井は・・・・・・」
「だから、この話をしたんだ。・・・・・・・・学校では・・・普通に見えたよ。嫌な予感がしたんだ。ここに来る前、真次の家に寄った。・・・・・・・・・」
 苦渋に満ちた顔を、先輩は隠さなかった。
「無理を承知で来たんだ。俺じゃ・・・駄目なんだ。いくら傍に居ても、真次には、俺では駄目なんだ。」
 真摯な瞳だった。射るような視線は、懇願というよりも、ずっと強い光を放っていた。
「・・・・・家、教えて貰えますか。」
「俺も、行くから。」
「・・・・・・・・・・今回は、俺の責任です・・・・・。教えて貰えれば、一人でも行けますから。」
「萩のせいじゃない・・・。こんな事を頼むのは、本当は間違ってるって分かってる。・・・分かってて・・・・・ごめん。」
「先輩、俺は、阪井と同じです。阪井は・・・感情がないわけじゃない。ただ、それを表現する術を知らないだけです。俺だって、嬉しい時は嬉しいし、驚いている時は凄く驚いているんですよ。阪井も同じですよ。同じです。・・・道を、教えて貰えますか。」




20041210

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