「こちらに、梗が来ていませんか。」
突然の来訪は、クィルムの心中を少なからず乱した。
漆黒の髪。漆黒の瞳。
目の前の人物は、キョウと同じ特徴を携えていた。
ただ違うのは、言葉が通じる、という点だった。相手は明らかにクィルムと同じ言語を用いている。
「あの、」
「あ、ああ、キョウ、だったね。・・・・・失礼だが、君は?」
「梗とは家族です。たった一人の。俺の名前は蓮(レン)と言います。梗はここにいるんですね。」
「確かに・・君に似た、”キョウ”、と呼ばれる人間がここにはいる。・・・・・いる事には、いるんだが・・・・・。」
クィルムは渋面を作った。蓮が訝しそうにそれを見る。
「何か、あったんですか。」
その真剣な眼差しを受けて、クィルムは当惑しつつも蓮を病室に案内した。
ベッドの上にコードで繋がれた、青白い顔のキョウ以外は、病室に誰もいなかった。アーフェライドは一旦病院に戻ると言っていたし、シリアルは今眠らされている。
「梗!」
蓮が駆け寄ろうとしたのを、クィルムが制した。
「梗は・・・・・」
深い漆黒の闇が、クィルムを見詰めた。それは非難であり、抗議であり、そして戸惑いと不安だった。
「四日間目覚めていない。状態としては悪い。だから、少しの刺激も避けたいんだ。」
簡潔にクィルムが言うと、蓮は明らかな不快を表情に宿す。
「これくらいの傷・・・・・上にいればすぐ治せたのに。」
「これぐらい・・だと?重症だぞ!元々塞がりかけていた傷が開いたんだ。特に腹部の内出血は運ばれてきた時、相当なものだった。今は持ちこたえているが・・・本当に危なかったんだ。」
「ここの医療技術じゃそうでしょう。でも、俺たちがいたところは違う。」
きっぱりと蓮が言い放つ。クィルムは答えられなかった。
空の席巻を禁じられた時から、海上の行き来が主流となった。国交が海の状況に左右され、かつ、大荒れに荒れる今の時期は全く航海が不可能になる。
そのせいもあり、確かに外交は余り活発ではない。
しかし、医療のような研究機関に関してはそれぞれの研究資料・臨床実験などの情報公開がそれなりに行われている。更なる発展と向上の為に、資料は電子通信を利用して各主要機関に送信されているのだ。
当然それらは各病院にも届けられ、研究対象や検討の対象になる。
クィルムの元にも大学や学会を通じて、資料は配布されていた。だから、余程極秘の技術でもない限り、クィルムの耳に届いていないわけがないのだ。普通に考えて、現在のキョウの状態をすぐに回復まで持っていける医療技術は、存在しない。
「有り得ない・・・・・。」
思わず、呟いた。それを受けて蓮は目を細める。
「そう、ここでは有り得ない。・・・・・それで、梗はどうなんですか。」
さっさと話を先に進める蓮に、クィルムは問い質したい事を飲み込んだ。蓮の表情が悲痛だったせいもある。どこかに悔恨を滲ませた、痛みの顔。
「そうだな。このまま安定していれば、後1.2日もすれば目が覚めるだろう。」
「目が覚めないと・・危険だって事ですよね。・・・・・梗の、馬鹿野郎・・・・だから、止せって言ったのに・・・・・・。」
蓮の目に涙が浮かんだ。堪えるようにして、グッと歯を噛み締める。
「すみませんが、今俺には梗を連れて帰る事はできません。梗も動かせば危険でしょうし・・・・・。でも、俺は梗を連れに来ました。大変申し訳ないと思うのですが、梗の状態が安定するまで、俺をここにおいて戴けないでしょうか。お礼はきちんとさせて戴きますし、梗の入院費や今までの諸経費もお支払い致します。」
「それは構わないが。」
数々の疑問が浮かんだが、クィルムはそれを問う事は出来なかった。
「お前らしくないな。」
「・・・・・しょうがないだろう。」
アーフェライドの言葉を受けて、クィルムは視線を逸らす。凡そ”らしくない”と言われても仕方がなかった。
いつも即決即断で、疑問に思った事ははっきりと聞く。それがクィルムの性格だからだ。
「ま、お前は子供には甘いからな。・・・・・レンだっけ?キョウと同じくらいなんだろう。二十歳前後ってとこかな。ま、ギリギリ子供?」
「怒ってないか・・・?何か・・・・・。」
「別に。」
機嫌が悪い時の癖だ。アーフェライドは伏目がちにクィルムから視線を逸らして、手元の医学書を読む振りをする。
実際、目で追ってるだけで気がそぞろなのは一目瞭然だった。先ほどから10分余りが経過しているのに、ページは一枚も捲られていない。
(こうなると、何言ってもしても無駄なんだよなー・・。真面目なだけに頑なだし。)
様子を伺うと、長い睫は下を向き、虹彩の薄い人形のような面立ちは、憂いを含んでクィルムの目に映る。ただ、周りの空気にピリピリとしたものを放っていて、何か一言でもクィルムが間違った発言をすれば、冷ややかに論破されるか無視されるかのどちらかだと思った。
「・・・・・調べてみた。」
唐突なアーフェライドの言葉に、クィルムは不思議そうな顔をしてみせる。アーフェライドはクィルムのほうを見もせず、説明を始めた。
「言っただろう。キョウの種族について、調べてみると。分かったのは一世紀前に同じような特徴を持った人間がいて、言語も若干残っているらしかった。書籍の一端だけどね。それをネットで知り合った友人に聞いてみたら、文献として保管されてるというので、コピーを圧縮データにして送って貰った。・・・レンに見せてみたいんだけど。」
「レン・・に?」
「当然だろう。レンとキョウは家族なんだろ?だったら同種族なんだし。キョウに見せようと思って送って貰ったんだけど、キョウはあの状態だ。だったらレンに見てもらうしかないじゃないか。」
「レンだったら、キョウの病室にいるが・・・・・。」
病室に案内してから、レンはそこから動こうとしない。聞いたわけではないが、たった一人の家族なのだろう。その心中は図りかねた。
「・・・何か不都合?」
「・・・・・もう少し、時間を置いてからのほうがいいと思って。」
「何も、私だって今すぐとは言わないよ。・・・キョウの事で動揺してるだろうしね。」
それだけ言って、アーフェライドはまた黙った。クィルムは手持ち無沙汰に、アーフェライドの向かいでぼんやりと彼の顔を眺める。何もする気が起きないクィルムは、卓上に重ねられた医学書にも手を伸ばそうとしない。
「・・・・・やっぱ駄目だ。」
ガタン・・・・・・
「・・・・・・・ッ!?」
急に伸ばされて来た腕は、アーフェライドに拒絶の暇を与えなかった。有無を言わせず重ねられた唇に、息を継ぐ間すらない程。その綺麗な顔を歪ませ、両手でクィルムを押し戻そうとするが、力で彼に敵った事などないのは事実でもあって。
「・・・・っ・・・は・・・・・」
やっと解放されたと思っても、その腕から逃れる事は不可能に近かった。
「クィルム!!離せ!!!」
「嫌だ。」
「〜〜〜このバカ!!」
「俺は・・・アーフェライド、お前が、好きなんだから。」
「・・・・・何を・・・・・・」
「・・・・・・好きなんだ・・・・・・」
「・・・・・・・・・・知ってる。」
アーフェライドの顔が、緩む。
「なら。何で。」
「・・・・・悪い・・・。ここのところ、キョウの事やレポートの事。色々と重なって私自身が混乱しているんだ。・・・・・・寝不足も手伝って、苛々している。八つ当たりだ・・・・・・」
「それだけ?」
問われて、アーフェライドは赤面する。
「・・・分かってる・・だろう。私だって、嫉妬くらいする・・・・・」
「・・・ああ、すっげーー抱きたい。」
ぎゅう、とクィルムは腕の中の存在を抱き締める。アーフェライドの肩口に顔を寄せて、その細い肢体を抱く。
「でも、我慢する。疲れてるお前を抱いても、明日からが心配でしょーがないし。」
「・・・・・・別に、私は・・・・・」
「俺がヤなの!・・・終わったら、好きなだけ触れるからいい。・・・・・無理、しないでくれ。」
「・・・・・・ああ・・・・・。クィルム、明日・・・レンに会わせてくれるか。」
「本当、あんまり無理するなよ。キョウの容態も落ち着いてるし。」
「分かってる。」
「君は・・・誰?」
キョウの病室を訪れたシリアルは、その見慣れない影を認めて呟くように言った。問いかけというよりは、自問のような言い方だった。
薄暗い病室の中、その影はゆっくりとシリアルのほうを振り向く。
キョウと同じ漆黒・闇色の髪と瞳。
「・・・・・・俺は蓮。君は?」
月の光のような鋭利さは、キョウにはないものだった。口調とは裏腹に、彼の全身がシリアルに対して警戒の念を発している。
「俺は・・・シリアル。シリアル・クレイフィールド。」
シリアルは彼に近づく。今レンがいる場所は、シリアルが眠らされるまで離れなかった、彼の定位置でもあった。キョウに、一番近い場所。その事に、いくばくかの不安と、いたたまれなさが宿る。
「シリアル・・・・・君が。」
「俺を知ってるの。」
「クィルム先生から聞いただけだ。怪我してたキョウを、ここに運んでくれたんだってね。・・・・・ありがとう。」
素直に礼を言われ、シリアルは訳もなく当惑した。目の前の人物の雰囲気に、変わったところはない。口調にそう棘はないものの、張り詰めているものは払拭されない。その理由を、シリアルは急速に理解した。
彼の視線の先は自分ではなく、絶えずキョウに注がれていた。張り詰めた空気は、キョウを心配してのもの。その為に余裕がない、彼の心の表出。
「レン・・・は、キョウの・・・」
「家族だよ。」
シリアルがみなを言い終わる前に、レンは答えた。
「もう、ただ一人しかいない。・・・・・かけがえのない、存在だ。」
その横顔を見て、シリアルの胸は痛んだ。
(ならばレンは・・・キョウを連れに来たんだ。)
それは直感だった。
キョウに目を向けると、規則正しい呼吸が少し浅めに紡がれている。腕から伸びた幾筋もの管を伝って、キョウの中に注がれるもの。それが自分の生命だったらいいと、シリアルはぼんやりと思った。
(行かないで欲しい・・・けれど・・・・・)
それを決めるのは、キョウだ。
シリアルは少しだけ、レンに視線を移す。キョウと良く似たその容姿は、祈るような形でキョウを見ている。その姿を認めて、シリアルは目を伏せた。自分の内にある感情に、収拾はつけられそうになかった。
行って欲しくないという感情。
それでも、家族と共にあるほうがいいだろうと、そうも思っていて。
(これだけ心配しているんだ。・・・仲が良かったに決まってる。)
キョウの、柔らかな笑顔が脳裏に浮かぶ。あれは、守られてきた者の、優しさを知っている者の表情だと思う。
そして、それを与えてきたのが、この目の前の人物だという事。
そのまま二人、一言も口を交わす事なく、朝を迎えた。