こんなに真剣に祈ったのは、初めてだと思った。
握られた手の不確かさとか、息を接ぐ苦痛の表情とか。
それらが今、キョウの生きている証なのだと、シリアルは思った。
人の死に目にあった事はない。いつかは誰でも死を受け入れざるを得ない
時が来ると分かってはいても、まだ10代のシリアルには現実感を
伴わないものだった。
それに隣あっている人間が目の前にいる事に、シリアルは不可思議を
覚えてもいた。同時に、自分の無力を呪った。何もできない。何をしたら
良いのか、シリアルには分からない。
キョウが偶にうわ言で何か言っている。それは良く聞き取れなかった。
カレーニナがクィルムとアーフェライドに的確に指示を出して、シリアルを
振り返る。
「シリアルって言った?」
「あ・・・ハイ・・・・」
半ば呆然とした体で、シリアルはキョウから目を離さないまま、覇気なく
答える。
バシ、と小気味良い音が、シリアルの頬で鳴った。クィルムとアーフェライド
の手が思わず止まる。
「手は止めないで!時間がないの」
シリアルを見たまま、カレーニナが咎める。二人は何も言えないまま、
再び手を動かした。少し赤くなった頬だけが、カレーニナがシリアルを
叩いた証拠のように残っている。
「貴方がしっかりしなさい。そんな事では、勝てる試合も負けるわ。」
シリアルは、キョウから目を離さなず、じっとしていた。
「いい?私たちは全力を尽くす。なら、貴方も全力を尽くして。・・・
キョウも、生きようとしている。」
「生き・・・・・る・・・・・?」
「そうよ。貴方になら分かるでしょう?シリアル。」
カレーニナをそこで始めて見た。強い眼差しは、シリアルにキョウと
出会った日を思い出させる。キョウも、とても明瞭な瞳で前を見詰めて
「生」を望んでいた。
シリアルは、キョウの手をしっかりと握り返す。
「そう、その手から感じるものが、今のキョウの全て。キョウにとっても
そう。手から受け取る情報が、外界の全てよ。分かるね?」
こく、とシリアルが頷いた。
(ここから伝わる熱が、気力が、キョウに流れればいい。)
「それでいい。いいわね。負けないから」
はじめてカレーニナが笑った。その強気な笑みは確かな力を持っているように、
シリアルには見えた。
キョウに視線を戻す。はじめてキョウに会った日を思い返し、あの時の顔を
思い出す。
前を見ていた黒曜の瞳。揺ぎ無い意思を感じたその何か。自分はそのシリアルを
見た。しかし、キョウはシリアルを見てはいなかった。ただ、ひたすら
前を見ていた。それは少し悲しい事だったけれど。
それでもキョウは、シリアルに笑って見せたのだ。シリアルの名前を呼び、手を
差し出して来た。その手を取ったのは、紛れもなく自分なのだ。
(ああ、そうか。)
(・・・・・・俺は、キョウが好きなんだ。)
自覚した感情は、シリアルを少なからず動揺させた。そう思ってみたものの、
本当の意味でその感情がどういったものか、理解はできなかった。
それが恋愛と言っていいものなのか。
生きていて欲しいと思う事。
触れたい、と思う事。
傍にいて欲しいと思う事。
(キョウ、早く目を覚まして。・・・・・・お願いだから)
自分にできる事。それは本当に少なくて、拙いものだった。それでもシリアルは
ただひたすら、キョウの為に願った。
それから四日、キョウは目覚めなかった。
忙しいと言っていたカレーニナは、大学から呼び戻しがかかり、「容態の変化があったら
絶対に呼んで!」と言い残した。中々病院には来れないようだった。
それでも二日目には合電話を寄越し、クィルムに何か指示を与えていた。
クィルムは殆ど付きっきりに等しく、アーフェライドなどは資料を持ち込んで論文を
書きながらも、容態と経過観察を怠らなかった。
その間、リィムとサッカスも様子を見に来たりしたが、アーフェライドが抜けた穴を
埋める為に病院に出ているらしく、顔を見せる事は少なかった。
二人には、偶に病院に戻るアーフェライドが経過報告をしていた。クィルムと
アーフェライドが彼らの見解を分析していたのを、シリアルは見た事がある。
「いいから寝ろ!」
クィルムの声が診察室に無やたら響いた。
「・・・・・・やだ。」
キョウの病室から出ようとしないシリアルを、クィルムは半ば無理矢理引っ張って
来たのだった。
「殆ど寝てない上、学校にも行ってない、家にも帰らない!俺がどれだけお前の両親
説得するのに骨折ったと思ってんだ!少しは大人の言う事を聞いたらどうだ。」
ほぼ、怒声に近い。近くを通った看護婦が、眉を顰めた。
昼休みで診察室にも待合室にも人影はない。いるのは職員のみだ。今ごろ、休憩室
ではクィルムの怒声の訳がひそひそと話の種になっているに違いない。
クィルムはが怒る事は確かにあるが、声を荒げる事は滅多になく、口調はきついが
冗談めかした独特のイントネーションが、それを和らげていた。職員の失敗に関する
叱責と許容もはっきりしていて、恨みを買うような事も殆どない。
「寝なさい。シリアル。」
脇から、アーフェライドが柔らかく・けれども妙な凄みのある声で言った。かくいう
アーフェライドも論文と研究発表資料作成の為に、睡眠時間は連日二時間を切っている。
「・・・・・・やだ」
頑ななシリアルは、そっぽを向いた。顔は疲労の色が濃く、それでも眠れないという
様相が滲んでいた。
「・・・・・・・・アーフェライド。」
クィルムが隣にいるアーフェライドを見て言った。
「悪いが、強硬手段をとる。」
「・・・・・・恨まれるよ。」
「アーフェライドが恨まないならいい。」
暫し、思案の顔がアーフェライドに浮かんだ。それからシリアルを見る。
ひとつ溜息を吐いて
「・・・・・私じゃ駄目か?」
「・・・・・俺が嫌だ。」
「私が嫌だと思わないと、思ってるのか?・・・そんなわけないだろう。」
「それは、かなり嬉しいセリフだが。」
ニヤリとクィルムが笑う。
「他の方法だってあるだろう。」
「・・・・・道具用意した時点で、バレバレだ。」
「・・・・・興味あるんだろう。クィルム。精神科医として、私はお薦めしない
ぞ?」
「心外だなぁ。そういう目で俺を見てたんだーー。」
「お前が変態なのは、充分知ってる。」
「・・・・・・アーフェライド・・・・・本当にそういう目で見てるのか・・・」
アーフェライドが一息つく。
「まぁ、仕方ない。でも、二度は許さないからな?」
悪戯めいた表情を向けて、アーフェライドはクィルムに言った。
二人のやりとりはシリアルには理解できなくて、そして、気にするだけの余裕が
シリアル自身にもなかった。
毎晩。眠らないのではなくて、眠れないのが本音だった。それを、この
二人の医師は分かっている。
いつ目覚めるのか、そういう事ではない。腕に刺さる針。その跡が増える度、
シリアルは不安になる。
本当に目覚めるのか?
考え出すと止まらなくなって、思考はマイナスに向かう。何かあってからでは
遅い。そう思うと眠れない。一種の恐慌性の不眠症に、シリアルは陥っていた。
「では、お許しがでたところで。」
「シリアル!」
呼ばれてシリアルは、俯いていた視線を上げた。途端
頤を捕らえられ、頭を押さえつけられる。当惑している間も殆どなく、
シリアルはクィルムに唇を塞がれた。
「・・・・・・・っ!?・・・っ・・・っ・・・・!!」
喉元を、液体が流れる。抵抗の腕は、全く意味を成さなかった。
「−−−−−−−−ッッ!!」
やっと息を許された時、シリアルは苦しさと怒りとで顔を顰めていた。
「何すんだよ!!・・・何、飲ませ・・・・・?・・・・・・」
クラリ、と眩暈がシリアルを襲った。除所に瞼が重くなる。
「・・・先・・・せ・・・キョウ・・・・・」
倒れそうになるシリアルを、アーフェライドが支えた。そのままシリアルは
気を失った。
「本当、強硬手段だよ。起きたら殴られるぞ。」
「寧ろ、殴らせるさ。それくらい、覚悟の上だからな。」
アーフェライドが呆れて溜息をついた。
「・・・・・・天性のバカだ。」
「でも、お前は傍にいてくれるんだろう?」
「・・・・・・・・・・・大馬鹿。」
だって不安なんだ。
キョウの目は覚めるのか
息を本当にしてるのか
確かめていないと不安で、不安で仕方がない。
あの顔を、あの声を。
もう一度・・・・・
キョウが
好きなんだ