亡骸


ズ・・・ズル・・・
重くなった体は、自由にならない。感覚が鈍くなっている。
それでも、ふとした痛みを感じてその部分に触れてみた。
ドロリとした液体の感触が、指に生暖かく残る。
深い、息が漏れた。
見上げると、うっすらと白い月がそこにあった。夕暮れ時の月はその存在を主張 する事もなく、そこに在った。

意識は・・・まだ手放せない。


シリアルがキョウの脱走を知ったのは、リィムとの昼食を終えて間もなくだった。
午後3時近く。切羽詰まった電話がアーフェライド宛てに入り、それからすぐに シリアルの耳に入った。
患者を受け持っているリィムとクィルムは動きが取れず、臨時を頼んでいたにも関わらず いてもたってもいられない、というアーフェライドが外へ捜しに出ることになった。
シリアルは電話の内容を聞いた途端に病院を飛び出した為、アーフェライドが外に 出た時には既にどこへ捜しに出たのか、分からなくなっていた。
「シリアルは何処に行ったんだか・・・・・。」
取りあえず、アーフェライドはクィルムの病院のほう、海岸線へと向かって車を走らせ た。
「キョウには、見せたいものがあったんだけれど。」
助手席に無造作に置いてある紙。B5版のものが二枚。
「キョウが無事じゃないと、全て無駄だな。・・・・・平気だと・・・いいけれど。」
クィルムから聞いた限りでは、余り芳しくない。傷はふさがりかかっているという 状態だったらしい。ただ、まだ歩くには少し痛みを伴うだろうし、走るなんていうのは 論外だという。
『今、傷が開くと危険なんだよ。だから・・・・早く見つけてくれないか。俺も今抱えている 患者の診療が終わり次第、捜しに出る。』
「休診するのか?」
『仕方ないだろう。俺の責任だ。きちんと見張ってなかったのが悪い。幸い大学に電話したら、 代替としてカレーニナが入ってもいいと言ってくれたしな。お言葉に甘えることにした。』
クィルムが休診するなど、開院してから初めてだ。アーフェライドは少々苦い顔をする。
「カレーニナが?研究はいいのか。まぁ、彼女なら問題ないだろうけど。」
『医局の天才だからな。こっちが気後れする。・・・都合つけてくれるらしい。けど、高くつきそう だけどな・・・・。』
苦笑が電話向うから聞こえた。アーフェライドも軽く笑む。
『それより悪いな。仮眠中だったんだろう?無理ばかりさせる。』
クィルムの声は心底申し訳なさを孕み、アーフェライドの耳に届いた。
「いや、それよりシリアルが速攻で出てったけど・・・・・・」
『お前なら、何となく察しつくだろ。本人に自覚はないみたいだがな。』
「ああ、やっぱりそうか。なら、シリアルの為にも早いとこ見つけないとな。感受性の 強い子だから、何かあったらどうなるか分からない。」
『確かに。本当に悪い、頼む。』

行きそうなところを聞いたものの、言葉の壁は大きく、心当たりがないと言う。
「参ったな・・・・まぁ、目立つだろうけど。」
いや、せめて目立つようなところを通ってくれているならば、通報の一件二件ありそうな ものだ。それがないと言うことは。
(・・・・・・大通りとかは歩いてないって事だろうな・・・)
寝不足の頭を抱えて、アーフェライドは当てもなく車を走らせた。



ザ・・・・・・
視界が一気に開けて、地平線までが見渡せる。
空と海の狭間。夕暮れ時の空は赤く、雲は桃色をしていた。
そんな鮮やかな色彩を楽しむ間などなく、シリアルは辺りを走り回った。
キョウを見つけたテトラポットの付近から、砂浜を海岸線に沿って走る。
シリアルにもあてなどなかった。自分はキョウのことは何も知らない。名前以外の ことは、何も。知りたいという気持ちはあっても、言葉の通じない彼には何を 言っても伝わる事のほうが少ない。
「キョウ、キョウ!!」
幾ら呼んでも答える声はどこにもなくて、ただ闇雲に走ることしかできない。 何かを払拭するように、誤魔化すように。
最悪の事態、それを考えてしまった瞬間に足が止まってしまう気がした。どうしようも ない不安だけを抱えて、シリアルは思いつく場所を捜しつづけた。



キョウが見つかったのは、帳が落ちてからだった。
街灯の下、青白い顔をしたキョウがシリアルを見つけた。
「シリアル」
か細い声が、シリアルの耳に届いたのは奇跡に近い。車通りの激しい大通りで、 ひっきりなしのエンジン音が響いているからだ。
しかも周囲には店もなく林に囲まれた通りの為、人通りが少ない。シリアルが そこにいたのも、偶然に等しかった。
若干、病院へ行くには違った道だったが、もしかしたらと思い何となくいつもの 道を外れたのだ。海岸線からは余り離れない為、波音が聴こえてもおかしくない場所 だが、全ては車の音にかき消される。
潮の匂いだけが、近くに海がある事を知らせる場所。粉塵と騒音の絶えない場所。

「・・・・・・シリアル・・・・・gomennasai・・・・・・・」
項垂れたキョウの言葉の意味を、シリアルは理解できなかった。ただ、酷く寂しそうで 辛そうな表情が目に付く。
視線を投げた先に、どす黒い水が溜まっているのが分かった。それは、キョウの腹部から 足を伝い、硬い路面に滴っている。
「キョウ!!!」
思わず支えた。いつから、いつからこんな状況なのか、推し量る。
薄く笑ったキョウに殴りかかりたい心境を押さえて、シリアルは自分のシャツを脱ぎ患部に 押し当てた。苦痛にキョウの顔が歪み、開いた傷口を両手で押さえ、体を九の字に曲げる。
動けないでいるキョウを無理に背負うようにし、シリアルは疲れている事も忘れて歩いた。 近くの電話ボックスからリィムに連絡を取る。
『丁度、アーフェライドが戻ってきてるの。すぐに向かわせるわ。』
ものの数分でアーフェライドは来たが、その頃には既にキョウの意識はなかった。
「・・・・・・・・せ・・・ん・・せい・・・・・・・キョウ・・・・」
シリアルがキョウを抱き締めながら、視線を彷徨わせる。青褪めたキョウからは、 生気が失せ紡がれる息はひどく弱い。
「大丈夫だから。シリアルはしっかりしておきなさい。すぐにクィルムとも連絡が取れる。 病院で、待っててくれてるだろうから。」
半ば呆然としているシリアルを叱咤しながら、車はクィルムの病院へと向かった。

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