『切望』


 俺は途方に暮れていた。
 途方・・・というのとはちょっと違うかもしれない。呆然かもしれない。

「おめでとうございます!!」

 目の前ではっぴを着た男が、満面の笑みを浮かべて言った。ガランガランと大きなベルの音が鳴らされる。周囲の人々が視線を向けてくる。ざわめき。
 俺の隣で成海が、なにがなんだか分からない顔をしていた。

「八萬堂、80周年記念、八万人目のお客様です!」

 男は、声を枯れんばかりに張り上げて、そう俺たちに告げた。


 八萬堂は、大正時代から続く老舗の和菓子屋だ。めったに地方物産展などにも参加しないし、他店を持つ事もない。本店一点のみという、今時商売っ気のない、頑固親父経営の店だ。
 勿論、インターネット販売などもってのほか。大手ネット関連や雑誌社から再三の要請があったらしいが、全く持って相手にしない。雑誌のページを飾る事は良くても、インターネットは許せないというのが良く分からないが、そこはそれ。頑固一徹なりの拘りなんかがあるんだろう。
 俺はこの店に、客としてきたわけではなく。・・・・・商談にきたのだった。
 新商品の和菓子のポスター企画。
 それが
「八万人目のお客様です!」
 と言われてしまっては、鳩が豆鉄砲・・・になるのも頷けると言うものだ。
「・・・・弥栄。」
 成海が、上目遣いで俺を見る。困ったような、そんな顔をしていた。
 店員の男は、容赦なく紙袋を寄越した。
「わが店、自慢の菓子折りです。どうぞお持ちください。そしてこちらは温泉宿泊券になります。有効期限は今年いっぱいです。ただ、注意事項がありますので、こちらを良くお読みになってからご使用下さい。」
 まくしたてるように言われ、にこにこ顔で接待される。周囲からまばらな拍手が寄せられた。
 ・・・・・・・・ひくにひけないとは、まさにこの事だ。


「びっくりなさったでしょう。」
 応接室に通されて、一番に言われたのがその一言だった。
 目の前の50を過ぎるだろう男性が、八萬堂の主人である。会うのは初めてだが、意外に気さくそうな雰囲気を漂わせていた。
「はい・・・まぁ・・・それであの、この・・・景品なんですが。私が受け取るわけには・・・」
「いえいえ。どうぞそのまま受け取ってください。これも何かの縁でしょう。実はですね、今回の新作の菓子も、その場所の滝がイメージなのです。良ければイメージ模索に一役買えれば、うちとしても有難いのですが。」
 ・・・・・既に、主人の前には20作近い試作が並べられていた。
(・・・・これでは、満足できない、という訳か。結構な狸だ。)
 俺は、苦い笑みを浮かべるしかなかった。暗に、だめだしされているのだ。
「発売は7月を予定しております。夏の菓子ですから、こう・・・涼やかさのある半透明の菓子なのです。先ほどお渡しした菓子折りの一品として、一足早くご賞味戴ける様になっております。是非食べてみてください。また違うポスターになるでしょう。」
「・・・・・・・分かりました。」
 俺はそう言って、目の前の試作を片付け始めた。
「弥栄さん・・・でしたね。」
 主人は俺の渡した名刺を一瞥して確かめてから、そう言った。
「はい。」
「前のポスターみましたよ。携帯電話の。後、コマーシャルも拝見しました。四万部寺には行った事がありますが、あんなに綺麗な印象は抱かなかった。貴方のポスターを観て、はっとしました。見方ひとつ変えただけで、こんなにも印象が変わるのだと。そうそう。女優も良かったですなあれは。落ち着いた色なのに、風景に色彩がとても映えていた。」
「それは・・・ありがとうございます。」
「この年になっても、まだまだ気づかされる事があります。この店にだけ・・・和菓子にだけかかずらって来た私は、視野が狭いのかもしれません。期待しています。」
 丁寧な口調の中に、プレッシャーを含まされた気がした。でもそれは、悪いものではない。
(そういえば鹿野(カノ)が言ってたっけ。この仕事は八萬堂の主人自らが、俺を名指ししてきたって。だから俺も思わず快くなって受けたんだった。)
「ありがとうございます。ご期待に沿えるよう、全力を尽くします。」



「弥栄・・・!」
 成海が店の奥から出てきた俺をみつけて、駆け寄ってきた。その手には湯のみがすっぽりと収まって、あたたかな湯気が立っていた。
「どうだった?うまくいった?」
「・・・・・・・・」
 俺の無言に、成海は微妙な雰囲気を察したらしい。
「大丈夫だよ、弥栄なら。今回の仕事は、ここの主人が指名してきたんだろ?自信もって好きなようにやりなよ。」
 言いながら、笑う。俺はその顔を最近、良く見ると思う。なんと言ったらいいのか分からない。笑っているのは確かなのに・・・何かがひっかかる。
「お茶、ご馳走様でした。」
 成海がカウンターに湯飲みを返した。店員がにこやかに応対する。それに成海も笑い返す。
 違和感。
 およそ、人と接する事を極力避けようとする成海。その成海が、仕事の話をするというのに着いてきたのにも、驚いたのに。何の予定もないのに進んで外出する、という行為をみせたのは、もしかして初めてじゃないだろうか。
(なんだ?何を考えてる?)
 それを、今この場で問うわけにはいかなかった。衝動を抑えながら俺は、成海とその場を離れた。

 家に戻ってからも、成海は変わらなかった。お湯を沸かし、貰った菓子を皿にうつし、煎茶を煎れて準備を整えている。
「なんか得したなぁ。な、弥栄。温泉はいつ行くんだ?今の仕事がひけてから?」
「成海も行くだろ?」
「え?俺?」
 なんで?といわんばかりの顔を向けられる。
「だってこれ、ペアチケットだぞ。」
「偶には友人とかと行ってみたら。俺、5月は連休の課題もあるしゼミの飲み会も・・・・・・」
「飲み会?成海、そんなの行くのか。」
 違和感。
 決定的な。
「え?おかしい・・・か?」
 おかしくないわけがない。成海が、そういった場に出たことがないのを、俺は知っている。人と関わりたくない筈の成海。大学生活で、友人などの話を聞いたこともない。
「5月末の金曜日にね、新入生歓迎もかねてゼミの積立金で飲むんだ。・・・確かに俺、一回も出たことなかったけどさ。いつまでもそんなままじゃ駄目だろ?そのうち就職活動だってしなきゃいけないし、教授と飲んだりするのもやっておいて損はないと思うんだ。」
「・・・そう、か。」
 離れてゆく気・・・なのか。俺から。
 暗い気持ちが湧く。俺は、乱暴に成海を引き寄せた。腕を引っ張られた成海は、体勢を崩して俺のほうに倒れこむ。足がテーブルに軽くぶつかって、食器がガチャリと音をたてた。
「や・・・さか・・・・・?」
「・・・温泉、つきあってくれるだろ?仕事絡みとはいえ、一人で行くのは味気ない。鹿野や林野だって、そうそう休みはとれないんだ。成海しかいない。・・・・・・・成海と行きたい。」
「・・・何?どうしたんだよ、弥栄。」
「成海。返事は?」
「え、ちょ・・やさ・・・・・」
 俺は、返事を待たずに鳴海に口付けた。腕の中で成海が震える。何度体を重ねても、成海は少し怯えたような様相を見せた。無意識だろうそれは、俺の心を傷つける。
「ば・・・・バカ弥栄・・・!いきなり何すんだ、バカ!!」
 顔を朱に染めて、成海は俺に抗議してきた。「茶が冷めるじゃないか!」とか、気持ちを紛らわせるように言っている。俺は思わず苦笑する。それ以外、反応出来なかった。

 この腕におさめておきたい。

 そういう思いだけではもう、済まなくなっていた。壊してしまいたい程の衝動。
 これは最早、何という感情なのだろう。「好き」「愛しい」だけではなくなってしまった想い。手足を縛り、閉じ込め、誰の目にも触れさせずに、俺だけを必要として欲しいと。そう願ってしまう。昏い・・・昏い感情。

「何を・・・考えてる?成海。」
「・・・・・・・・・え?」
 思わず、声に出していた。もう、戻れない。取り返しがつかない。
「・・・・・・・俺から、離れていく気なんだろう?・・・・・何故?もう俺はいらなくなった?」
「・・・・・やさ・・か・・・・・?」
 僅かな怯え。瞳の奥に宿る。
「俺が怖い?成海。」
 成海が、首を横に振った。それから、俺の腕に絡んでくる。真正面から顔を、俺に向けた。
「怖くない。何でそんなことを聞く?何で?・・・・・・・弥栄、俺は、弥栄に守られているだけじゃ嫌だ。そんな事、弥栄はとっくに知ってると思ってたけど。・・・・・・・・・。」
 真っ直ぐな視線が、逸らされる事なく、俺の瞳とぶつかる。

「俺は、弥栄と対等になりたい。」

 真っ直ぐな声が紡がれた。絡んだ視線とは対照的な響き。
 対等。それに一体、どんな意味があるというのか。成海にとって俺は、どんな存在なんだ。
 成海は俺に父親をみている。対等になるという事は、俺に縋る必要がなくなるという事。・・・俺は成海に縋っているのに?・・・・・・・対等なんて、有り得ない。対等だというのなら、今のこの状況がそれだ。
 成海は先に進んで、俺がこのままなら。俺だけ、取り残される事になる。
 成海は俺が必要ではなくなる。
 成海が、離れていってしまう。
 成海が・・・・・・・・・・俺、か ら ・・・・・・・・・・・・・


「や・・・弥栄・・・・!?」
 俺は強引に成海を押し倒した。テーブルとソファの間の狭いスペース。抵抗する成海と、それを押えつけようとする俺の腕や足がテーブルにあたって、ガチャガチャと食器がぶつかりあう音がした。
「弥栄・・・!やめろ!!バカ弥栄・・・・・・!!・・・・や・・・やだ・・・いやだ・・・・・・・!!」
 肩口にたてられた爪が、俺の皮膚を浅く引掻いた。俺を引き剥がそうと躍起になっている成海の顔は、怒りと恐怖を呈していた。
「離れろってば・・・!弥栄!何・・・す・・・・っ・・・・・・・・んぅ・・・・・・・!」
 噛まれるのを覚悟で、俺は成海に再び唇を重ねた。胸元に鈍い衝撃。成海が拳で俺を叩いている。押えつけた体が、震えていた。
 こんな事をしたいんじゃない。
 怖がらせたいわけでもない。
 無理矢理、遂げたいわけじゃない。
 ただ
 ただ

「な・・・だよ・・・どうしたんだ・・・弥栄・・・・・・っ」
 成海が、俺の頭を抱えた。不意の事に俺のほうが面食らう。
「なんだよ。何が気に入らない?」
 泣き出しそうに、声が震えていた。俺を抱えている両腕も、小刻みに震えている。
「今まで・・・俺は弥栄に甘えてきた。弥栄が受け入れてくれるままに、俺は縋り続けるだけで。・・・・・・・・・でもそれじゃ駄目なんだ。弥栄、俺は駄目になるんだ。弥栄の負担になる。俺は・・・俺、は。」
「俺は、弥栄・・が、好きだから。弥栄がもっとちゃんと仕事できるようになりたい。」
 搾り出したような声だった。
「ずっと考えてた。何度も何度も。そのたびに、まだ、まだ、後少し・・・そう、思って先送りにしてた。・・・・・・・・今回の仕事の話を聞いて思った。弥栄という才能を、見抜いて、欲してくれている人達がいる。・・・・俺に関わってばかりじゃ駄目なんだ。俺が・・・俺が弥栄を潰してる・・・・・・!!」
「そんな事、ない。俺はちゃんと仕事してるしそれに・・・」
「俺がヤなんだ!!前、CMの仕事の時も、弥栄は俺がいるからって渋っただろ?そんなの俺が嫌なんだよ。俺はもっと弥栄に表に出て欲しい。好きな仕事をやれる才能持ってるんだ。それって凄い事だろ!?なのに弥栄は、俺がいるからチャンスを逃す。そんなの俺が許せない。俺が!俺を許せない・・・・・!!」
 最後のほうは独白のような叫びだった。自分の胸の内側が、すぅっと何かひいていくような気がした。
 成海・・・・・成海・・・・・
 胸に押し付けられるような格好で、俺はそのまま成海を抱きすくめた。一瞬だけ、ビクリと震える。
「俺は、弥栄がいなくちゃ何も出来ないような人間のままでいたくない。」
 独り言のように、成海が呟いた。
「・・・・・・・・ごめん、成海。・・・・ちょっと、仕事うまくいかなくて。イライラしてた。」
 俺は、嘘をつく。
 仕事なんて関係ない。成海の一挙手一投足に、俺は惑い、掻き乱される。
 ただ、成海と言う一人の人間だけに。いつからこんな風になってしまったのだろう。
 成海が、軽く笑う声が聞えた。
「弥栄が?・・・珍しいな。弥栄も、人間なんだなー。」
「なんだよ。俺を何だと思ってるんだ成海は。」
 少しふざけた様に、心外だと告げる。触れている部分、成海の体から、力が抜けてゆくのが分かった。
「だって弥栄、余裕がない時はたくさんあるけど、俺に八つ当たりみたいな事とか、してきたことないじゃないか。」
「・・・・・・自制してるんだ。これでも。大人だからな!」
「ふーーん。知らなかった。俺、弥栄にはそういうの、ないような気がしてた。なんでだろうな。そんなわけないのに。」
「・・・・・・・・・行くだろ。旅行。」
「課題終わったあとなら。」
「決定v」
「え・・・・・わ・・・・・・!?」
 俺は、成海の首筋に噛み付くようなキスをした。そこに、赤い刻印を残す。
「約束の印なvvv」
 成海が真っ赤になって俺を睨む。
「〜〜〜〜〜バッッカ弥栄ーーーーーーーー!!!」
 俺は笑う。
「もう離れろ!いつまで乗っかってる気だ弥栄!!茶が冷めただろ!?せっかく淹れたのに!」
 テーブルの上のお茶はとっくに熱を失って、誰に飲まれる事ももうない。なかなか食される事のない和菓子は、空気に触れて色味を失ってゆく。
 成海の抗議の声を耳にしながら俺は、そんな他愛ない事を考えていた。

 成海を抱きすくめた腕が、僅かに震る。
 この手の中に、腕に、成海は確かにいるのに。
 俺ははじめて、俺が欲しいのは形ではないのだと気付いた。

 俺は、成海自身が欲しい。
 狂おしい程に。

INDEX  † 70000  † 90000




20060507
80000カウントありがとうございます。
もう暫しお付き合い下されば幸いです。
・・・・・・なんだか私自身、弥栄が分からなくなりつつあります・・・。
自分で書いてる筈なのに・・・!
後一歩で、感情ホラーになるところでした・・・。(笑)