『水底の熱』


 「居酒屋 ごまんと」
 明るいネオンサインの群れから、少し外れたところにそれはある。
 そこで俺たちは、初めて二人で飲みに来た。
 普段からうちにいるばかりで、飲みに出ようと思った事もないし、成海も人ごみを嫌うから、そうそう出かけたりもしない。
 成海の大学が長期休暇に入れば別だが、そもそも不定期な俺の仕事の休みと、成海の休みが合う事も少ない。
 そんな感じなのに、何故飲みに来たかと言えば。


「成海、酒を飲んだ事がない・・・?本当に?」
「ないよ。何?そんなに驚く事じゃないだろ??」
「・・・いや・・・大学って、大体は飲み会だーコンパだーって騒いだ記憶しか、俺はないからさ。」
 そう言うと、成海は信じられないものを見るような目をして、眉を顰めた。
「何それ?大学は勉強するとこだろ?寧ろ俺はレポートだパネルディスカッションだ討論だゼミだと、そんな事しかしてないんだけど。」
「・・・そういう・・・ものか?」
「そうだよ。」
 成海がどういう専攻をしていて、何を勉強しているのか・・・実は俺は良く知らない。成海が話そうとしないことは、極力聞かないようにしているからだ。
「ゼミに入ってるなら、飲み会くらいあったろ?先輩とかが、新入生に奢ったりとか。歓迎会みたいのとかさ。」
「・・・俺、そういうのには参加した事ないから。」
 ふい、と俺から顔を背けると、成海は不機嫌そうに手元の雑誌に視線を戻した。それ以上はこれに関して、応える気はないらしい。
 ・・・多分、本当に憶測だけれど・・・成海には友達らしい友達などはいないのだろう。ここで話すようになるまでにも、大分かかった。
 そんな成海が、大勢のいる大学という枠の中で、ひっそりと・・・静かに自分だけの空間にいるのが、目に浮かぶようだった。
 いくら誘っても断られ、いくら話しかけても「イエス」「ノー」などの、必要最低限の返答しか得られないとしたら・・・級友や先輩だって、成海に必要最低限以上の会話はもうして来ないだろう。
 成海はそれを苦痛に思わず、一人でひっそりと・・・レポートを纏めたり、図書館で調べ物をしたりしているんだろう・・・。
 高校までと違い、大学は学生の事は先生も放任のきらいがある。義務教育でもないし、個々の自主性を重んじる・・・という意味もあるのかもしれない。が、先生方も研究だなんだと個人でやっている事があり、そこまで構っていられない、というのが本音じゃないかと思う。
 ましてや、成海のように手の掛からない学生なら、尚のこと。
 就職活動期になれば、また話は別になってくるのだが。成海はまだその時には少し遠い。

「・・・成海、飲みに行こうか。」
 何となく切り出した。成海は目線を落としていた雑誌から、少し顔をあげて俺のほうを見る。「何で?」とでも言いたげな顔。
「この間の仕事料、入ったんだよね。だから、奢ろう。後、会社に入った時、絶対飲み会ってあるからさ。今から少しでも飲み慣れといて損はないと思うよ?」
「・・・弥栄の仕事完了の打ち上げって言うなら、俺が奢るのが常套じゃないか。・・・それにいいよ別に。就職なんてまだ先だし。」
 どうやら、やはり人の中に入りたくないらしい。
 それとも俺の不純な動機を見破ったのか。
 ・・・成海の酔った姿を、見てみたい・・・と思った、俺の。
「偶にいいじゃないか。いつも打ち上げってむさくるしい連中と飲んでるんだぞ?恋人と、一回でもいいから飲んでみたいよーー!」
「何が恋人だ!アホ!!」
 かっ、と成海の頬が朱に染まる。成海はストレートな表現を必要としながら、必要以上に恥ずかしがる。それがまた、かわいい。
「いいだろ?成海。結構酒って美味いもんだぞ?」
「・・・・・・やけに食い下がるじゃないか・・・」
 成海が、更に探るような目つきになる。俺は負けじと・・・けれど、ふざけた調子で言葉を継ぐ。
「じゃぁ、今すぐココで、成海のを飲むんでもいいんだけど?俺。」
 バシーーーー!
 俺の顔面に、雑誌が凄い勢いで当たる。
 雑誌の向こうに、成海の真っ赤な顔があった。幾分か震えている。
「な・・・・・・」
「・・・バカかお前は。」
 目が据わっている。でも、俺は引かない。
「・・・分かった。成海、酒に弱いんだろう。だから恥ずかしいんだ。」
「飲んだ事もないのに、強弱なんて知るか!・・・行けばいいんだろ!行けば!!ただ、割り勘だからな!?安いところにしろ・・・!」


 そんなやりとりで来たのがここ・・・「居酒屋 ごまんと」だった。


「お客さん方、強いねぇ!」
 気風の良さそうな、幾分か太り気味のおばさん―――店主の奥さん?―――が、俺たちの席にカクテルを置きながら言った。同時に運ばれてきた、つまみ数種も卓上に並ぶ。
「そうですか?いやー、これくらいは。」
 そう答えながらも、正直・・・予想外の展開に、チラリと向かいに座る成海に目を向けた。
 成海は俺の目の前で、黙々とジンサワーを飲んでいる。
 最初はビール。勿論ジョッキ。飲み終えて一言「・・・苦い。」と言った。ので、飲み口がいいからとカクテルを勧めたのだが・・・。
 それからはカシスオレンジ・カンパリ・梅酒・カルアミルク・・・と、飲み下し、今手にしているジンサワーも、最早残り少ない。
 それを一気に飲み干すと、運ばれてきたシトラスクーラーに手を伸ばす。
「・・・・・大丈夫・・・か?」
 そう問う俺に、成海はしらっとした顔を向ける。
「うん。美味しいよ?ビールはやっぱり駄目だったけど、これなら平気。ジュースみたいだし。」
 俺はだからこそ、「大丈夫か」と聞いたのだが、成海には伝わらなかったようだ。ジュースみたいだと言っても、ジュースではない。それどころか、カクテルは飲み易いが、アルコール度数が意外にあるのだ。・・・どこで止めればいいのか、俺は少々困っていた。
 初心者を、適当なところで止めなくてはならない使命感みたいなものと、酔った成海を介抱したいというアホな性との格闘が、俺の脳内で絡み合っている。
「弥栄、飲まないの?」
 俺が注文した、モスコミュールを指差して、成海が言った。既にシトラスクーラーが半分以上なくなっている。俺は少し、溜息をつきたくなった。
 俺はというと、友人諸氏からザルだと言われる程で、ビール3杯とウォッカ、ジントニックなど既に飲んでいる。酔いは勿論ないが、目の前の成海が心配で、酔いどころではないのが本音。本当になんともないんだろうか。
「飲まないなら、俺にくれない?」
「成海・・・いい加減、飲みすぎじゃないか?カクテルは結構アルコール度数も高いんだぞ?」
 酔うのを待ってる場合じゃない、と俺は割切ってそう言った。
「?別に平気だよ?・・・確かにちょっと、顔が火照ってる感じはするけど。心臓も鳴ってないし。」
 言いながら、成海はつまみの馬刺しを食べる。
「居酒屋って来たことなかったけど、結構美味しいね。馬刺しなんて初めて食べた。ご飯欲しいなー・・・。」
 機嫌がすっかり直っているのはいいんだが・・・やはり心配だ。
「フローズンマルガリータとかも飲んでみたいな・・・。弥栄、頼んでもいい?」
 メニューを見ながら、上目遣いで言われる。
「成海、少し加減したほうがいいってば。」
「心配性だなぁ、弥栄は。そうなってもいいと思って、一緒に来たんじゃないのかよ。」
 ・・・・・・・・図星を指された。俺が言葉に詰まっている間に、成海がテキパキと注文をする。
 結局俺は成海を止める事が出来ず、フリータイムの二時間しっかり、成海に付き合わされた。




 家までの道のり、成海の足元がふらつく事もなく、少々テンションが高いような気がするのと肌が若干蒸気して見えるくらいで・・・成海は本当に普段どおりだった。
「成海って、酒強かったんだなー・・・」
「俺も知らなかった。ありがとう弥栄。酒って結構美味いね。初めて知った。家でとか、飲めるかなぁ。」
 あ、自分のじゃなくて、弥栄の家でね、と、笑いながら成海は付け加える。その事に俺は少し・・・胸の奥がチクリと痛んだ。
「コンビニとかでも売ってるから、飲みたかったら買ってきてやるよ。」
「ほんと?嬉しいな。ありがとう。」
 やはりちょっとは酔ってるんだろうか。いつもよりは素直な返答が返ってくる。幾分ハイに見えるのは、俺の気のせいではないらしい。


 ほどなくして家に着く。俺が鍵を開けると、成海は「お邪魔します」と言って、中に入った。「ただいま」と言った事はない。ここは他人の家だと、成海はどこまでも認識している。
「弥栄、お風呂借りていい?」
 靴を脱ぎながら、戸口に突っ立ったままの俺に成海は声を掛けてくる。
「泊まってくだろ?構わないよ。先に使っていいよ。」
「ありがと。」
 背を向けた成海の腕を、俺は不意に掴む。そしてそのまま、後ろから抱き締めた
「・・・・・弥栄?」
 酒のせいか、いつもより成海の体温は高く、首筋の赤みを帯びた肌が、色を増している。アルコールの匂いが、鼻腔をついた。甘めのカクテルばかり飲んでいたからだろうか。気だるいような、甘味を含む匂い。
 俺はそのまま、首筋に唇を寄せる。ヒクリ、と成海が小さく反応した。
「や・・・弥栄・・・・・っ・・・」
 熱を帯びた声が、成海から漏れた。
「?」
 些か、不思議に思う。いくらなんでも、首筋にキスをしたくらいで、何でこんなに熱っぽい声を上げるのだろう・・・。いつのも成海からは、考えられなかった。いつもなら、結果的に流されるとしても―――抵抗のひとつ、悪態のひとつは吐く。
「や・・・や・・・さか・・・・・・ぁ・・・」
 息が乱れるのも、早い。腰に回した腕や、密着させた体から、成海の震えが伝わってくる。尚も執拗に首筋・耳朶への愛撫を繰り返すと、膝が折れ、前のめりになって倒れた。
「や・・さ・・・か・・・・・」
 こちらを振り向いた目が、潤んでいる。
「な・・・か・・・変・・・・・・何で・・・俺・・・・」
 成海も自覚している。自分の体の反応に、不可思議を覚えている。
「・・・・・・酒のせい・・・かなぁ。」
「でも、俺・・・別に酔ってな・・・・・・んぁ・・・っ・・や・・・弥栄・・・!」
 更に耳朶に舌を這わせると、顕著な反応が返ってくる。蒸気した頬はいつもより赤みを帯びて見え、酷く色っぽい。
(・・・あれかな・・・酔ってないけど、体が酔うタイプ?感覚神経が過敏になってるというか・・・エロくなってる?)
「ふーーん、面白いな、成海。」
「ば・・・っ・・・バカ弥栄・・・!!・・・ひゃ・・・・・!」
 ひょいっと俺は成海を抱えた。所謂、お姫様だっこというやつで、成海はこれをかなり嫌がる。余程でないと、なかなかさせてはくれない。
 弛緩している成海の身体は、相応に重かったが、それでも抱えられない程ではない。手足をバタつかせる余裕もないのか、恥ずかしそうに俺の肩口に顔を埋め、されるがままになっている。
 耳元で、成海の息遣いが聞こえた。熱と甘さを含んだそれは、誘っているようで。
「弥栄・・・何?どこ・・・行く・・・・・」
 途切れがちの声も、甘美に響く。夜のひそりとした暗闇の中で、五感が刺激され、音は更に効果を増しているようだった。
「風呂、行くんだろ?」
 息を呑むような気配がした。
「や・・・っ・・・嫌だ・・・・・・っ・・・弥栄・・・や・・・だ・・・っ」
 抵抗はそれでも意味がない。俺は成海の髪に、キスを落とす。
「・・・・・・嫌?どうしても・・・・?」
 成海に否定されるたび、どこかが痛む。体の奥のほうが、キシキシと音を立てるようだった。
 ふと、俺をみた成海の表情が一瞬固まって、それから、困ったように笑った。
「そんな顔・・・すんなよ。俺が、悪いみたいじゃないか。・・・・・・・・・・弥栄・・・俺が・・・・・欲し・・・い・・・・?」
「・・・・・・・・成海は?成海は俺が必要?なぁ・・・こうして拒むのは・・・本当に嫌で?」
「・・・ん・・・くすぐったい。弥栄・・・・・・」
 猫みたいに、成海の髪に頬を寄せる。成海が身じろぎする。
 風呂場の戸を足で開け放つ。ガラリと大きく音がして、腕の中の成海が、体を強張らせたのが分かった。俺はそんな成海を見て、肩を落とす。そっと成海をその場に座らせた。
「じゃ、ごゆっくり。」
 ウィンクひとつ、ふざけたように成海にみせて、俺は背を向けた。
 無理強いは・・・出来ない。どんなに俺が成海を求めても、いや、だからこそ、俺はこの俺の成海に対する激情を・・・知られてはならない。壊したいほどに思っているこの感情を

 成海には   決して

「・・・・行っちゃうのか・・・?」
 成海が、去ろうとする俺の袖口を掴む。振り返ってはならないと思いつつも・・・俺はその引力に逆らえた事などない。
 成海は上目遣いで、肌を蒸気させて俺を見ていた。潤んだ瞳がまた煽動的で、シャツから覗く肌も、うっすらと赤みを帯びていて・・・・・・。
「馬鹿だな、成海。望まない事は、しないよ。」
「・・・・・・弥栄・・・弥栄・・・好き・・・だから。ちゃんと俺、弥栄のこと、必要、だか・・・ら。」
 ああ、本当、全く、性質が悪い。ここまで言われて、どの面下げて、引き下がれるだろう。
 俺は成海の頬に手を寄せ、そしてその半開きの唇に、口付けた。


 胸の奥、体の奥底が、ズクズクと痛む。
 痛みを伴いながら、俺は成海を組み伏せてゆく。
 こんな事、本当はしてはいけないのだと、分かっている。
 だって。

 成海にとって俺は、父親の代替なのだから。

INDEX  † 40000  † 60000




20050501
50000HITありがとうございます!!
ひっそりと、続けてこれるのは、来て下さる方のお陰です。

よろしければ、彼らにももう暫しお付き合い戴ければ嬉しいです。
・・・本当に・・・何でヒットで嬉しい筈なのに、暗いんだろう・・・。
(当時の自分の気持ちがやっぱり分かりません・・・)