『ひかり』


 ドンドン ドンドン
 「開けて。お母さん!」
 ドンドン ドンドン   ドン・・・・・


 成海がハッと目を覚ました。木目の、板張りの天井が目に映る。
「・・・・・あれ?」
 いつもと違う。自分の部屋は白壁だし、天井も白い・・・筈なのだけれど。
「起きたか。成海。おはよう。」
「今、朝食運んで貰うから。」と、傍らの男は付け加えた。ぼんやりとした頭で成海は
「・・・?おはよう・・・・・弥栄・・・・・?」
 やはり、ぼんやりとしたまま答えた。
 夢を見ていた気がするのだが、それがどうも思い出せない。それでも酷く悲しい感情だけが、まるで澱のように底に溜まっていて、成海はゆっくりと側にいる弥栄の浴衣の裾を掴んだ。
「・・・成海?」
 立ち上がり、室内電話をかけようと動き始めた弥栄は、成海の様子に立ち止まる。成海が尚もぎゅう、と掴むと、弥栄は何も言わずに成海の前に屈んだ。
 ゆるゆると、優しく、腕の中に成海を招く。それから髪や額に柔らかなキスをくれた。
「・・・・・ごめん。弥栄。」
 泣き出しそうな顔をして、成海が言うのを弥栄は黙って聞いていた。「謝る必要など、どこにもない」と再三言っても聞かないこの青年を前に、最早言葉がどれほどのものかと思う。
 何を言っても・・・確かなものが届かない事も多い。
 それでも、思わず口にしてしまう。
「・・・・・成海、気にしなくていいから。」
 月並みなセリフ。それでも成海は、申し訳なさそうに、少しだけ顔を歪ませて笑う。
「お腹空いただろう?メニューを見たけど、結構美味そうだった。食えるか?」
「うん。食べる。」
 先ほどよりは幾分かましな顔で、成海が笑む。その事に少しだけ安堵する。
「ほら、ちゃんと直して。」
 甲斐甲斐しく、弥栄は成海の乱れた浴衣を直した。昨夜気をつけたと言っても・・・胸元や鎖骨のすぐ下のあたりの赤い斑点は、浴衣の合わせ目から覗いていた。きちんと合わせてやり、それらを隠す。それに気付いた成海が、頬を紅潮させた。
「じ・・自分で、出来る・・・・・」
 そんな成海が、弥栄は愛しくて堪らなかった。

 簡単に布団を畳んで寄せ終わった丁度に、朝食が運ばれて来た。盆に載ったそれらはつつましやかで、あたたかく、成海の心を軽くした。
 典型的な旅館の朝食は、焼き鮭や佃煮、豆腐の上にみずなが飾りに乗っていて、人参が彩りを添えていた。それに大根と豚肉の煮物は柚子の香りがする。
 運んできた女中が、二人にお茶を注ぎ、慣れた手つきで卓に置いた。
「お客さん達も、蛍祭りですか?」
 仕事をしながら、彼女は気さくに声を掛けてきた。50代半ばくらいだろうか。まとめあげた髪は清潔感を与え、表情の明るさは声にあっていた。
「はい。そうです。やはりこの時期は多いんですか?」
 弥栄が答えた。
「まぁ、そうですねぇ。蛍、見られるところも減りましたから。私が子供の頃なんかは、ほら、ここから見えるでしょう。その下の川べりにもいたものです。今は、そうはいきません。・・・東京からですか?」
「ええ。」
「でしたら、尚更珍しいでしょう。綺麗ですよ。どうぞ楽しんで下さい。」
「ありがとうございます。」
 ほどなくして女中は部屋を出て行き、二人は遅い食事を始めた。



「どっか行くか?成海。この辺だと、すぐ横が温泉街で土産物とか・・・ちょっと歩くと寺社仏閣とかあるけど。」
 ガイドブックを片手に、弥栄が聞いた。成海は寝覚めの悪さのせいか、浮かない顔をしている。
「弥栄・・・。俺、弥栄といたい。」
 子供のような事を、成海は言う。少なからず、弥栄は驚いた。あまり成海は、そういった事を直接的に言わないからだ。
「・・・・・駄目・・・・・?」
 意を決しての発言なのだろう。顔が真っ赤で、睫が下を向いていた。目を合わせられないらしい。
「いいよ。おいで。」
 何の気もない風に装って、成海を手招いた。素直に成海は弥栄の側に寄り、やはり子供のように抱き着いて来た。体に入っていた力を抜いて、弥栄の腕の中で目を閉じる。それを確認してから、やんわりと、成海の背に腕を回した。
 ふ、と息をついたのが分かる。安心しているように、けれど、どこか泣き出しそうな空気を張り付かせたまま、成海は黙っていた。
「ごめんな・・・弥栄。折角来たのに・・・俺・・・・・」
「俺は、成海といられればいいから。・・・幸せだよ。」
 くすりと、成海が笑ったのが分かった。初夏の風が開け放たれた窓から入ってきて、外の緑は空と共に鮮やか過ぎるくらいで。蝉の声はまだ少なく、路上の子供の声や店の売り子の声が耳に届いた。それらは外の世界の音で、自分たちとは隔絶した空間のように感じる。夏の熱気は時として、孤独を運ぶ。外が明るければ明るい程、うちは暗く影を落とすのだ。
「ごめんな、弥栄・・・・・」
 再び成海はそう言うと、熱を帯びた口付けを求めた。
「成海・・・・・」

 この、寂しい存在は、決して自分だけでは足りないと弥栄には分かっていた。自分は代用品で、そして、それでいいとも思っていた。成海が自分の言葉で安らぐ事も、抱く事によって安心する事も知っているから。
 父親に拒否し続けられた成海が、年上である自分に頼るのも道理が行くような気がした。
 それは、同性に惹かれる、という事も含めて。
 不意に成海はその精神を揺らがせる。母親を亡くした時期などは、この比ではない。自分の精神の空虚と動揺を、成海は自身で抑制できない。だから弥栄に頼る。それではいけないと思っているから、謝る。それをじれったくも思うが、払拭できない思いが・・・それは確かな重圧にすらなって成海を襲っているから。弥栄は迎え入れる事に徹している。
 言葉をかけ、その身を抱いて。



「蛍が見られなくなった原因は、やはり環境破壊であり、それは現在でも深刻な問題です。特にゲンジボタルの減少は、川で得る餌の減少の為です。これも工場廃水や生活排水が原因であり、皆さんにはこの機会にその事を少しでもお考え戴ければ、幸いです。」
 ホタル祭りのツアー客だろうか。そのガイドが口上を述べていた。その横を通り過ぎ、成海と弥栄は川辺を歩く。
 川辺には・・・光。光。光。踏み付けやしないかと、ビクビクする程だった。
「二万匹はいるんだってさ。これだけのホタルは、なかなか見られないらしいよ。」
 弥栄が言った。成海はその光に囲まれながら尚、心中の重みを感じていた。やわらかなやさしい光。それはあたたかい家の窓を思わせた。あの、零れ見える光に似ている。
 水面に映える光は、幾重にもなり、ゆらゆらと水面は揺れ続けた。その光は渦となり、大きな一つの光となり。ホタルが飛び去れば消えてしまう、儚い光。
「凄いな。弥栄。ほら。」
 手の平に、二匹のホタルが留まっていた。やわやわと、命の灯を燈しながら。
「ホタルなんて、はじめてみた。綺麗だな・・・・・」
 淡い光の中、微かに笑う。

 小学校低学年の頃、ホタル狩りに行った事がある。綺麗なホタルを持ち帰りたくて、弥栄はその小さな光を持ち帰った。
 ホタルが綺麗な川辺でしか生息できないと知ったのは、その後だ。
 弥栄の家の周りに川などないし、一生の短いホタルには、それは残酷な事であっただろう。それが分かった弥栄は、自分の犯した罪に痛みを覚えた。あれが、初めて命を思った瞬間ではないだろうか。

「成海。無理、してないか?帰ろうか?」
「ううん。もう少し、いる。大丈夫だよ。」
 成海の心中を全て推し量れるとは思っていない。それでも少しでも、この強がりな恋人のその重圧を、軽くしたいとは思っている。
「そうか?なら、いいけど。」
 また、成海が微かに笑った。「心配しすぎだよ。」そう、言いながら。
「にしても・・・ホタルも多いけど、人も多いな。」
 僅かな苦笑が漏れる。家族連れは勿論、カップルも多い。先ほどのようなツアー客も、見渡せば3組ほど見受けられる。ホタルにとって、ストレスにならないのか、なんて事を考えてしまう程。
「・・・・・って、成海!・・・・・成海!?」
 周囲の幾人かが、弥栄を振り返った。「人とはぐれたんじゃない?」なんて声がしたが、弥栄にはどうでもいい事だった。
「成海!!!どこだ!?」
 こんなところで見失ったら、会える自信がない。宿に戻っているならいいが、成海の性格を考えるとそれは有り得ない気がする。目を離した一瞬だった。
「成海!成海!!」
 人ごみを掻き分けて、弥栄は進んだ。好奇心を含んだ顔と、無粋な囁きを聞きながら、その姿だけを求めた。

 パシャン

 微かな・・・・・水音が聞こえた。
 「ちょっと・・・あれ・・・」「何してんの、あの人?」そんな声も聞こえる。
「君!困るよ。ここは立ち入り禁止で・・・・・」
 ホタル祭りの係員用ワッペンをした男が、腕を掴もうとした瞬間。
「成海!!!」
 弥栄が、その姿を捉えた。
「すみません。ほら、成海。出て。」
 足首までを川に浸らせて、成海は呆然と弥栄を見た。捕らえられた腕を見て、困惑と狼狽とをあわせた表情を見せる。
 係員の男は、ブツブツと文句を言っていたが、二人が立ち入り禁止の柵の外に出ると、注意を促して立ち去って行った。弥栄が神妙に謝ったお陰でもある。
「成海・・・帰ろう。疲れただろう。」
 掴んだ腕を、怖くて離せなかった。離してしまったら、またどこかへ行ってしまうような危うさを感じていた。成海は素直にコクンと頷く。ホタルの波に囲まれて、成海は少し・・・泣いていたようだった。



「・・・・・ごめんなさい・・・・・」
 宿につくと成海は、重い口を開くように言葉を紡いだ。一語一語が、酷く重そうだった。謝ってばかりいるな・・・と弥栄は思う。
「何で、あんな事」
 その言葉を受けて、弥栄を見た成海は、子供のような表情をしていた。
「・・・あまりに幻想的で・・あまりに・・・有り得ない気がして・・・・・」
 水に映る光も、おだやかなやわらかさも。
「・・・分からない・・・けど、あの光が・・・手に入るような・・気が、して・・・・・」
 子供の頃の自分を、思い出した。
 あの光を、欲しいと思った、あの頃を。
 成海のそれは、自分が思ったそれとは違う。きっと。成海は、有り得ない世界を、自分が得られなかったそのあたたかさを、求めたに違いなかった。
 家族と恋人は違う。それは分かっていた筈だった。けれど、理解はできていないのだと、弥栄は急速に感じていた。

「ごめんな・・・弥栄・・・迷惑、かけてばっかりで。」
 弥栄は強引に成海の腕を引っ張ると、そのまま抱きすくめた。成海の体が、不意の事で硬直したのが分かった。
(何故だろう。俺では駄目なのか。俺では・・・その全てを与えられないのか。こんなに好きなのに!!こんなに・・・・・・)
 幾ら思っても仕方のない事だった。その言葉を浴びせるのは、憚られる。それは今の成海には支え切れない。・・・・・それも、分かっていた。

「弥栄・・・ありがとう。」
 旅行に来てから、初めての言葉を受け取る。弥栄の背に回された腕は熱を持ち、ひんやりとした夜に拡散した。
 少しだけ、成海はまた泣いた。


 光がここにある あたたかくて やさしい 光 


INDEX  † 10000  † 30000




20040415
い・・・一年半振り!?
という驚きが隠せません・・・・・。ああ・・・・@@

そんなわけで20000ヒット駄文「ひかり」です。相変わらずの根暗さ。
どうしてもバックグラウンドが暗いので、暗いです。

つ・・・次はきちんと30000ヒットの時に・・・描けたら・・いいな・・・。
裏用はまだなので、出来上がり次第アップします。暫しお待ち戴ければ。

20000HIT、ありがとうございます!