ピンポン
ガチャ、
弥栄(やさか)が数秒で開けに来るドアを、成海(なるみ)は知っている。安心
できる空間と場所。確かなそれがあることを、知っている。
「弥栄、誕生日おめでとう!」
そう言って、ドアが開くとすぐに成海は両手を差し出した。満面の笑みを
浮かべて立つ成海を見て、弥栄は嬉しそうに笑う。
「ありがとう。成海」
いつもの調子で箱を受け取る振りをして、そのまま成海を抱き寄せる。
背に回した手でドアを閉めると、意外に音が響いた。
焦ったような成海が、何も言わずに弥栄の腕の中で身じろぎした。顔を
見ると真っ赤になっていて、弥栄から思わず軽い笑みが零れた。
「抵抗がないって事は、このまま貰っていいってことか?」
そう聞くと更に紅潮した頬が、否定も肯定もしない口元を代弁している
かのようだった。弥栄が声を立てて笑ってしまったら、それに気付いて
離れようとする。「また、そうやってからかってばっかりいる!」と
ブツブツと呟きながら。
「からかってないよ、成海。」
「・・・・・仕事は?最近また、何か忙しかっただろ?」
「大丈夫。昨日終わったから。次の仕事は締めが来週中なんだ。」
余裕がありそうな、なさそうな微妙な期間だ、と成海は思う。どうせ弥栄の
事だからそつなくこなしはするのだろうけれど。
「俺、すぐ帰るつもりだったんだけど。」
「・・・・・・・・俺の誕生日って知ってて?」
「・・・・・そういう事、言うか?・・・信じらんねぇ・・・・・・・意地悪。」
多少膨れっ面の顔は、凡そ大学生とは思えない子供じみた印象を与えた。
弥栄は成海がそういう表情を見せる事に安心する。出会った当初はやけに
大人びた顔しか見せなかったから。今でも外ではそういう雰囲気が抜けない
ようだけれど、せめて自分の前では少しでも「子供でいられなかった期間」を
払拭できればと思っていた。
「さ、入って。」
「うあ・・・・・、弥栄のせいでケーキちょっと潰れたーーー。」
腕に掛けていた袋の中身は、どうやらケーキだったらしい。中を覗く成海の
目が、少々哀しそうだった。
「ちゃんと円ケーキだったのになぁ。箱、ちょっと歪んでる。・・・・平気
か?これ・・・・・。」
不安そうに言いながら靴を脱いだ。
「平気平気。適当な料理ならできてるけど、食うだろ。で。勿論今日は泊ま
るんだろ?」
「・・・・・・俺、弥栄のそういうあからさまな問い、嫌い。」
やっと引いた熱が戻るかのように、成海の頬は紅かった。
成海に、子供らしい子供時代、というのは存在しない。あまり話したがらない
成海が、弥栄にぽつぽつと断片を話すようになったのはつい最近の事だ。
それを繋ぎ合わせると、どうもそういう印象しか受けない。
母親が亡くなったのは自分のせいだと信じ込んでいる成海は、今でもその
恐れと自責を拭い去れないでいる。どう考えてもまだ4.5歳だった成海が、
咄嗟の事に対処できる筈はなかったのだ。
それを言い聞かせるべき父親が、逆に成海を責めた。それもまた良くなかった。
父親はやけに体面は繕う人間らしいけれど、内に入ると容赦なく言葉で
成海を責めたようだ。それは今でも余り変わらないらしい。滅多に帰ってこない
父親の事も、成海は話したがらない。
「あれ以来、お父さんが俺の名前を呼んだ記憶がない。」
と、成海はいつだったかポツリと言った。その時の顔を、弥栄は忘れないと
思った。
哀しい・淋しい・怒り・恐れ。そういう言葉で表現できる、どの表情とも言い難かった。
おそらく、言葉でなど表現できるわけがないのだ。そういう感情の中に、成海
はいる。弥栄の前でどれだけ笑っても、ドアを開けた一瞬に見せる泣き顔に似た
顔は崩れそうに見える。何とかやっと立っている、そんな成海。
「ちょっと・・・・・弥栄、コレ、作りすぎじゃねぇの?」
目の前に広がる料理を見て、成海は閉口しそうになった。グリーンのテーブル
クロスの上に置かれている料理は、とても二人前ではない。
「・・・・パーティでも開く気か、弥栄。」
「いや、ちょっと仕事明けで浮かれてしまった。成海が来るっても分かって
たし、色々ね。」
そう言って弥栄は苦笑する。
鶏肉のから揚げにトマトサラダ。ポトフにチーズの挟み揚げ、ほうれん草の胡麻和えに
デザートはフルーツヨーグルト。主食は栗ご飯、と見事に和洋も何もごちゃごちゃ
だった。各々の量も大皿に盛ってあったりして、とにかく多い。
「・・・・・・・浮かれすぎだよ、弥栄・・・・・・・・」
この前まで抱えていた仕事は、そこそこに大きなものだったようだ、と成海は
それだけ認識していた。弥栄の仕事に特に口を挟むことのない成海は、物凄く概要的
な事しか知らない。
とにかくそうして終わった仕事にクライアントは満足したらしいし、誕生日だし成海は
来るし、で弥栄の今日はいい事ずくしでとても機嫌がいい。
「まぁさ、俺の友達も未だ一人身のヤツなんて良くいるし。明日にでも残り物持って
いけば、そこそこには喜ばれるだろ。無駄にはしないさ。」
「・・・・・そぉ?・・・男が作ったもの貰って、喜ぶのは・・・飢えてるんじゃないかなぁ・・・。
不況だし。ま、いいけどさ。いただきます!」
「あ、そうそう。食いたいものあったら言えよ?今度来た時に作るからさ。」
「弥栄・・・俺はそんなに飢えてないってば。」
そう言った成海に、弥栄は少し複雑に笑った。
食後にケーキを二人で頬張りながら、唐突に成海が言った。
「弥栄ってさ、28だよな。」
「何だよ、今更。分かっててこういうケーキで、こういうロゴ入りのプレゼントなんじゃ
ないのか?」
「・・・・・・・そうだけど。」
成海の持ってきたケーキには、28という数字のみが書かれたチョコレートが乗っていた。
加えてプレゼントに渡した文鎮にも、隅のほうに小さくtwenty eight happy birth!
と浮き彫りがされている。
「にしても、色気に欠けるプレゼントだよなー。成海らしいけど。」
「他に浮かばなかったんだよ!いいだろ、別に。弥栄よく、紙飛ばすって言ってたしさ。」
「まぁ、飛ばしてなかったら成海に会う事もなかったんだろうけどな。」
それから弥栄はちょっと考える素振りを見せて
「もしかして、牽制?」
と笑って言った。
「?」
「俺が、成海以外ともう知り合わないように、とか?」
意地悪くニヤリと笑った弥栄は、心底楽しそうだった。
「んなわけあるか!バカ!!」
ほんの少し図星だった成海は、やはり顔を赤らめる。
「ま、色気あるプレゼントは、今から貰うからいいや。」
そう言って弥栄は成海が避ける間もなく、キスをした。
「んー、やっぱり甘いよな。」
「食ってる途中にやるヤツがいるかよ!!!」
モグ、と成海は口を動かす。まだ中にケーキが入っていたらしい。
「じゃ、早く咀嚼してしまってくれ。」
「・・・・・・弥栄、どうしてそう臆面ないんだ・・・・・・・。」
モゴモゴと口を動かしながらも、呆れたように成海が言った。
「そりゃね。成海、俺がはっきり言わないと、不安だろう?」
「そんなことは・・・・・」
あるかもしれない、と成海は思う。悪い悪いと思いながらも弥栄に甘えられるのは、
弥栄が自分の事を事ある毎に言葉で許容するからだ。「ここにいていいんだよ。」と
言ってくれるからだ。
「そうじゃなくても、俺は言うけどね。」
成海の頭を撫でて、弥栄はそう言った。成海は何となく頷いた。
開かないドアが怖い。
呼んで返事のないことが怖い。
成海の恐怖はいつだって体中に纏わりついている。
「何故、死んだのが
お 前 じ ゃ な い ん だ ? 」
言葉が暴力となって、確かな切っ先を持つことを嫌という程知っている。
「うわ、ちょっと、弥栄・・・!!!!」
「今日はサービスしてくれるんだろ?」
「あ・・・え・・・・?ちょ・・・・ッ・・・・・・どこ連れてく・・・・・!?」
「風呂場ー。」
「うわぁぁあああ!!!やだ!ぜってぇヤ!!この間、何したと思ってんだ、弥栄!!
覚えてねぇとは言わせねぇからな!!!!」
「覚えてるさ。だから行くんだろ。」
弥栄の言葉に、成海が絶句する。
「・・・・・・っ・・・・・・・や・・・・弥栄なんて・・・・弥栄なんてーーーー!!!」
泣き出さんばかりの成海を抱えて、弥栄はヒタヒタと浴室へ向かった。
「大丈夫だって。幾ら自分の誕生日だからって、そんな無理させないよ。」
「・・・・ホントかよ。」
「・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・」
「ホントホント。」
「何だ、今の間はぁッ!!!」
癒されればいい、と思う。成海が得る筈だった、得られなかった当たり前の冗談と、
当たり前の日常と。
こうして他愛ない言葉の応酬が、いつか成海の辛い日々を駆逐して行けばいい、と。
弥栄はそんな事を思った。
「ま、ちょっと普通とは違うかもしれないけどね。」
「何か言ったか、弥栄。」
「いや、で、俺としては合意でやりたいんだけど?」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・誕生日、おめでとう、弥栄。・・・・俺はそれを、祝いたい・・・とは思って・・・る・・・
けど・・・・・・・・・。」
「充分だ。」
弥栄は俯いた成海の瞼にキスをして、浴室の扉を開けた。
凡そ10000の昼と夜を抱えて。
成海がそこに辿りつく頃、今よりもっと笑えている事を願っている。