14日の金曜日(2)

今日はホワイトデーだ。

俺は、「お返し」というのはした事がない。
勿論付き合っている相手には別だ。それは当然のようにしていた が、義理だろうと本命だろうと、気の無い相手に気を持たせるような 事はしない。
・・・・・・・義理と、本命の区別も良く分からない。
世の中には、「義理」だと言って実は本命の場合もある。義理と言って 渡せば、受け取って貰える確立が上がるからだ。・・・・・女の子の 考える事は、分からない。
敦也へのお返しは、少し奮発した。先ほど寄った店で、敦也の好きな メーカーの新商品を手に入れていた。キューブ型の小型ライトで、その一面に デジタル時計が浮かび上がっているものだ。
去年は適当に流れてしまったが、今年は催事場ものではなく手作りを 寄越した。いい年した男子高生がヴァレンタインにチョコを練ったりなん だりしてる姿というのは、どんなもんかと思うが。
気持ちは、素直に嬉しい。口が裂けてもそんな事は言えないけれど。

俺は、ゆっくりと街を歩いた。ヴァレンタイン程、ホワイトデーというのは 盛り上がらない。
多分に、ヴァレンタインが不特定多数の告白日に対して、ホワイトデーという のはあくまで特定人のお返しの日、であるからだ。もらえなかったりした 場合、無関係な行事だ。
宝石店の前にも、「ホワイトデー」の文字が見えた。倍返しどころじゃないな、 と思う。告白が済んで、付き合い始めた後もこの行事を繰り返すってのは 何なんだろう。少々疑問だ。
”思いを告げる行事”は、恋人同士になると”思いを確認する為の行事”になる という事だろうか。

ふと、視線を外した先に一瞬・・・人の波の隙間から、記憶にある人物を 見た。・・・・・・気のせい、にしようと思った。目を逸らそうとした時には 既に遅くて、相手が俺に気づく。
何故か俺は固まったまま動けなかった。俺が逃げると思ったのか、彼は人に ぶつかりながら、急くようにして俺の方に駆け寄った。
「永樹」
第一声が、それだった。はっきりとした、響く低音質の声。細い鉛色のフレーム の眼鏡。その奥の切れ長の瞳は、全体の雰囲気がどこか抜けた印象を与えるせ いで、きつくは見えなかった。
相変わらずだ・・・と俺は思った。
「・・・・・・お久しぶりです。羽柴先生。」
俺は確認するように、けれど目線は逸らしながら、言った。


羽柴先生は、高校に入ってからの数学教師だった。転任になるまで------俺が 二年に上がる頃までは、付き合っていた。
授業は理路整然としているのに、一度数学から離れると日常生活は酷く不器用な きらいのある人だった。
廊下を歩けば躓く、扉を開ければ外す、呼ばれて余所見をした際に、柱に ぶつかっているのも見かけた事がある。階段で落とした書類を拾おうとして、 脇に挟んでいたプリントを悉くバラ巻いていたのも羽柴先生だ。
それなのに一度教壇に立つと、几帳面なのだろう、型に嵌めたような楷書で 横書きでスラスラと黒板に数式や問題を書いた。書き難い筈なのに殆ど 曲がらない。説明も順序立てたもので、無駄がなくて分かり易かった。 ミスはゼロに等しかったが、物腰が柔らかかったせいか生徒にはなめられている 節があった。しかし嫌うという生徒はあまりいなかったように思う。
俺も、そういう生徒の一人だった。
授業と日常のギャップが変な先生だと思ったのが、羽柴先生を認識した 最初だった。授業以外で見かけると、必ずと言っていい程何かをやらかして いた。そのたびに、プリントを拾うのを手伝ったり、コピーを手伝ったり 何だリしているうちに、何となく話すようになった。
「片城君は大人だね。どうも私は情けなくて。コレ以外取り得が なかったから。」
そう言って数学の教科書を指し示した先生を、俺は何となく好きだと 思った。

きっかけは、先生の一言からだった。
「片城君は、あんまり目を合せないね。・・・・・ずっと気になっては いたんだけれど。色々手伝わせてるから、なんと言うか・・その・・・ 迷惑だったろうか。」
第三教官室で、プリントの束を纏めていた時、いきなりそう言われた。 何となく放って置けなかったのと、俺自身先生を気に入っていた事もあって 俺は良く手伝っていた。それを先生はどうやら強制してしまったように 感じているようだった。
「そんな事は・・・ないですが。」
やはり目は合せられなかった。
「目を合せたりする事が、苦手なだけです。何と言うか、小さい頃から 矢鱈見られたりするので、つい逸らしてしまうのが癖になってしまって。 羽柴先生の事が嫌いだったりしたら、俺はそんなにお人好しの部類では ないので手伝う事などしないです。」
言った後で、ハッとした。余りにも困ったような情けないような顔で言われて、 俺は遂言葉を選ばずに口に出してしまった。思わず赤面する。不味い・・・ と思った。
正直、先生の事は嫌いじゃない。けれど、どういう意味で好きなのかは 自分でも量れない。
「片城君・・・・・こういうのは・・・迷惑だろうか。」
そう言って先生がゆっくりと両腕を回してきたのを、俺は拒まなかった。


後の展開は早かったと思う。俺が先生を「羽柴」と呼ぶまで。先生が俺を 「永樹」と呼ぶまで。
付き合い始めたのは11月。別れたのは3月。四ヶ月、は俺にとっては持ったほう だった。ある意味、先生の忍耐があったという事だろう。俺はやはり先生と 付き合っても感情表現は下手なままで、甘えることも、何かをねだる事もなく、 唯淡々と「恋人」という型をこなしている生徒でしかなかった。
性格上、先生も俺に何かを要求するという事も、言葉を荒げる事もなく、表面的 には何も問題がないようだったが、精神的には離れるばかりだった。
だから、上手くいかなくなったのは当然だったのかもしれない。


「元気だった?」
月並みな挨拶だった。雑踏の中、立ち竦んでいるのもおかしくて、俺は先生に 連れられて近くのオープンカフェにいた。少し離れた大窓の向こうは人の波。夕暮れ時、 帰宅の途に着く人々が目に入る。
「時間は・・・大丈夫かな。」
「あ、ええ。それは。」
部活があるという敦也との待ち合わせは7時。今は6時5分。駅前の待ち合わせで、 ここからなら10分とかからないから充分に間に合う。
「話って何ですか。」
羽柴先生は少し言い淀んだ。俺は、何となく嫌な予感がした。
先生が口を開こうとするのを、俺は遮るように言葉を発した。先制のつもりだった。
「あの、俺人と待ち合わせているので、余り長くはいられないんです。」
「ああ、そうなんだ。それは悪かった。いや・・・大した話ではないんだけれど。」
歯切れが悪い。俺は少しだけ羽柴先生に視線を向けた。目が合ってしまって、 遂逸らす。先生が少し笑った。
「相変わらずなんだね。その癖。」
「あ・・・はい・・・。なかなか直らなくて。」
「・・・付き合ってた時も、ずっとそうだった。つい一年程前の事なのに、随分と 前の事のような気がする。」
そこで一旦言葉を切って、羽柴先生はコーヒーを嚥下した。カチャリ、と食器が鳴る。 俺は先生の手ばかりみていた。大人の人らしい、長く細い指は神経質にも見えた。何故か 敦也の手を思い出す。同じ手でも、全然違うな、と漠然と思った。
コーヒーカップの取っ手に指をかけたまま、先生は言った。
「・・・・・やり直す気は、ないか。」
俺は思わず顔を上げた。
先生は俺を真っ直ぐに見ていた。
「ずっと、後悔していた。別れた事。」
「俺を振ったのは、先生でしょう。」
「分かってる。」
羽柴先生はカップから手を離し、考える時の癖で、指を組むようにしてから 外を見た。それから再び俺を見て口を開く。
「永樹が、私を見ていないと思ったから、それでは意味がないと思った。 両思いだと思ったのに、いつも違う方向を見ていただろう。片思い以上に片思い だと思ったよ。」
それは・・・間違いではない、と思う。
「でも、後で気づいた。私は私の方を永樹が向くように、何か努力しただろうか、と。 ・・・・・だから、やり直したい。」
俺は、真っ直ぐに先生を見た。息を吸って
「ごめんなさい。俺は、先生を好きではなかった。」
そう、言った。
羽柴先生の、少し困ったような顔がそこにあった。
「永樹!」
不意の声に先生が後ろを振り向く。俺も先生から視線を逸らせて、声の主を捉えた。
「敦也」
「瓢君」
俺と先生の声は、ほぼ同時だった。
「あれー?羽柴先生。お久しぶりー。あれ?何で一緒に・・・・・」
屈託ない敦也の顔と質問に、羽柴先生は微笑しながらやんわりと答えた。
「偶然見かけてね。立ち話も難だったから、私が片城君を誘ったんだよ。」
「あー、分かった。先生、俺らのとこいた時、結構永樹に手伝ってもらってたよね。 だから?」
「まぁ、そんなとこかな。」
「・・・敦也。早かったな。部活もう終わったんだ。」
「うん。ククッ・・何かねー部長に彼女ができたみたいで。早くあがりたかったみたいだよ。 すっげそわそわしてたもん。」
楽しそうに敦也が言った。
「瓢君も何か頼む?奢るよ。」
敦也が先生のほうを見る。
「ほんと!?うわー、いただきます!って言いたいとこなんだけど・・・・・。」
敦也が俺のほうを見てから、指を差す。
「俺、今から永樹と待ち合わせてたんだ。」
「どっか行くのか?」
「んー、そういうわけじゃないけど。後、帰るだけだけど。ちょっと。」
「そうか。残念だ。また、機会があったらな。」
いいながら先生は腕時計を確認し、立ち上がった。
「私もそろそろ行かないと。じゃ、永樹。瓢君も、勉強しろよ!」
そう言って先生は伝票を手にして去って行った。去り際、隣のテーブルにガッツリとぶつかり、 そのせいで飛び出た椅子を直す。相変わらず、何かにぶつからないといられないようで、 俺は少しだけ笑った。
「敦也、どうせなら奢ってもらえば良かったのに。ここのカフェラテ好きだったろ。時間、 ないわけじゃなかった・・・・・・」
そこまで言って、俺は敦也の顔にドキリとした。
「敦・・・・・」
グイ、と敦也に腕を引かれ、強引に立たされた。
「な・・・!?は・・・離せ・・・・」
恥ずかしい、と思う。けれど敦也はお構いなしにどんどんどんどん俺を引っ張って、 大股に歩く。駅に着いてからは手を離されたが、怒ったような、泣きたいような表情は 変わらなくて、結局俺は電車に乗ってる間も、家までの距離もきまずいまま、黙って 歩いた。
とてもじゃないが、何かを話し掛けられる空気ではなかった。
口を開こうとしたが・・・・・できなかった。何だか怖かった。・・・怖い?敦也が?・・・ そんな事ない。そんな事。

家の前に着く。敦也は俺に背を向けた。
「敦也!・・・・あがってくだろ。その為の、待ち合わせだった。」
敦也は振り向かない。今度は俺が敦也の腕を引っ張った。いい加減、イライラしていた。 何で敦也が不機嫌なのか訳も分からず、かつ、折角買ったプレゼントも渡してしまいたかった。
意外に敦也は抵抗もせず、俺に手を引かれるまま。俺は門を抜け、ドアを開けた。
「ただいま!」
台所から母が出て来る。まだ、夕食の支度の途中のようだった。
「おかえり。早かったのね。敦也君。こんばんは。」
「どうも・・・お邪魔します。」
敦也がペコリとお辞儀する。いつもの覇気がない事に、母は少し訝しそうにして俺を 睨んだ。敦也が落ち込んでたり何だりしてるのは、全て俺のせい、という事に母の頭の 中で図式が出来上がっている。実際、大体がそうなので俺は否定する気もない。
「夕飯、まだなのよ。隣の奥さんに捕まっちゃって、帰ってきたのさっきなの。 ごめんなさいね。もうちょっと待ってくれる?」
母の言葉に、敦也は首を横に振って「いつもすみません。」と丁寧に挨拶した。 親の教育なのだろう。敦也が礼儀に欠く事は滅多にない。
「永樹、上がる前におやつ持って行きなさい。お腹空いてるでしょ?」
「あ・・ああ。敦也、先に行っててくれるか。」
敦也は適当な相槌をして、二階に上がっていった。俺は母からお茶と桜餅の乗った盆を 受け取ってから、二階、自室のドアを開けた。敦也は、やはり不貞腐れたような顔をして、 そこにいた。
俺は溜息をつきながら、中央の円卓に盆を置いた。
「敦也。どうしたんだよ。急に不機嫌になられても・・・何か言えよ、敦也。」
返答もせず、敦也がいきなり立った。何だか無口な敦也というのは・・・見慣れないせいか 酷く不可思議な感を抱かせる。
「敦也!」
咎めるように呼んだ瞬間、敦也は俺の両肩を掴み、ベッドに向かって強引に俺を押し倒した。
「!?・・・・!この・・・・・バカ!!!!」
全く訳が分からなかった。敦也が俺を見下ろしていた。やはりどこか泣き出しそうにも見える表情を している。
「敦也!どけ、バカ!!どうしてお前はそう、いつもいつ・・・・・・ッ・・・・ンンッッ・・・・ ッ・・・・!!」
何もかもが急で、凡そ敦也らしくなかった。頤を捕らえられ、敦也を避ける事はできなかった。 重なった唇、その僅かな隙間から俺は息を継ごうとし、もがく。
「あ・・・つ・・・・・ぅん・・・・っ・・・・・・・・あ・・・・!!」
首筋に生暖かい刺激を感じ、俺は思わず声を上げた。
「ば・・・馬鹿敦也!!やめ・・・・ん・・・んあ・・・・っ・・・」
首筋から鎖骨に寄せられた感触に、悪寒に似た感覚が背筋に走る。腕を捕らえられ、手首にもその跡を つけられる。
「・・・・・っの・・・・バカ敦也ーーーーーーーーーー!!!!!」
手に触れた枕を、俺は敦也に向かって振るった。ボスン、と音がしてそれから少しだけ敦也の手が 緩む。
「何なんだ、お前は!!何が気にいらねぇんだよ!!何、むつけてんだよ!信じらんねぇ・・・ こんな・・・・こん・・・な・・・・・」
不覚だった。何故か溢れた涙が、敦也の表情をみるみる変えてゆくのが分かった。
「う・・・うわ・・・え・・永樹。ごめん・・・ごめん!!」
「見んな、バカ!!何で、こんな・・・」
「ごめん。永樹。ごめん。」
敦也が俺を腕に抱く。困ったような声がずっと謝っている。そして
「永樹、前・・付き合ってたのって・・・羽柴先生なんだろ?」
そう、言った。
「・・・・・・んで・・・・・・」
「分かるよ。俺だって、永樹と恋愛してんだから。・・・それに、去り際・・先生、永樹の事 名前で呼んだ。」
あの人は、全くもって間が抜けている。俺はそう再認識した。
「何か、それがすっげぇ悔しくて。先生が俺の知らない永樹を知ってんだとか思うと、 すっげぇ嫌で。でも、そんな事言っても永樹、困るだけだろうし、まるっきり俺の 我侭だし。でも、やっぱ割り切れないし、笑えないしっ!イライラしてしょうがねぇ し!!」
敦也は、一息で言い切った。それから情けない顔をする。
「でも・・・・・一番駄目なのは、永樹が泣いてる事だ。・・・・・ ・ごめん・・・・・。」
こんな風にするはずじゃ、なかった。と、敦也が似合わない小さな声で言った。俺は 組み敷かれたまま、右手を上げ、敦也に手を伸ばす。そのまま頭を抱えるようにして、 抱き寄せた。
「・・・俺の泣き顔みた奴なんて、お前くらいだよ。敦也。」
「マジ!?」
ガバっと敦也が起き上がる。やたら嬉しそうな顔。
「・・・人が泣くのが、そんなに嬉しいか・・・敦也。」
「え!?や・・・違・・・ッ!!何っつーか、俺だけっつーのが・・何つーか・・・!」
あわあわと焦る敦也を目の前に、俺は笑った。

いつの間にか敦也の顔を真っ直ぐに見ることができていた。その事に気づいたのは、 もう少し、後。


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20030314
ぎゃーギリー!(しょっちゅうだ。)
何とか!何とかギリ!(またかという感じだ)

いつもながら、砂吐き泥吐き水道蛇口規模の二人です。先生・・・何しに 出てきたのさ?出てくるのに、おかげで説明入れてしまって、(無意味に) 字数が嵩んだわ?ガフン。
もう一回は出てきます。次回。GWにでも。それで終わったら良いかな。うん。

何だか三月忙殺期で、お疲れの方も多いと思われますが。
・・・・・読んでしまって更にお疲れになってしまったらと思うと、・・・ すみません・・・・・・。

お疲れ様でした!