それが不変であるなど、きっと誰にも言えない。
けれど、絶対とは言い切れない。
世の中に絶対はないようであったりする。逆も然り。
だからできることは、信じる事しかないんだとも思った。
それは望まれる事なんだろうか。望む事なんだろうか。
曖昧な感情と言うものに、不変だの絶対などという言葉をあてたいと感じる
のは愚だと思っていた。・・・・・だから自分は恋愛というものを
間違えていたし、できないままだった。
どんな一瞬だったとしても。まさにその瞬間は不変であり、絶対なのだと。
そう、今なら信じられる。
そんな事、当の相手に、口が裂けたって言えないけどね。
ピルルルル・ピルルルル
枕元で携帯が鳴った。俺はゆっくりと身を起こす。時計を見ると、8時を
回ったところだった。着信名を見て、俺は顔を顰めた。
(・・・まだ、残ってたんだ。)
そこには、羽柴英久(ハシバヒデヒサ)と出ていた。自分では消したつもりで
いたが、この分だとアドレス帳に名前が残っている。
(出ないでいようか。)
しつこいくらいに電話はまだ鳴っていた。
(馬鹿みてぇ・・・・・・)
ピッ
「はい。」
ガタガタンッ
『・・・あ・・・永・・樹・・・・・?』
うろたえた様な先生の声は、何か重いものを落とした音と共に、俺の耳に
届いた。
「おはようございます。どうかしたんですか。」
『お・・おはよう。・・・電話番号、変わってなかったんだな。連絡つくと
思ってなかった。』
「・・・・・変える必要は、なかったですから。」
『・・・・・・・あ、あの。今日、ちょっと会えないかな。話したいこと、
あるし。』
「この間の続きですか?でしたらあの時、はっきりと言った筈です。」
先生の事を、好きではなかった、と。
残酷だけれど、先生には本当に悪い事をしたと、そう思える程に。
『・・・分かってる。』
しばしの沈黙。重い空気は俺に電話を切りたいと思わせる。いきなり切ったら、
先生は今度こそ諦めるだろうか。
『今日だけでいいんだ。・・・少しでも、いいから。』
「俺、付き合ってる人いるんです。」
『・・・瓢君・・・?』
驚いた。およそ鈍感な羽柴先生が、まさかあの時の一度だけで気付いたん
だろうか。あの、三月、偶然に会った時に。
「・・・・・・・はい。」
『瓢君は・・・気がついた?その・・私が以前永樹と、付き合ってた事・・』
「・・・・・・・はい。」
『・・そっか・・』
また、少し間が空く。
『永樹。悪いけど、本当に今日だけでいいんだ。それで、諦めるから。・・・・・
駄目かな。』
様子を伺う先生の声は、あの頃を思い出させた。
デートなんて大それた事はできなかったし、先生の性格も性格だったから、俺に
何かしようとする時は必ずと言っていいほど聞いてきた。そういうとこは、タイプが
全然違うし、言い方も全然違うけど、敦也と似てると思う。
俺は逡巡した。今日と明日は敦也も部活があって、約束したのは結局5日だけだ。
休み明けに練習試合が組まれているとかで、例年なら休みの部活も今年は
あるのだという。
俺は、覚悟を決めた。
「分かりました。どこに行けばいいですか?」
敦也が学校にいるのは確定なのだ。なら、外で会う分には鉢合わせる心配もない
だろう。かつ、先生の事だから郊外で会うに違いない。近場で済ませるという
ような、危険な轍は踏まない筈だ。
二時間後、俺は指定された森林公園にいた。
公園の裏口に、第二駐車場がある。ゴールデンウィークの初日はその駐車場すら
埋まる勢いだった。家族連れが主で、幼稚園くらいの子供や小学生の姿が
多く見られる。いずれも表情は明るく、笑い声がそこかしこから聞こえてきた。
そんな中で俺はいたたまれない表情のまま、立ち尽くしていた。
(これじゃ、彼女にすっぽかされたみたいだな。)
そう思ってから周りを見ると、カップルも少なからずいる。春の花が咲き乱れた
公園は、かっこうのデートスポットなのだろう。公園の中に目をやると、要所に
出店もある。
整然と並んだ木と、絶妙に配置された花。色や形を意識して、作られた庭園。
歩道のタイルの一枚一枚は、全体で見ると大きな流れとなって動線を描いている。
標識も出ていて、あの順番通りに歩けば公園全体を歩く事ができるようだ。
見上げた空は晴天で、俺は今朝見た天気予報が晴れマークだったのを思い出した。
何だか滑稽な気分だ。こうして再び先生と待ち合わせる事など、もうないと
思っていた。
ほどなくして、先生の車が俺の前に止まる。運転席に掛けたまま、先生は
助手席の戸を開けた。
「ごめん。待ったかな。・・・・・・乗って。」
俺は助手席に乗り込んだ。幾ら先生でも、流石に混雑した公園内を男二人で
歩く気にはなれないようだった。
低いエンジン音を立てて、車は走りだした。
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
無言は圧力だと言ったのは、誰だったろう。見上げた晴天とは裏腹の車内。
沈黙を破ったのは、先生だった。
「今日は、本当に悪い・・・。でも、どうしても永樹に会いたかった。」
真摯な声だった。俺は、少しだけ先生のほうを見た。その横顔は真っ直ぐ前を向いて
いた。眼鏡の奥の瞳は、何かを思いつめているようでもあった。
「・・・・・今度、見合いする事になってね。」
「え。」
少しだけ驚いた。考えてみれば先生も今年で29になる筈だ。年齢としては適当
だろう。
「郷里から、いい加減付き合ってる人の一人もいないなら、知り合いに薦められてる
縁談があるからとりあえず会うだけでも、という話になってね。」
車窓を流れる景色は、木々の緑。遠く霞んだ景色は、標高の高さを思わせた。車通りは
決して少なくはなかったが、目的地の途中経過の為だろうか。路肩に寄せた
車もなく、流れはスムーズだった。
「・・・そうですか。いい、機会だと思います。」
「・・・・・本当にそう思う?」
山頂まで来ると、見晴らしのいい景色が広がる駐車場になっていた。
止まっている車は3.4台だった。店も何もなく、ハイキングできる
ような程の山ではない。さしずめ中継地点の休憩所と言ったところだろう。
先生は人目を避けるように、一番端に車を止めた。
「・・・先生?」
「私が、永樹を諦めるって、・・・・・本当にそう・・・・・」
「・・・言った筈です。俺は先生の事を好きではなかった・・と。それに関しては
本当に悪かったと・・・・・!?」
先生の腕が、俺の肩を捕らえる。その右手がシートのレバーにかかって、背もたれが
一気に倒れた。
「・・・・・ッ・・・先生!?」
「・・・瓢君は?それならば永樹、瓢君の事は好きだって言うのか?」
目の前に先生の顔がある。それは子供みたいな顔だった。泣き出しそうな・・・・・。
俺は目を背けた。俺はそうして一旦は外した目線を、先生に合わせてから
言った。
「・・・敦也が気付かせてくれたんです。俺は、ずっと恋愛を履き違えていた。
それまで憧憬といっしょくたで、与えられるものでしかなかったのに。・・・
敦也がそれを変えたんです。」
相手が必要だと思う事も、ただ側にいてくれるだけで嬉しい存在も。
『恋愛なんて勘違いだって、そう言われた事あるけどさ。・・・・・
最初はそうかもしんないけどさ、俺、永樹の事は絶対勘違いじゃないよ。俺、
永樹とずっと一緒にいたいって、そう思ってるよ。』
とても嬉しそうにそう言った敦也を見て、俺はただ、・・・ただ、同じように
思った。
「・・・・そうか。」
「・・・!!・・・・せん・・・・・っ・・・・」
両腕を戒められて、俺は唇を塞がれる。
「・・・・ん・・・・・・ッ・・・・ぅ・・・・・・!」
涙が溢れそうになった。それを俺は堪える。動かそうとした腕は、先生の力に
適わなくて徒労に終わって、蹴り上げようとした足は車内の狭さにつっかえた。
逸らそうとした顔は、押付けられる圧力に負ける。
「・・・・・ごめんね・・・・・」
先生はそう言ってから、俺から離れた。何事もなかったように運転席に掛けなおして、
エンジンを掛ける。低いエンジン音は乗り込んだ時と同じ音で。
下り坂を意識しながら、俺は。
先生に会った事を、後悔していた。
「・・家まで送るよ。」
「いいです。その辺でおろして下さい。」
俺の声は若干の怒気を交えていた。先生もそれには気付いているようだった。
「・・・・怒ってる?」
「当然です。」
「・・・そう、だよね。」
「・・・・・先生はあれで、踏ん切りがついたんですか。」
「・・・嫌われてしまえば、もう修復の余地はないだろう?そう、思ったの
だけど。」
らしくない選択だった。
「永樹は、私の行為に対して怒っているのであって、私自身を嫌いになったわけでは
ないだろう。」
俺は眉を顰めた。
「だから、何だって言うんです。諦められないとでも言うんですか。」
「・・いや・・。それでも永樹が・・・・・・いや、いいんだ。大丈夫だよ。
もう、会わない。見かけても、声を掛けたりしない。電話で言った事は嘘じゃ
ないよ。永樹を諦める為に、会おうと思ったんだから。」
「・・・・・・・」
俺には、言える言葉が見つからなかった。それは良かった、というのもおかし
かったし、何を言っても、たとえこうして口を噤んでいてさえ先生を傷つけて
いるのは分かりきっていた。
「着いたよ。」
結局家の前まで送られて、俺は車を降りた。
「・・・・・・先生。」
「・・何。」
「俺は確かに先生の事を好きではなかったけれど。でもあの頃は楽しかった。
それは本当だよ。・・・・・・心が離れていく事を、気付かない振りをした
かった程に。・・・・・・ごめんなさい。・・・さよなら。」
俺はそれだけ言って背を向けた。門の閂を外側から開けて、ドアを開けて家に
入った。一度も振り向かなかった。俺がドアを後ろ手に閉めた後、少ししてから
低いエンジン音が走り去る音がした。
俺は、何故か少しだけ胸が痛かった。
・・・・・それでも永樹が、自分のほうをもう向く事はないと、それも分かった
から。だから、もう会わない。
先生と会った事を後悔した。
とても敦也に会いたかった。そして、会いたくなかった。
夜、敦也からかかってきた電話に曖昧な受け答えをした後、俺は携帯のアドレス帳
から羽柴の名前を消した。