『心臓形骸』

「バランスが取れてないのよ。」
「まるで人間じゃないみたい。」
「欠落している。」


「何も・・・・・・届かないのか?」

「え?」
振り返った俺に、そいつはゆっくりと復唱した。
「何も、届かないのか。」
俺は少し首を傾けた。
「何?」
「恵子(ケイコ)を、振ったろう。」
「違うよ。俺が振られたんだ。」
「泣いてた。」
「何でだろう。」
「それを・・・お前が言うのか?」
嘲笑が相手から漏れて、俺はまた首を傾げる。
「ごめん。俺、次の講義は必修なんだ。卒業ができなくなっちゃうから。」
それ以上の言葉が相手から紡がれない様子なので、俺は話を切り上げようとした。 踵を返した俺の腕を、そいつが掴む。
「だから。何?」
俺は再び足を止めて、振り返る。
「必修?お前にとっては恵子の事、それ以下だったって、そういう事? 俺、恵子の事を今お前と話してんだけど?」
「それ以下?授業と人間は比べられないよ。」
「それが答えかよ。」
「?・・・・・ちょっと、敬二(ケイジ)!俺、本当に次の講義は・・・・・」
俺の言葉を無視して、敬二は俺をズルズルと引っ張ってゆく。抵抗するのも億劫で、 俺はそのまま引きずられるように部室へと連れられた。

部室は学校敷地内南側の隅に建っている。白い建物の二階、一番奥がバスケ部の 部室だった。部と認可されたのは、幽霊部員の存在が大きい。実際まともに活動しているのは、 数人だ。俺も人数合わせの為に部員と名を連ねているだけで、頼まれなければ入部する気など 全然なかった。
敬二はきちんと部活をやってる、数少ない側の人間だった筈だ。
部室の中は思ったより片付いていて、壁にはロッカーがしつらえられ、その向かいに4.5人掛けの ソファと、中央には長机が置かれていた。割と殺風景で、ボールが幾つか転がっている。
机には見っぱなしの雑誌だとか、お菓子の袋だとか飲みかけのペットボトル何かが散らかっていた。
「ああ、講義が始まっちゃったよ。」
既に、まぁいいか、ぐらいの気分だった。本当は一回くらい欠席しても、まだ単位が 取れない程じゃない。
敬二が俺の腕を離して、真っ直ぐに俺を見た。それから少し俯く。はっきりしない。
「敬二は、恵子が好きだったのか?だったら・・・チャンスだろう。」
「・・・・・何言ってる。あいつとは、兄妹だぞ?」
敬二は、驚いた顔をして俺を見た。
「あー・・・そうだったっけ。」
「お前なぁ・・関心がないにも程がある。・・・・・だから恵子が耐えられなくなったんだろ。 それは、実質的に別れを切り出したのが恵子だったとしても、お前が振った事に変わりない じゃないか。」
「そうかなぁ。俺は、別れる気は全然なかったけど。」
半年前、「付き合って欲しい」と言われた日から、今までを思い出してみる。別段冷たい素振りを した記憶もないし、ごくごく一般的に付き合っていたと思う。
休日ごとに出掛けて、試験前は互いの家で勉強して、毎日のように電話して。
誕生日や各種イベントには、プレゼントだって用意した。きちんと欲しい物をチェックして、 無駄がないように気を配りながら。
「・・・・・何がいけなかったんだろうなぁ。」
俺は呟くように言った。呆れたような敬二の溜息が聞こえた。
「何がって・・・お前、別に恵子と別れても傷ついていないだろう。寂しいとか、思ってないだろ?」
「ん?・・・・・・んー・・・そうだね。」
「お前、別に好きで付き合ってたわけじゃなくて、ただ、一緒にいただけなんだろ。型どおりの デートコースに型どおりのプレゼント。”一般的と言われてる”付き合い方。”雑誌に載ってる みたいな”お決まりの。纏まり過ぎた、衝突もない人間関係。」
「喧嘩すれば良かったのか?」
「違うだろ!・・・でも、普通はあるだろ。そういうの。」
「ないならないで、いいじゃないか。上手くいってるって事だろう。でも、とりあえず 俺は今回そういう理由で振られたわけだ。」
別段、何の感慨もなかった。思い返してもやはり俺に非があるとは思えなかったし、それは 恵子や敬二の受け取り方の問題であって、俺の言動いかんではないと思えた。 俺は、それなりに恵子を大切に思ってもいたのだから。
「ああ、クソ!」
届かない言葉。届かない。どこまでも。
「敬二?」
「恵子の言ってた通りだな、お前は。何を言っても届かなくて、何を言っても言葉も思いも、 素通りして一方通行だったって。友人であれば気づかない。お前は上辺で、いつも深く付き合う 事がないからな。」
「・・・・そんなつもりはないけど。」
「言われたろう?”バランスが取れてない””人間じゃないみたい”だって。お前、それを 聞いても怒らなかったって?」
「別に・・・恵子の主観の問題だし、俺がいがむ事はないだろう。」
「・・・・・普通、ムカっとくらいするよ。」
そう・・だろうか。普通という概念自体、主観に頼るものじゃないだろうか。
「もう、関係ないだろう。恵子と俺の問題だったんだし。敬二が妹思いなのは分かった。 でも、二十歳過ぎた人間を、そんなに構うのもおかしくないか。」
「それに・・・俺と恵子は、もう付き合ってないんだ。それはどうしたって変わらないよ。 俺に嫌悪を感じるなら、敬二も俺から離れて構わないから。」
「・・・・・!・・・・・そういう・・・そういうトコが!!!」
いきなりグイ、と腕を掴まれて、俺は敬二のほうによろけた。
敬二は俺の頭を抱えるようにして、力任せに抱き寄せる。
「ちょっと・・・・・敬二・・・・・・。」
「恵子も、俺も。お前が放っておけないんだよ。どこか厭世的で、人間味が欠けてて。 何にも執着する事がなくて。・・・・・・友人だと思っていても、他人と変わらないと、 嫌でも思い知らされる。恵子も恋人になればと思ってたらしいけど、結果は・・・・・・この 通りだ。お前は結局何も変わらない。人にも物にも、興味を持たない。言葉は・・・・・・」
「言葉が、お前に届かない。」
「・・・・・・何、泣いてるんだよ、敬二。」
敬二の声は震えて、嗚咽と交じる声は少し聞き取り難い。
「は・・・ハハ・・・・・。そう、どれだけ訴えても・・お前は拒絶の言葉を吐くから、 お前に言葉は届かないのに、お前の言葉は俺達に届いてしまうから・・・・・傷ついてしまう・・・・・。」
「分かってるのに。」
ポツリと、付け足すように敬二が言う。何を・・分かっているって・・・・・?
「敬二。俺は・・恵子の事も大切にしてたし、嫌いじゃなかったから付き合ったんだ。」
「それじゃ駄目なんだ。それだけじゃ。大切?嫌いじゃなかった?・・・・・・なら、お前は恵子と 話した事、行ったところを思い出して嬉しくなったりしたか?一緒にいて、幸せだと感じた?」
「楽しかったよ。」
「・・・・・・ほら、届かない。」
分からない。俺には、敬二の言っている事が分からなかった。それを敬二は「届かない」と表現する 事も、俺には分からない。俺は初めて、他人と俺を隔てているものが見えた気がした。
でもそれは、やはり明瞭な形を持って俺に訴えるものではなくて。
「敬二、離してくれないか・・・・・。」
「・・・・・なぁ・・・俺と付き合わないか?佑(ユウ)。」
「・・・・・・・・・え?」
「俺と、付き合わないかって、そう聞いたんだ。」
「それは、どういう意味で。」
「恵子の二の舞を踏もうと、そう思って。俺も、はっきり振られたほうが良さそうだから。」
「何、言って。」
「男相手じゃ嫌か?」
「・・・・・・・」
カタリ、と何かが動いた音がした。それは、何かの組み換えをするような、体の奥底からの音で。
「・・・・・・それで、敬二が納得するのか。」
思わず、そう聞いていた。
「納得・・・・・させる。」
言いながら敬二の顔が近づいてくるのを、俺は拒まなかった。



「お兄ちゃん、バカね。」
「分かってる。」
「あれだけ私が言ったのに。あれだけ目の前で泣いて見せたのに。」
「でも、お前は吹っ切れたんだろう?」
「・・・・・・・それ以外、術がなかったからよ。」
キツイ表情で、恵子が言った。それを敬二は苦笑でやり過ごす。
「お兄ちゃんはどうなの。佑に拒絶されて、それで、後吹っ切れるの?」
「さあ・・・・・・・」
「佑は、多分、違うの。心の形が不確定なの。普通がハートの形をしてるって言うなら、きっと 佑のは全然別の形なんだわ。だから・・・・・誰とも合わない。」
恵子が敬二の目を見た。
「誰とも合わないし、だからこそ誰にも関心がもてないのよ。人間は、人間相手だから恋愛が出来る。 それが男でも女でも。でも、それ以外にその感情を持つのは、変態だわ。」
「お前も俺も、そういうあいつだから放っておけないんだろ。」
「・・・・・私はもう違うもの。」
「・・・・・・そう、だったな。」
「もう、戻る。せいぜい後悔するといいのよ。・・・・・・・全然、本当に届かないんだから。」
恵子は座っていたベッドから立ち上がり、ドアへと向かった。短いスカートが揺れる。 ドアノブに手を掛けて、開ける瞬間に振り返った。
「でも・・・・・・お兄ちゃんが、佑と同じになれれば、上手く行くとも思うのよ。・・・悔しいけど 私は佑が女だったら、恋愛感情は抱かなかったわ。」
バタン、とドアが閉まった。
「同じ・・・・ね。」
思わず呟く。

願うなら、そうなれる事を夢見ながら。
あの一人きりの存在を、抱ければと思いながら。

書き終わり・20031017*****