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 1999年11月

『ボーン・コレクター』ジェフリー・ディーヴァー
『ファイト・クラブ』チャック・パラニューク
『ある閉ざされた雪の山荘で』東野圭吾
『白夜行』東野圭吾
『トウキョウ・バグ』内山安雄

※(ごく主観的な)評価は★5つで満点。

『ボーン・コレクター』 ★★★
The Bone Collector by Jeffery Deaver, 1997

ジェフリー・ディーヴァー/池田真紀子訳(文芸春秋/1999年9月)

■今年度ベストワンか?との呼び声も高いこの作品はハリウッド映画風のジェットコースター・サスペンス。骨マニアのサイコキラー「ボーン・コレクター」と、かつて名捜査官として鳴らしたものの不慮の事故から身体の自由を失い、いまは全身麻痺で寝たきり状態の「安楽椅子探偵」リンカーン・ライムとの攻防戦が描かれる。ネロ・ウルフを思わせるライムの偏屈な性格がなかなかいい味を出していて、「証拠にしか興味がない」と厳密に収集させた細かい手がかりから導き出す鋭い推理も決まり印象的な探偵像。この足跡からわかることは……と推理を展開していくさまは、さながら現代のシャーロック・ホームズという趣きである意味懐かしい。首から上と左薬指しか動かないライムの手足となって現場へ赴く美人刑事アメリア・サックスもひとくせある人物設定で、またライムとの交情もある意味で作品内のオアシスとなっている。
■次々と設けられるタイムリミットなど、物語はごりごりにサスペンスフルな展開を見せる。かなり厚い本なのに作中で流れる時間は結局丸三日間にすぎない。話が少しだれかけてくるとヒロインが襲われたりするのもお約束の演出。メアリ・ヒギンズ・クラークがもうちょい知的になったような路線だろうか。こういうものは細かいこと言わず波に乗せられて一気に読んでしまうべきなのだろうけど、個人的には翻訳との相性がいまいちのせいかそれほど快調には読めなかった。なので、たとえば題名にもなっているサイコな犯人像が結局ひどくいいかげんに処理されてしまうあたりはどうも気になってしまう(それに事件がライムにまわってくるとはかぎらないしなあ)。ただし動けないライムの部屋に犯人自身が乗り込んでくるクライマックスは、さすが異様な緊張感があって愉しめた。犯人が探偵の前で長々と弁舌をふるう、それ自体はミステリで半ばルーティン的に展開されがちな場面だけれど、これを探偵の特殊な設定が新鮮なものに変えていると思う。なかなか見事。
■でもやはり映像派よりも 、読むのなら小説でしかできないことを表現しようとする物語だよね、とか思ってしまうのだった。僕は断固として「トゥロー>グリシャム」論者だし。
(1999.11.28)

『ファイト・クラブ』 ★★★★
Fight Club by Chuck Palahniuk, 1996

チャック・パラニューク/池田真紀子訳(早川書房/1999年2月)

「リサイクルや速度制限なんか意味がない。臨終を宣告 されてから禁煙するようなものだ」(P140)

■かなり奇妙な小説だった。おいおいこれをどうやって映像化するんじゃい、というのがまず感想(ブラッド・ピット主演の映画版は、99年11月現在まだ日本で 公開されていない)。(※)
■題名の「ファイト・クラブ」とは要するに喧嘩同好会のこと。週に一度男たちが集まり、1対1で本気の殴り合いをする濃密で刺激的な夜を過ごす。でもやがて創設者のタイラーと「ぼく」はそれに飽き足らなくなり、タイラーは全世界をどん底へ突き落とす「徹底破壊プロジェクト」なるものを計画しはじめる――と、いうかんじの現代風暴力系文学なのかなと思っていたら、いきなり妙にミステリ的な展開が待ちかまえていてなかなか驚いた。
■全編を通して妄想のような錯綜した文章なのだけど(やたら読みにくいので放り出しそうになった)、それが結局ちょっとした目くらましにもなっていて、さらにこの文体自体がある意味で伏線ともいえる。そういう文脈ではいわゆる「バカミス」の部類に入るといえないこともないか。最後はなんと〈本当に天国から語っている〉というすごい展開になってるし。いや一応現代の閉塞感みたいなものをきっちり描いていて(物質文明から脱出した先の暴力世界がまた相対化される)、すごくシリアスな状況の話ではあるんだけど。
(1999.11.12)

※これはあとで観に行ったら、ほんとに忠実な映像化だったので結構びびった。どちらかというと映画版のほうが好きかもしれない。小説はなんせ読みにくかったし、映像で描いたほうがむしろ伝わりやすい箇所(「破壊計画」の面々がネオナチにしか見えないところとか)も少なくなかった。ブラッド・ピットのタイラーもはまり役。



『ある閉ざされた雪の山荘で』 ★★★

東野圭吾(講談社ノベルズ/1992年3月) ※講談社文庫版もあり

「全く役者だわ。どの人もそんなふうに見えるし、違うようにも思えるし」(P98)

■なんかあまり本腰を入れて書いたものではなさそうなふしもあるのだけれど、着想はけっこう面白くてなかなか楽しめた。軽く読みとばせるものだし。
■物語の骨子は、演劇のオーディションに合格した7人の若手俳優たちが山荘に集められ、「雪の山荘に閉じ込められた男女」を演じるよう指示を受けるというもの。やがて「殺人事件」が起きてメンバーがひとり抜けふたり抜けするうち、これはただの推理劇なのか、もしかすると本当の計画殺人ではないのか、との疑惑が芽ばえてくることになる。例によってというべきか、かなりメタ的な本格もの。
■これは本格ミステリの「リアリティのなさ」を逆手にとった設定といえるのじゃないかと思う。人を殺すためにわざわざこんな芝居がかったことをするなんて普通はありえないけれど、「本格ミステリの犯人」ならそんなこともやりかねない。だからこの小説のなかでも、ほんとの殺人かもしれない可能性を読者はつねに捨てきれない。
■解決のどんでん返しもひどくメタ風味で、これはたぶん本格ミステリの抱える「読者を騙すために書かれる」という、そもそものなりたちの不自然さ(有名な『アクロイド殺し』がその代表例ですね)を、改めて繕ってみせた試みなのだと思う。ただ映像的にはかなり間抜けで笑っちゃうような解決だけど。
■そんなわけで面白い着想とは思うのだけれど、読んだ感想はどうも「まあ、よく考えたよね」くらいで終わってしまうのはなぜだろうか(東野の作品ってなんとなく全般にそういうところがあるけど)。あらすじに「一度限りの大技!」と謳ってあるように、要はこの試みが明かされたからといってべつに本格ミステリの新たな可能性が垣間見えるとか、そういう創造的な瞬間に立ち会えるわけでもないからかもしれない。
■しかしドラマが主眼でないことはわかっているけど、ラストの締めかたはいくらなんでも白々しくて、そりゃないでしょと感じたのは僕だけでないはず。終わりかたってそれなりに大事だと思うのだけどな。
(1999.11.5)


『白夜行』 ★★★★

東野圭吾(集英社/1999年8月)

「あんた、馬鹿だねえ。家に金があるから、ああいう紳 士ができあがるんだよ」(P212)

■いまさらの観もある『白夜行』。この本を開いてまず目についたのは、最初のページにさりげなく踊る「松本清張」の名前だった。じっさい東野がこの社会派の巨匠を大いに意識しながら物語をつづった可能性は充分にありうると思う(ついでにいうと『火車』あたりも大いに意識していそう)。それほどこの小説は地味に幕を開けて淡々と展開する。
■発端となるのは、日本中がオイルショックに揺れていたころに起こったひとつの殺人事件。物語はそれを萌芽として徐々に成熟していくふたりの主人公の黒い気配をはらみつつ、以降20年近くにわたる歳月を断片的につづっていく。気が長いといってもさすがに『警察署長』ほどではないものの、ずいぶんゆったりと進む話ではある。そしてオイルショックにはじまり、パソコン黎明期、スーパーマリオ、バブル景気など、作者はしつこいくらいに当時の時事ネタを挿しはさむ。なかにはむりやりねじ込まれたふうのものもあるけれど(親戚が日航機事故で亡くなって……とか)、この歳時記的な構成は「時の流れ」を印象づけて効果をあげていると思う。
■ただし長編としての統一感はいささか欠けているように感じた。昨年の「このミス」に寄せられた東野本人のコメントを読むと、雑誌連載の時点では連作集ふうになってしまったので、かなり手を入れてから出す、ということだったらしいのだけれど、それが結局あまり徹底されなかったのだろうか。
■気になったのが、主人公ふたりのうちヒロイン(と呼んでいいのだろう)をめぐる挿話が陳腐で面白みを欠いたこと。もうひとりの桐原亮司の逸話は見せかたも巧くてなかなか興味深いのだけど(個人的には高校生売春のあたりがいちばん面白く読めた)、筆がヒロインのほうへ及ぶととたんに物語のペースが鈍ってくる。実際の内容はほとんど昼メロみたいで安っぽいし、結婚生活の話で、結構ヒロインに関する直接的な描写が入ってしまうのも減点要因になるだろう。「最後の手段」が結局いつも同じなのは、まあ設定上いたしかたないけれど。そんなところで、総評としては、構想は鋭いのだからもっと傑作になりえたんじゃないかと言わざるをえない。でもそんなものを書いてしまうと次が大変なので、それはそれで作家的にはいいのかもしれないけど。
■いや、よくできているとは思うんですけどね。とくに〈発 端の殺人の凶器が「鋏」だった〉ことを最後に念押しするところなんて、とても心にくい演出だと思う。おそらくそこのひっかかりが、刑事が古い事件をしつこく掘り返した大きな動因なんだろう。
(1999.11.4)

『トウキョウ・バグ』 ★★

内山安雄(毎日新聞社/1999年3月)

「俺たちも、この虫けらと同じかな、日本にとって」(P287)

■日本社会の「招かれざる客」、アジア系外国人たちの生態を描く物語。フィリピーナの母親を持つハーフの日本人・久慈大和(下の名前が皮肉)が主人公。平凡でぱっとしない日々を送っていた彼が、口八丁手八丁で世を渡り歩くパワフルなイラン人アリ・バランキと出会い、波瀾万丈の裏道の世界(デートクラブの経営とか)へとひき込まれていく筋書きになっている。
■さすがこの分野で実績のある作者だけに、デートクラブのアジア女性たち(出身国もさまざま)など外国人たちの群像を、軽快な筋運びを害しない程度に描いてそれなりに読ませる。ただし主人公を徹底してへなちょこに設定しているのはどうなのだろう。いや別に主人公が必ずしも格好よいヒーローでなくてもいいのだけど、この小説では何の成長もしない主人公が精力的で魅力あるアリに特別目をかけてもらえるし、レイプしかけた女にもなんだかんだいって好かれてしまう、そんなふうに話が進むのだ。そう都合よくことが運ぶのはつまり主人公だから、なのだろうか……。
(1999.11.1)

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