■目玉焼き

僕は途方に暮れる。
混乱は混沌を引き起こし、結局のところ僕に残すところできるのはただの瓦解のようだ。砕けた心のピースをかき集めてボンドでくっつけてもそれはきっとどうにもならないほどの粒子になってしまいそう。そして僕はそうなるのが怖くて必死で自分で自分を固定しようとする。

世間は僕を嗤うだろうか。こんなくだらない問題で彼女を責めてしまう僕を。
彼女は目玉焼きが焼けなかった。僕の思う、かくあるべきという目玉焼き。それは白身には火が通っていても黄身はちょうど半熟くらいという世間一般でも大体そういうのが良いとされている形の目玉焼き。世間一般に出回っている普通の噛み切り鳥の卵の目玉焼き。
彼女は忙しい。らしい。僕はよく知らないのだけども。どこかの山奥で山猫にネズミの捕り方を教える仕事を始めたらしい。


彼女は僕に以前は、よく目玉焼きを焼いてくれていた。僕はよく考えもせずにそれを頬張っていた。しかし、ある時僕は彼女にスクランブルエッグを作ってあげた。そして彼女はそれが大層気に入ったらしく、それからは頻繁にスクランブルエッグを作って自分で食べるようになった。気が付けば僕の知らないようなところでも。そんな頃だった、彼女が僕にちょうどいい目玉焼きを焼けなくなったのは。食卓の上には目玉焼きにかける用のほとんど減ることのなくなったレモンエキスの瓶が淋しそうに僕を見ていた。



それに気づいた僕はある時から彼女に必死にもう一度目玉焼きを焼いてくれるように嘆願した。もちろん目玉焼きなんて自分の分も彼女の分も僕が焼いてあげればいいだけの話なのだが、僕はどうしても”彼女の焼いた””ちょうどいい”目玉焼きが食べたくて仕方なかったのだ。そのことで一日のうちの14,5時間は頭が占拠されてしまうほどに。そして僕はなぜかスクランブル・エッグに嫉妬した。彼女が作って食べるスクランブル・エッグに。僕はそれまでほとんど毎日のようにスクランブル・エッグを自分で焼いて食べていたのだが、彼女が美味しそうにそれを食べるようになって、それに嫉妬を覚えるようになってからそれを食べるのを止めた。もちろん僕が焼くスクランブル・エッグも味は以前と変わらず美味しかったし、食べればそれなりに嬉しい気持ちにもなった。が、ダメだった。僕はもうスクランブル・エッグを食べるたびに嫉妬という感情の呪縛から逃れられない身体になってしまったのだ。そしてそれは僕を構成する大きな、なにかの喪失を意味していた。僕はスクランブル・エッグの前の花瓶に黄色いバラを何本か生けた。黄色いバラの花言葉は嫉妬らしいとどこかで聴いたのを覚えていたからだった。それはさらに自分を傷つけるだけの行為だったが、なにかをせずにいられなかった。僕はまた一歩絶壁に向かって後ずさっていた。

僕はその穴を埋めてもらいたくて、そしてある意味ではその喪失を償ってもらいたくて再度、彼女に目玉焼きをリクエストした。強く。しかし、彼女は僕が目玉焼き!と頼んだ朝から一日たった翌日のご飯と味噌汁が食べたいなぁと思うような朝にそれを差し出したり、黄身に完全に火が通ったようなものだったり、ソースやら醤油やらケチャップやらが既にかかったそれを僕に出してきた。


僕はなんとも言えない気分で何度か僕自身が焼いたちょうどいい目玉焼きを彼女の食卓に出して、”僕はこういう目玉焼きがこれくらいのタイミングで食べたいんだ”としつこく説明した。たかが、目玉焼き。本当にたかがという言葉に相応しいたったそれだけのこと。そんなことで深刻になるようなことはなにもない。でも、僕には深刻にならざるをえない幾つかの理由が存在した。一つは僕と彼女が目玉焼きを焼ける程度に近しい距離に存在できる時間には期限があったこと。それもある程度明確な。それは確かに明日、明後日と言ったものではなかったが、時間は確実に少なくなっているからだった。そしてもう一つは彼女が”じゃあ、そうしてあげる”と言ったにも関わらずほとんどその言葉を実行してくれなかったからだった。もちろん努力はしてくれてるのだろう。でも、僕にはどうしても目玉焼きを焼くたかだか3,4分の余裕も無いという彼女の忙しさがピンと来なかったのだ。そしてまた、彼女は僕に目玉焼きを焼くという行為に気負うあまり完全に黄身に火が通ってしまっているようなものを焼くようになってしまっていた。



春から初夏に移ろいゆく中で僕は彼女に様々なものをプレゼントした。ジバンシーのトカゲの卵だとか、ルイ・ヴィトンのコウモリの屋台骨だとかそんなもの。もちろんそれは俺がそうしたかったからだが、そこには”より親密になりたい”、”いつか、俺にも同じような喜びを少しでも返してくれないか”と言った願いの隠った側面も間違いなく存在した。そして一度は彼女の喜んだ姿こそがそれに対する報酬なのだと納得もしたが、なぜかそれが自分に返ってきていると実感できなかった時、ひどく一方通行で、ひどく孤独に感じた。そしてその思いは、”たかが目玉焼きすらまともに焼いて返してくれないのか?”という憤った疑問へと変換されていった。彼女に、僕という存在を、軽んじられているようにしか、思えなかった。なぜなら、それほど無茶な要求をしているようには、僕にはどうしても思えなかったのだ。スクランブル・エッグを失った代償と僕の親切のプレゼントの前で、その程度の要求が通るのは当然とすら思った。いかにも傲慢な物言いだけども。しかも、取引めいている。




彼女は10年後にはもしかしたらあなたにちょうどいい目玉焼きを焼いてあげれているかもしれない、と僕になにかを示唆してくれた。しかし、僕には2,3年後のビジョンは想像できても、10年後にどうなっているかはさっぱりわからない。ひょっとしたら目玉焼きもそこに内包された願いもいまほど重要じゃなくなっているかもしれない。もともと待つことのできない性分の僕は今こそが大事だと主張した。今、人を大事にすることができないのになぜ未来にそうできるという保証があるのだろうかと強く感じたからだった。



僕は途方に暮れる。


どうしていいのかわからない時間の中で、なんとなく考え続けることが答えであるような気がした。少しだけオーバーかもしれないけどここで諦めてしまっては、彼女の存在をとかそういうことじゃなくて、自分の中の大事なものを捨ててしまう努力をして、もしそれが成功してしまったとしたら。僕は、きっと、生きているだけの、なにか、別の、存在に、なってしまうような、そんな気がして。

砂時計は刻々と時を刻んでいる。どういう結末をもたらすのか。それはわからない。でも。信じていれば。きっと、叶うって。そんなことはなかなか無いことだってわかってるけど。



だけど
あの時
誰かが…ッ