京都線の車両 投稿者:kyouto2800 投稿日:2001/08/04(Sat) 11:00 No.205  
 
私は生まれたときから京都線付近に住んでいます。今でも離れずにそこから出勤しています。今から書くことは自分の生まれた年から誕生した京都線の車両について何回かにわたって書きます。

2300系
阪急の高性能車は昭和35年から外角・性能ともあらためた2000系シリーズにモデルチェンジされました。車体も丸みをもつ1300系から直線的な出っ張った感じのスタイルに変わりました。前照灯は2つで左右の窓の上に標識灯がつきました。当時は京都線の車両が2両編成であったことから2300+2350を基本としてスタートした。昭和36年に鉄道友の会から何かの賞を取りました。昭和37年からは3両編成も誕生した。この中間車にはパンタグラフが無かったと思います。昭和57年?から冷房改造が行われたと思います。1編成(6両)あたり1億かかると聞いたことがあります。これと平行して電動車を改造したと思います。さらに中間位置の運転台が撤去されました。昭和62年からは表示幕改造を開始したと思います。今非表示幕で残っているのは2311・2305・2307ぐらいだと思います。

2800系
京都線代表の特急車両。真正面の顔は2300系とまったく同じで京阪と対抗するために登場した。2ドアとして窓は2枚続いていて2000系シリーズとは少し味が違う車両。座席は転換クロスシート。当初は5連で登場。昭和39年に3編成が5・7・9月に着工している。昭和40年には5連で3編成が登場。次の年には6連化されることになり最後の編成2817が登場して2880形が新しく登場。従来編成を6連化するために2881〜2886が41年の10月に完成した。その際2801と2811が入れ替わり2811〜16が大阪側に出た。同時に2860のパンタは撤去されて2820代車の区別はなくなる。7連化時には2830形を増やして8連化時には2880系を増やして8両編成にした。2891〜2897は最初から冷房車として作られた。冷房化は特急車であったことから昭和46年から開始された。昭和50年からは6300系が出来たので3ドア化されていった。3ドア化の当初は8連急行として使用されていたが2880系を抜いて7連にして普通運用に変え切り離した車両は5200系の中間車などに組み込まれた。昭和63年6月には一番新しい2817と2883が廃車された。2817の廃車は見に行きました。そして2801などを4連化にして嵐山線運用に変更。平成5年にさよなら運転をして廃車。一部2305に組み込まれています。


最後に私は5歳ぐらいのときから阪急が好きでよく停車駅などを紙に書いていました。
自分の中での停車駅は特急が十三・大宮・烏丸です。多分昭和38年ごろの停車駅だと思います。この頃から特急が30分間隔から15分間隔になったと思います。次の年から2800が登場して1300系や710系が花道を引退していきました。あとなぜか急行の停車駅は記憶にありません。普通はこの頃から梅田〜河原町・天神橋〜河原町を走り出しました。


Re: 京都線の車両 Y.K. - 2001/08/04(Sat) 14:13 No.206  

割り込むようですまないのですが・・・

現在も活躍している2300系は本線車は殆どが表示改造されてしまい昔の面影があまりないですね。2307Fを見ると懐かしい気分に浸れます。

2000・2300系は第1回ローレル賞を受賞しています。第10回は堺筋線の60系です。関西では京阪の6000系や大阪市交の70系なども受賞していますね。

3連ユニットの京都側の車両はTcですが,パンタを搭載していました(2361〜70)。このパンタから取り入れた電気は中間M車に流れていました。Mにはパンタは無かったのですが,隣接する大阪側のMcと接近パンタになるのでTcに搭載したそうです。

冷房改造は昭和53〜56年度にかけて78両全部になされました。1両あたりの冷房改造費が1500万円ほどしたと聞いていますから,1億というのは妥当な線ですね。

電動車は界磁チョッパ化され(2311・31は別方式),台車やブレーキ方式などを除けば走り装置は7300系とあまり変わらなくなっているそうです。現在2311の3連のユニットは両端の11・61が解体され,31は番号はそのままでT車として活用されています。

2801-2851+2811-2881-2831-2861他の前後のユニットが入れ替わったのは,混雑する梅田よりに運転台同士があると収容人員が減るので逆にしたそうです。ならば7連化の時はなぜ2891〜を抜かなかったのかとなりますが,機械の関係で91〜は抜けなかったそうです。

パンタは2861〜66には2361〜と同じ理由で搭載されていました。2867は最初からパンタはありませんでした。

で,今年の始めまで3両が運用に付いていましたが廃車となり,5月下旬に解体され全てが引退しました。56両の廃車に13年もかかりました。

特急の十三・大宮・烏丸の停車駅は昭和38年に河原町まで線路が延びてから平成9年に変更となるまで34年間同じでした。ですから2300系の初期の車両が登場したころは京都側の終点は大宮(旧・京阪京都)でした。千里線のターミナルはかつては千里山でこちらも同じ年に南千里(当初は新千里山)まで延びました。2300系で昭和38年製造の車両が多いのはこれらの延伸も関わっています。

京都線・千里線は堺筋線開通以前は大阪から京都を結ぶ系統の普通は全て天神橋発で,梅田発はありませんでした。特急や急行及び千里山線の電車は梅田から出ていました。天神橋発の千里方面行き(千里山・新千里山・北千里行き)の電車も勿論ありました。


Re: 京都線の車両 2093 - 2001/08/17(Fri) 00:48 No.207  

 どうも、久し振りに投稿します。
 先日全滅した2800系なのですが、嵐山線でさよなら運転が行われたのは平成7年だったと思います。私も確か7月頃でしたか、乗りに行きました。2811Fと15Fが残っていたと思います。そして今年5月、最後の3両が解体された時は、ぐしゃぐしゃの鉄くずの塊と化した2800系を目撃しましたけど、これは偶然でした。kyoto2800さんは、13年前の2817の廃車を見に行ったと書かれていましたが、これは予め解体作業が行われるの日時を調べて見に行ったのですか?それとも上記の私の時みたいに偶然ですか?もし調べたのなら、確実に解体される日を調べる方法って私は知らないんですけど、教えてもらえないですかね(笑)。今度、2305か(これも1月中旬から休車中です)、2378がまた解体されるでしょうからね。さよなら運転には何度か行きましたけど、解体されて正に姿を消す現場というのも、直接見てみたい気がします。ちょっと複雑な気持ちにもなるでしょうけどね。長年乗ってきた車両ですから。因みに私は沿線としては宝塚沿線の者です。



Re: 京都線の車両 Y.K. - 2001/08/17(Fri) 22:51 No.208   HomePage

平成7年の7月初旬頃から8月中旬の運用最終日まで,普通・桂⇔嵐山の看板とともに,さよなら2800系のヘッドマークが取り付けられていました。まず2811Fが先に運用を終え正雀に回送されて来ました。2815Fとの8連運転に備え,2851号車には2862号車から転用したと思われる幌が付けられ留置されていました。そして,8月16日(だったと思う)に2815Fも運用を終えました。月末に正雀車庫〜十三〜三宮〜西宮車庫〜西宮北口〜十三〜正雀車庫の経路で惜別列車が2日間に渡って運転され,貸し切りの看板とともに特別のヘッドマークがついていました(初日と2日目でHMはデザインが違いました)。さらに10月になってから15日と22日の午前と午後に正雀車庫〜桂〜梅田〜正雀車庫のルートでまた運転がありました。そして29日には正雀車庫〜十三〜西宮北口〜宝塚〜石橋〜十三〜正雀車庫間で運転が行われ,最後の花道を飾りました。私は嵐山線での2815Fの最終日(2800系単独編成の営業最終日)に乗車したほかさよなら運転は2回足を運びました。

運転終了後11月に入ってすぐに編成はばらされ,それから間も無くしてJR側の線路上に並びました。番号を切り取ったりしてそのまま放置され,12月の初旬に2861号車を除く7両と2842号車の8両が解体されました。この年の6月には2812Fのうちの4両や震災で壊れた旧3109と2087号車の解体も行われています。このころ京都線の定期券を持っていたのでことあるごとに正雀で降りて様子を見ていました。ですので2811Fの車両が解体される姿などは撮影しておきました(普段は撮影はしないですがあまり撮れない光景なので)。なお,解体は以前からガラスや蛍光灯,ドアなどはついたままで押しつぶす方法です。解体は自分の経験からすると大抵月曜日から始まり,前日までには解体車両の横にショベルカーが停まっていますので,目安になるかと思います。

2802+2862の解体の模様を写したHPに繋いでおきます(当方が開設しているHPではありません)。なお,この2両は車両間の転落防止装置や新塗装の試験車両として廃車後5年間正雀で生き続けていて,たまに構内を走っていました。