無題 投稿者:マッチャン 投稿日:2001/12/10(Mon) 23:38 No.570  
製造当初は今より乗りごこちが良かった?3000系。
この車両の台車はいわずと知れた、住金製FS−345,45.
デビュー当時は軸バネにもコイルスプリングが使われていたんですよ。
そして、なんとその部分にもオイル・ダンパーが装着されて、枕バネ用も含めると一つの台車に合計6個ものダンバーてした。
現在は住友金属の商品名ですが「エンディコ・バネ」と称される、まるでコイルバネを縮めたような形のゴムを使用。
この結果乗りごこちが当初より悪くなった〜〜〜!のです。
特に電動台車のFS−345がよくないですね。
5000系のT車(2100番台)に使われている、FS−324のほうが、Y.K.さんもおっしゃっているようにこちらのほうが良いかもしれません。


Re: 無題 Y.K. - 2001/12/11(Tue) 00:53 No.571  

御指摘の台車は自分も写真では見たことがあります。なんで外したのでしょうかねぇ?外しても走行上問題なく部品点数が少なければ保守の手間や経費が削減できるからかも知れないです。

神戸線の5000系に編入中の2071系でアルストム台車を装備している車両は,バイキンマンさんも御指摘ですが,2171形だけでなく2071形にもあります。

乗り心地は個人的にはアルストム台車>ミンデン台車>エコノミカル台車ですね。前述の通りエコノミカルは空気バネ台車なのに金属バネ台車よりも乗り心地が良くないです。

(説明の都合上5001F・5010Fの編成替えはないとすると)5000系の5000F〜5006Fに編入されている2071系(2081F〜2086Fまでの12両)は,昭和52年から5000系に編入する目的で冷房・付随化工事を受けました。これらの車両が選ばれたいきさつは形式は違えど5000系と同様に空気バネを使用しているからです。しかし,乗り心地の悪さや保守管理の点で問題があったためか1010系や2800系の廃車発生品である通常のミンデン台車やアルストム台車に交換され,神戸線ではエコノミカル台車は早い段階で姿を消していました。一方京都線でも取り換えが進みましたが,2305・06・11がエコノミカル台車で残りました。

5000系の残りの3本は6連で残っていましたが,うち2本は2800系などを繋いで8連化され,最終的には現在のように2000・2071系を編入して全て8両になり表示改造も受け現在に至っています。


Re: 無題 マッチャン - 2001/12/11(Tue) 01:13 No.572  

軸バネをコイル・スプリングからゴムに変更したのは、推測ですが、分解組み立て時はミンデンの性格上、軸バネが弾けないように強い力で押さえながら外し、ちぢめながら組み立てるという大変な手間がかかるとか。
ゴムなら“ポコン”と外して、“ポコン”はめ込むだけで手間要らず。
こんな理由からではないでしょうか・・・?
真相を知りたいものです。
乗り心地の順位は私と全く同意見です。


Re: 無題 Y.K. - 2001/12/11(Tue) 01:23 No.574  

わかりました。またお願いします。


Re: 無題 バイキンマン - 2001/12/11(Tue) 12:13 No.575  

私は阪急のFS345の乗り心地はいい方だと思います。近鉄の900系や8000系の初期車はひどいですよ。


Re: 無題 マッチャン - 2001/12/11(Tue) 21:42 No.576  

バイキンマンさんへ
前述のようにこの台車、新造時はもっと乗り心地が良かったんですよ。
ジョイント部分も“カタカタカタ・・・”いったふうで感じるというより聞こえる、と表現したほうが適切だったかもしれません。
FS−245はアルストム式特有の、“トコトコトコ・・・”という
ガタ音が聞こえますが、これは、軸箱を支持するリンクに僅かな隙間を
確保しているからで、これはペディスタル式でも同様でその隙間のガタ音はどうしても発生します。
1000型を最後に阪急ではペディスタル式は「不採用」になり、現在に至ってます。
尚、ミンデンドイツ式では隙間や、ガタの無い構造です。
SS−319系列はどちらの分類になるのでしょう・・・。


Y.K.さん マッチャンさん 単独編成さん 投稿者:かわ〜 投稿日:2001/12/09(Sun) 16:35 No.561  
こんにちは。久しぶりの掲示板の書き込みです。

Y.K.さん
色々ありがとうございます。下の方の伊丹線の記事を見ました。鉄道関連の本で見た事がありますが、写真が白黒だったので見難かったです。インターネットではカラーなので本当に見やすいです。5/12「阪急関係(8)能勢電1000系@十三」の画像は貴重だったので保存しました。今、探しています・・・。

マッチャンさん
台車などについてはいろは坂さんが詳しく解説されております。下のアドレスはいろは坂さんのサイトの台車コーナーです。鉄道ピクトリアルや関西の鉄道などは鉄道部品屋に行ったらほとんどそろっています。お勧めは岡町の夢空間です。1970年〜ほとんどがあります。

http://tanpopo.sakura.ne.jp/~sakura/maroon/hankyu/sharyo/daisha/index.html

単独編成さん
ありがとうございます。現在13で、もうすぐ14になります。これからもよろしくお願いします。


Re: Y.K.さん マッチャンさん 単独編成さん マッチャン - 2001/12/09(Sun) 18:19 No.563  

教えていただいてありがとうございます。
ネット初心者でして知らないHPがまだまだあるようです。
「神宝線と京都線では駆動方式が異なり・・・」と坂さんのHPで紹介されていますが、2000系(これの高速走行音は聞くことができませんが・・・)と2300系とでは走行音も異なり、後者のほうが何ていうか高級感があり高速域でも“余裕”のようなものがあります。
前者は現役の3000系に似た音でした。


Re: かわ〜さんへ マッチャン - 2001/12/12(Wed) 00:25 No.582  

坂さんのページでのFS−345系列の写真では、軸バネ用ダンパーの台座らしき物が軸箱カバーと台車枠に有りますね。
現在では軸箱には何も残ってませんが、台車枠側では残っている物もまだ存在します。
注意して観察すれば判るはずです。


マッチャンさんへ Y.K. - 2001/12/12(Wed) 02:15 No.585  

リンク先のHPの管理人さんは「いろは坂」さんです。余計なお世話かも知れませんが,固有名詞ですので・・・。掲示板もありますが,発音すると同じになる「Macchann」さんがお越しですので,そちらの板ではハンドルネームは別のものにされたほうが良いのではと思います(一応ですけどね)。

以上,失礼しました。


Re:Y.K.さんへ マッチャン - 2001/12/12(Wed) 06:25 No.586  

「いろは坂」さん、解かりました。
以後気をつけます。ハンドルネームは別のものにします。
教えていただいてありがとうございます。


5010の画像 投稿者:単独編成 投稿日:2001/12/09(Sun) 12:34 No.541  
はじめまして。トップの画像の5010の白幕での写真はかなり貴重ですね。5010Fにはまだ乗車した事がありません。6007Fも乗車した事がありません・・・・。


Re: 5010の画像 単独編成 - 2001/12/09(Sun) 12:52 No.542  

追加です。5010の特集を見させてもらいました。すごいと思いました。本当にここは阪急のすべてを製作されていますね。12歳とは思えないほすごいです。


Re: 5010の画像 マッチャン - 2001/12/09(Sun) 13:00 No.543  

5010Fに乗車された時は運転席の圧力計にも注目してください。
左端のは従来2本だった指針が非常ブレーキの電気指令化で赤針が1本になってます。
電気指令化に伴い終着駅でのブレーキハンドルの抜き取り時にの“プッシャ〜〜!”の排気音が聞かれなくなりました。
これは3300系でも同じですが。


Re: 5010の画像 単独編成 - 2001/12/09(Sun) 13:17 No.545  

マッチャンさんありがとうございます。今から5010の撮影に出かけてきます。


祝・50000ヒット達成!! Y.K. - 2001/12/09(Sun) 14:23 No.546  


自分もトップページを見ましたが,カウンターが50000を超えていました。これからのますますの発展を期待しています!


Re: 5010の画像 いっぺー - 2001/12/09(Sun) 22:45 No.566   HomePage

こんばんは。
僕も見させて頂きました。5010にもルミナリエHMが付けられたようですね。
気付いたのですが、「今回の写真」の撮影場所、「宝塚にて」のままになっていますよ。


Re: 5010の画像 かわ〜 - 2001/12/10(Mon) 21:50 No.569  

いっぺーさん
指摘ありがとうございます。さっき更新をしたので修正をしておきました。


追伸 投稿者:マッチャン 投稿日:2001/12/08(Sat) 23:35 No.532  
Y.Kさんへ
2356の台車というのは、FS−33のことでしょうか?


台車 Y.K. - 2001/12/09(Sun) 10:07 No.533  

他サイトを参考にしたところ,住友のFS324A(アルストムリンク台車)と書かれていました。

2305などは,汽車会社のKS65A(エコノミカル台車)と書かれていました。


Re: 追伸 マッチャン - 2001/12/09(Sun) 12:12 No.540  

エコノミカル台車の乗り心地の悪さはさまざまなところで指摘されていますよね。
FS−345等にみられるヒョコヒョコした動揺は無いのですが、とにかくビリビリ振動がひどくレールのジョイント部分やクロッシング部分では音までがうるさいのなんの・・・。
とくに“満載”状態では「この電車、スプリング有るん?」なんて言いたくなるほどでした。
この種の台車を初めて見たのは、1010系オール空気ばね仕様の5連、の中のT車でした。


Re: 追伸 単独編成 - 2001/12/09(Sun) 13:16 No.544  

2307は今年の9月に出場したばかりなの台車を撮影されるなら今がチャンスです。1年も経てば台車が真っ黒になります。


Re: 追伸 バイキンマン - 2001/12/09(Sun) 20:50 No.564  

こんばんは。FS324Aは5002Fの2181,2082,2182にも使用されているのでこちらの方がきれいだと思います。


Re: 追伸 マッチャン - 2001/12/09(Sun) 21:44 No.565  

バイキンマンさんへ
FS-324台車の車両どうしの連結部分は神戸線ではもうすっかり珍しくなってしまった、いやもしかしたらこれだけ?(ご指摘の3両のどの組み合わせか忘れましたが)オリジナル広幅貫通路のままで往年の2000系の雰囲気を味わえますね。


Re: 追伸 バイキンマン - 2001/12/10(Mon) 20:04 No.568  

こんばんは。神戸線では5000Fの2184と2085の間、5002Fの2181と2082の間は広幅です。能勢電の1500,1700系にも広幅同士はありますがわざわざ修正して狭幅になています。


貫通路 Y.K. - 2001/12/11(Tue) 01:19 No.573  

貫通路の幅の広い形式に関しては10月6日に自分もまとめているので見ていただければと思います。

2000・2071・2100・2300系は運転台のない妻面では2341〜の大阪側,2391〜の京都側を除き全て幅広のドア無しの貫通路で竣工しています。バイキンマンさんが書かれている通り他形式に編入されたり他形式を編入することがなくても幅が狭くなっているものがいます。

幅を狭くした貫通路にはいくつか種類があり,狭い幌を付けるために着脱式の鉄板を外側に取り付けたもの(更にデコラのある無しがあります),鉄板を溶接によりつぎ足して狭くしたもの,ドアを付けて他形式と全く同じにしたものがあります。逆に能勢電は貫通路幅が広い車両と狭い車両を隣接させる際は,狭い側の車両に幅の広い幌を付けるためのアダプタの役割をする鉄板を外側に溶接している場合があります。地下鉄の60系の運転台車で中間に入ったものは取り付け方法は知りませんが,幌を付けるためのアダプタの役割をする金属板を外側に取り付けています。


Re:広幅貫通路 マッチャン - 2001/12/11(Tue) 22:06 No.577  

10月6日のページ、拝見しました。
たいへん詳しくてとても参考になりました。
小学校時代、南海高野線沿線から、阪急沿線に引越して、狭〜〜い幅の車体に広〜〜い貫通路の電車に驚いた記憶があります。
その電車とは、320、380、500系でした。
南海電車は全て狭幅でしたから・・・。


Re: 追伸 貫通路 マッチャン - 2001/12/11(Tue) 22:15 No.578  

これと、忘れてはならないのは、屋根にコブの付いた301?系で凄く乗り心地の悪い電車でした。


300形です Y.K. - 2001/12/11(Tue) 23:28 No.580  

御指摘の屋根の上にコブのある形式は300形です。1形・51系・90形などから続く車体寸法及びドア・窓の配置を踏襲しています。これを大型化したのが600系ですね。

301号車のカットボディの写真は10月9日に2093さんが立てられたスレッドの一番下のレスで自分がリンクしていますので見てください。また,自分が5月12日に立てたスレッドでは車体形状の分類を行っていますので合わせてご覧下さい。  


Re: 追伸 Y.K. - 2001/12/12(Wed) 00:11 No.581  

90形と300形では,300形の方が先に出来ていました。もっとも,90形が国鉄車両としてデビューしたのは300形よりも前になるとは思いますが・・・。


Re: 追伸 マッチャン - 2001/12/12(Wed) 00:39 No.583  

300形は木の床、シャンデリア風の白熱電球。
電球には「直流用・耐震型」と白い色で書かれていました。
MGからの電気の供給ではなかったことが判りますね。


Re: 追伸 マッチャン - 2001/12/12(Wed) 01:04 No.584  

600系は僕にはなんだか凄くアンバランスに感じました。
いやいや、決して悪い意味ではありません。
300形と同じ格好で、それなのに“ブワ〜〜ッ!”と凄い900、800形等と同じタイフォンの音。
そして、ダッシュ力も、これは610系でもそうでしたが、立ち上がりはおそらく900形系列よりも鋭くて、スピードはいっこうに上がらない、変な“奴”でした。
歯車比の設定によるのでしょうが、そんな思い出が有ります。


無題 投稿者:マッチャン 投稿日:2001/12/08(Sat) 23:25 No.531  
Y.K.さんへ
台車の話、ありがとうございます。
2814Fはそうでしたか、2両が金属バネだったんですね。
僕の勘違いでした。手元に資料が無く、記憶だけで書きましたもので、間違いも多いかと思います。
さて、台車のことで新しい話に切り替えまして、近年は「ボルスタレスでなければ台車にあらず」といった風潮が感じられますね。
JRの新系列はもちろん、阪急7012Fでの試用、8200、8300系の最新バージョン等など。

さて、その乗り心地ですが僕には従来のFS−369(A)系列のほうが優れているように感じられるのです。
5000系で初めて採用されてすでに30年以上、いわば旧式ともいえるこの台車は現代でも充分通用する、非常に優れた住友金属の傑作だと
思います。


台車 Y.K. - 2001/12/09(Sun) 10:14 No.534  

5000・3300系で採用された空気バネ台車ですが,5200系からは冷房搭載による重量増加のため,ジャーナル径が太くなりました。5000・3300系は同系の台車ですが冷房改造時に車軸の強度を増強する工事がなされています。台車の形式は違いますがそれ以前の冷房化された形式の車軸も同様だと思います。


以前のリンクのやり直しetc 投稿者:Y.K. 投稿日:2001/12/08(Sat) 19:28 No.519  
5月ごろから色々な画像を見て頂こうとあちこちにリンクしていますが,その後アドレスが変わったり閉鎖されたりして閲覧不能になったものがありますのでやり直しておきます。


 Y.K. - 2001/12/08(Sat) 19:35 No.521   HomePage

9月8日にリンクした「阪急電車(5)(6)」です。阪急関係の写真は下の方から入って下さい。 


 Y.K. - 2001/12/08(Sat) 19:39 No.522   HomePage

同日の「大阪市営地下鉄(2)」です。

(当時の解説文)
御堂筋線の30系です。正面ドアだけでなく側面にもカラーが入り,さらに正面左右に飾りがついた姿です。中央線は緑です。非冷房車は晩年千日前線を走りましたが,その時はピンクです。中央線の50系は実際にはドアの横に部分も少し緑でした。家をクリック。


 Y.K. - 2001/12/08(Sat) 19:45 No.523   HomePage

9月16日の「標識板(2)」です。


 Y.K. - 2001/12/08(Sat) 19:48 No.524   HomePage

9月16日の「標識板(13)」です。
今ではなくなった種別です。


 Y.K. - 2001/12/08(Sat) 19:58 No.525   HomePage

9月9日「Re:基本的な質問(2)」です。


無題 Y.K. - 2001/12/08(Sat) 20:06 No.526  

なお,

5/12「阪急関係(8)能勢電1000系@十三」は復旧不可で,

9/8「地下鉄関係(6)」は写真が差し替えられています。


無題 Y.K. - 2001/12/08(Sat) 20:09 No.527   HomePage

尚宏阪急さんのBBSでもかなり繋ぎました。
BBS(2ページとも)や過去ログを見て下さい。

とりあえず,そちらへリンクしておきます。


 Y.K. - 2001/12/08(Sat) 20:16 No.528   HomePage

改めて尚宏阪急さんのBBSでやり直すつもりですが,とりあえずこちらで復旧させておきます。

9月30日
阪急⇔山陽乗り入れ関係23

東二見に残る廃車です。


 Y.K. - 2001/12/08(Sat) 20:18 No.529   HomePage

その27,廃線などです。


無題 Y.K. - 2001/12/08(Sat) 20:26 No.530  

9/21 比較的最近の写真(2)及び

9/30 阪急山陽関係(10)は復旧不可でした。

これ以外にかわ〜さんや尚宏阪急さんのBBSで自分がリンクしたページで見られないとか解説が分からないというのがあったらお申し付け下さい。

過去ログに関して一部欠けている部分がありますが,手直ししていただいているところです。


 Y.K. - 2001/12/09(Sun) 10:23 No.535   HomePage

オリジナルが5月12日で19日にかわ〜さんに再度まとめていただいたスレッドのやり直しです。

「写真集へリンク(2)」です。


 Y.K. - 2001/12/09(Sun) 10:26 No.536   HomePage

同日の「ダイヤモンドクロス(2)」です。


10 Y.K. - 2001/12/09(Sun) 10:29 No.537   HomePage

同日の「昭和40年代前半に廃車された車両(2)」です。


11 Y.K. - 2001/12/09(Sun) 10:36 No.538   HomePage

以前にリンクしているかも知れないですが,山陽関係です。


12 Y.K. - 2001/12/09(Sun) 10:38 No.539   HomePage

最近の地下鉄60系です。


教えてください 投稿者:マッチャン 投稿日:2001/12/07(Fri) 00:19 No.514  
昭和53年「鉄道ピクトリアル」阪急特集の記事で思い出したことがあります。
“阪急の車両が阪神の線路を走ったはなし”のなかで、当時は線路がつながっていた今津駅からオーバーランした阪急電車が阪神の久寿川駅の
ホームにつかえて止まった・・・(原文どおりではありません)という記述。
私もこの渡り線は見たことがあります。架線はつながっていなかったと記憶します。
この渡り線は後に撤去され、フェンスが張られていました。

で、私が知りたいのは何故線路がつながっていたのか?・・・ご存知の方、教えてください。


Re: 教えてください Y.K. - 2001/12/07(Fri) 00:38 No.515  

貨物の連絡輸送(特に軍事目的)が関わっていたそうです。暴走したのは600系ですね。阪神国道に行くまでの坂で故障して救援に来た920系に繋ごうとしたところ,連結するまでにブレーキを解除したらしく,そのまま坂を下っていったそうです。陸運局の許可もなく他社線を走ったケースはこれが最初で最後ではないかと言われています。

昭和40年代〜現在に至るまでの阪急を中心とした鉄道の書籍や写真類は友人が沢山所持しているのですが,その友人が行方不明なため資料を閲覧できなくなっています。

自分も阪急や鉄道の本は沢山あったのですが親が捨ててしまいました。ポスター集で「最も有望なる電車」と表紙に縦書きされた本(白黒とカラーの2種),6357や7305が表紙の「阪急の電車」,5104が表紙の「ヤマケイのハンドブック阪急」,鉄道ジャーナル(昭和50年頃のもので2019の特急が六甲を通過している写真が載っているもの),1駅ずつ紹介した本・・・などいろいろありました。ミニチュア看板ではエキスポのものもありました。

知人には53年と平成元年の鉄ピク,「関西の鉄道」各種,132Fが表紙の昭和45年の何かの阪急特集,昭和49年頃の何故116が保存車になったかの経緯が書かれている本・・・などを見せてもらいました。


Re: 教えてください マッチャン - 2001/12/07(Fri) 06:35 No.516  

お返事、ありがとうございます。そうだったんですか・・・・。
阪急最急の勾配(確か40パーミル以上)を下って、最急のカーブをよく“無事”に通過できたものですね。

・・・僕にととって貴重な資料、ウチでは家内が捨ててしまいまして・・・(怒り・そして諦め・・)


懐かしく・・・ 投稿者:マッチャン 投稿日:2001/12/06(Thu) 00:50 No.505  
Y.K.さんへ
懐かしい写真をありがとうございます。
じつはひと月ほど前にパソコンを購入したばかりで、最近貴殿のページを知りました。
雑誌で見るのとでは感銘度が違います!

さて、ダイヤモンド・クロスを通過するときの音も車種によって様々でしたね。
釣懸け式のホイルベースの長いやつはバラバラのリズム。
1000系と1010系以後の新造車とでは異なったリズムを刻んでましたが、どちらも規則正しいリズム・・・今でも鮮明に耳に残っています。


Re: 懐かしく・・・ Y.K. - 2001/12/07(Fri) 00:04 No.511  

>マッチャンさん

こちらこそどうも。管理人さんは当方ではなく,かわ〜さんです。

淡路などのシーサスクロッシングでも継ぎ目の上を通過するときはそれなりの音を発しますが西宮北口のダイヤモンドクロスほどではないですね。本線車両は今津線の上下線2本を跨ぐだけですが,今津線車両は神戸線の上下線及び副本線の計4本の線路を跨いでいたのでかなりの音でしたね。


トップナンバー 投稿者:マッチャン 投稿日:2001/12/05(Wed) 22:08 No.503  
Y.Kさんへ
2154が二代目2050だったとは知りませんでした。六甲駅での事故後、伊丹線で見た記憶、これ僕の勘違いかと思ってました。
2050・2000・2051・2001の 4連だったように記憶します。

それから余談ですが、その形式のトップナンバーというのは阪急ではどうも縁起が悪いようで、その昔 西宮北口〜夙川間が高架になる前、阪神バスと踏み切り事故をおこし、三宮行き特急運用(当時は6連)の3001号車が小破したことがあるんです。
又この編成は2年ほど前、中津駅では大阪行き普通(3050号)で人身事故をおこしてるんです。
僕はこの二件の事故をどちらも目撃したんです。

これ以外でもトップナンバーでの事故が多いと聞きます。


Re: トップナンバー Y.K. - 2001/12/05(Wed) 23:45 No.504   HomePage

これは過去にも書いたと思うのですが,神戸線の大阪側先頭車が事故に遭いやすいというジンクスは大昔からのものです。昭和53年の「鉄道ピクトリアル/阪急特集」などにも詳しく書かれています。3050のような小さいものも含めればどのくらいになるのか分からないですが,2050のように廃車になったり何系だったか記述を忘れたのですが(過去の形式です),新製直後にトラックと衝突したか何かした車両があったはずです(その後長期間工場に収容)。

1000形の編成は本来1000−1001+1002−1003となる予定でしたが,記念すべき1000号車を傷付けてはならないということで敢えて編成の中間にしたほどの気の使いようだったそうです。

それで本の出版から6年後に2050は事故に遭い廃車になってしまいました。

ご覧になった4連は,2050−2000−2051−2014のはずです。2001は冷房改造したときに運転台を撤去していますし,能勢には行かずに解体されています。現在この編成は1754Fになっています。

結局2100系で解体されているのは2043と2094(元2113と2164)の2両だけです。

以前にもリンクしていますが,2050の事故の様子や2001号車が出ているHPに繋いでおきます。


Re: トップナンバー 2093 - 2001/12/06(Thu) 02:57 No.506  

Y.K.さん

 何時も万博でお世話になっております2093です(笑!)

>何系だったか記述を忘れたのですが(過去の形式です),新製直後にトラックと衝突したか何かした車両があったはずです

 これはもしかして、大正14年(1925年)に造られた510号車の事ではないでしょうか?阪急最初というより、日本最初の全鋼製車両として登場した試作車です。1両のみ造られました。
 登場翌年の大正15年10月(確か私の記憶では14日だったと思うのですが間違ってたらすみません)、十三付近にてトラックと衝突、大破さら、結局廃車になってしまった、悲運の車両です。またこの事故が、結果的に全鋼製車としての強度実験の様な形になってしまったのも、何とも皮肉な話です。この510型の経験を踏まえ、翌大正15年に全鋼製量産車として登場したのが600・800型(後600系)です。ご存知、屋根の深い川崎車両製独特のスタイルを持つと共に、こちらの方は昭和50年(1975年)まで、49年に渡って使用され、阪急最長寿の記録車両となっています。
 2300系が、この記録にどこまで迫れるかが注目すべきところです。


訂正 2093 - 2001/12/06(Thu) 03:03 No.508  

誤=大破さら、結局廃車に
正=大破され、結局廃車に

お詫びして訂正致します。


Re: トップナンバー マッチャン - 2001/12/06(Thu) 23:24 No.510  

その記述、あ〜〜ぁ・・・昭和53年の「鉄ピク」阪急特集、買ってどこかにしまいこんであるんですが〜〜っ・・・。


Re: トップナンバー Y.K. - 2001/12/07(Fri) 00:05 No.512  

>2093さん

こちらこそどうも。

自分が記事で見たのは800系か810系だったように思います。510号車は大正14年に日本初の全鋼製車として700形(後の300系310〜)と同じ寸法で製作されました。ただし,上昇窓が採用されていました。翌年の10月14日に十三駅で600・800形(後の600系)の編成と衝突し復旧されることなく廃車となり,807がその代車として制作されました。「阪急の電車」に書かれていたと思いますが事故の衝撃で開けた状態の窓が勢いよく閉まり,長髪の女性が髪を窓に挟まれたので以降に登場する阪急の車両は終戦直後の規格形車両と元京阪の車両を除けば全て下降窓となったそうです。

600系の改番は相当複雑です。また,1200系登場に際し一時期全車が電動車になったこともありました。510は807→692→807→657→607と番号が変わっています。

大正生まれですが昭和40年代には昇圧工事も実施され,以降は610系との混合編成で先頭に立つことは殆どなくなりましたが昭和50年まで半世紀も生き延びたのは大したものです。他社へ譲渡後の活躍年数は含めず阪急の内部だけでしかも旅客車として運用されていた期間はこれが一番長いでしょう。

ちょっと別のニュアンスになりますが,9年前まで能勢で活躍していた610系は車体乗せ替えで台車も320や500系から捻出したものですが,名義上は1形や51系の改造車でそれぞれ旧番号を持っています。一部書きますと

610・・・旧53
634・・・旧 7
660・・・旧79 となっています。

ですので名義上7などは阪急では70年ほど活躍したことになっています。能勢を入れれば80年近くになりますね。

他社に行ってからも含めると,3や26は野上電鉄に車体のみ譲渡され平成6年まで実に84年もの間使用されていました。

改造を重ねた結果台枠のみが生き延びる格好となりましたがJR川越線・八高線で活躍する103系3000番台は戦争の前後に製作された72系のアコモ改善車で昭和27年や29年のプレートを付けているそうです。つまり彼らは来年で50歳になります。入れ替わりの激しい首都圏でこれほど長生きしているのは奇跡といえます。また,6年ほど前までは阪急の100系と同い年のクモハ12が鶴見線で活躍していました。同車はこの時点で車齢が68年に達していました。JRでは山口の長門本山支線にも昭和一桁生まれの車両が充当されていますね。


懐かしの画像 投稿者:Y.K. 投稿日:2001/12/02(Sun) 11:57 No.478   HomePage
2ドア・非冷房時代の2800系急行です。特急専用時代に急行運用に就く画像や写真はあまり見たことが無いです。

旧梅田駅に入線するシーンで,左側に現在の駅の足場が見えています。既に神戸・宝塚線は現在の駅になっていました。現在でも大阪環状線の橋桁などにその遺構を見ることが出来ます。


懐かしの画像(2) Y.K. - 2001/12/02(Sun) 12:09 No.479   HomePage

嵐山駅に停車中の「700系」の写真です。解説では710号車を710系と解説していますがこれは間違いです。700系は大阪側のMcが701〜705,京都側のMcが706〜710となっていて,710系は711〜です。京都線の車番は1から始まっていたので注意しないと間違ってしまいます。

なお700系は昭和23年製で昭和51年までに廃車されています。姉妹車として宝塚線の550形,京阪線の1300形がいます。中間T車の750形は京阪電鉄新京阪線時代の昭和18年製で,京阪本線には姉妹車の1200形がいました。どちらも元はMcとして計画されていましたが折からの資材不足でT車として建造され以降も電装化されませんでした。京阪の1200形は車体更新時と台車・電気品交換時にそれぞれ名義上廃車となっていますが,現在も姿を変えて活躍中です。


懐かしの画像(3) Y.K. - 2001/12/02(Sun) 12:13 No.480   HomePage

梅田駅の変遷です。なお図の時代は省線であったり国鉄であったりしてJRではありません。2つ上の写真は第7期のころです。


懐かしの画像(4) Y.K. - 2001/12/02(Sun) 12:40 No.481   HomePage

大山崎〜長岡天神間を走る2814Fの特急です。冷房もない時代の2800系はとてもスマートです。5000系以前の非冷房車も趣味的には原形の方が格好良かったと思います。解説では昭和35年製となっていますが,実際は39年です。

同じ時代に出来た3000系は全車健在であるのに対し,2800系は昭和63年から廃車が始まり現在では全車除籍されています。なお,昭和39年組の3000・3100・2800系は当初2500・2600・2800系として計画されていました。なぜ3000・3100系になったかというと2000・2100系では運転台のある無しを車番で判別することが出来なかったからです。

宝塚線を3000台に繰り上げたため3300系が3000・3100系と同一グループであるかのような錯覚を持たれてしまう原因になっています。実際は5000系と3300系が姉妹車です。それと5100系は6000系となる予定でしたので,もしそれが実現していれば誰も5100系は5000系と同一グループとは思わず6300系(実際には5300系)と同じグループでしかないという認識になっていたでしょう。

数字がそう意識させるので,たとえ似通っていても6000系と7000系が同一のものであるという考えを持つ人はいません。逆に5000系は5300系と共通したものと考えられてしまう傾向にあります。もっとも冷房機の形状や台数・並べ方が千の位が5の形式はどれも似ているし(昭和40年代後半に建造or改造),3の形式(昭和50年代後半の改造)もそれぞれ似ています。

3000・3100系はコイルバネ台車で50年代初期の冷房改造車を後から表示改造したバージョンに見られるずれた位置の表示幕を考慮すれば2800系亡き後の京都線では2300系に近い存在です。

5000系は元々冷房無しでひし形パンタが1台だけですので冷房や表示改造されてしまった現在では判別しにくいですが京都線車両では3300系に近いと言えます。現に「阪急沿線」の車両を紹介したページでも3300系と5000系は同じ号の同じページに掲載されています。

それでリンク先のHPの2番目の写真は京阪1900系で昭和31年建造の旧1810形を含む45両が全車健在で区間急行以下の種別で活躍中です。


懐かしの画像(5) Y.K. - 2001/12/02(Sun) 12:49 No.482   HomePage

梅田駅に停車中の3080Fの普通と5200Fの特急です。看板のデザインからすると22年くらい前だと思います。18年ほど前ですが,3031号車は近所にマンションが建つ際,駅から近いということをアピールするためか,いつも広告に写真が登場していました。5200Fはもうじき廃車から10年です。このころは5230−5240の増結ユニットを反転させて2・3両目に組み込まれていたはずです。

京阪の2273Fを含む2200系(昭和39年製)は今も全車本線の急行以下の種別で活躍中です。


懐かしの画像(6) Y.K. - 2001/12/02(Sun) 13:09 No.483   HomePage

模型ですが阪急では短命に終わった2100系です。おそらく10代の人は能勢電に行ってからの活躍しか知らないでしょう。登場時から昭和44年の昇圧時まではこのようにパンタが2台あり,のちに後ろの1台を外しました。現在はパンタは後ろ側に移動しています。なおパンタのある先頭車が“宝塚側”です。ご注意を。

2100系は30両建造され(A)2162〜2114までの6両が出力増強で,(B)2153〜55の3両が番号の振り替えや代車で,合計9両が2000系の一員となりました。現在阪急にいる元2100系の2000系は(A)のパターンでは2093(元2163)と(B)のパターンでオリジナルの2055・2059が能勢に行った代わりに阪急に残り車籍上はそれぞれを引き継いだ2055・2059(元2153・2155)の3両となっています。ということですので純な2000系は5008Fの2066と2069の2両だけになっています。

つまり能勢電の1500系は24両いますが元2100系は21両で残りの3両は2000系であるオリジナルの2055と2059(名目上は2153・2155と思ってよい)と本当は来るはずじゃなかった2021系の2030号車です(六甲事故で廃車の2050の代車で能勢に来るはずだった2154が2代目2050となったため)。


懐かしの画像(7) Y.K. - 2001/12/02(Sun) 13:31 No.484   HomePage

白黒画像ばかりですが,最近まで5001Fの中間に入っていた2183が2021系ばかりの単独編成を組んで先頭に立っている写真(写真では梅田行きなので一番後ろ=2033号車)や能勢電の1051になった1159,9年前まで能勢で現役だった610Fなど比較的幸運な車両が掲載されています。「型」としているのは「号車」にでもしたほうがいいでしょう。

写真はクリックすると大きくなります。


懐かしの画像(8) Y.K. - 2001/12/02(Sun) 13:55 No.485   HomePage

過去に同じページの別の個所をリンクしています。ここでは710系の特急などが出ています。この時代,京都線の十三〜梅田はまだなく写真の特急は宝塚線の線路を走行しています。京都線の急行が看板を反対側に付けていたのは,十三駅のポイント係が遠くからでもどちらの線の車両なのか識別できるようにとの配慮だったと聞いています。その操作をしていた部屋は十三駅の2・3号線の間の蓬莱の上の辺りにありますので分かるかと思います。

その下の写真ですが北野線が写っています。この敷地を活用して京都線が造られました。神戸・宝塚線は線路が坂になっていますが,国鉄の高架の下を潜るためです。(1)の写真でも分かりますが高架線の壁を見れば梅田コマの斜め南辺りまでは古いデコボコのある外壁で,それより梅田駅方向は新しい平らな外壁になっているのがわかります。京都線部分は新旧の壁の接続部分の古い壁が少し東側に張り出しているので,旧梅田駅に通じていたスロープの始まりの跡であることが分かります。電車内からよりも駅の東側の道路を実際に歩くと分かります。


懐かしの画像(9) Y.K. - 2001/12/02(Sun) 14:02 No.486   HomePage

古い時代から最近のものまで色々です。


懐かしの画像(10) Y.K. - 2001/12/02(Sun) 14:19 No.487   HomePage

こちらは画像ではなくて絵ですが,現在能勢電1700号車となっている阪急2003号車の登場時の姿です。平成元年頃までは2000系ばかりの編成で中間車ながら本線運用に就いていました。運転台が残っているのに何故か半永久密着連結器になっていました。京都線2300系で中間運転台と撤去車の連結器がボルト式になったのは平成4年頃からです(2306・08・55・57を除く)。


懐かしの画像(11) Y.K. - 2001/12/02(Sun) 14:36 No.488   HomePage

終焉期の2000系です。この編成が惜別運転に使用されました。


懐かしの画像(12) Y.K. - 2001/12/02(Sun) 14:53 No.490   HomePage

電鉄須磨駅(当時の名称)で並ぶ3社の車両です。最近発売されている川島令三氏の本の表紙には電鉄須磨駅に停車中の2359の特急が登場しています。2300系は今津線も走っていますが「今津北線」とか「今津南線」という名称は17年前の分断後に出来た「通称」であって現在も正式名称は今津線です。ダイヤモンドクロスが存在した時代には一々南北を区別する必要がなかったわけですから(折り返し列車もありましたが・・)。現在南線になっている部分には2000・2300・3000・5000・5200・6000・7000系などの6連車も入線しています。もちろん過去に存在した車両もです。  


懐かしの画像(13) Y.K. - 2001/12/02(Sun) 15:07 No.491   HomePage

昭和初期の上筒井駅です。元々神戸線の西のターミナルはここでした。昭和11年に神戸駅(現在の三宮駅)まで開通してこちらが本線になってもしばらくは支線として存続していました。

最近疾風板で話題になっていますが,王子公園の梅田寄りの分岐線は元はここに通じる路線の始まりの部分でした。

なお,神戸駅が三宮駅に改称されたのは神戸高速開通日の昭和43年4月7日,西灘駅が王子公園駅に改称されたのは昭和59年6月1日です。


訂正・補足 Y.K. - 2001/12/02(Sun) 15:29 No.492  

(4)の3段落目「宝塚線を3000台に」は「神戸線・宝塚線を3000台に」,

(4)の最終段落京阪「1810形」は「1810系」にそれぞれ読み替えて下さい。

(8)の2段落目「(1)の写真でも」以降は現在のことです。


懐かしの画像(14) Y.K. - 2001/12/04(Tue) 23:08 No.502   HomePage

大阪市営地下鉄関係のHPにリンクしました。

12月6日で堺筋線は開業から32年を迎え同時に60系使用開始から32年となります。花博のシールからすると11年前で,今は無き第3軌条の50系や6連・非冷房表示時代の堺筋線60系が登場しています(写真の6013F編成は3・4両目が冷房表示改造されずに解体されています)。阪急3305Fも当時は6連でローマ字表記はありません。この頃3300系の8連はまだ4本くらいしかありませんでした。

新20系はまだ登場したての頃で数本が四つ橋線・谷町線に在籍していたのみです。つまり冷房車の両数も現在と比べればはるかに少なかった時代です。


Re: 懐かしの画像 マッチャン - 2001/12/06(Thu) 22:58 No.509  

700系はほんと、懐かしいです。
私の高校は正雀に有り、当時この電車にもよくお世話になりました。
タイフォンの音が独特でかん高い、そう今津線で活躍してた500、380系と同じ音でした。
晩年には試験的にブレーキにレジン・シューを使用していて、静かな止まりっぷりでした。


Re: 懐かしの画像 Y.K. - 2001/12/07(Fri) 00:08 No.513  

>マッチャンさん

レスありがとうございます。

今後もご意見・ご感想・情報をお待ちしています。


Re: 懐かしの画像 マッチャン - 2001/12/07(Fri) 23:09 No.517  

2814Fの登場時は5連で全て空気バネ台車(形式は忘れました)で、乗りごこちはgoodでした。
が、その後8連化では新造の3輌はそれまで継承されてきたFS−345.FS−45の金属バネ。
空気バネと金属ばねが混在する編成となり、僕なんかわざわざ空気バネの車両に乗ったものでした。


Re: 懐かしの画像 Y.K. - 2001/12/08(Sat) 11:00 No.518  

2814×8の台車ですが,自分も詳しい形式は知らないので本で調べないと判りませんが,シンドラ形空気バネ台車だったのは2884を含む6両で,2844・2894は通常の金属バネ台車(ミンデンドイツ台車)でした。

乗り心地は確かに良かったですね。乗り心地の良さを買われて7編成中で一番最後まで2ドア特急専用車として活躍し,3ドア急行用に格下げされてからも代走特急の際は優先的にこの編成が使用されていました。

これも本で見れば判ることですが2884は2814Fから抜けた後は,空気バネ台車(エコノミカル台車)の車両ばかりで構成された2311F
2311-2331-2884-2361+2320-2340-2370
に編入されていましたが,後に京都側3両を金属バネの2312〜に差し替えています。大阪側4両も機器がぎっしり詰まっている関係で台車を取り換えられない2311を除くと2331と2884がミンデンドイツ台車に,2361はアルストムリンク台車(金属バネ)に交換されました。

2305なども使用していたエコノミカル台車は空気バネの割には乗り心地が悪いですね。2356などが使用している金属バネの方が乗り心地はずっと上ですし騒音や振動も少ないと思います。2071系や能勢電の車両でも前者から後者へ置き換えられた車両がいますが,理由がよくわかります。エコノミカルは見た目はシンプルでも中の部品点数が多かったり,部品の調達などでも苦労が多かったそうです。


伊丹線の車両 投稿者:おだ〜 投稿日:2001/12/02(Sun) 10:29 No.474  
こんにちは。
伊丹線の車両は終電後、西宮車庫に回送されるのですか?


Re: 伊丹線の車両 Y.K. - 2001/12/09(Sun) 14:31 No.547  

必ずしも全てが回送されるとは限らないでしょう。

たとえば震災発生時,伊丹駅に停車していた5201Fは前日から留置されていたのではないでしょうか?伊丹線車両で車庫以外で一夜を明かす場合,防犯上の面から見ると留置可能なのは伊丹駅くらいしかないのではないでしょうか?塚口や他の2駅でもあるのでしょうか?


伊丹駅と震災(1) Y.K. - 2001/12/09(Sun) 14:35 No.548   HomePage

阪急電鉄副会長の菅井基裕氏の話です。


伊丹駅と震災(2) Y.K. - 2001/12/09(Sun) 14:37 No.549   HomePage

震災直後からの定点観測です。


伊丹駅と震災(3) Y.K. - 2001/12/09(Sun) 14:40 No.550   HomePage

被災した列車の位置を示しています。


伊丹駅と震災(4) Y.K. - 2001/12/09(Sun) 14:44 No.551  

震災直後と現在の様子です。

被災した8両の車両は1両ずつクレーン車で持ち上げられ手前の道路に降ろされ,そこから正雀までトラックで回送されました。

損傷のひどかった2087と3109(初代)は廃車になりました。


伊丹駅と震災(5) Y.K. - 2001/12/09(Sun) 14:50 No.552   HomePage

こちらでも3159Fの写真が出ています。伊丹市内でこれほど大きな被害を受けた建造物は阪急伊丹駅くらいしかないです。おそらく停車中の電車の重み,つまり1両平均30トンとしても8両で240トンもの圧力が上からかかっていたので,耐えられなかったのでしょう。


伊丹駅と震災(6) Y.K. - 2001/12/09(Sun) 14:53 No.553   HomePage

震災を始め各種ビデオが発売されているようです。


伊丹駅と震災(7) Y.K. - 2001/12/09(Sun) 14:58 No.554   HomePage

震災で被害を受けた鉄道施設の“主な”ものです。
3つ上の写真にも繋がっています。


伊丹駅と震災(8) Y.K. - 2001/12/09(Sun) 15:01 No.555   HomePage

こちらは三宮の様子です。


伊丹駅と震災(9) Y.K. - 2001/12/09(Sun) 15:05 No.556   HomePage

新駅舎が完成した当時の新聞社の報告です。
この当時は未だ新伊丹〜伊丹は単線で暫定復旧でした。


伊丹駅と震災(10) Y.K. - 2001/12/09(Sun) 15:09 No.557   HomePage

開業日の様子です。

旧伊丹駅舎は川西能勢口若しくは宝塚方面への延伸を考えて園田駅のような作りになっていましたが,その計画もなくなったため完全な行き止まり構造になりました。


伊丹駅と震災(11) Y.K. - 2001/12/09(Sun) 15:14 No.558   HomePage

障害者にやさしい駅を目指した伊丹駅の内部です。


伊丹駅と震災(12) Y.K. - 2001/12/09(Sun) 15:17 No.559   HomePage

別のレポートです。


交通アクセス情報 Y.K. - 2001/12/09(Sun) 15:20 No.560   HomePage

各駅の紹介です。


無題 Y.K. - 2001/12/09(Sun) 17:16 No.562  

(4)でリンクし忘れたので(7)からたどって行って下さい。


Re: 伊丹線の車両 マッチャン - 2001/12/09(Sun) 23:15 No.567  

伊丹線からの車両は神戸線、塚口駅構内の西宮北口方向への渡り線が今高架の仮線工事の関係で消滅したため、いったん園田駅まで行ってから、同駅の渡り線を使っています。


Re: 伊丹線の車両 おだ〜 - 2001/12/13(Thu) 16:53 No.595  

いろいろとありがとうございます。