[261] 東京に行って来ました(1日目)
投稿者:Y.K. 投稿日:2001/03/09(Fri)
09:00:58 |
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おはようございます。
先日東京に行って参りました。駄文ですが興味のある人は読んで下さい。
先日,3月7日(水),8日(木)は用があったので東京に行って参りました。昨年の7月15,16日以来約8ヶ月ぶりの上京です。その前が89年の8月で11年も行けなかったことを考えると,まだこの間行ったところという気がしないでもないです。
7日は起きてTVをつけたら,新神戸〜新大阪で送電がストップしているというニュースが何回も流れました。自分は遅れてはならないと言うことで予定より早めに出発。10分あれば駅に着くのですが,改札の辺りは既に人だかりが出来ていました。
切符を買うのにも時間がかかったのですが,問題は列車の遅れです。自分が駅に着いた頃とほぼ同時刻に送電が復旧し,全線で運転が始まりました(9:40頃)。自分は自由席なので遅れても構わないのですが,数本運休していたたためか,復旧直後は自由席に乗ろうとする人の長蛇の列が出来ていました。また,たとえ遅れていても駅では本来の発車時刻でアナウンスするので自分も頭の中が混乱していました。「9:33発のひかり〜号」と言っても実際に発車したのは,10:35分でした。車両は300系でした。
東京までの約3時間はご多分に漏れずずっと景色を眺めていました。京都から隣りに中年の男性が座ってきましたが,すぐに何やら話しかけてきました。このおじさんはあまりにも面白くてユニークな経歴の持ち主で書くと長くなるので割愛します。
東京駅に到着してまだ少し時間があったので,総武快速・横須賀線の地下ホームを見に行きました。ここのホームに来るのは20年ぶりで,当時はスカ色の113系や183系が当たり前のように出入りしていたのに,113系は一昨年の12月で撤退し,183系も徐々に活躍の場を狭めています。自分が階段を下りきったときに丁度E217系の大原行きが入ってきました。まもなくして253系「成田エクスプレス」もやって来ました。
その後,営団の東京駅へ。営団は12年ぶりです。六本木付近の目的地まで行くために,丸ノ内線で銀座へ。銀座から六本木までは日比谷線を使いました。双方の路線とも記憶のある限り初めての乗車で,日比谷線では東武の電車に初めて乗車しました。プレートはよく見えなかったのですが,93年頃の車両でアルナ製。モハ23854と書かれていました。活躍の場は全然違っても阪急の電車と生まれたところは一緒です。車両に関してはどちら乗心地は良かったです。
所用を済ませ,夜の街へ。六本木→赤坂→赤坂見附(あかさかみつけ)・永田町→麹町(こうじまち)→市ヶ谷(いちがや)まで歩きました。自分は東京の地理も研究しているのですが,紙上と実践ではやはり状況が異なり地下鉄は見えないところを走っていますし,若干迷いそうになったのですが,見覚えのある目標物(自分の場合はTV局)を目当てに歩いていきました(よく見る日テレの前の通りも初めて通ってきました)。
市ヶ谷はJR中央本線の駅です。自分は昔はユースホステルを利用していて,東京に滞在したとき市ヶ谷にあるユースを使ったことがあるのですが,自分が宿泊した翌年(84年)には解体されると言う話を職員の方から伺っていたのですが,詳細な場所は忘れたので今その場所がどうなっているのか不明です。夏の暑いさなかクーラーも扇風機もなく,寝苦しくて市ヶ谷駅が消灯するまでずっと起きていました。
そこから,総武線まで乗り入れる幅の広い209系の津田沼(つだぬま)行きに乗車。電気街で知られる秋葉原(あきはばら)で京浜東北線(大宮までの東北本線の各停路線)に乗り換え,上野駅まで行きました。車両はもちろん209系で,南浦和(みなみうらわ)行きでした。すぐ横を併走する山手線も満員でやはり首都圏は混雑の度合いが違うなぁと思いました。しかし,2本の列車が併走するため列車当たりの混雑度は自分が乗車したときでは御堂筋線よりもちょっとましな方でした。
上野駅からすぐの所に宿泊して,1日目は終了と行きたかったのですが,ホテル側の手違いで間違った部屋のカードキーを渡され,部屋をチェンジしたりして面倒なことに。1人で泊まるのに,4つもベッドが用意されていておかしなと思っていたら,すぐしたの部屋だったらしく,向こうが「312」を「412」と間違えたための出来事でした。 |
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東京に行って来ました(2日目)
投稿者:Y.K.
- 2001/03/09(Fri) 10:48:52 |
2日目は朝10時30分以降は実質お遊びです。みなさんも知っておくと便利ですが,JRは片道601キロ以上乗車する場合,乗車券を往復で購入すると1割引になります。自分は大阪市内から東京都区内まで(556.4キロ)の乗車券で良かったのですが,往復割引を考えると「601〜640キロ」の区間までの乗車券を購入した方が有理なので,640キロ直前の東北本線・小山(おやま)駅までの乗車券を購入しました。安い上に乗車できる距離も増えるというありがたいシステムです。しかも,中学生以上の学生には学割(2割)も利き,場合によっては通常の約72%の運賃で乗車することもできます。小学生の人は既に半額なので学割はありません。
自分は朝,やってしまわなければならない作業をホテルでやって,警視庁上野警察署で郵便局の場所を聞いて高速沿いに北上。途中,本では見たことがある営団銀座線の踏切が目に入り見に行きました(出入庫用)。第3軌条で安全のため,軌道内に立ち入れないように柵がしてあります。
上野駅では前日に見かけたそば屋さん(かけそば一杯190円)で腹ごしらえをして,出発!自分はE231系の登場で徐々に数を減らしつつある,東北線・高崎線115系電車に乗車するべくホームに向かいました。丁度高崎行きの快速「アーバン号」がいたので分岐駅である大宮まで乗ることにしました。快速であったため,途中の尾久(おく)やさいたま新都心は通過しました。209系電車とのレースも楽しめ,まだまだ若いもんには負けていないぞと言わんばかりの115系の疾走でした。乗車したのはクハ115-433でした。乗り心地は悪くはなかったです。
大宮の近くになると黄色の103系や湘南色の115系が並べてありましたけど解体されるんじゃなかろうかと気になりました。大宮の手前で貨物線を走る「華」とかかれた,紫色の団体列車が来ました。大宮駅で東北本線小山方面の電車を待っている間の出来事です。工場には以前阪和線にもいた旧型車改造のクモヤ400**(ちょっと番号自信なし)やもう一台相当古い電車がいました。茶色のままで時代を感じさせる代物です。
しばらくして各駅停車の宇都宮(うつのみや)行きが来ました。15両もつないでいますが,昼間の下りであったためガラ空きでした。乗車したのはクハ115-1512で1980年製でした。自分は大宮以北の東北本線には乗車したことがなく,茨城県や栃木県に入ったこともありませんでした。
大宮を過ぎると比較的田園の多い地域を走ります。駅間が長いのでスピードも楽しめました。この路線に乗車して思ったのですが,かなりの回数貨物列車とすれ違いました。しかもその貨物は長い長い編成でした。久喜(くき)駅で快速と接続しますがE231系だったのでそのまま115系の旅を続けることに。久喜では東武伊勢崎(いせさき)線と接続していますが,東武でも貨物や電気機関車が走っていました。やはり産業が盛んなのでしょうか。次の東鷲宮(ひがしわしのみや)は下り線は地べたで上り線は高架という変則的な駅です。82年の開業ですが,このままどうなるのでしょうか。
栗橋でまた東武と接続。それを越えると広大な利根川が待っています。この辺の地理に格別に詳しいわけではないですが,利根川はすぐに分かりました。埼玉県と別れて茨城県へ。次の古河(こが)駅は東北本線の駅で唯一茨城県にある駅です。阪急茨木市や高槻市のように,高架の4線ホームです。この駅を過ぎるといよいよ栃木県に入ります。野木(のぎ),間々田(ままだ)と来て乗車券の最終目的地,小山に到着です。ここでは両毛(りょうもう)線や水戸線と接続していますし,新幹線も走っています。両毛線にはかなりハイレベルな改造を受けた115系の3連が充てられていました(首都圏では113・115系の改造は3タイプほどあるようでした)。また,JR東日本初の自社電車107系の4連もまもなくして入線してきました。この駅でも貨物車特に大物車が何連にもなってディーゼルに牽引されていました。
帰りは野木で途中下車。はじめて栃木県に足跡を残すことに。次の古河でも降りて茨城県初上陸を果たしました。古河で降車後アナウンスがあり,快速の接続待ちで5分停車するので保温のため一旦ドアを閉め,後に乗降する人はボタンで開閉してくれとのことでした。
下に降りて改札機の横に記念のスタンプがあったので,指定券申込書の裏に押そうかと思ったらスタンプ台がない!結局押さずじまいで,15分ほど駅の辺りを歩いたにとどまりました。駅に戻ると通過列車があるとのアナウンスがあったので何が来るのかと思いきや,またも貨物でした。帰りもたくさんの貨物列車とすれ違いました。EF66とEF65の重連もありました。
古河からはE231系(クハE230-8001)でローレル賞のプレート付きでした。前に座っていたサラリーマンらしい3人のおじさんが「昔の電車にくらべイスが硬い」とか「イスの中に暖房があって座面が熱せられている」とか仰ってましたけど,本当のような感じです。
久喜で一気に乗客が増えました。大宮までそのまま行き川越線のホームへ。72系改造の103系3000番台を見たかったのですが,その気配はなく引き返しました。埼玉県の大宮市,与野(よの)市,浦和市は今年の5月には合併して「さいたま市」になるので,大宮市として最後の姿を見ておこうと思い,改札を出ました。
大宮からは京浜東北線で今度は与野に向かいました。与野は日本で一番小さい市です。一方人口密度は一番高い市です。駅は東口と西口があるのですがどちらに降りてもそこは浦和市で,どこからどこまでが与野なのかハッキリするまで駅に戻りませんでした。この辺りでも貨物列車は次々と行き交っていました。
続いて浦和まで行きました。首都圏の人でも間違えがちですが,ここは埼玉県の県庁所在地です。駅前で埼玉県や浦和市に関する資料などをもらって,辺りを一周して戻りました。
ここからは東北線の115系で上野へ。京成スカイライナーや一般車とすれ違ったり,尾久では廃車になったはずのレインボーや一般の客車,上野付近では常磐線のフレッシュひたちや501系交直流通勤電車等ともすれ違ったりしました。
約6時間,東北本線の旅を楽しみましたが,まだまだ115系は健在でたくさんの車両に出くわしました。関西では古い車両が多かったので湘南電車はあまり見かけなくなりましたが,首都圏では新しい車両も多いので,これだけ多くの車両が現役を続行しています。置き換えられて廃車になる車両もいますが,新天地に行く車両も出るでしょう。
上記の通り概して首都圏の113・115系は関西の車両よりも新しいのですが,一部古い車両が混在していて,非ユニット窓の車両もいました。車番もサハ115-28など若い番号の車両もいました。ただ東海道線でもそうでしたが,古い車両は車内が更新されていて,後輩よりもきれいになっているという状態でした。更新のタイプは先ほどもお伝えしましたが3タイプほどあるようです。しかし,JR西日本ほど大がかりではありません。
また最後に浦和から上野まで乗車したクハ115-438はロングシート改造車で連結部の横のみボックス席が残っていました。
東京駅でもう思い残すことはないかとあちこち散策しながら,16時45分過ぎの「ひかり号」で帰路に就きました。
300系で行きと同じく熱海・静岡にも停車する列車でした。 |
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Re:
東京に行って来ました(1日目)
投稿者:チャチュチョ
- 2001/03/09(Fri) 16:07:39 |
営団て去年脱線があったところですよね? |
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Re:
東京に行って来ました(1日目)
投稿者:Y.K.
- 2001/03/09(Fri) 18:51:00 |
そうです。日比谷線の中目黒付近で菊名行きの電車(営団車両)が「乗りあがり脱線」を起こし,反対側から来た中目黒発竹の塚行きの電車(東武車両)と接触し,双方とも大きく破損。特に営団車両の破損の度合いは大きかったです。
昨日(3月8日)で事故から1年で,なくなった5人の方の慰霊の式典もありましたが,慰霊碑の建立などを巡る対立から出席したのは2遺族だけだったと新聞が報じています。 |
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Re:
東京に行って来ました(1日目)
投稿者:すぬ。
- 2001/03/09(Fri) 23:32:25 |
はじめまして。こちらにぶらさげておきます。
東京近郊区間の乗車、お疲れ様でした。
まず、与野駅ですが、所在地は浦和市になります。そして大宮に留置された黄色の103や115は恐らく解体でしょう。で、大宮駅に103−3000は来ません。その車両は川越(一部南古谷)〜八王子の間です。大宮〜川越は埼京線と同じ205です。 |
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Re:
東京に行って来ました 投稿者:Y.K.
- 2001/03/18(Sun) 11:53:08 |
すぬ。さん,有り難うございます。また「パスネット掲示板」でお世話になります。 |
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