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自分自身は万博を経験していません。万博に関しての知識は全て調べたものです。万博に限らず戦後〜昭和50年代までの文化その他には非常に関心があり,「通勤準急 雲雀丘花屋敷」さんのBBSでもいつもネタにしていますが,TVはアーカイブものをよく見ていて,音楽も洋楽邦楽かかわらずこの時代のものを一番好んでいます。懐古趣味かも知れませんが,日本が一番元気で活気に満ちていた時代を振り返るのは,自分自身の研究の一つであると思っています。
自分の学校の先生は半年の会期中に27回も足を運んだという話をしていました。宝塚にお住まいだったので,おそらく阪急を使われたのではと思います。当方の地元からですと地下鉄&北大阪急行(万博急行)と阪急(正式には京阪神急行)の2ルートがありました。
博覧会は国際博では昭和56年の「ポートピア’81」,平成2年に鶴見緑地で開催された「国際花と緑の博覧会」に行っています。そのほか地方博では平成元年の「横浜博(YES’89)」に行っています。昭和60年前後は地方博ブームで各地で色々な博覧会がありましたが,どれも万国博覧会(EXPO’70)の規模や集客力には程遠いものでした。通信手段が発達し海外旅行も誰しもが行けるようになった現在においては博覧会というもの自体時代遅れなのかも知れないです。なお,期間限定のイベントで来場者数も売り上げも万国博を上回ったものは国内にはありません。万博の来場者数は延べ6421万8770人,売り上げは当時の貨幣価値で160〜200億と言われています。現在の貨幣価値でもこの売り上げを抜かしていないのですから,如何に凄かったかが分かります。
万国博は元々昭和15年に「神武紀元2600年」を記念してオリンピックと共に東京で開催される予定でした。しかし戦局の悪化で延期され,五輪は39年,万博は45年の開催となりました。戦後に延期になってからも万博は東京で開催される予定でしたが,関西の財界が大阪に呼び込み大阪発展の一助ともなりました。開催地は羽曳野など複数の候補がありましたが,昭和40年に千里に決定しました。企画立案したメンバーの中には通産省の官僚だった堺屋太一氏もいました。パビリオンの設計は丹下健三氏を中心とする日本を代表する建築家で構成され,太陽の塔は岡本太郎氏の作品です。五輪と万博,この2つのイベントをもって日本は世界に戦後復興を大々的にアピールしたのでした。
よく考えてみると当時の日本の経済力は凄いです。戦争であれだけメチャクチャにされたのに,敗戦から20年未満で東海道新幹線を完成させオリンピックを開けたのですから・・。
ということで,ちょっと良いものがありましたので下にリンクしていきます。ただ,北急の会場線や会場モノレールのHPはほとんどないです。もし2093さんも検索して見つけられたらここからリンクさせて下さい。今年万博公園内の国立民族学博物館で万博当時の記録映画を見たので,アーカイブものを放送しているNHKや番組制作会社に是非放送して下さるようにと依頼し返事もいただいていますが,まだ放送は行われていません。また機会があれば働き掛けてみようかと思います。
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