庭の隅に置かれた物置のような勉強部屋。シンジはそのプレハブの窓からずっと見ていたのだという。

「あの人達の事は嫌いだった。……でも、羨ましかったんだ」



〜 What kills a rabbit 〜



あたし達はもう随分一緒に居るのに、お互いのことなど何も知りやしない。
―― いや。どちらも無関心では決していられなかったのだと、今ではもう素直に認められるのだけれども。
それでも、シンジがあたしを見ていてくれたほどにも、あたしはシンジに近付こうとしていたか……。
あたしがどんな食べ物が好きで、どれくらいのお湯加減がお気に入りなのか。夕食の後はポテチを齧りながらファッション雑誌を捲るのがお決まりの過ごし方だなんてことは、アイツはとっくに承知だろうし、あたしだってそれくらいの事なら知っている。
アイツはああ見えてチェロを弾かせたらちょっとしたものなのだ。
そして、気が細かいくせに変なところでズボラで、服のことなんかまるで気を遣わない。その上に、趣味は最低だ。

でも、ここに来るまでどんな生活をしていたのかや家族の事、思い出深い記憶だとか。一緒の時間を過ごしていれば、ふとした時にこぼすだろう昔話も、果たしてどれほどしたことがあっただろう?
ヒカリやどうでもいい級友達と盛り上がったことはあったけれど、それも当たり障りのない限りの話だ。

多分、お互いがどこかで分かっていたのだろう。
あたし達は同じように癒えない疵を抱えていて、それは恐る恐る触れてみようとするのも躊躇われる、未だにうじゃじゃけた傷口を剥き出しのままになっているのだと。

アイツの傷に触れる事は、あたしの傷を刺激することでもある。だから避けていたのだろう。
見たくも無い、忘れていたい事だったから。

―― でも、だ。
傷の舐め合いのような行為でも、確かにあたし達は癒されていく。
当たり障りの無い会話だけを綴っていても、日々を面白おかしく過ごしていく事は出来るだろうけど。それだけでは満たされない飢えが収まってゆく。
ああ、これだったのだ。あたし達に欠けていたものは……!
その時あたしは、例え様の無い暖かさで胸が満たされる思いだったのだ。

いつもの口喧嘩に、あたしの癇癪が暴力を振るわせる。
それでまた居たたまれない夜を過ごして、アイツがまた何事も無かったように装って機嫌を取りに来るのを待つ―― そんなもうお定まりになったシーン。
その日違っていたのは何だったろう? あたしはそこで泣いてしまった。シンジが目を見張ったのが分かった。
堪らず部屋へ駆け込もうとして、今度はあたしの袖を引きとめたシンジが自分に戸惑っていた。

「なによ? 言いたいことがあるならハッキリしなさいよ!!」
「いや、そんなつもりじゃ……」
「フン、情けない男。いつもいつもフニャフニャして、あんたホントはオカマなんじゃないの? 気持ち悪いったらありゃしないのよ!」
「……そんな言い方ってないだろう!」

その日ミサトが帰ってこなかったのは幸いだったと思う。
今度はお互いにキレて罵り合って。くたくたになるまで長々喧嘩した挙句、並んでひっくり返って夜通し語り合ったなんて、クッサイにも程がある。
きっとあたしもアイツも限界だったのよね。
欲しい物が直ぐそこにあったのに、手を出せないで迷って……。だから、それからは毎日が浮かれっぱなしだった。

自分に余裕が出来ると、世間の眺めも変わるものなのだろうか。何をしても楽しかったし、ヒカリにも言われたものだ。最近丸くなったみたいだ、と。
実は、トゲトゲしさをまるで隠さないあたしの態度にハラハラすることが多かったらしい。心配していたのだと言うから素直に謝ったら、また驚かれた。
それでシンジとの仲を疑われたのはテレ臭かったけど、言われるほど進んだわけじゃない。
―― そう、その頃にはもう、あたしは認めていた。アイツとの仲を進めたいと思う自分の気持ちを。

アイツが、シンジが好き。
ずっとこのままそばに居て欲しい。アイツをあたしの物にしてしまいたい……。

だから、人形女と嫌っていたレイのことも見直すことにした。
あんなボケボケっとしたやつを好きになった女の子同士なんだから、趣味が合うってことは認めなきゃならないし。嫌っていたのも、シンジに対するこれまでの態度と理由は一緒。
レイの態度は、どうしてもあたしの傷を刺激させたから。

それに、一方的に嫌っていたとはいえ、一緒に戦ってきた仲間なのだ。
変な性格だとは思っていたけれど、結構良いやつだってのは知っていた―― あたしを心配してくれたことだってあったくらいだ。
レイと仲良く出来なかったのは、こっちがただ理由を作っていただけ。
あたしは心配してくれたことへのお礼も、そんなレイを引っ叩いてしまった謝罪もしていなかった。
シンジがくれたのだろう余裕は、急に私にレイへの申し訳なさや、ひょっとするともっと良い関係を結べるかもしれないという期待を生み出していた。
それに、シンジを巡るライバルなのだと思うことは、無性に私をわくわくさせてもいた。正々堂々競い合うのだと。

「所詮は同族嫌悪ってやつだったのよね」
「……?」
「分からない? あんたとあたしが似た者同士だってことよ」
「……そう、そうね。確かに似ているかもしれない」
「シンジが好き?」
「……ええ」
「シンジを愛してあげたい? ふふっ、こんな風に。ね……」
「ああ……あ、気持ち、いい……」
「可愛いわよ、レイ」

女同士の決着とか意気込んで、二人きりで話し合うその内にこんな関係になってしまったのは―― ちょっと計算外だったけど。

「ねぇ、レイ」
「なに?」
「シンジが好きよね? アイツを一人占めしたいと思う?」
「……。ええ」
「正直よね、アンタ。あたしもそう。シンジを私だけの物にしてしまいたいわ」
「そう……」
「あん、そんな寂しそうにしないでよ。あたし、レイのことも好きよ? もう、嫌いになんてなれないし、離してしまいたくないの。……いいえ、離せないわね」
「わたしもあなたが好き……」
「……でも、シンジのことも好き。だからと言って、ライバルの筈のあんたも好きになっちゃってさ。恋の勝利をって本気で戦うわけにもいかないし、悩ましいわよね」
「……?」
「あんたバカぁ? 二股って言うのよ、こーゆーの。シンジも好きでレイも好き、どっちもだなんて不誠実じゃない!」
「でも、私は二人とも大切だわ。そう思う事はおかしいことなの?」
「シンプルね、レイは。……正直、あたしもそれで良ければと思うけどさ、そうはいかないものじゃない……」

普段はシンジを取り合う二人として。でもその実、レイの部屋を愛の巣に、爛れた関係になってるのだと誰に話せるものか。
それでも密やかに、あたし達は初めて知ったそのやわらかな温みに、夢中になっていた。
気持ち良かったし、なにより安心できた。まるでママの腕の中にいるような安らぎがあった。そして一心にしがみ付いてくるレイを抱いていると、私はとても優しい気持ちになれた。

そんな―― あたしとレイの秘密の関係。
折角仲良くなれたシンジにも隠し事を作ってしまって。レイにも口止めをしたものだから、様子が変だと心配するシンジにどう受け答えすれば良いのか、不器用なあの娘は苦労しているようだった。
そんなどっち付かずをさせたのはあたしの責任だし、とうとうの破綻を招いてしまったのも―― あたしの責任だ……。

「あ、ああっ……。アスカ、綾波ぃ?」
「し、シンジっ!?」
「あ、はぁぁ……あ、いかり、くん……?」

まるで安っぽい昼ドラそのままだった。笑ってしまえる程に。

浮気の現場を抑えられて、おろおろとするだけのバカな女のような真似を、そっくりそのままなぞるしか出来ないあたし。
ベッドで汗に塗れた裸同士絡みあって。誤解し様のないあたし達を前に、みるみるシンジの顔が紙のように白くなっていくのが分かった。
様子見がてら、レイにまた食事をつくってやるつもりだったのだろう。スーパーの袋をドサッと取り落として、もつれる唇で必死に何かを言わなければと後退りながら、

「その……覗くとか、そんなつもりじゃ……。し、知らなかったんだ」

あたしもシンジも、隠す事も恥ずかしがることも忘れて、ショックとわけの分からない恐ろしさに震えていた。

いっそ、罵ってくれればどんなにか良かった事か。
日頃シンジを挟むようにしてレイに絡んで見せ、シンジやヒカリに気を回させていたのはあたし。霧島マナや山岸、あたし達以外の女と仲良くするシンジを浮気者だと責めたのもあたしだ。
そんな資格がある訳でもないのに。

「ごめんっ、本当にごめんよ……。す、すぐ帰るから」
「待ってシンジ! 話を……あたしの話を聞いて! お願い、待って!!」

蹴躓き、慌てふためいて、シンジは逃げ出してしまった。―― あたし達から。
裸のままでも追いかければ良かったのだ。
そこで捕まえて、謝るなり説明するなり、許しを請えば良かった。そんな後悔を後でしたところで、取り返しはつかなかったのだから。

目の前で仲睦まじい様子を見せられて、寂しさに震えながらプレハブの小屋で泣いていたのだと。そんなシンジに、アスカが居てくれて良かったとまで言わせていたのに、あたしは何を仕出かしてしまったのだろう。

レイのマンションから逃げ出したまま、その日シンジは帰って来なかった。
―― 次の日も、またその次の日も。

レイはまだ良くは理解できていないようだ。ただ、シンジに悪い事をしてしまったのかと、とても不安がっている。
あたしはどんな顔をしてやれば良いのか、どんな顔で会いに行けば良いのか―― 分からない。


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