そうして彼女は嘘をついた3

122 名前: 5−3 投稿日: 2002/10/11(金) 01:16
「次!」
 アスカの叫びに応じ、壁際に座っていた女子の一人が立ち上がる。
「行きます」
 サポーターに守られた拳を中段に構え、その女子は滑るように間合いを詰める。
 対するアスカは半身に立ち、両手をふらさげているだけのようだった。
「流派は」
 との呟きには意味があったのかなかったのか。
 その瞬間、女子はアスカの目の前に立っていた。
 その顔面に繰り出した拳は右の縦拳。
 それを首をかしげて躱すのを、彼女は予期していたのだろう。続けて放った左の膝と同地に右の手はアスカの胴着の襟を掴んでいた。
 ――と。
 気がついた時、彼女はアスカから二メートル離れた地点にいた。いや、それは正確ではない。
 二メートル離れた空間にいた。
 彼女の体は宙に舞っていたのだ。
「え―――」
 何をされたかなどは解らなかった。それでも十数分の一秒単位で驚愕を飲み込み、彼女は態勢を整えて受身をとった。かろうじて、という風であったが、それでもダメージの大半は殺せている。
 そして。
「――参りました!」
 彼女の顔面の手前で停止していたのは、アスカの右足の甲であった。
「――次」
 それに応じて、また一人立ち上がった。

「……今日はどうしたの?」
 トレーニングが終わった後、シャワールームで一人汗を流しているアスカに向かって、綾波レイがそう話し掛ける。
「――どうしたって、何が?」
「技が荒いわ」
「……解るの?」
「ええ」
 アスカはその言葉に引かれたように、ゆっくりと歩み出る。
「さっすが、師範代ね」
「…………」
 微かに揶揄するような響きが口調に混じっていたのに気づいたのか、レイは数ミリほど眉を歪めた。
 元ファースト・チルドレンである綾波レイは、全てが終わったあとで奇跡的に命を繋げた。
 クローンのスペアとも呼べるボディを幾つも持ち、戦いのさなかに「三人目」にまで至った彼女だが、最後の使徒の来訪を前にしてその予備の肉体は全て失われた。そしてサードインパクト。「三人目」の彼女の肉体もまた消失し、彼女の命も尽き果てたかのように思えた。しかし、ちょっとした偶然が彼女の「四人目」を生み出す結果となったのである。
 ダミープラグ。
 一つだけ放置されていた。それの中には地下の水槽に入れられることなく忘れられていた彼女の肉体があったのだ。そして発見と同時に、それを待っていたかのように彼女の魂はその肉体に入り込んだ。
 綾波レイの「四人目」の誕生だった。

123 名前: 5−4 投稿日: 2002/10/11(金) 01:16
(ふん……)
 アスカは全裸のままで立ち尽くし、胴着姿のレイの顔を眺める。
「四人目」の彼女には、わずかながら以前の記憶が残っていた。だが、それだけだった。
 自分がどのような目的で生まれ、どのようにして死んだ(!)のかなどを知らされても、実感として身に付くはずがない。
 己の存在とは何のためにあったのか。
 繰り返し蘇った自分は、本当に「三人目」や「二人目」とは同じ人間なのか。
 自分にとって「死」とは何か。
 そも「生」とは――
 レイがそれらを悩み、考え、いきついた先が武道だった。
 逃げ込んだ先、と言うべきなのかも知れない。少なくとも当人が最初にそれをはじめた動機の一つには、「とにかく動くことによって考え込まないようにする」ということがあったのだから。
 たまたま入門したのが、禅門と関連のある古流だった。

「生と死を見つめ、より高みに至りたかったから――」
 
 傍から見ていて不気味なくらいに熱中していたレイに対してアスカが問うたのは当然だった。
「何故」と。
 そして、返った答えが、それだ。
 かつてと同じ姿をした、かつてと同じ魂を持った――綾波レイは、しかし、その時には一個の求道者となっていたのだった。
(この子なら解るかしら?)
 アスカの視線を浴びているのにも飽きたのか、レイはその場で胴着を脱ぎ始め、さっさと入れ替わりにシャワールームに入っていく。
(凄い体だわ)
 自分の横を通って行ったレイの肉体を見て、そう思う。
 少女としての膨らみと、少年としての細さを兼ねそろえた身体だった。一瞥しただけでもその引き締まり方の尋常でなさが解る。極限を超えた修練の成果。美しい、と知らずアスカは口にしていた。磨きぬかれた宝石のような美の結晶であると言っても過言ではない。
(レイなら……碇ユイ博士の遺伝子を持ち、ここまで作りあげた彼女なら、もしかして……)
 アスカは考えていた。

『だから……人間の存在の意味などにも、気づいてしまった……』

 ゲンドウはそれ以上何も言わなかった。
 一体、碇ユイという人は何を見つけ出したのか。
 アスカはそのことばかりを考えていた。

136 名前: 5−5 投稿日: 2002/10/26(土) 17:03
「知らないわ」
 案の定というべきなのか、レイの返答はそれだけだった。
「あっそ」
 二人はジオフロント内に施設された公園を歩いていた。職員の息抜きのためにあるそこでは、彼女達以外にもベンチに坐ったり華を眺めていたりね、噴水の前で待ち合わせている者がいたりする。平和な光景たせ、と心底から思う。自分達が守り通した世界の縮図があるようで、アスカはなんとなくだがここを歩くのが好きだった。
 レイはアスカから離れ、すっと膝を曲げて腰を落とし、両手でボールを抱え込むかのような構えをとる。
 立禅。
「熱心ね」
 とアスカは言う。
「そう?」
「だって、あんた1日の大半を稽古に使ってるじゃない」
 綾波レイはアスカと違い、NERVの研究員としてここに出入りしていてるわけではない。高校卒業後、彼女は入門していた流派の内弟子になり、一年とたたない間に奥伝を得た。そうしてから今度は旅に出ようとする彼女を、NERVの人間達は引きとめた。当然である。彼女の体はNERVの機密というべきものであり、その所在は常に明確にされていなければならない。その上に元チルドレンでもある。例え記憶がほとんどないにしても、守秘義務が課せられることになるのだ。しかしかと言って、アスカやシンジのようにNERVのスタッフとして彼女を雇うには、あまりにも専門の知識が欠けていた。高校時代にシンジはNERVに入るための勉強をしていたからどうにか入れたものの、レイについては一定の学力は維持していたがただそれだけで、とにかく武道の鍛錬に励んでばかりだった。
 そうしてNERVとレイの間の妥協点というべきポジションが今の「師範代」という役職だった。
 NERV内部の保安部警備部を中心として全職員の参加できる、護身術講習の責任者である。
 そのための訓練として、彼女は1日の多くを何がしかの訓練をして過ごしているのだった。
 だが。
「あなたの上達が著しいから」
 言った。
「教えるほうとしては、さぼれない……」
「あんまり根を詰めるのもどーかと思うけど」
 言いながら、何処か満更ではなさそうにアスカは頬を緩めた。CQB――近接戦闘技術に関しては、チルドレン時代から自信があった。研究員となった現在ではさすがにあの頃とは違って訓練に時間はかけられないのだが、それでもその実力は群を抜いている。専門に訓練をしているレイをして一目をおかざるをえないほどに。
 レイはアスカの顔を一瞥してから、また正面に向けた。
 その行為がなんとなく癇に障ったが、だからと言って怒り出すでもなく、アスカは微かにゆらゆらと動いて姿勢を整えているレイの真正面に移動する。
「ねえ、本当に、あんたは知らないの?」
「……なんのこと?」
「さっきも言ったことよ。碇ユイ博士が何を目的に人類補完計画を推進していたか――」
「……………………」
「彼女が知った『人間の存在の意味』とは何なのか」
 もしかしたら――
 そう、思う。
 その思いが消えてくれない。
 目の前の求道者が、碇ユイとは別個の存在だとはわかっているのだ。解っていてなお、アスカは“もしかして”という思いを消すことができない。ついさっき「知らない」と言われて、なお。

137 名前: 5−6 投稿日: 2002/10/26(土) 17:04
「あなたは」
 レイは、まっすぐにアスカの眼差しを見据えた。
「なんで、それを知りたいの?」
「なんでって――」
 碇ユイ博士が全てを握る鍵だから……そう答えようとして、俯いた。明確な理由などなかったのだと、たった今気づいた。碇ユイ博士の意図など、ゲンドウにしつこく聞けばその内に答えてくれるかも知れないことだ。こうやってレイに聞くことでもなく、考え込むことでもない。それなのに何故なのか――。
「――興味がある、じゃいけない?」
「…………………」
 とりあえず絞りだした言葉に、しかしレイは微かに眉ねを寄せるだけの反応を示した。これだけでは彼女がどう思ったのかは解らなかったが、アスカはその後彼女が何も言い出さないことで、それを不快としたのだと思った。
「……そりゃあね、興味本位で聞いて回ることじゃないとも思うわよ、だけど……」
 言い訳がましいことを口にしている自分が信じられなかった。
 アスカは言いよどみ、黙り込む。
 そして。
「けど――」
「黙って」
 気がつけば、レイはアスカの後ろにいた。
 押さえ込むように床に伏せられた。
「何よ!?」
「……気づかれる」
「え?」
 レイは、遠くを見ていた。
 アスカはそれに気づき、その視線を追う。
(あれは……)
 十数メートル離れたところで、彼女は知る辺の姿を見つけた。男と女。二人とも白衣を着ているが、それは珍しくもない。研究機関である現NERVで、白衣をきていない人間の方が珍しい。かの彼女の知る限りでは今自分のそばにいる綾波レイだけだ。そして、そこにいた二人は、二人してそのレイに関わりが深い人間だった。
「リツコと……碇顧問?」
「…………………」
 公園の一角で、二人が向かい合っている。
 最初はすこしづつ、しかしやがて一方的にリツコがゲンドウに何かを言う。ここからでは何を言っているのかは解らないが、どんどん口調は激しくなっていく、詰問しているかのようでもあった。ゲンドウは何も言わない。ただ黙ってそれを聞いていた。そして――
(リツコ……?)
 唐突に。
 女は、男の胸にすがりついた。
 それは……あまりに美しく、痛々しい光景に思えた。
 美しいのは、女が男に深い想いを抱き、それを体で表しているから。
 痛々しいのは、男が女の想いを知ってなお、それを受け入れていないから。
 ゲンドウは、やがてリツコの肩に手を置いて引き剥がし、初めて何かを口にした。それも聞こえなかったのに、アスカには、リツコが次に何をするのかがわかるような気がした。
 ぱぁん、とここにまで聞こえる張り手の音が鳴り響く。
 ……泣きながら駆け去っていくリツコの背中にむかって、ゲンドウが左手を伸ばしかけていた。

「……赤木博士は、あの人のことが好きだったの」

 すぐそばから聞こえた声に、アスカは振り向いた。
 綾波レイの顔がそこにあった。
 しかし、初めて見る顔だった。
 あまりにも冷ややかにそれを眺めていた彼女は、十代にして武の道に人生を捧げた求道者ではなかった。

 女の顔をしていた。



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