そうして彼女は嘘をついた1

2 名前: プロローグ 投稿日: 2002/09/14(土) 20:34
 ……彼女は目を覚ました時、男の胸の中にいた。
 暖かい――そう思ってから、自分がまだ繋がったままなのに思い至った。
 ベンチに背中を預け、男は息を殺して彼女の背中に手を廻して体を支えていた。
(わたし……この人としちゃったんだ……)
 鼓動を感じながら、自分の中の男の分身を感じながら、彼女は思い出す。
 どれほどなのかさえ解らない、永遠のような刹那の時間、自分はこの男に己の身体を捧げた。
 そう。
 こうなったのは、彼女が自ら望んだことだ。
 彼女は望み、男に跨り、自ら己の中に男を導き入れ、腰を捻り、上下させた。
 その精を子宮に注ぎ込むことを。
 男の唇を貪るように吸い尽くすのも。
 すべてを望んだのは、彼女自身なのだった。
(あたしは……)
「――大丈夫か?」
 無機質な、だけど微かに彼女を気遣う感情のこめられた、声。
 耳元に囁かれた、低く、小さな呟き。
「あ、はい……」
 彼女は恥じらいに頬を染め、同じく囁くように返答する。
 身動ぎし、男のから離れようとした。
「うっ……」
「あ………」
 男の呻くような声と同時に、彼女もまた喉の奥から熱い吐息を吐き出した。
 彼女が動いた時、その体内にに飲み込まれていた男の分身が、精を幾度となく放ち、すでに萎えていたはずのそれが硬度を持ち、再び彼女を穿つ楔と化したのだ。
 彼女はさきほどに増して上気させて男の顔を伺う。
 男は目を顔を逸らし、彼女に見えないよにしようとしている。
(可愛い人……)
 その態度が、行為が、たまらく愛おしく感じられた。
 そして胸に蘇る、熱い想い……。
 彼女は男の背中に腕を廻し、ぎゅっとしがみつく。
「離さないでください……私を感じてください……」
 男の彼女を支えていた手に、力が篭った。
「すまない……」
「私は――」
 男は彼女の言葉を皆まで言わせず、もう片方の手で顎を上げさせ、唇を塞いだ。


 ……背徳と薔薇の華の甘い匂いに満ちた、そこは地下の花園。


 睦み合う二人は、時を忘れたかのように互いを抱き締めあった。

3 名前: 一章の一 投稿日: 2002/09/14(土) 20:36
 彼女には赤がよく似合う。
 誰もがそう思う。
 赤みがかった長い髪を背中に流し、NERVの通路を颯爽と歩きながら彼女はそれを風に靡かせる。着ているスーツも赤。履いているヒールも赤。肌の白さと眼差しの蒼が、それによく映えてなお強い輝きを有するまでに到っている。
 その赤の彼女の名前は、惣流・アスカ・ラングレー。
 誰もが知っている名前だった。
 このNERVが要していた人造人間エヴァンゲリオン弐号機のパイロットとして活躍し、13歳でドイツの大学を卒業したという文武両道を地でいく天才少女――であったのは、あくまでも“かつては”の話。それから7年の時を経て、彼女は少女ではなくなった。華のように匂い立つ美女になっていた。
 NERV技術部所属E計画担当主任、と言うのが彼女の今の肩書きであり、それも名前とともに過去のものになることが決定している。
(あいつが帰ってきている)
 彼女はNERVの通路を足早に歩きながら、そのことばかりを考えていた。
(シンジが……結婚式のために……)
 

「好きだ。付き合って欲しい」
 サードチルドレンこと碇シンジの告白の言葉は、そんなシンプルきわまりない言葉だった。
 中学を卒業したその日に、かつて共に暮らしたコンフォートマンション17の一室で、まっすぐに彼女へと眼差しを向けて。
「……本気で言ってるの?」
 そう問い返してしまったのは、彼女が今まで与えられるはずだった愛情をまともに受けていなかったからと、戦いの苛烈さに深く心を傷つけていたからだった。
 すべての戦いが終わった後、彼女は長期の入院を経て、どうにか肉体は回復していた。だが、それは本当に肉体だけの復帰だ。精神の奥深くに刻まれた傷跡は決して消えることはなく、剥き出しにされた弱い心は人の間では決して耐えられるはずもない。以前のように振舞っているようであっても、寸秒ごとに彼女の心は鑢をかけせれているかのように削られていたのだ。
 シンジは、そのことに気付いていた。
 サードインパクトの試練を経て、彼は人と付き合っていくこととはどう言うことなのかを知った。
 それは、傷つくということ。
 傷つけるということ。
「僕は、アスカが好きだ」
 アスカの問いかけに、シンジはそう答えた。答えになってない答えだった。
 それでも。
「シンジ……」
 彼女は頬を染め、俯いた。
「本当に、本気なのね?」
「僕の今の気持ちは、アスカを好きだというこの気持ちは、本当だと、思う……」
 その言葉に、彼女は涙を流した。
 欠けていた心が埋められていくのを感じた。

9 名前: 一章ノニ 投稿日: 2002/09/15(日) 22:46
 ……あの瞬間、自分はやっと一個の人間に、女になれたのだとアスカは思う。
 誰かに愛されているという確かな事実は彼女に自信を与え、心に余裕を生んだ。高校にはいかずにNERV技術部に入ったのは、そのあらわ
れでもあった。かつての傷を引きずっていたころならば、関わろうとも思わなかっただろう。

“自分は、どうしてこういうことになったのか”

 そのことを考え、辿ろうとしていた。
 それが自分にとっては必要なことなのだとアスカは理解している。自らの人生を肯定するためには過去に拘っていてはいけない。しかし

捨て去ってもいけないのだと。
 そうして今日も彼女は奔走していた。
 職員の大半がその名前は知っていても、具体的には何も知らないというE計画の全貌を掴むために。
 ただ、今日は海外に研修に出ていたシンジが帰ってくると言うこともあり、その足はいつもにも増して力強かったけれども。
 しかし。
 その足が止まった。
 先ほどまで浮き立っていた高揚感が、まるで嘘だったかのように静まるのを彼女は感じた。
(とうとう……私はここまでやってきたんだ……)
 E計画についての大半の調査は終わっていた。リツコを始めとするE計画担当者の口は決して軽くなかったが、念密な調査によってある

程度の形……輪郭は把握できている。その過程で知ったことだが、責任者であるリツコをしてその全体図についての詳細は知らされていな

かったという、驚くべき事実である。冬月も、知り得ぬ事柄が存在していた。
(全ては一人のカリスマと処理能力によって支えられていた……この結論に至った時は、ちょっとしたショックだったわ)
 アスカは、唾を飲み込んだ。
 目の前の扉を開けば、そこには目的の人物がいるはずだった。
 彼女はカードを持った手を伸ばし、微かに逡巡させた後、思い切ってそれをチェッカーにくぐらせた。

 そして――

 そこは、花園だった。

10 名前: 一章ノ三 投稿日: 2002/09/15(日) 22:47
「凄っ……」
 思わず口をついてでた。
 話には聞いていたのだ。
“ジオフロントの底には、広大な薔薇園がある”と。
 しかし、みると聞くとは大違いだ。
 少なくとも、アスカはここがこれほどに広大だとは知らなかった。
(エヴァのケイジより広い? こんなところを一人で管理していたってぇの?)
 赤い煉瓦の敷き詰められた床に、アスカは足を踏み入れる。
 天井は高く、光に埋められている。
 換気もされているようだ。
 微かに空気の流動――風、を感じる。
 目に映る色は幾百もあるのではないかと思えた。
 …………。
(維持費だけで、とんでもない予算が必要だわ……)
 アスカがそんな現実的ではあるが無粋なことを考えたのは、ともすれば夢幻めいたこの世界に引き込まれそうなのを本能で理解していた

からかも知れない。
 幾度か首を振って気を取り直し、彼女は目的の人物を探す。
 すぐに見つかった。

 彼は、花園の中に立っていた。

 白衣を着ている。
 手を腰の後ろに回し、目の前にある白い――真珠色の薔薇を眺めている。
 しかし……。
 彼女は声をかけるのをためらった。
 その横顔をじっと見ていて、アスカは思う。
(髭がないと、別の人みたい……)

 その人物は彼女の婚約者の父であり、かつてのNERV司令・碇ゲンドウであった。

20 名前: 一章ノ四 投稿日: 2002/09/17(火) 03:52
 彼女は口を開こうとして、閉じた。
 彼を――碇ゲンドウをどう呼ぶべきなのか、それが思いつかなかったからだ。
(……ここまで来て、あたしは……)
 何をやっているのか。
 アスカは自分に活を入れるために、両の掌で頬を叩いた。

 碇ゲンドウという男は、このNERVに於いてかつて以上に特殊な立場にいる。
 全ての戦いが終わった後、司令の職を辞した彼は、しかし組織から解放されることはなかった。副司令の冬月や技術部長の赤木リツコなどが政治的にどうこうとかこうとかあれやこれや……複雑怪奇な経過をとって、彼が着地した地位は「司令部付き特別顧問」。見事なまでに実体のない地位だった。
(そうよね……“碇顧問”が妥当よね)
 とは思うのだが、今一つ乗り気になれない。
 それは「顧問」と言う役職があまり名誉ではないポジションなのと、彼が博士号を持ち、技術部の一部からは「碇博士」と呼ばれているからでもある。専門は人体物理学。論文を幾つか流し読んだ感触と技術部の人間からの評価を聞く限りでは、相当の水準に達していたらしい。NERVの司令などやっていなかったら、今ごろはひとかどの研究者として認められていたかも知れない。
 あと、「前司令」と言う呼び方が職員の間で一般的であったりもするが、さすがにそれは考慮の埒外だった。幾らなんでも、当人に「前司令」と呼ぶのは失礼なのではないか、と思う。
(さすがに、“お義父さん”ってのは………まだ早いし)
 そう言う訳で、「博士」に決定した。
 そう決めた。
 なのに。
 ゲンドウがこちらに気づき、顔を向けられたとき、アスカは声を出せなかった。
「君か」
 その声は、何処か寂しそうで。
 浮かべた微笑は、それよりも切なげだった。

21 名前: 二章ノ一 投稿日: 2002/09/17(火) 03:53
「……父さんに、会ったの?」
「ええ」
 アスカはシンジの胸板に頬せ寄せながら、応える。彼女はこの感触が好きだった。とても暖かい。誰かと肌をあわせるという行為がこれほど気持ちのよいことだと、もっと早くに知っていればよかったと思う。そうだったなら、自分はもっと素直に、幸せに生きてこられたのにと。今に不満があるではないのだが、アスカはそう考えずにはいられない。自分はこの感触をもっと早くに味わえていたはずなのだ。
「父さんか……」
 シンジはアスカのけだるげな声に、感慨深そうに呟いてみせる。
「まだ、苦手なの?」
「……ちょっと、ね」
「ちょっとって、どれくらい?」
「意地の悪いこと、聞かないでよ」
 何処か拗ねたような物言いに、アスカは口元を綻ばせた。そして舌を出し、シンジの右の乳首に這わせる。
「アスカ……?」
「――あたしは意地悪女ですよーだ」
「くっ……ちょ、やめてよ……」
 シンジは、しかし言葉ほどにはアスカの行為を拒絶していなかった。
 アスカは左手をシンジの背中に廻し、右手の指でシンジの左の乳首を摘む。右の乳首は口に含み、ぴちゃぴちゃとわざと音をたてて舐め上げた。
 本来、このような行為は女性が男性にするものではない――少なくとも、そうシンジは思っている。しかし、これはアスカがいつも興が乗るとし始めることだった。

22 名前: 二章ノ二 投稿日: 2002/09/17(火) 03:54
『あんたのしてくれたこと、返してあげる』

 そう言って、真っ赤に顔を染めてシンジの局部に口付けたのが最初だった。アスカはシンジにしてもらった愛撫にただ喘がされるだけというのが我慢できなかったらしい。借りを返す、というのとはちょっと違う。ただされる行為に身を任すという受動的な立場が気に入らなかった。
 ……アスカはシンジにされた愛撫を、自分なりにアレンジしながらシンジに与える。自分から男にするというのは酷く淫らなことに思えたが、それでもなおやめようとはしなかった。自分の心のままに、素直に生きるのが、彼女のようやく見つけた生き方だった。
 シンジはアスカに身を任せてしばらく天井を眺めていたが、やがてアスカの手が下って彼の勃起していたペニスに届いた頃、不意に上体を起こしてアスカを抱え込んだ。
「アスカ」
「……シンジ」
 お互いに瞼を伏せ、唇を重ね――そこから二人の行為は本格化していく。
 シンジは唇を重ねたままでアスカの脇腹に手をやり、軽く撫で上げた。思わず漏れた声をも飲み込むように、シンジはアスカの口内を舌で蹂躙していく。歯茎を舐め上げ、舌を絡め、吸い込み、顎をあげさせて唾液を流し込む。
「ん……ん……」
 アスカの喉が動いた。シンジの唾液を飲み込んでいるのだ。彼女もまたシンジの胸に手をやり、乳首を中心に掌でのの字を描くように撫でる。両足はシンジの腰にまきつけられ、すでに数回分呑み込んでいた精と己の蜜液を零していた。そしてそれを、押し付けられているシンジのペニスの竿に塗りつけるように腰を動かす。
 二人の行為は、唇を重ねたままで次々とエスカレートしていく。
 シンジの指はアスカの菊座を撫で上げ、アスカの掌はシンジのペニスを挟んで上下した。
 そして。
「きて……」
 アスカの潤んだ眼差しからの懇願に応え、正常位からの挿入。
「アスカ……アスカぁ」
 シンジは切なげな声をだし、腰を動かす。
「シンジィ、愛してる、気持ちいい、好き! 好き!」
 アスカもまた声をあげ、己の感情を晒した。
 そしてそれが、シンジの動きを激しくする。
 やがて視界の端で火花が散った。
 来る。
「ああああああ〜〜!」
「!!!!〜〜〜〜ッッ!!」 
 
 ……久しぶり逢瀬によって得られた絶頂感の余韻に酔いしれながら、アスカはふと部屋の隅に飾られた白い薔薇に目をやった。

“君には、これも似合う”

 素っ気なく、新聞紙に包みながら差し出すゲンドウの顔が脳裏に浮かび、どうしてかそれは永らく消えなかった。

45 名前: 3−1 投稿日: 2002/09/19(木) 11:58
「――何の用かね?」
 碇ゲンドウは、そう言った。
 アスカは久々に彼の声を聞いたような気がした。
 実際、同じ街に、職場にいながらも、彼女とゲンドウには何ら接点がない。一人この薔薇園に通う彼とは違い、アスカは毎日技術部で研究に勤しみ、その合間を縫ってあちらこちらの部署を巡ってはE計画の全貌を調べていたのだ。私生活に於いても、未だゲンドウに隔意を抱いているシンジが婚約者である手前、アスカは積極的にゲンドウに近づく機会を待つこともなかった。
 それに、チルドレン時代もついにフスカはゲンドウと同じ高さの目線に立つことはなかった訳で。
 今、こうして向かい合っていても、まるで初対面であるようにさえ思えるのだった。
 しかし、いつまでも黙っているわけにもいかない。
 彼女は軽く息を吸って、吐いた。
「……私が何をしているのかは、ご存知だと思ってましたが?」
 少し皮肉っぽく、何処か揶揄するように言う。
 ゲンドウは「ふん」と呟いて、さきほど見ていた薔薇へと向き直った。
「――知らないな」
「本当に?」
 アスカは探るように眉をひそめ、歩み寄る。
「あんまり隠してなんかいないつもりなんですけど」
「興味がない」
 言い捨てる、というのではなかった。
 ただ言った。
 それ以上でもそれ以下でもなく。
 酷く無機質な声だと思った。
(本当に、副司令やリツコの言った通り……)
 元々からしてE計画やアダム計画、人類補完計画に付随する事柄以外には興味が薄かったのに、その全てが終わった今となっては、まるで生きた屍同然だと。
(でも)
 そんなに変わっている風でもない、とアスカはなんとなく思った。むろんのこと、彼女はゲンドウのことを大して知らないが、それでもなんとなく思う。違っているのは向き合っているものがNERVの部下から薔薇に変わっただけで。
(――まあ、私がこの人のことなんか、わかるはずもないんだけど)
 アスカは疑問にも至らない思考をさっさと切り捨て、言葉を継いだ。
「E計画についてです」
 この時、ゲンドウは再びアスカへと向き直った。
「何が聞きたい?」
 彼はもうすでに笑っていなかった。
 望むところだ、と思った。
 あんな寂しそうに笑われたら、問い詰めるのに罪悪感を感じてしまうではないか……。
「全て、です」
 アスカは、言う。
「E計画、アダム計画、人類補完計画……その全てはリンクしている」
 ゲンドウは、答えた。
「単純にE計画のみでなぞ語れん」
「慌てることなんかないですから、時間はあります」
「……話すつもりなぞない」
「そうですか?」
 わざと……アスカはおどけるように言った。ゲンドウはそれを見て微かに目を細めた。無礼な小娘だとでも思ったのかも知れない。
「『何が聞きたい』と言ってから『単純にE計画のみで語れん』って、全てをこみでなら話してもいいって意味かと思ってました」
 そうして、今度はアスカが微笑んだ。
 彼は小さく溜め息を吐いた。
「――よかろう。だが、すぐには終わらんぞ」
「ええ、それでも」
 内心で強い達成感を覚えながらも、彼女はそれを表面に現さず微笑みを浮かべていた。

46 名前: 3−2 投稿日: 2002/09/19(木) 11:59
「……ありがとうございました」
 とりあえずの概略を聞き終えるまでにかかった時間は二時間ほどだった。思っていた以上にその輪郭は広く曖昧で、謎めいていた。それでもかなり具体的なイメージが固められた。同じベンチの逆の端に坐る碇ゲンドウというこの男は、言葉少なにだが非常に上手く要点をついた話し方をしてくれる。
(けど……)
 この情報が全て本当だ、などと思うほど、彼女は甘い人間ではなかった。辻褄の合う適当な話をあらかじめ用意していたとも考えられる。語られた物語はかなりが事実だろうが、虚偽も混じっている可能性は高い。しかし例えそうだとしても、それを責める権利を彼女は有していない。国連からの公的な尋問というのならまだしも、これは彼女の、元パイロットとは言え、今は一研究者に過ぎない彼女の個人的な質問なのだから。
(あらためて、証拠固め……検証してから、また来て、詳細をもっと詳しく聞いて……)
 正直、先は長い。
 それでも――
(大丈夫、いつか……)
 知り得る限りの真相に辿り付いてみせる。
 彼女の決意は強く、堅かった。
「……どうした?」
 彼が、何処か気遣うように声をかけてきた。
「あ、いえ、なんでもないです。ちょっと考え事をしてました」
 ――本当に、本当のことを話してください。
 などといえるはずもなく、アスカはどうしようかと迷った。今日はもう話すことはない。ゲンドウの方もこれ以上は口にしないだろう。しかし、用件が終わったから「はい、さようなら」では駄目だ。聞く方にも誠意があるからこそ、聞かれた方もよく答えてくれるのだということを、彼女はここ何年かで学び取っていた。それにこの人は、近いうちに親戚になるのだ。このままさっさと出て行くというのも――
「ああ、この薔薇園って、広いですよね」
 何を言っているんだ? この小娘は?
 ……というような表情こそ、ゲンドウはしなかった。
「ふん」と呟いてから、彼女から前へと向き直り、黙り込む。
(あー……ちょっと失敗?)
 まずかったかも知れない……そんなことを考えていたアスカの前に、カタカタという音を立てながら滑り出してきたのは――
「ロボット?」
 ひと目で清掃用と知れた。床との接地面にモップのようなものを付け、回転しながら移動している。NERVでも採用している自動清掃機械の一種だ。多分。ただ、あれはこのようなデザインはしていなかったと思う。こんなレトロというか、なんというか……。
(スターウォーズに、こんなのでてこなかったかしら?)
 こんな風には動かなかったが、確かにこんな感じであったように思う。
「ユイが製作したロボットだ」
 ゲンドウは、ぽつりとこぼした。
「ユイは、R2−D2と呼んでいた」
(……って、そのまんまかい!)
 いや、突っ込む前に、聞き捨てにできないことを彼は言った。このロボットを作ったのがユイ……つまり、E計画の初代担当者で、形而上生物学の若き権威。碇ユイであると。
「――碇ユイ博士は、こんなロボットまで作ってたんですか?」
 それは、純粋な驚きと、興味。
「ああ。ユイは多趣味だった。この薔薇園も――」
 全て、ユイが片手間につくった品種だ。

47 名前: 3−3 投稿日: 2002/09/19(木) 12:00

 ……アスカは眩暈を感じた。自分やリツコも大概いい加減なぐらいに広範囲をカバーしているが、碇ユイという女性は想像以上にとんでもない人物であったようだった。ぐらりと世界が揺れた。
「――大丈夫か?」
「あ、すいません……」
 いつの間にか立ち上がっていた自分が、立ちくらみを起こしたのだと、彼女はゲンドウに後ろから肩を支えられてからようやく理解した。
「薫りがキツ過ぎるのかも知れん。やはり慣れてないと、ここでは駄目か」
「え……」
 彼女は、呟きをもう二度と来るなと暗に言っているのだと解した。いや、そのようにも聞こえるというだけで、この人が純粋に自分を気遣っているのだとは、心の何処かで了解していた。
「いえ、ちょっと貧血気味なんです。薔薇の匂いに当てられたとか、そんなじゃないです」
「そうかね?」
 彼はアスカの肩から手を離すと、手近な薔薇の前に歩み寄った。紫色だった。
「……本当に大丈夫です。薔薇の華は、好きですから……」
「ふん」
「ああ……よければ、一輪だけでもいただけます? とても素敵な薔薇ばかりですから……」
 満更世辞でもなく、アスカは言う。
(それに……また聞きにこないといけないし)
 少しづつでも信頼を重ねていくことこそが、大切なのだ。
 ゲンドウは少し思案していたようだが、やがて最初に見ていた真珠色の薔薇の前に立ち、蕾が開きかけているのを選んで七つほど白衣から出した鋏を使って摘みとる。
(え……)
 アスカは、新鮮な驚きを感じていた。

 彼女には赤がよく似合う。
 誰もがそう思う。

 だから、送られる華はいつも赤だった。
 だから、ゲンドウも赤い薔薇を選ぶのだと思っていた。

 ……言葉もなく立ち尽くしているアスカを、彼は不思議そうな顔をして眺めていたが、やがて何かに思い至ったのか、微かに顔を逸らし、読み捨てていた英字新聞でつくった花束を差し出して、こう言った。
「君には、これも似合う」 
 
 とくんと、胸の奥で何かが動いたような気がした。



index

From:『そうして彼女は嘘をついた。』