「はなれたもの」


何度も他人によって人生を変えられていた僕が

『ホント、シンジには感謝してるわ。 アタイなんかもう取り乱してしまうばっかりで』
『いいよ、テッドの人差し指はばっくり切れてたんだ……あんなに『心配できる』のは
 それだけティータが愛してるって事の証じゃないか。

 傷は縫ったから大丈夫だとは思うけど、輸血してないから数日は派手な運動させないでね。
 抜糸は大体一ヵ月半後ってところかな』
『うん……気をつけるよ』

始めて『自分の意思で他人の人生を変えつつ』、冬しかないこの町に来てもう8年になる。

『今日は本当に有難う! 助かったよDr!』
『テッド! もう少し体をいたわらないとティータを怒らせるよ?
 「アタイを未亡人にする気かい!」ってワンワン泣いてたじゃないか』
『人差し指をガラスで切っただけなのに大げさなんだよティータは…あ、これお礼ね』


彼のごつい手が差し出したのは絶対に似合わない薄紅色のケーキの箱。
最近できたここのケーキはあの子のお気に入りだったりする。


『あ! 娘の大好物覚えててくれたんだ』
『ま、まぁな。 ティータはレイが大好きだからな』
『ティータはテッドの方がレイを気に入ってるって言ってたけど?』
『う… ケーキ自体はあいつが買ってきたんだぞ!』
『今度フレディ君にもなんか買ってくるよ。 何がいいと思う?』
『あいつはヒカリが好きだから、彼女から貰えりゃ何でも良いって言い出すに決まってるよ……』


NERVオセアニア支部所属『南極再生研究基地:居住区』・2025年2月。


「あ…雪だ…。 今日は寒くなるね」

玄関先のポストに付いている雪を払いのけた。
そのすぐ下の表札にはこうある。

『碇シンジ  碇ヒカリ
 碇レイ』


◆ ◆ ◆


「ただいま」
「ぱぱぁ!」

ドアを開けた僕に女の子が抱き付いて来た……綾波の名前を貰った娘 ・ レイ。
そしてレイの後ろから誰よりも愛する女性が手を拭きながら付いて来ている。

「お帰りなさい、あなた」
「ぱぱ、お帰る」
「違うよレイ。 『お帰る』じゃなくて『お帰り』だよ」
「うん、判った。 お帰り、ぱぱ」

頭をよしよしと撫でながらケーキの入った箱を渡す。

「ただいま。 はい、お土産」
「わ! 『フリューネ』のチーズケーキとレモンパイだ!」
「駄目よレイ。 ご飯食べてからよ?」
「ハーイ♪」


仕事だけを頼りに妻と移住して8年。
日本から出た理由はただ一つ。
お互いが心から大切に思っていた人達に裏切られた……街に居たくなかったから。

◆ ◆ ◆

二人の関係が始まったのは彼女の冗談半分の一言だった。


『ね、もし私が「誰も知らないところへ今すぐさらって」って言ったらさらってくれる?』
『実は僕、ネルフのオセアニア支部が起こす『南極再生計画』に参加するつもりなんだ。
 父さんの許可も取った………でも最低5年はまず日本に帰れない。

 実はね、今日洞木さんの元に来たのはお別れを言うためなんだよ。

 出発は…信じられないだろうけど半日後、父さんが専用機で向こうまで送ってくれるって。
 最初はアスカと行こうと思っていたんだけど、あっさり断られちゃった。
 そうだ、洞木さんでも頼めば行けるようにしてくれると思うけど…どうする?
 こんな僕とじゃ嫌かもしれないけど…付いて来てくれますか?』

『うん! すぐに準備をしてくるね!』


父さんは『連れて行きたいのならそうしろ。
      お前が彼女の未来すべてに責任が取れるのなら連れて行け。
      それ以外の……残りの責任は全て私が取る』と言ってくれて。

 

納得できるまではもう帰らない、と二人で誓ってそのまま第三を離れ、
必死になって勉強した僕は、6年後外科のドクターになる事が出来た。

医者になった直後、一緒に来てくれたヒカリと結婚している。


◆ ◆ ◆


レイはポストから僕がもって来た手紙から日本語の手紙を一つ取り、軽く封筒の字を読んで妻に渡す。

「まま、おてがみ。 ケンちゃんからだよ」
「相田君から? 何時もはメールで済ませてしまうのに…珍しいわね」


何かカード状のものが入っているらしく、ケンスケからの封筒はかなりの厚みがあった。


「厚みのある封筒って事は招待状かな。 …遂にケンスケも年貢の納める気になったんだ?」
「この前連れて来た…ヒナタさんだったわね、彼女。 お料理は美味しかったわ」

勝手の違うキッチンで汗を流しながらヒカリと料理を作っていた小柄な女性。

「『料理が無駄なく作れるのがあいつの自慢』だったっけ、ケンスケが彼女を自慢したせりふ。
 ヒカリが見てもよかったんだ」
「ええ。  レストランのシェフとして、お料理だけは誰にも負けない努力してるもの。
 同じ努力してる人は認めるわ」


二年前からヒカリはレストランを経営している。
客足はまずまず…と言うかそれ以上で、僕がドクターとして働かなくても
僕ら三人が十分以上に食べていけるほどに盛況だ。
雑誌の取材もすでにいくつか受けていて、その成果も十分にあったようだ。

店名は「Curiosity」。

意味は『好奇心』


ティータを始め、この街で出来た友達は皆ヒカリの『料理への好奇心』を名前にしたと思っている。

本当の意味は『興味本位で中華とかをメニューに入れず、自分流の日本料理にまい進する』。
『余計な興味』が身もココロも滅ぼすのを僕たちは知っているからね。


「テッドって舌だけは異様に肥えてるから助かるわ。 味見役としては特に」
「そう言えばテッドもティータも、始めて梅干を食べたときは吐き出したのに今は大好物だもんね」
「あ、やっぱりこのケーキ、ティータから貰ったんだ」
「うん、テッドがガラスで指を切った時傍に丁度いたから縫ってあげたんだ。 そしたらお礼だ、って」


◆ ◆ ◆

 

この街に来た日の夜、僕と彼女はお互いを求め合った。


「本当に僕でいいの?」

彼女はこくんと頷くと僕に抱きついてきた。
触れなくても肩が震えているのがわかる。

「僕はいいんだよ。 そんな事期待して君をこの街に連れ出したんじゃないんだ。
 そんな事が望みだったら、わざわざこの街まで……」
「違うの。 司令さんの前でも言ったけど、鈴原の好きな人はアスカだったのよ。
 私自身薄々気付いていたし、忘れさせる事がいつか出来ると思っていたの。

 でも、やっぱりアスカは太陽だった。
 月みたいな綾波さんや、それ以下の私なんか目じゃないくらいに」


「そんな事無いよ!」


「アスカが鈴原を頼ったことだけは理解できるの。
 心がまた壊れそうになって…助けてくれた鈴原にすがるのは仕方なかったと思うし…。
 もし、あの状態で助けていなければ、私の好きな鈴原じゃないし……」

告白に泣き声が混じってくる。

「でもね。 半年も黙っていたことが止めになったの。
 私が…どんなにがん…ばっても…勝てなかったの。
 わかって…いたのに……」

顔をあげる彼女。 
その顔に別の雫が落ちていく。

「勇気が欲しいの」

「もう一度好きになれそうな人に出会った時、告白できるようになるために」

「だから、アイツの次に好きな碇君に、力を分けて欲しいの」

「それに……碇君だって、泣いてるじゃない」

「私からも、碇くんに勇気をあげる」

 


最悪な初体験を済ませた後、僕等は目の前にいる『ヒト』を求めた。
少しずつ、友達としての『好き』でもよかった。

本心からお互いの事を好きになりたいと思った。
誰も知っている人が居ない土地で平然と生き続けられる程……
僕等は強くないから。

◆ ◆ ◆

けど、僕らの仲も順風満帆というわけじゃなかった。

叩きあいはしなかったけどけんかした事は勿論あるよ。
ヒカリが不安になっているのに気付かなかった時、女友達にある事を手伝ってもらったせいで
本気でヒカリに僕が浮気したと思われた挙句、別の男とエッチしている所を見た事もあった位なんだ。


確かあれは4年前の5月のこと。


 

『本当に今回は御免ねティータ。 テッドとのデート潰した事何度かあったんじゃない?』
『んー? 心配しなくても大丈夫よ。 アタイはシンジとヒカリの幸せを何より祝いたいんだからね。
 親以外でこんなじゃじゃ馬娘にとことん親身になってくれたのはアンタたち3人だけだったもの。
 それに、指輪作りを手伝うために本当にテッドとデートの約束、最近してないのよ』

ジュエリーデザイナーのティータに手伝って貰って作ったエンゲージリングと対になったイヤリング。

『それにしても今怒りたいのはテッドが煮え切らない事よ!
 シンジみたいに誠実だったらなぁ! 何よ、アタイを孕ませといて!』
『……え? は、孕ませたってまさか?!』
『あ!? マ、ママには内緒よシンジ…』
『ええっと…おめでとうって言っていいのかな?』

精一杯の想いを真新しいケースに詰めて。
今日、僕はヒカリの隣を予約しに行く。

ガチャ。

『じゃぁ、その、立ち会ってくれ『いくぅぅぅぅぅぅ!』……へ??』
『? なんて言ったの?』
『…………嘘だよ』
『今のさ、ヒカリの声だよ…ね? 日本語みたいだったけどなんて言った……シンジ!?』

二階の寝室を蹴りあけて僕が飛び込んだとき、まさに二人が絶頂の余韻にひたってる所だった。

『ヒカリ…よかったぁ?!』

上半身を起こしたテッドの鳩尾につま先を引っ掛けるようにして思いっきり僕は蹴り上げた。
ベッドから転げ落ちながら咳き込む彼の片手を掴んでティータのいるドアのそばまで放り投げる。
NERVの訓練は伊達じゃない。

『い、いまさら、何よ…今日だってティータとよろしくやって…!』

僕は一発だけ、始めてヒカリの頬を叩いた。
そのまま有無を言わせず持っていた紙バッグを叩きつける。

『な、何よ!ティータと浮気』
『黙れ!』
『な…』
『ティータの職業は!』
『なんでそんなこ』
『答えろ!』
『宝石のデザイナーよ!』

『じゃあ、最近僕がティータと一緒に居る理由が『それ』だと思わなかったのかよ!!
 大好きな人を驚かせたいのに『それ』を作ってるって言えるかよ!
 僕に対するヒカリの信用ってその…うっ……程度……ううっ…なのかよ…。
 誰かを二度と『裏切りたくない』僕がそんな真似、するなんて……』

バッグの中身を見たヒカリが御免なさいと大泣きで謝ったのも、
勿論ドアの外でティータ達『親子』が二人勝ちしていたのも言うまでも無い事だった。


◆ ◆ ◆

後で何人かの友達がこの事を知って僕に『ヒカリと別れるのか』と聞いてきた。
でも僕はその質問を一蹴した。


『今回の、一度の間違いでヒカリを見限ったら……僕はヒカリの一部しか好きじゃなかった事になるよ。
 『ヒカリ』じゃなくて自分に都合の良い『ヒカリという人形』を求めていた事になる。
 汚いとみんなが感じている部分も含めた『洞木ヒカリ』が欲しいんだ、僕は。

 それに、僕の彼女への想いはそんな簡単に諦められるものじゃないんだって』
 

この話は美談とみんなに取られたようだ。

 

本当は、違う。
あの時と一緒で僕は彼女がテッドを選んだ理由を聞きたくないだけなんだ。
僕らが逃げるようにこの街に来た、あの時と一緒で………。