『慰安旅行』


Original text:スマッシッホークさん


prologue

後先なんて何も考えずに家を飛び出してきた。彼にはクラスメイトや家族の視線に耐える事が出来なかったのだ。周囲には誰も見当たらずに、彼自身が張った二人用の小さなテントが一つ見えるだけ。シーズンともなればキャンプする人で溢れかえる事もあるだろうだだっ広い草むらなのだが、今は少しばかり季節が早い。
箱根の山中で彼は一人だった。パチパチと燃えている焚き火にあたりながら、膝を抱え込んで座りこんでいる。缶詰を温めただけの粗末な食事を終わらせ、奇麗な星空を見上げながら今後の事を考えていた。

だがどれだけ考えても彼の結論は同じだった。自業自得なのだから耐えるしかないだろう。仕方が無い、朝になったらここを片付けて両親に謝ろう。そしてクラスメイトの冷たい視線にも態度にも何とか耐えるしかないと彼は思う。
溜め息を一つついて焚き火を消そうと立ち上がる。小川に行ってバケツに水を汲んでこなければならない。その時だった。「おい、こんな所で何をしているんだ?」と、彼は声を掛けられたのだった。

慌てて声のする方に振り返った彼だが周囲は暗い。声を掛けてきたその人物の姿を彼には確認出来ない。彼は驚きで心臓が止まるかと思った。やましい事はしていない。ただ彼は季節外れのキャンプをしていただけだ。でも夜中で一人、寂しくて堪らないところにいきなり声を掛けられたら、彼でなくとも吃驚するに決まっている。

「…一人か?他には誰もいないのか?」

その人物は暗がりからザッザッと足音を立てながら近づいてきた。火の光によって全体像が確認出来る。その声色から若い男だと彼は推測していたが、年齢は多分30歳に少し届かないくらいだろう。無精ひげを生やして、髪を後ろでシッポのように一つに束ねたその男は、「キャンプか?季節外れに物好きだな!」と、彼に親しげに笑いかけてきた。
彼には男の意図が読めなかった。だから警戒しつつも「あ、あんた誰だよ!」と、誰何の声をあげずにはいられなかった。
若い男はそんな彼にニヤッと笑い、「そんなに警戒する事もないさ、ちょっと話をしないか?」と語り掛けてくる。


だがこの出会いが彼にとって人生の分かれ道。彼――相田ケンスケは、運命に初めて感謝する事になった。



一日目

「ケンスケ、午後一番の便でお姫様はやってくるぞ。顔合わせと親睦を兼ねての食事会をして今日は終了、次の日から撮影だ。準備は出来てるよな?」
「はい、任せて下さい加持さん。っバッチリ準備は出来てますよ!」

俺の名前は相田ケンスケ、第3新東京市立第壱高校2−A所属の学生…だった。ほんの一月前までは。
趣味はミリタリーと写真。加持さん…加持リョウジさんの助手のような事をしている。今はある人気急上昇中アイドルのグラビアのプロモーションDVD撮影隊の一員として、尊敬する加持さんと一緒に沖縄へとやってきたところだ。

「……まさかオマエと一緒に仕事する事になるとは思わんかったよ。声を掛けたのはあんまり寂しそうだったから気紛れ以外の何物でもなかったんだがな」
「くっ、そうですね、でも俺だってそうですよ。あの頃の俺、毎日が辛かったですから、加持さんに拾ってもらえなかったら今頃何をしているか……。だから俺、感謝してるんですよ!何でもやりますから言って下さい!それでこの企画、絶対に成功させましょう!」

ニヤリと笑って、俺をからかってくる加持さん。そうだ、本当に俺は加持さんに感謝してる。俺を救ってくれて、俺を導いてくれて、俺にこんなチャンスまで与えてくれる加持さんの為なら、俺はなんだってやるぜ!

「ま、気持ちはわかる。ある意味俺も似たようなもんがあるし、気合が入るよな。だがこの企画が成功するのは当たり前なんだからもう少し落ち着け。何しろリっちゃんの保証付きなんだから肩の力を抜け。そうしないと焦って下らんミスをする事になるぞ?」
「うっ……そ、そうですね、気を付けます加持さん。つまらないミスで台無しにする訳にはいかないですよね……」

ううっ、加持さんに怒られちまった。……でも確かに加持さんの言う通りだよな。俺はまだまだ経験不足だから、焦って詰まらんミスで加持さんの足を引っ張ってしまうかも知れん。それだけは避けないとな。最初さえクリアしてしまえば後はなんとでもなるんだから……。
で、でも気合が入るのも当たり前だよな?なにしろ計画を打ち明けられて、それでいよいよなんだぜ?

「ああ、気を付けてミスをしないようにな。心配するな、ちゃんとフォローしてやるから。…それじゃケンスケ、まだ時間があるからそれまで少し休むぞ。暑いのは嫌いじゃないが、それでもやっぱりこの季節だと沖縄は暑いって感じるからな」
「!は、はい加持さん!それじゃ中に入りましょう!日陰なら涼しいですし、クーラー効いてますから!」

俺は撮影隊の本拠となる洋館に加持さんと戻る事にした。洋館に戻った俺と加持さんは冷房の効いた部屋で、前祝として乾杯しながら今後の計画の確認をした。……くくくっ、惣流!楽しんでくれるとありがたいんだけどな!



◆ ◆ ◆



ここで何故俺が加持さんを尊敬していて沖縄に来る事になったのか説明しておこう。始まりは加持さんが俺に話し掛けてくれた事。一人寂しくキャンプしていた俺に話し掛けてくれた加持さんだけど、別に何か理由があった訳じゃない。しいていうなら俺に同情してくれた訳だ。

箱根山に加持さんが足を運んでいた理由だけど、外の空気を吸いたくなった加持さんがドライブに出掛けて、それで気の向くままに足を運んだのが箱根だったと笑いながら教えてくれた。で、ひらけたところに来たので休憩しようとタバコに火を点けたら、俺の焚き火の明りが見えて気になったと。

……ありえない偶然だよな?それで加持さんと知り合えるなんて信じられない幸運だぜ!今では神が後押ししてくれた結果だと思っている。いや、もしかしたら悪魔かもしれないけどな。とにかく俺は運命に選ばれた人間だって思うようになった。

加持さんは親身に俺の話を聞いてくれて、俺の不運に同情してくれて、自分の経験談を語ってくれた。加持さんの話を聞いて、俺はいかに自分が小物かって思い知ったね。だって加持さんって凄い人なんだぜ!俺は加持さんを尊敬して直ぐに好きになったね!

加持さんも俺に好意を持ってくれたみたいで、その運命の夜に俺は必死に加持さんの舎弟にしてもらえるようにお願いをした。そしたら加持さんは「…ケンスケ、これから話す事は誰にも言っちゃだめだぜ?」と前置きして、約束出来るなら舎弟にしてやるって言ってくれた。
断るなんてありえないよな?勿論俺は即答した訳だ。「っお願いです!加持さんの言う事は何でも聞きます!だ、だから俺を加持さんの舎弟にして下さいっ!」って。

地面に頭を擦り付けて舎弟にしてくれって頼む俺に加持さんは満足してくれたみたいだった。だから「合格だ、相田ケンスケ。オマエを俺の舎弟にしてやるよ」って加持さんは言ってくれて、俺は加持さんの舎弟になれた訳だ。

そして俺は加持さんの話を改めて聞いて、それで自分が考え違いをしていたと気付かされた。つまり加持さんは凄い人なんかじゃなくて、俺なんかではお呼びもつかない、もっともっと凄い人だったって事だな。

話し終えた加持さんは俺に「どうするケンスケ?」って問い掛けてきた。これほどまでに返事するのに緊張した経験は無かったよ。勿論断る為じゃないぜ?ただ余りにも重大な問い掛けだったから、即答したいけど少し躊躇われたって言うか、まあそんな感じだ。

加持さんに返事をしたら、俺の人生は変わって引き返せなくなるだろう。本当に返事しても構わないのか?って戸惑った訳だけど、逡巡しても良い事なんかないって気付いた。やっぱり結論が変わる訳がない。緊張で溜まってしまっていたツバを飲み込んだ俺は、頭を擦りつけながら「っお願いします!やらせて下さい!」って加持さんに返事をした。

加持さんはそんな俺を見下ろしながら少し考えていたみたいだけど、しばらくすると俺の肩を叩いて顔を上げさせてくれた。男でも惚れちまうような魅力的な笑顔をした加持さんは「オマエの覚悟はわかったぜ。だからケンスケにも協力してもらう事にする」って言ってくれて、詳しい話を始めた。

俺の人生が決まった瞬間だった。多分死ぬまで忘れられん思い出になるんだろうな。


後から「加持さん、俺が約束出来ないって言ったらどうするつもりだったんですか?」って聞いたら、「ん?あそこまで話をしておいて只で済ます訳ないだろ?具体的には言えんが、何らかの処置をした事だろうな」って笑いながら言ってくれた。…危ない所だったぜ……。


俺から加持さんにした話の要点を纏めるとこうなるだろう。

俺は学校で女の子の写真を撮って小遣いを稼いでいたわけだが、需要に応えてスペシャルな写真もコッソリ売っていた訳だ。で、それが現場を押さえられてバレちまう事になった。そしたら女共は騒ぐし、写真を買ってくれていた顧客まで女共に冷たい目で見られるようになったって逆恨みしてくる始末。

で、有志と称して女共の代表がわざわざ俺の親がいる時を狙って押し掛けて、「おば様、相田君が勝手にアタシ達の写真を撮って、勝手に販売していたんです。デジタルカメラを使っていましたからデータが残っていないかと調べに来ました。パソコンを点検しても構いませんか?」って言って、押収した写真をちらつかせながら俺の部屋まで上がりこみ、HDの中身を暴いてくれたそうだ。
それで出て来たのがまあ各種エロゲーと、更衣室の盗撮写真や体操服の局部アップなんかの秘蔵画像、裏の動画データだったりする訳で、何時間も調べてくれた挙句に「おば様、データを消してしまっても構いませんね?」と質問までしてくれやがったらしい。

教室内で女共に吊るし上げられていた俺に帰ってきた有志はコトの顛末を話した。それで勿論俺は抗議したさ、「何て事するんだよ!パソコンの中身調べるなんて人のプライバシーを覗く事と同じだぞ!」って。そしたら「何言ってんのよ!アンタが人の写真を勝手に撮ったりするからこういう目に遭うんでしょっ!」って聞く耳を持ちゃしない。

……何とか開放されて家に帰るとその夜は地獄だったね。親父には殴られるわ、母親からは泣かれるわ。結局パソコンもカメラもゲームも没収、小遣いも禁止となってしまった。しかもそれで話は終わらなかったりする。
実は家に乗り込んでくれた有志ってのは、生徒会長だった碇シンジと、その彼女だった惣流アスカだったのだが、シンジは極力穏便にしようしてくれた。お陰で俺は騒ぎを起こしたとの罪のみ問われて、一週間の停学で済んだが惣流は違った。

俺が停学となっている間に、シンジに隠れて学校の女共に噂を広げてくれたのだ!

俺はエロゲや動画データの内容をバラされ、そのせいで女共は残らず冷たい目で見る。男も俺に関わるとハブられると近づかない。
「ロリコン」「痴漢マニア」「レイプマニア」「SMマニア」と影口を叩かれて、体育やトイレで席を立とうものなら、ノートに「変態」とか「キモイ」の類の悪戯書きや、黒板に「相田ケンスケは盗撮魔!近づくと妊娠させられる!」の類で大書きされてたりするのはしょっちゅうだった。惣流は怒りを押し殺しながら黒板消しを使う俺を見て、聞こえよがしに「ねぇねぇ相田ってさぁ……」と女共に耳打ちして笑っていたりする。

処分が確定して停学に服した後だったので、今のところこれ以上の処分は無いみたいだが、それもいつまで続くかわからない。そしてそれ以上に居心地が悪く、辛くて堪らない。そんな事を俺は加持さんに話したのだ。


加持さんと話している時に「惣流アスカ」の名前を出した途端、加持さんの雰囲気が変わってあとから確認してきたんだけど、話してくれた要点を纏めるとこうなるだろう。

「……なるほど、多分そうだと思ってたが、ケンスケの話の惣流ってのは、グラビアなんかで人気が出始めている“あの”惣流アスカだった訳だ。珍しい名前だし間違いないとは思っていたが……。ケンスケ、念の為確認するぞ?惣流ってのはグラビアアイドルの惣流アスカで間違いないな?ドイツ系のクォーターで、本名は惣流・アスカ・ラングレーって日本人の」
「そ、そうです!その惣流で間違いないです!アイツは父親がドイツ系のアメリカ人で、母親がハーフって話ですから!それで親が離婚して日本に住んでるってんだから間違いないですよ!それに街中でスカウトされて、それで雑誌に写真が載ったのが切っ掛けって話ですから!」

ケンスケの証言に肯いた加持リョウジはしばらく考え込んだあと、「……ケンスケ、オマエ、惣流アスカの事をどう思っている?もしかしたらだが復讐したいとか思っているか?」と意味深な口調でケンスケに問い掛けてきた。

「!そ、そうです!復讐したいに決まってますよ!アイツが余計な事しなけりゃ俺は今こんなに辛くないんだ!別に写真くらい構わないじゃないですか!アイツは雑誌に自分の写真を載せるのを認めてるんですよ?それなのにどうして俺の写真だと大騒ぎするんです?グラビアアイドルなんて見られてナンボでしょ?っおかしいじゃないですかっ!!」
「くくっ、ケンスケ、俺に怒ってもしょうがないだろ?で、惣流アスカは憎いんだな?復讐したいと考えてるんだな?……それならいっそ奴隷にしたいと思わないか?」
「!っど、どういう事ですか、加持さん!」

ケンスケは加持の言葉に驚愕して思わず問い返した。そんなケンスケにニヤリと加持リョウジは笑い、それで「…実はな……」と詳しく話し始めたのだった。


「ケンスケ、実は俺も今一つ問題を抱えててな、それを解決出来たらオマエの復讐も同時に出来そうなんだよ」
「!」
「くくっ、それはな、俺は惣流アスカのマネージャーをしている葛城ミサトに少しばかり因縁があってな。……ここまでは良いか?」
「あっ、はい!」
「よし、それでだ、葛城ミサトに因縁のある人物がもう一人いてな、だから話し合って、ある実験の被験体を葛城ミサトとする事に決めたんだよ。だがその実験は残念ながら一日二日で終わるようなもんじゃない。葛城ミサトは惣流アスカのマネージャーとして一緒に行動する事が多い。それで惣流アスカも実験の被験体とすれば上手くいくと考えたんだ」
「!そ、それでどうするんですか?実験ってのはどういうものなんですか!」

俺には実験が何を意味するのかわからなかった。ただ加持さんに従っていれば惣流に復讐出来るかもしれないって。それと“奴隷”って言葉に興奮して、ただそれだけで夢中だった。焦って続きを聞きだそうとする俺に加持さんは「まあ落ち着け」と諭して続けるのだった。

「画期的な洗脳装置を開発したのがいるんだよ。で、その洗脳装置だが性行為を媒介にした洗脳だから、洗脳調教って呼べるものになる。性欲でもって思考をコントロールして、人格を一から作り変えるんだ。結果的に奴隷を、それも性奴隷を作り上げる事になる」
「!!」
「……くくっ、楽しいと思わないか?惣流アスカが性奴隷となって、…いやメス豚になったらケンスケの気は晴れたりしないか?」
「!っ晴れます!あの高慢ちきな惣流が性奴隷っ!いやいやメス豚に出来るんなら、俺は何でもやりますよ加持さんっ!」

興奮する俺に加持さんはここで表情を改めた。いかに惣流を恨んでいるか、復讐したいかを、腰を浮かして食いかかる俺に、加持さんは「落ち着け」と諭してきた。

「まあ、気持ちはわかる。正直ケンスケの自業自得ではあるが、やりかたってもんがあるからな。それにだ、自業自得だとしても感情は納得出来るもんじゃないじゃない。だからどうしたって思うだろう?……それで最後の質問だ。俺達の世界に来る覚悟があるか?例え今は破綻していようと、家族や友人との繋がりを断ち切る事が出来るか?……ケンスケ、よく考えて答えてみろ」
「…………」

真剣な表情の加持さん俺は飲まれてしまって黙り込んじまったが、やっぱり加持さんは格好良いって思ったね。で、言われたとおり考えてみた。

(……っ俺から写真を買うって事はいわば共犯だろ?それなのにあっさりと裏切る奴等なんか関係あるか!女共の視線にも耐え切れんし、こんなに苦しかったから衝動的とは言え家出してきたんだ!っ家族も関係ない!こんなに辛いのに学校に行けなんて、もう我慢出来ない!お、俺は加持さんについていきたいっ!)

覚悟を確認した俺は「お、俺、加持さんについていきたいです!家族も友人もいりません!だ、だからお願いします!お、俺を加持さんの世界に連れて行ってください!!」って懇願した。頭を下げていて、加持さんが何を考えているのかわからないのが怖かった。

どれだけ時間が経っていたかわからないけど、多分五分か十分程度だと思う。土下座していた俺に加持さんは肩を叩いてくれて、それで「ケンスケ、俺が兄貴になってやるし、新しい友人だってこれからいくらでも作れるさ!」と笑ってくれた。っあん時は嬉しくて涙が止まらなかったな……。


そして加持の言った事をケンスケは纏めて確認してみた。

「……つまり加持さんは世界的な人身売買組織ゼーレの一員な訳ですね?そして俺もその一員になるって訳ですね?」
「そう言う事だな、……くくっ、怖くなったかケンスケ?」
「っまさか、むしろ嬉しいですよ!っと、それで葛城ミサトですが、加持さんと大学の同期生で昔付き合っていたと。で、今は芸能事務所ネルフに勤めてて、惣流のマネージャーで、格闘技やってて、全国大会で優勝したほどの空手の達人であると」
「そうだ、俺は葛城と付き合ってたんだが他にも何匹か奴隷を飼っていてな、それが葛城にバレちまったんだよ。で、バレちまったからにはフラれるのは仕方が無い。だがあろう事かあの女、それを噂として学校でも近所でもそこら中に広めやがってな。お陰で俺は大学を辞めて引っ越す羽目になった。せっかく調教したメスも手放さざるをえなくなっちまった。…因縁があるってのはそう言うこった」

お手上げだった、と肩をすくめる加持さん。なるほど、因縁だよな。

「何か俺が惣流を憎むのと少し似てますね。…それでもう一人因縁がある“赤木リツコ”さんですか。この人も加持さんの同期生ですね。…俺、リツコさんの気持ちが少しわかるような気がします。さぞイラついた事でしょうね」
「ああ、そうだな。葛城の親父さんは脳医学と精神医学分野で結構な権威だった訳だが、同じく権威であった赤木ナオコ博士と争っていた。実績としては赤木博士の方が上だった訳だが、赤木博士の開発した画期的な医療システム“MAGI”が仇となるとは皮肉なもんだ」
「……葛城博士の言い分もわからないではないですけどね、『このシステムは洗脳にも利用出来る可能性がある。封印する必要があるし、このようなシステムを開発する赤木博士は危険だ』ですか。…でも赤木博士の『全てのシステムは使う人間次第なのだから、単に危険だと言う理由では封印する理由になりえない。進歩を否定する葛城博士は愚かと言える』の方がもっともだと俺は思いますよ」
「ま、俺もそう思うけどな。で、結構な争いになった訳だが、何分赤木博士のシステムは急進的過ぎたんだろうな。洗脳って言葉が一人歩きしたのも拙かった。結果赤木博士が敗れて、見返してやろうと頑張りすぎて、失意のまま過労死してしまう結果となった訳だ」

経緯を聞いてしまうとなんともケンスケは呆れてしまう。

「で、葛城ミサトは偉大な父を自慢し、リツコさんの母親をろくな研究も出来ない無能と蔑む、と。…何ですか、この葛城ミサトって馬鹿じゃありません?少し調べれば真相なんて簡単に調べられるでしょうし、そうでなくても自慢の父と互角に張り合っているような人物となれば凄いってわかるでしょうに……」
「くくっ、手厳しいなケンスケ。まあ葛城はそんな近視眼的なところがあったんだよ、今もあんまり変わってないかも知れないけどな。で、そんな訳だからリっちゃんは葛城をしゃべるのも煩わしいと無視してた訳だが、それがまた葛城を怒らせてな。事ある事に突っかかって来るんで辟易していたらしい。悪循環だな。だから実験の被験体にする事にした訳だ」

加持の言う二人目の因縁のある相手、赤木リツコ。彼女は母親の理論と研究を基にシステムを完成させ、第七世代までバージョンアップされた“MAGI”を、助手である“伊吹マヤ”とセットアップ中だ。

左目の泣き黒子に肩までのショートの髪を金髪に染め、白衣を愛用する理知的な風貌のリツコ。童顔で可愛らしいとの表現がピッタリで、髪は艶やかに黒くボブショート。いつもニコニコと笑っていて、ショートパンツにカットソーなど活動的な服装を好むマヤ。
実はどちらもケンスケのドストライクな美女だったりする。

「…なるほど納得です。それでマヤさんですけどリツコさんの弟子で、システムの補助と道具とか薬剤を用意してくれるんですよね?」
「ああ、そうだな。それと念を押しておくけどマヤちゃんはリっちゃんのものだからな?だからリっちゃんはもちろん、マヤちゃんにも手を出そうとするなよ?それで怒ったリっちゃんにケンスケが洗脳とかされても、俺は責任もてんからな!」
「わ、わかってますって!俺の目的は惣流ですから!」
「くくっ、良いか?リっちゃんだけは怒らせるんじゃないぞ?とばっちりは受けたくないからな!」

からかってくる加持がケンスケには嬉しい。「わかってますって!」と苦笑する、そんなケンスケをニヤリと笑って加持は続けた。

「で、話を戻すぞ?監督兼カメラマンが俺で、オマエは助監督兼助手って事になる訳だが、他にも館の管理人、料理人、メイク、衣装、スタイリスト、照明、レフ版持ち、大道具、小道具、編集といった名目でゼーレから10人ばかり応援を呼んでる。まあ研究のスポンサーだから実験結果を報告する必要があるからな。くくっ、何故か若い男ばかりだけど俺とケンスケだけだと大変だしな。独り占めは難しいかも知れんがそこは我慢してくれよ?」
「わかってますって!我侭は言いませんよ!……それにしても世知辛いですねぇ、世の中金ですか……」
「…そう言うなケンスケ、洗脳調教の内容はこっちで全て決められるし、作ったメスの所有権はこっちだ。10人も送り込んでくれるゼーレはあくまでも協力者だよ。監視だけなら一人二人で良いんだからな。もっともゼーレも整備とかで経験は得られるし、リっちゃんに貸しを作れるし、損はないんだけどな。リっちゃんの研究が飛躍的に進んだのはゼーレのお陰である部分がやっぱり大きい。画期的なシステムだけどな、とにかく金を食うんだよ」

それにな、と加持はケンスケに諭した。

「今回の撮影にしたって俺達だけでやろうとしたら機材やら運送費やらレンタル料やらで何百万って掛かるだろうし、この洋館をレンタルするとなれば桁が一つ上になる。そもそも信用のおける男なんて何人も集められん。スポンサーは喜ばせんとな」
「…ま、確かにそうですよね。時間に限りがありますし、男が沢山いた方が効率は良いでしょうしね」
「そう言う事だ。…さ、そろそろ飛行機の着く時間だ、迎えにいくから車に乗れ。空港で待ち合わせだからな」

俺は「わかりました、加持さん」と答えて洋館を出ていく。用意していたレンタカーの助手席に座り込む。運転席に座った加持さんが「いよいよだなケンスケ」と俺に向ってサムズアップしてきた。俺も加持さんに「っはいっ!いよいよです加持さん!くくっ、こんなに楽しいのは生まれて初めてですよ!」とサムズアップを返す。ニヤリと笑い返してくれた加持さんはエンジンを掛けた。

目的地は那覇空港、およそ30分のドライブだ。



◆ ◆ ◆



レモンイエローのワンピースドレスを着た少女が眼下の景色に興奮し、隣で頭を抱えている黒髪の美女の肩を「っ見て見てミサトっ!蒼い海と白い砂浜っ、やっと沖縄に着いたわよ!」と揺さぶる。
肩を揺さぶられている美女は「……見ればわかるわよアスカ。悪いけどね、私は沖縄なんて何回も来た事があるの。だからはしゃぐのを止めて頂戴、頭が痛いのよ……」と興奮している少女を胡乱な瞳で恨めしげに睨んでいる。気分が悪くて仕方がなかったのだ。

少女の名前は惣流アスカ。本名が惣流・アスカ・ラングレー。現役高校生でとある人気週刊誌に載り、ついには表紙を飾るに至った。以来人気急上昇中のグラビアアイドルである。少しだけ赤み掛かった、緩く波打つ鮮やかな金髪を中ほどまでに伸ばし、勝気な表情が何処か可愛らしい。ハーフやクォーター特有の、シャープなのにどこか丸みを帯びた輪郭など日本人的な風貌をしており、明るく澄んだ青い瞳が目を引く。
 美女の名前は葛城ミサト。実は過去に女優として活動していた事があるのだが、本人にやる気が全く無かった為に泣かず飛ばず。それでも一応事務所には在籍していた時にアスカと知り合い意気投合。マネージャーに転身した経歴を持っている。アスカ同様にしっとりと長い黒髪を腰近くまで伸ばし、くっきりとした大きな瞳とすっきりとした顔立ちが印象的である。

 彼女たちはグラビア撮影とDVD撮影の為に、第3新東京市を離れて沖縄への飛行機に乗っていたのだった。

「っ何よ、そんなのアタシは知らないわよ。…はは~ん、どうせ、『明日からは沖縄旅行だ〜』って、えびちゅ飲みすぎたんでしょ?それにアタシ、このロケ決まってから新しい水着買い込んだの知ってるんだからね!何よ、ミサトだってこの沖縄ロケ楽しみにしてたんじゃない!」
「ぐっ、……ア、アスカ、言ってくれるじゃない。で、でも沖縄に一週間ともなれば新しい水着なんて当たり前じゃない?そ、それに頭が痛いのは本当なんだから少しは労わってくれてもいいと思うんだけど?」

だがアスカは膨れて抗議するミサトに呆れる。

「だってミサトがえびちゅで二日酔いなんて何時もの事でしょ?それに楽しみじゃないなら何で日向さんに『羨ましいでしょ〜』ってわざわざ吹聴する必要があんのよ?だいたいね、ミサトは少しばかり調子悪い方が良いのよ。煩くないし、それでなくてもいつの間にか復活してるんだから」
「ぐっ、ぐぐうぅぅ……」
「……何か言い分はあるのかしら?葛城マネージャー。…いい加減えびちゅの本数減らさないと二日酔いはともかく太るわよ?」
「っはん!えびちゅこそアタシの活力源!そうそう減らして堪るもんですか!風呂上りの一杯は格別なんだから!」
「……それで本数減らさないくせに本当に太らないのよね……ホントにどうなってるのかしら……」

高度を落とし始めた航空機の機内、アスカとミサトはいつものようにじゃれあいのような会話を楽しんでいた。そこにはこれから仕事だとの緊張感はない。そしてそれには当然理由があった。
元々グラビア撮影やDVD撮影で一週間もの長期ロケと言うのは殆どない。つまり撮影の合間や仕事が終われば遊んでも良いと黙認されているのだ。事務所に多大な利益を与えてくれたアスカへの、また有望株であるアスカにこれからも頑張ってくれとの意味を込めた、仕事にかこつけたご褒美がこの沖縄ロケと言って良かった。

「で、今回アタシを撮ってくれる人って誰なの?もう着くんだしそろそろ教えてよミサト」
「ううっ、そ、それなんだけどね、実はアタシも聞いてないのよ。社長に聞いても海外で活躍してる若手ってだけ聞いててさ、それ以外は内緒だって教えてくれなかったの。で、でさ、そんな訳でアスカにアタシも知らないなんて言えなくってさぁ、それで今まで内緒だって誤魔化してたの。……ゴミン……」

ミサトの弁解にアスカは呆れる。これから監督やカメラマン等のスタッフに会うというのに、それを把握していないマネージャーなどありえないだろう。ミサトの頭の中はえびちゅしかないのでは?と考えてしまう。
だがこれでこそミサトだろうと笑えてもしまう。ミニスカを穿きながら厚手の赤いジャケットを手放さないような女なのだ。少々の奇行などキャラクターとして容認せねばなるまい。気を取り直して明るくアスカは話題を変えた。

「っま、あと数時間で嫌でも会えるんだから楽しみにしときますか……っミサトっ!アタシ、スクーバやりたいのよ!沖縄の海って奇麗だって言うし、マンタも見たい!観光して、お買い物して、本州では見かけない変わった料理もあるみたいだしそれも楽しみよね?砂浜でバーベキューとかも美味しそう!」
「……わかってはいると思うけど日焼けには気を付けてね?あと食べすぎにも」
「っわかってるわよミサト!まあビールっ腹のミサトには言われたくないけどね?」
「ぐっ、し、失礼ね!さっきアスカもアタシの事なんで太らないか不思議だって言ってたじゃないの!アタシは運動するから太らないのよ!」
「……そんな事言ったっけ?まあどちらにしてもそうやってえびちゅばっか飲んでたら、物忘れがますます酷くなるわよ?それにいつの間にか太ってしまっても、アタシは知らないわよ?その時になって後悔しないと良いけどね……」
「ぐっ、ぐむうぅぅ……」

もちろんミサトはともかくアスカだってこの沖縄ロケに事務所の思惑がある事はわかっている。でもそんな事は関係がない。大事な事は前々から行きたかった沖縄に一週間も滞在出来る事。存分に楽しむべきだと言う事だろう。

「っ見て見てミサト、もう地上が直ぐ其処まで来てるわ!っ沖縄よ!」
「……一応言っておくけど仕事だって事忘れないでね?それと雨とか曇りの天候待ちでグラビアとDVDの撮影は長引く事だってよくあるんだから」
「わかってるって!でも天気予報じゃ快晴続きだったし、多分そんな事にはならないと思うわ。六月だから台風も無いと思うし、多分二〜三日で終わって残りは遊べるはずよ!」

飛行機の窓から滑走路が見えてくる。見事なランディングを見せた飛行機は無事に沖縄に到着した旨をアナウンスした。乗客が続々と降り始めて、アスカ達の順番がやって来る。「さ、いくわよミサト」と、タレントの嗜みとしてサングラスを掛けながらミサトに声を掛けるアスカに、「はいはい」と苦笑しながらミサトは答える。

晴れ渡る空は素晴らしい一週間となる証に違いない。アスカはそう確信し、ワクワクした気持ちを抑えつつタラップに足を掛けたのだった。


ターミナルに降り立って搭乗ゲートを通過したアスカは待ち人を探す。“歓迎 葛城様”と書かれたプラカードを持った人物がいるはずだったからだ。チラリと後方を確認すると、同じ様にミサトが視線を彷徨わせている。と、その表情を変え、青ざめるミサトをアスカは見た。

何があったのかとアスカも慌ててミサトの視線の先を探った。と、アスカも表情を変えて青ざめる事となった。そこには“歓迎 葛城様”のプラカードを持った若い男と、人波を押しのけるようにして前に出てくるケンスケを見る事が出来たからだった。

(っな、なんで相田がここにいるのよ?え?なんで?あ、相田のヤツ学校を辞めたのになんでここにいるの?え?よく似た別人…じゃないわよね?……)

と、そこでアスカは気付いた。ミサトの視線の先はケンスケではなくプラカードを持った若い男だ。と、言う事はミサトはケンスケではなく、プラカードを持った若い男を見て顔を青ざめさせている事になる。

(え?……ミサトって相田じゃなくて、なんかにやけてる男を見て吃驚しているの?っど、どういう事なのよこれ?)

アスカとミサト、両者共に驚きで動けない中、ケンスケと加持はゆっくりとアスカの方へと近づいてくる。そして声を掛けられた事で身体の硬直が解けた。

「よっ、葛城久しぶり。ようこそ沖縄へ、歓迎するぜ」
「っか、加持!なんでアンタがここにいるのよ!」

加持がミサトへと親しげに声を掛けた。

「久しぶり惣流、元気だったか?俺は何とか元気にやってるけど、何か活躍してるみたいだな。ようこそ沖縄へ、歓迎するよ」
「…あ、相田…なんでアンタがここにいるの?っこ、答えなさいよ!」

ケンスケもアスカへと親しげに声を掛けた。

アスカもミサトも驚いているが、その驚きはケンスケと加持にとっては予定事項。何故ここにいるのかと糾弾された事を冷静に受け流して答えるのだった。

「っと、なんでここにいるのかとはいきなりな挨拶だな葛城。決まりきってるだろ?監督が俺で今回の映像を撮るからさ。事務所にはサプライズとして黙っておいてくれって頼んでおいたんだ」
「っさ、サプライズって……」

絶句して何も言えなくなるミサトだったが、そこにケンスケが声を挟んでくる。

「へへっ、俺は加持さんのアシスタントだよ。偶然知り合ってね、カメラが趣味だって話したらアシスタントとして拾ってもらったんだ。今回は惣流が被写体だって話だったからさ、無理言って使ってもらえる事になったんだ。よろしくな、惣流」
「っあ、相田がアタシを撮るって言うの?ア、アタシ嫌よそんなの!っ冗談はやめてよ!」

アスカにとってケンスケに写真を撮られる事は計り知れない屈辱だった。なにしろケンスケはこれまでアスカの写真を盗撮してきたのだが、売れ筋とあって一番の被害者であったと言える。その写真は望遠レンズでも使ったのか股間のアップであったり、水を悩ましげに飲んでいるように見える写真だったりし、水着姿はもちろん着替え中の下着姿も隠し撮られた。

そんな写真を撮られ、売りさばかれていた事を知ってしまったアスカだったからこそ激怒したのであり、シンジから「ケンスケだって反省するさ、だから穏便に済ませてあげたいんだよ」と言われても許す事は出来なかった。だから学校から追い出したいと噂を流し、いじめの主導的な立場をとったのだ。
それなのに被写体として水着姿を晒してポーズをとる?それはアスカにとって悪い冗談でしかないだろう。だから当然に拒否をしたのだが

「いやいや、チーフはあくまでも加持さんさ。俺はまだ素人だからな、そんなのは当たり前だろ?ただそんな中でも当たりがあるかもしれないし、何事も経験だからとにかく数を撮れって、加持さんからは言われてるんだ。…惣流、これは俺にとってチャンスなんだよ、だから色々言いたい事あるだろうけど、今回は俺にも撮らせてくれないか?」
「っ…………」

曲がりなりにもアスカもプロである。憎み、蔑んでいる相手でも、仕事とあれば受けざるをえない事はわかる。
数を撮ると言ってきているのが非常に引っかかりはするが、ケンスケは下手に出て、“チャンスだから頼む”と言ってきている。
一度大きな声で拒否の声を出した事で、続け様にもう一度拒否する事を躊躇ってしまい、アスカは黙り込んでしまったのだった。

加持は飄々とした態度を崩さず、ミサトは絶句して固まったまま。アスカはケンスケを睨みつけ、ケンスケは真剣な顔を作ってアスカを見つめる。そんな状況が何秒か続いた後、加持は打開策を提示した。

「くくっ、葛城、サプライズとしては少し刺激が強すぎたかもしれんな、謝るよ。…アスカって呼んでも良いか?アスカにも悪い事をしたな、謝るよ」

言葉通りに素直に頭を下げて加持はミサトとアスカに謝り、そして話を続けた。

「で、ここは人が多くて喋りこんでいたら邪魔になる。それに落ち着いて話も出来ん。だからとりあえず場所を移さないか?車で来ているから宿舎になる洋館にとりあえず行かないか?そこでゆっくり話を聞くからさ」

その加持の言葉はアスカとミサトをある意味で救ったと言えるだろう。確かに冷静になれば人の多くいるところで喚くなど恥ずかしい事だし、落ち着いて話をする為に場所を移す必要性があるのはわかる。

「……加持、その洋館って空港からどのくらい?」
「そうだな、車で30分ってところか?」
「……どんな車で来てるの?」
「いや、普通の乗用車だよ。荷物はそんなにないはずだよな?」

加持に洋館の場所と、乗ってきた車を確認したミサトはアスカに振り返った。

「……アスカ、社長に文句を言って、それでなんでこんな事になっているか確認するわ。それで事情がわかったら、改めてコイツと交渉する事にしましょう。だからとりあえずタクシーを拾って後ろからついて行く事にしない?車の中で社長と話して、それからコイツの事も説明するわ。…それからアスカも相田君、だったかしら?何か含むところがあるみたいだし説明してくれない?…ねっ、そうしてくれないかしら」

噛んで含めるようにアスカを説得するミサトに、アスカはしばらく黙り込んだ後に「…わかったわ、そうする」と答える。ミサトは加持に向き直って、「じゃ、そう言う事だからアタシたちは後ろからついていくから」と返事も待たずに歩き始めた。加持はケンスケの方を向いて「…そう言う事らしい」と肩をすくめると、アスカたちの後ろについて歩いていったのだった。



◆ ◆ ◆



撮影隊の宿舎となる洋館は空港から車でおよそ30分。岬の上に建てられている洋館は二階建てで、景観を壊さない配慮から地中にケーブルと配管を通してインフラを整備。浴室やキッチンなども含めてだが、大小合わせて二十室ほどが確保されている。洋館の二階に上がれば白い砂浜が一望出来、人が立ち入らないプライベートビーチとなっている。

開放的で豪華な雰囲気を醸し出している洋館。だが岬に建てられている為に洋館に通じる道は一本。沖縄という土地柄故に台風対策として四方に高く頑丈な塀と防風林があり、周囲からは隔離される造りともなっていた。
ゼーレが都合の良い立地条件を探し、必要とされる部屋数を確保した上で設計し、建てたのがこの洋館なのである。マルドゥック機関と呼称されるゼーレのダミー企業群の一つが所有し、保養の為の施設とされている。

小さな城のように豪華な造りの洋館。だがこの洋館は広い敷地を利用して広大な地下スペースを確保し、牢獄や調教部屋を地下に確保していたりする。その地上部分、一階ロビーでケンスケと加持はアスカとミサトに向かい合って交渉していた。

「……で、葛城、事情はわかったか?」
「……ええ、海外で評価されている写真家っていうならこうなる可能性は充分あったのになんて迂闊。悪夢よ、これは……」
「つれないねぇ…葛城が担当してる娘って聞いたから格安で引き受ける事にしたんだぜ?」
「……そうね、だから社長はあんなに乗り気だった訳ね。元手は殆どタダで、歩合は低いけど売れたら売れただけもうかるって話ならどう転んでも損は無いわけだし……。アタシが昔の知り合いだからサプライズに黙っててくれってアンタが言ったなら、そりゃそのくらいの無理は聞いてもおかしくはないわね。…でも加持、こんな契約だとアンタ下手すると足が出るわよ?それでもやるの?」
「そりゃそうなったらそうなっちっまったで、その時は仕方が無い。アスカの写真集を作るって聞いて撮りたいと思っちまったんだからな。足が出たら俺の腕が悪かったって事になるだけだ。…でも多分そんな事にはならんと思うぜ?アスカはこんなに奇麗だからな」

ミサトとの会話を一端打ち切り、アスカに向って加持は微笑む。しかしミサトから加持の過去を聞いてしまったアスカにはおぞましい限りだった。

「……加持さんって言いましたよね?相田君とアタシの関係を知ってますか?それでもアタシの写真を撮らせる助手を相田君にするんですか?」

ミサトから聞いた加持の過去。それはミサトと付き合っていながら複数の女性と付き合う女垂らしが加持であると言う事。
ミサトは加持に女性の影を見つけたので不信感を抱き、行動を調査したら複数の女性との浮気現場を目撃してしまったと言う。それで加持の部屋を家捜ししたら、色々とアブノーマルな道具を見つけたので逃げたのだとミサトはアスカに説明していた。

「……ああ、聞いてるよ、ケンスケにも悪いところはあったろう。でもそれは終わった事だ。写真が趣味だって聞いて少し撮らせてみたんだけどね、結構光るものがあったんだ。それで見込みがあると思ってね、育ててみようと思ったんだよ。アスカも協力してくれないか?」

そんな過去を持つ加持がケンスケをアシスタントにする。何か裏があるような気がしてならない。加持に対してケンスケとアスカの確執を知っているのか、気になって質問してみたのだが加持は確執を知っていると言う。そしてそれは過去の事だと言い切り、ケンスケを育てる為にアスカを撮らせようと言うのだ。

とてもではないが納得出来なくて「っ何を考えてるんですか?アタシ嫌ですから!」と怒鳴ろうとしたアスカだったのだが

「いや、そんな光るものなんて…偶然ですよ、加持さん」
「偶然でも俺を唸らせたんだ、もっと自信を持てよケンスケ」
「っはい!俺、頑張ります加持さん!」

ケンスケが会話に入り込んで来てアスカが怒鳴るのを遮った。

「っ加持さん!会話中失礼ですけど、会って間もないのに気安くアスカ、アスカって呼ばないでもらえますか!」
「それは、失礼。…では今後は惣流さんと呼ばせてくれ」
「っ…………」

トラブルがあって交渉中なのに、加持は気安く“アスカ”と呼んでくる。いい加減イラついて我慢出来なくなって、止める様にと大声を出しても軽く受け流されてしまう。こうなると頭の血を下げる為に、ケンスケと加持を睨みつけて黙り込むしか道はなかった。

(〜〜っ、何なのよこの加持ってヤツ!掴み所がなくて相手にされてないような感じ!っ気にいらないわ!)

アスカが黙り込んだのを見て加持は会話の相手をミサトへと変えた。

「じゃ、そう言う事だ葛城。今日の夕食には他のスタッフへの顔合わせと、親睦を兼ねてのバーベキューをする。6時に呼びに行くからそれまでは自由にしててくれ。…それと大浴場はあるけど、混浴になっちまうからな。室内に浴室は完備されてるから、小さいけど我慢してそっちを使ってくれ。朝食の時間は7時だから時間になったら来て欲しい。で、食事の際に打ち合わせするから、食事は俺とケンスケと一緒に取って欲しい。……そんなところかな?葛城、他に何かあるか?」

ミサトは加持の説明を聞いている間、終始苦虫を噛み潰したかのように不機嫌だったが、話を振られては答えざるをえない。「……とりあえずはないけど……なんか段取りの手際が良すぎない?…加持……アンタ、アタシを恨んでるんじゃないの?っそれなのにどうしてそんなにニコニコしてられるのよ!」と食いかかった。

「っおいおい!葛城との事は俺が全面的に悪かったんだ!恨んだりなんてとんでもない!…それにな、もう昔の事だよ。過去に囚われてちゃ前に進めないって葛城は思わないか?」

だが加持には惚けられる。説明自体にはなんら矛盾はない。だが何かおかしいとミサトの感は引っ切り無しに警鐘を鳴らしているのだ。

「……確かにそうなんだけどね、何か引っかかるのよ。企んでる事があるんじゃないの?っ答えなさいよ!」

自らの直感に絶対の自信を持つミサトなので、惚けられても、説明に矛盾がなくても諦める事が出来なかった。そんなミサトに加持は苦笑して「くくっ、信用ないんだな、葛城」と、肩をすくめるポーズ取ったので、「っあったり前でしょ!アンタがどんな人間かなんて、アタシは良っく知ってるわよ!信用なんて出来る訳ないじゃない!」とミサトは噛み付いた。

「ま、それについては自業自得だ。これから実績を積んで認めてもらうしかないと思っているよ。……ただそれとも何か?俺が信用出来ないからってキャンセルでもするのか?結構なキャンセル料と違約金が掛かる事になると思うが、それでも構わないくらい葛城は俺が信用出来ないって言うのか?」

それでも加持は飄々とした態度を崩さなかった。それどころか今度は逆に恫喝めいた事を言ってくる始末。だがこれもおかしい事ではない。説明自体になんら矛盾点はないのだから、普通の人間ならばここまで説明して謝罪しても噛み付いてくる人間には不愉快にもなるだろう。ビジネスを反古にしようと言うのなら、相応のペナルティがあると警告するのも、社会人なら当然の話だ。

結局ミサトは加持を問い詰め、企み事があるのではないかとの疑惑を晴らす事は出来なく、「っくっ、……ア、アスカの考えを聞く必要があるから、食事の時にでももう一度話し合いましょ。っアスカ、部屋に戻るわよ!」と一時退却して、体勢を整える事を選ばざるをえなくなってしまった。

加持とミサトの言い争いを真剣に観察していたアスカだったのだが、ミサトに退却を指示されるとハッと意識を引き戻す。「!っわ、わかったわミサト!」と答えて、不機嫌に大股でロビーを後にするミサトに続いて歩き去る。

アスカとミサトがロビーを後にして、足音が消え去った事を確認した加持はケンスケに向き直り、「くくっ、まったく葛城は疑り深い事だよな?一体何が不満なのやらわからんぜ!」と、と笑う。ケンスケはそんな加持に「まったくですよね、何を怒っているのか俺にはサッパリですよ!」と笑い返したのだった。


スィートのリビングで、ミサトは腕を組みながらウロウロと動き回っていた。今のミサトは冬眠から覚めたばかりの熊のように危険だろう。下手に接しようものなら、誰彼構わずに怒鳴り散らしそうな雰囲気を持っていた。
アスカとしてもそんなミサトに声を掛けるのは嫌だったが、そんな訳にもいかない。今後の打開策を考える必要があるのだ。躊躇いがちに「…それでミサト、これからどうするの?」と問い掛けた。
不機嫌に動き回っていたミサトだったが、その声に反応してピタリと立ち止まり、考え始める。何分か沈黙が部屋の中を支配したのだがミサトは考えを纏め上げると「…アスカ、貴方はどうしたいか教えて頂戴」と話し始めた。

「っそりゃこんなロケなんてアタシはしたくないわよ!ミサト、どうにかキャンセルして帰れないの?」

ここぞとばかりに不満を表明して、ロケを中止出来ないものかと尋ねる。ケンスケには、それからミサトから聞いた加持という男なら、絶対に何かの思惑があるに違いないのだ。

「……アタシもそうするべきだと思う。何かね、何がって言われると困るんだけど怪しいのよ!…加持の説明にも相田君の説明にもおかしなところは何もないわ。っでも加持と相田君が偶然知り合って、それで二人一緒にアタシ達の前に現れるなんて出来すぎだと思わない?サプライズだって現れた監督とその助手が加持と相田君。絶対何かあるとアスカは思わない?」
「っ……アタシも絶対に何かあると思う。った、確かに更生したのなら、チャンスだから逃したくないってのはわかる。っでも相田が学校を辞めてまだ一月ほどしか経っていないわ!だから相田はまだアタシを恨んでいるって考えるのが当たり前でしょ!ミサトもそう思うでしょ!?」

アスカもミサトも苦虫を噛み潰したような表情で語り合っている。両者共にロケを中止して帰りたいのだ。

「……アタシもそう思う、相田君についてはアスカをまだ恨んでいると思うわ。…だって相田君は結局高校を中退する羽目になったんでしょ?吹っ切るのに一月は早すぎると思う。そんな相田君がニコニコ笑っていて、加持のアシスタントとして現れるなんて偶然にしては出来すぎよね……」
「っなら話は決まりよね!さっさっとこんな所おさらばして帰りましょ!」

結論が出た、とアスカはミサトに帰る事を主張する。

「っでもアスカ、アスカだってわかってるでしょ?そんな事したら信用を無くしてしまって評判になってしまうわ!っそれに何よこの宿舎!てっきりホテルだと思ってたら、こんな立派な洋館丸々借り上げるなんて一体どれだけ使ったのよ!キャンセルしたら多分一週間分の請求をされるし凄い金額になっちゃう!そんな事になったら弱小事務所であるネルフには耐えられないかもしれないのよ!」
「っ……で、でもミサト!絶対に何かあるわよ!?っア、アタシ、今回損害出た分頑張って仕事するからさ、日向さんにもう一度話してわかってもらう事出来ないの?」

だがそう簡単にロケを中止とする事も出来ない事情があるから、アスカとミサトはこうして話し合っていたのだ。

「っ……アスカ、ごめんなさい。…あいつ等が紳士的に振舞っている以上、因縁のある相手だから撮影を拒否するってのは理由としては弱いのよ。安易にサプライズだってのを認めて、撮影スタッフを確認しなかったこちら側にも弱みはあるし……」
「…………」

アスカはミサトの言葉に反論する事が出来なかった。元々アスカは芸能に興味はさほどない。確かに注目を集めるのは気持ち良くはあるが、その代わりカメラ小僧的なファンの視線に耐える必要がある。華やかな世界ではあるが、裏側にあるドロドロした部分も気付いてしまって、いささか気がめいってしまっている部分もある。
それでもアスカがグラビアアイドルとして活動しているのは社長である日向と、マネージャーであるミサトが気に入っているからこそなのだ。だから日向にもミサトにも出来る事なら迷惑を掛けたくはない。

「……アスカ、気が進まないのはわかるわ。それはアタシだってそうなんだから。…でもね、受けてしまった以上どうしようもないわ。それに飛行機の都合もあるし、簡単に帰るって訳にいかないのはわかるでしょ?」
「…………うん、……」
「もしも加持や相田君が何か企んできたなら、アタシは全力でアスカを守る。そしてその時点でロケを中止して帰る事にする。……だからアスカ、もう少しだけ様子を見ない?ね、そうしてくれないかしら、…沖縄まで来てしまった以上、仕方ないと思うのよ……」
「…………わかったわミサト、気は進まないけど仕方がないわよね……」

しぶしぶとではあるが、もう少し様子を見る事にアスカは同意する。こうなった以上仕方の無い事だと言い聞かせながら、夕食までの時間を過ごす事にしたのだった。


指定された夕食時間である6時に合わせ、アスカとミサトはシャワーを浴びて汗を落とした。これから二人は撮影隊との顔合わせと親睦会を兼ねたバーベキュー大会に参加しなければならない。
用意が終わっても気の進まず、ベッドに座り込んだままのアスカに「さ、そろそろ覚悟を決めましょ、時間に遅れたら何言われるかわかったもんじゃないんだから」と、ミサトが促す。アスカは俯いていた顔を上げて「…わかったわミサト」と力なく肯いた。

(…念願の沖縄に一週間。それもバルコニーのあるスィートに泊まれて景色だって最高なのに……気分のほうは最悪だわ……)

二階はスィートのみで、同じ階に加持とケンスケの部屋があると聞いたのもアスカには憂鬱の材料だった。隔離された空間に放り込まれているような気分になってくる。だがいくら気が向かなくても仕方がない。せめて撮影スタッフは良い人であればと願う。二人はケンスケと加持の待っているであろう一階ロビーに降りていくのだった。



◆ ◆ ◆



「じゃあこれからの一週間、このメンバーで惣流さんの撮影をして、宿舎に同じ洋館を使う事になるんだが…」と、加持が缶ビール片手に口上を述べていく。「共同生活するのにいがみ合っていちゃ話にならんからな、こうやって親睦を深める為にバーベキューしようって話だ。撮影は明日からだし、今日のところは大いに飲んで、語りあって欲しい。それが最高の作品を作り上げる事に繋がると俺は思ってるよ。…では、乾杯!」と挨拶をする。それに応えて各所で“乾杯”と、声が唱和されていった。

ドラム缶を利用した本格的なコンロがいくつもセットされ、辺りには食欲をそそる香ばしい匂いが広がっていた。網や鉄板で焼かれた肉や野菜を、撮影隊のメンバーは皿に取り分け、酒を片手に美味しそうに食べている。
だがアスカとミサトは肉が盛られた取り皿を片手にしてはいるものの、食事を楽しむ事もなく、バーベキューを楽しむ撮影隊のメンバーを憎々しげに睨みつけていた。何故なら撮影隊のメンバーは残らず男で、そんな偶然は普通ありえない。加持がどんな意図を持ってこのメンバーを集めたのか、そこにはどうしても悪意を感じざるをえなかったのだ。


乾杯が終わると撮影隊のメンバーはアスカたちに挨拶にやってきた。揃いも揃って若い男である。アスカの前に立って視線を遮り、連れ立ってやって来た男にミサトは相対する。男達はミサトを嬲るようにじっくりと全身を観察した挙句に「大道具です、よろしく」「小道具です、よろしく」などと話し掛け、握手を求めてくる。

無遠慮に、舐められるように全身を視姦されるのを、ミサトは何とか我慢をした。握手にも何とか耐えた。女性を無遠慮に観察するのは失礼ではあるが、これからお世話になるかも知れない人間なのだし、アスカの為と思えば我慢するしかない。
だが挨拶が終わり、その矛先がアスカに向うのを見ると、ミサトはついに堪忍袋の緒を切ってしまう。脅えるように一歩後ずさり、男達を睨んでいたのを見てしまったのだ。

「っちょっと加持!これってどういう事よ!っっなんで他のメンバーがみんな若い男だけなのよ!スタイリストや衣装さんまで男ってどう考えてもおかしいじゃない!っっ一体どういう事なのか説明しなさいよっ!!」

マネージャーはタレントの安全が第一である。必ず守ると保証した手前もある。脅えているタレントを放置するなどマネージャー失格と言えるだろう。
だから気丈にも男達を睨んでいるアスカを見たミサトは我慢ならなくなって、ケンスケと楽しげに話していた加持に噛み付いたのだ。

そんなミサトに「っ声が大きいぞ、そんな言い方したら他の連中が気を悪くするだろ?…説明してやるからちょっとコッチについて来い」と、加持は答える。そして撮影隊のいない方角を振り向く。それは静かなところで冷静に話をしないかとの提案の意味だった。

加持の言葉と態度に少し冷静さが戻ったミサトは「っ……アスカ、あなたも加持に聞きたい事あるって言っていたわよね?調度良いからあなたもちょっと付いて来て頂戴」と、アスカに声を掛けた。アスカを男達の視線から逃れさせる事を狙った方便だ。
そしてそのミサトの意図がアスカに通じる。「!わかったミサト、っすいません、マネージャーが呼んでいるので失礼しますね」とアスカは男達に返事をした。軽く会釈してアスカはミサトの下へと小走りに向う。それでようやくアスカは撮影隊のメンバーから離れる事が出来たのだった。


50メートルほどもバーベキュー会場から離れると喧騒は小さくなって、やがて聞こえなくなった。代わりに波の寄せ返す音がやけに耳に残るが、静けさを保つ浜辺へと加持はミサトを案内する。
案内されたミサトだが不機嫌さを保ったままだ。だが静かな場所に案内されたからには、ミサトも話を始めざるをえない。「……で、どういう事なのよこれは、説明しなさい」と加持を詰問する事にした。
加持はそんなミサトに「説明するからまずは落ち着いてくれ」と諭し、アスカは加持を睨みつけたまま。ケンスケはついて来ていない。機嫌の悪いミサトだったが黙りこみ、続きを話すように目で促す。「…落ち着いたか葛城?」と念を押した加持は説明を始めた。

「実はあの連中なんだけどな、俺が直接集めたじゃないんだよ。……葛城も知ってるだろ?俺は普段海外で仕事する事が多いって。で、ツテを頼ってなんとか集めてな、全員男だってのは俺も今日になって知ったんだ。仕事はちゃんとする連中だって話だから勘弁してくれないか?」
「っ冗談じゃないわ!あの連中の視線にアスカが脅えて不愉快になってるじゃない!とてもじゃないけど信頼関係が出来るとは思えないわね!っアスカ、あなたもそう思うでしょ!?」

じっと二人の言い争いを観察していたアスカは当然同意する。「その通りね、このロケはなかった事するわ。っっもう耐えらんない!何なのよあの連中!アタシやミサトをジロジロ見ちゃってさ!アタシ、帰る事にするから!」と癇癪をおこす。そしてミサトに振り向いたアスカは「良いわよね?あんな連中信用出来ないでしょ?日向さんに電話してくれるわよね」と、交渉打ち切りを提案した。

アスカには加持の言葉がとてもではないが信じられなかった。監督が撮影メンバーを集めるのにツテを頼るのはわかる。だがその全員が二十台ほどに見える若い男だという偶然があるだろうか?スタイリストやメイクといった女性が普通である職業の人まで?
それにグラビア撮影やDVD撮影といえばタレントの気分を最優先にしなければならない仕事なのに、そのタレントや女性マネージャーを無遠慮に眺めたりして、不機嫌にさせるような事があるだろうか?そんな事がある訳がない。悪意を感じる事しかできはしないだろう。

だがアスカの期待とは裏腹にミサトは渋い顔で「…そうねアスカ、アタシもそうした方が良いと思うんだけど……」と言葉を濁す。何故ならこのまま帰る事を選択すると、仕事をボイコットしたとして信用を失い、莫大なキャンセル料と違約金が発生するかもしれないのだ。そうなるとアスカとミサトだけの問題でなく、事務所そのものや他のタレント達の問題となってしまう。

アスカの提案自体には賛成なものの、今後の事を考えると即座に「帰るわよアスカ」とはとても言えない。困ってしまったミサトは言葉を濁すより道はなかったのだ。そしてアスカも言葉を濁して困ってしまったミサトにその理由を悟る。簡単にロケ中止と出来ないからこそ、こうしてバーベキューに参加していたのだったと。

「惣流さん、そう言わないでもう少し我慢してくれないか?あの連中だって悪気が会った訳じゃないかもしれんだろ?理由も聞かないでもう帰るってのは勘弁してくれないか?例えばだが…アスカやミサトがどんな人間かって観察してただけで他意はなかったかも知れんし、もしかしたら好みのタイプだったんで思わず見惚れてしまっただけかも知れんしな。…それにそもそもだ、そういった誤解を無くして親睦を深める為にこうやって食事しようって話なんだからさ」

加持は黙り込んだ二人に考え直してくれと頼む。そして「連中には謝らせるからさ、な、考え直してくれ」と頭を下げた。

「……アスカ」
「…何、ミサト」

頭を下げている加持にミサトは考え込み、ややあってアスカに声を掛ける。心底申し訳ないとその表情は語っていた。

「…ごめん、もう少しだけ我慢する事出来ないかな?もしこれ以上問題を起こすようだったら、アタシはもう止めない。社長に連絡してロケは中止にするって何としても説得するから。…だから、もう少しだけ我慢出来ない?」
「…………うん……」

ミサトに説得されてアスカは力なく肯いた。冷静になればミサトと加持が正しいのは理解出来るのだ。そんなアスカに「…ごめんねアスカ、迷惑掛けちゃって」と、ミサトは頭を下げる。10秒ほども深々と頭を下げていたミサトだったが、次は加持に言葉を掛けた。

「……加持、アンタもわかってるでしょ?この手の仕事はタレントを気分良くさせないと、表情も暗くなるし良い事なんて一つもないのよ。だからちゃんと連中には反省させて、それでアスカが気分良く仕事出来る環境を整えて頂戴。それも監督の仕事でしょ?」
「いや、その通りだな、面目ない。連中にはキッチリ謝らせて、それで態度を変えるように反省させるからさ。…惣流さん、それで勘弁してもらえないか?」
「……わかったわ」

ミサトとアスカが納得し、やれやれこれで一安心と加持は大げさに吐息を漏らす。そして「じゃ、悪いけど連中に言い聞かせてくるからさ。十分ほどしたら戻ってきてくれ」と言い残して戻ろうとした。だがそれを「っ加持、ちょっと待って」とミサトが止める。念を押して釘を刺したかったのだ。

「加持、こんな状況になったのはアンタの責任よ。だから一つだけ言わせて貰うわ。もし次に問題がおこってしまったら、その時はロケを中止しても構わないわよね?仕事なんか出来る状態じゃないんだから、アスカが帰る事になったとしても文句は言わないわよね?…それからキャンセル料だの違約金だのって騒いだりしないわよね?それが約束出来るんなら、これからアスカが戻る事をアタシは許可する。……どう?その条件で構わない?」

念を押すミサトに加持は苦笑して言い放った。「もちろんだ、その時は構わないよ」と。

加持が去ってしまって取り残された二人は十分時間を潰すとバーベキュー会場へと戻る事になる。そしてスタッフ一同から「スイマセンでした!」と頭を下げられ、和解を受け入れたのだった。



◆ ◆ ◆



腰を落とし、右足は半歩後ろ。体をガードする為に左拳を顎の下に、攻撃する為に右拳を腰溜めに構えたミサトは「はっ、やっと本性を現したわね!望み通り相手してあげるから掛かってきなさいよ!」と挑発をする。

「このアマっ!下手に出てたら良い気になってんじゃねえぞ!」と殴り掛かる男の拳を受け止めたミサトは「ハッ」と気合の声をあげて、男の顎を掌打で狙って吹き飛ばす。続いて打ち掛かってきた男に対しては半歩前進して右にかわし、体を半身に入れ替えそのまま左膝で男の鳩尾を強打した。「ぐえっ」と呻き声をあげて男はそのまま崩れ落ち、その場で胃液を吐き出し始める。

睨み合うミサトと撮影隊のメンバー。そこに「っミサトっ、後ろっ!」とアスカから警告の言葉が発せられた。男の一人がミサトの後ろに回りこみ、手にした一メートルほどの流木で殴りかって来たのだ。
ミサトはアスカの警告で危機を知り、振り向き様に「サンキュー、アスカっ!」と笑いながら、右後方からの危険な一撃を左手で捌いてかわす。流木が砂浜に埋まって焦る男の鳩尾に、ミサトは体を捻りながら強烈な左後ろ蹴りを叩き込んだ。

ミサトの強さに怯んでしまった男達にあざけりの微笑を浮かべたミサトは今度は攻勢に出た。流れるような足捌きで威圧するように前進。ミサトの迫力に気圧されて逃げ遅れた男が「っこのっ!」と中身の入ったビール缶を投げつける。ミサトは屈む事で投げつけられた缶を避け、足場が悪いにも関わらずフワリと身を浮かせたミサトは男の顎先を右足で蹴り抜いた。

四人もの男がミサトにより全て一撃で戦闘不能に追い込まれた、しかもこの活劇は一分にも満たない時間で行われたのだ。
だがこうなってしまうと男達も引けなくなる。手段を選んではいられないと瓶を手に持ち凶器とし、中には瓶を叩き割って更に凶悪な武器とするものまで出る始末。やむなくミサトはアスカを庇いながら海に向ってジリジリと後退していく。後ろに回りこまれないようにする為だ。

男達はミサトの動きに合わせてジリジリと距離を詰めていく。だが両者共に容易には動けなかった。ミサトはアスカを庇う必要があり、しかも相手の武器は一撃必殺。撮影隊のメンバーもミサトの強さを認めてしまった事で、自分から仕掛ける事には躊躇を覚える。

この状況は万が一にもアスカに被害を及ぼす訳にいかないミサトが不利と言えるだろう。追い詰められたミサトは少しずつ後退するより他に道はない。ついに残った撮影隊のメンバーは三メートルほどの間合いで反包囲を完成させた。

ミサトは拙いと思わざるをえない。自分一人なら切り抜ける事も可能かもしれないが、アスカを庇いながらでは万が一を警戒して自分から動く事は出来ない。それなのに時間を掛けすぎれば、せっかくノックアウトした連中も復活するかもしれないのだ。

いつ破局が訪れてもおかしくない状況であろう。牽制しあってはいるが、男達が全員で掛かる事を選択出来れば凌げる自信がミサトにはない。各個撃破するには自分から動く必要があるのだが、その選択肢をミサトは選べないのだ。

ミサトと撮影隊のメンバーは視線を逸らさずに睨み合う形となる。と、その時だった。「っ止めろ!!お前等何をやってるんだ!!」と叫んで加持が走りこんでくる。すると男達は目に見えて動揺して視線をミサトから加持へと向け直した。

幾分緊張を解いたミサトも加持の方へと意識を向ける。その視線はこんなスタッフを揃えて何を考えているのよ、と加持への恨みで険しかったが、ようやく窮地を脱した事をミサトは理解したのだった。



◆ ◆ ◆



洋館の二階、スィートのリビングにて、応接セットで加持は「……機嫌を直してくれよ葛城。…それから惣流さんも済まなかった。連中も反省してるからさ、帰るなんて言わないでくれ。なっ、この通りだからさ!」と頭を下げていた。

「っ冗談じゃないわよ!連中、尖った瓶を使ってまで来たのよ!もしもアスカが怪我なんてしたらどう責任を取ってくれるって言うのよ!っアスカ!アタシが間違ってたわ!今直ぐ帰る事にするから用意しなさい!」
「!わかったわミサト!今直ぐ用意するから帰りましょ!っアタシ、もうこんなところ一秒だって居たいとは思わないんだから!」

加持の仲介で乱闘騒ぎが終わるとアスカたちは宿舎である洋館へと戻って来ていた。ミサトは不祥事をおこしたスタッフ、それを纏められなかった加持の不手際を責め、ロケの中止を強硬に言い立てている。それについて加持は非を認めて謝っていたのだ。

「いやいや、少し落ち着いて冷静になってくれよ!連中も今では反省してるって言ってるからさ!だからこの通りっ!勘弁してくれ!」
「っしつこいわねっ!今まで散々我慢してきたけどもう限界よ!っ加持!アンタも次に問題があったなら帰っても良いって言ってたでしょ!?ならぐだぐだ言わないで諦めなさいよ!もう我慢の限界超えちゃってるんだから、アタシはもう何言われたってアンタの弁解なんて聞く気はないのよ!っアスカ、今からタクシーを呼んで街まで戻るから!今日はどこか適当な所に宿を取って、それで朝一番の便で第3新東京市に戻る事にするわ!っ、構わないわよね!?」
「!もちろんよミサト!さっさとこんなところからはおさらばするんだから!」

乱闘騒ぎの原因は単純なものだっだ。表面上だが和解したアスカたちとスタッフだが、酒がすすんで酔いが回ると、すっかりそんな事は忘れられてしまう。迷惑がるミサトに酒を勧め、未成年であるアスカにまで撮影隊は酒を強引に勧めたからだ。

「だ、だから勘弁してくれよ葛城!そんな事になったら俺、大損こいちまう事になるんだからさ!なっ、この通り!」
「っそんな事コッチの知ったこっちゃないわよ!自業自得ってもんでしょ!もう決めたんだからアタシたちは帰るわよ!」

アスカだってミサトに勧められて、少しばかりのビールくらいなら飲む事もあった。だがそれはホンの嗜む程度の量であったし、普段はまったく飲む事はない。それにそもそも対外上の問題がある。スタッフとは言え、まだ未成年なのに衆人環視の状況で飲酒する訳にはいかないだろう。
何より嫌悪感がある男達に勧められて酒を飲むのは、ごめん被りたかった。だから断り続けたに過ぎないのだが、それでも酒を勧めるスタッフ達にトラブルとなったのだ。

加持は「いい加減にしろ!」と怒鳴って諭し、それでリーダー格の人物に説教する為に、ケンスケと共に席を外したのだが、加持がいなくなると酔いの回った男達は今まであった事など忘れたように酒を勧めてくる。「格好つけてるんじゃない」「ホントは飲みたいんだろ?」等々と言い、終いには「飲まないんなら俺に酒を注げ」と無理を言い始め、「酔って乱れた所が見て見たい」と下卑た事を言い始めるに及んでミサトが切れたのだ。故に今、スタッフを纏められなかった加持に食い掛かっている。

「っだ、だから少し冷静になってくれ!宿を取るって言っても、もしも取れなかったらどうするんだ?野宿するって訳にいかないだろ?飛行機のチケットだって取れないかもしれないだろ?……なっ、取り合えず今晩はココに泊まって、それで明日になったらもう一度話し合おう!冷静になればその方が良いってわかるからさ!っこの通り!」
「っだからしつこいわよ加持!もう決めたんだってば!宿とかチケットなんて、そんなもんどうにでもなるわよ!」

謝りはするものの、帰る事については難色を示す加持に、アスカもミサトも、ますます不機嫌となる。いい加減話を打ち切りたくて仕方が無い。そう思って言い争いを続けていたのだが、加持はついに「……ふう、これだけ言っても考えは変わらんか、葛城」と、頭を振りながら、頑固なミサトたちを非難するような態度を取ってきた。

切れたミサトは「っだからしつこいって言ってるでしょ!考えは変わらないわ!」と、諦めの悪い加持に言い募るのだが。すると加持はあろう事か「そうか、それなら違約金とキャンセル料を請求する事になるがそれでも構わないな?」と確認してきたのだった。

「!っ何言ってんのよ!っアンタ、そんなもん請求しないって言ってたじゃない!」
「……そう言ってくれるなよ葛城。そりゃな、あの時はそう言ったけどさ、実際問題監督としてそんな事認められる訳ないだろ?…仮にだ、撮影が上手く行かなかったとしても、それはそれで仕方がない。だけどな、まだ日程が残っているのに諦める訳にゃいかん事は葛城だってわかるだろ?」

余裕を取り戻して説明する加持にミサトはイラ付く。「っ……くっ、それで?何が言いたいのよ!」と、それでも食い下がるのだが加持は言う。

「……簡単な事さ。取り合えず今晩はここに泊まって頭を冷やして欲しい。それで明日もう一度話し合う事にしよう。それから明日はオフにするからさ、観光にでも行って気分を変えてきて欲しいんだよ。……なっ、この通り、そうしてくれないか?頼むよ!」

つまりミサトたちの頭に血が昇っているから、話し合いは明日に持ち越そう。その為には宿舎を出て行くような事はするな。もしそうしたら莫大な金額を請求する事になるだろうと恫喝し、飴として翌日のオフを約束、提案したのだった。

加持を睨みつけるミサトだったが、「……わかったわ、それじゃ話は明日ね…」と屈服する。

「!ミサト?」
「っしょうがないでしょアスカ!あなたを野宿させるなんて万が一でもアタシには出来ないのよ!」

苦々しげにアスカに説明するミサトにニヤリと笑った加持は、「そうか!助かるよ!連中にはもう一度俺から注意しておくからさ!それから明日、観光したい所でもピックアップしといてくれ!じゃ、明日7時に下のロビーでな」と言って、そそくさと部屋を後にした。

「「…………」」

重い空気がリビングを支配する。不本意極まりない結果となり、二人は悔しくて仕方がない。ミサトは「…ごめんねアスカ、社長には経過報告入れておくからさ。ロケが中止になる可能性が高いって」とアスカを慰めた。
アスカだって交渉の席にいたのだから、ミサトが悪い訳では無いとわかるので我侭は言えない。正直もう少し加持から言質を取ってもらいたかったと思うが、それも済んだ事になってしまった。
結局は「…しょうがないわ。明日で決着が付いて帰れるかもしれないし、最悪でも明日はオフで観光が出来るんだしさ、今日は早いところ寝る事にしましょ…」と諦めるしかない。

気分を入れ替えようと「よしっ、じゃあ今日は早いところ休みましょう!」と、ミサトは明るい声を出した。取り合えずアスカに風呂に入ってくるようにと提案した。自分はその間に日向に連絡をするからと。
ミサトの気遣いがわかって嬉しいアスカも「わかったわミサト!ちゃんと連絡しておいてね?」と明るく笑って、それで着替えや歯ブラシなどの風呂に入る準備をし始めた。テレビを見て時間を潰すつもりもないし、くさくさした気分のこんな日は、早めに寝床に入って不貞寝してしまうに限るだろう。観光地でとくにやる事もなければ、寝床に入るのは自然と早くなる。
事務所に連絡を入れ、お互いに風呂に入り、午後の9時にもなると、少し早い気もした二人だったが眠くなってきたので寝ることにした。「おやすみミサト」「おやすみアスカ」と声を掛け合った二人は眠りについた。



◆ ◆ ◆



アスカたちへの謝罪を終わらせ、宿泊する事への同意を取り付けた加持は一階のロビーを目指す。撮影スタッフ達に今日の出来事について反省を促す為に、アスカの気分を乗らせる為には失礼な事をしないように、と釘を刺す必要があったからだ。

――と言うのはもちろん口実だ。確かにスタッフ達はロビーへと集合していたが、加持は男達にニヤリと一瞥くれるとそのまま通り過ぎる。誰も咎めたりしない。スタッフへ釘を刺す話など作り話なのだから当然であろう。男たちは下卑た笑いを浮かべていた。
ロビーを通り過ぎた加持は、そのまま洋館の一番奥にある倉庫を目指した。懐から鍵を取り出し扉を開ける。倉庫とされている部屋はフローリング張りとなっており、加持は直ぐに倉庫の鍵を掛け直す。「くくっ……」と低い笑い声をあげ部屋の隅まで歩いた。

部屋の隅には床下収納庫のような継ぎ目がある。ただし大きさは全く違い、二メートル四方ほども大きさがあった。隠されていたスイッチを入れると、バネ仕掛けの収納庫のように床下への階段が現れる。「…さて、どうなることですかね」と呟いた加持は、現れたコンクリート造りの階段をコツコツと足音を響かせて降りた。

滑らかなリノリウムの廊下を歩く。既にケンスケは一足先に来ているだろうと加持は思う。洋館の地下一帯は監視カメラや盗聴器を制御し、ゼーレのホストと繋がるコンピュータがある司令室、医療処置室、調教部屋に牢獄、多目的に使われる広大なホールまであり、加持は司令室を目指していた。
やがて辿り着いた司令室。さて、リっちゃんとマヤちゃんは此処にいるか、それとも処置室にいるのか、どちらでしょうねと思いながら加持は扉を開けたのだった。

部屋には予定通りにケンスケと、リツコの他にマヤがいた。ケンスケは入室してきた加持に「お疲れさんです、加持さん!」と挨拶したのだが、それまでは興味深く機材を眺めていたりする。「よっ、リっちゃん、こっちにいてくれて手間が省ける。で、これから葛城で実験する訳なんだが…気分はどうだい?」と加持はリツコに声を掛けた。

だがリツコは声を掛けられても振り向きもせず、「…加持君、私はミサトなんてどうでも良いって言ってるでしょ?私に迷惑さえ掛けなければ何をしていても構わないわ」と、ひたすらキーボードを叩き続けてそっけない。しかし加持はモニターに映るリツコの、その口元が歪んでいる事に気付いた。

「……葛城はどうでもいいが実験は楽しみってところか?もの凄く嬉しそうに見えるぜ。それでアスカについてはどうだ?接してみて改めて良い素材だと思ったんだが、リっちゃんはどう思う?」

加持が問い掛けてもカタカタとキーボードを叩き続けていたリツコだったが、一段落つきようやく手の動きを止めて加持に振り向く。そして「…ふふっ、アスカね、確かにミサトよりは興味はあるわね、どんな風に仕上がるのかしら?」と口角を吊り上げて微笑んだ。そして同じくキーボードを叩き、モニターを覗き込んでいるマヤに顔を向け「マヤ、悪いけど人数分珈琲を入れて頂戴」と注文をした。

マヤにより淹れられた人数分の珈琲が行き渡る。運ばれてきた珈琲の香りを楽しみ、一口飲んで口内を湿らせたリツコが「上出来よマヤ、この調子で精進しなさい」と満足の吐息を漏らした。マヤは珈琲を味わうリツコを尊敬と情愛の眼差しで、そして緊張しながら見つめていたのだが、褒められて安心し、「はいっ、頑張ります先輩!」と元気良く返事をした。そしてマヤ自身も淹れた珈琲を口にする。

加持はにやにやと笑いながら、ケンスケは興味深々と言った趣でリツコとマヤの遣り取りを眺めていた。その事に気付いたリツコが加持を一睨みすると、加持は悪かったと両手を挙げて降参のアピールをした。それでも加持を睨み続けていたリツコだったが、やがて注意するのも煩わしいとばかりに軽く頭を振って溜め息をつく。
そしておもむろに「…じゃ、これから打ち合わせといこうかしらね。初めての相田君もいるから基本的な事も交えていくわ」と話しだし、打ち合わせは始まった。リツコの表情は、これから始める実験が楽しみでならないと満面の笑顔に変わっていた。


「…さて相田君、私は母の研究を受け継いで、それでMAGIシステムの開発に成功したわ。けど研究に終わりはない、更に完成度を高めていく必要がある。例えば個人差があるから実験データの蓄積をして効率的な洗脳が出来るようにしたり、他に転用出来る発明、例えば新しい理論を構築するだとか、薬の開発を行ったりとかね。ここまでは良いかしら?」
「!っは、はいリツコさん」

説明の相手としてリツコはケンスケを選んだ。加持とは何度も組んで実験をしているし、今回の主役はある意味ケンスケだからだ。
いきなり話を振られて戸惑ったケンスケだったが、ここまでの話で理解出来なかったところはない。肯いて返事を返す。
ケンスケの態度に満足したリツコもまた肯き返して話を進めた。

「そう、それでいいわ。…ところで相田君、実験するに当たって一番大切な事はなんだと思う?」
「え?い、いや、俺は初めてなんでサッパリです。そ、その…慎重にやるとか、そう言う事ですか?」
「うふふっ、そうね、物事を慎重に進めるのは大切な事よ。でも今回は違うわね、一番大切なのは好奇心なのよ。わかるかしら?」
「は、はい。その…なんとなくだけどわかる気がします」
「そう?ありがとう、相田君。研究を進めるサンプルとしてなら、別にどんなメスでも構わない訳だけどね。好奇心を高める為には遊び心がないと駄目なのよ。それで実験の節目には特別なメスを使いたい訳。そうやって楽しみながら実験をすると、斬新なアイデアが浮かんできて研究が進むのよ。…わかるかしら?」

リツコは試すような視線でケンスケを見た。その視線に逆らいがたいものを感じるケンスケは「!っは、はい!わかりますリツコさん!」と慌てて返事をする。ニコリとリツコは微笑んだ。

「うふふっ、今回はね、ヘッドセットを開発したわ。見た目は髪留めに見えるけどこれをつけさせるとね、常に脳波を刺激し続けてくれるわ。洗脳期間の大幅な短縮が可能になる画期的な発明よ。…で、画期的な発明だから素材を厳選したくて悩んでいたんだけど、加持君と相談してミサトを使う事にした訳」
「…………」
「…ただね、私も加持君もミサトには執着が薄いのよ。いくらか因縁があって普通のメスよりは楽しめると思うわ。けど私は正直ミサトなんてどうでも良いし、加持君にしたって昔の話。まあ芸能関係者だし、今後の手駒として期待しましょうと妥協したんだけど……」

ここでリツコは手にしていたカップをソーサーに置き、口元に左手を添えて、くくっと笑いを堪える。話が核心に近づいたとみて、ケンスケは緊張して姿勢を正す。そして心底楽しくて仕方がないといった風情で、リツコは続きを話し出した。

「うふっ、うふふふふっ……、っそう!そこに相田君が登場してくれた訳!ミサトの担当しているタレントは惣流アスカ!そしてそのアスカは相田君を嫌っているって言うのよね?そして相田君もアスカに復讐したくて堪らない!
これよっ!これこそ天の配剤に間違いはないわ!アスカは意識する事なく別の人格となっていくわ!憎くて軽蔑していたはずの相田君に、犯してもらう為なら何でもする恥知らずなメス豚になるのよ!っそんな無様なアスカを見て私の感性は刺激される!研究が飛躍的に進む事が約束されるのよっ!!」

興奮したリツコは立ち上がるとケンスケの前に回り、肩を両手でぐっと力強く押さえつけた。

「……良い事?だから私はあなたに期待しているの。アスカを普通の女なら生きるのに絶望するほど、惨めに哀れに堕とすよう頑張るのよ?何ならミサトだってつけても構わないから、是非とも徹底的にやって頂戴!」

視線を合わせてケンスケを説き伏せるのだった。

(っマッドだ!加持さんに聞いてはいたけどリツコさんって本当にマッドだぜ!っリツコさんに突っかかり続けた葛城ミサトって無謀だけどある意味すげぇぜ!…っくくっ、でも言われるまでも無いですよ、リツコさん!俺は惣流を奴隷にするって決めたんだからな!)

肩を掴まれ激励を受けたケンスケはリツコという人間を少し理解出来た気がした。つまりは研究の為ならあらゆる事を厭わないマッドであると。だが示唆された内容は言われるまでも無い。「っわかりましたリツコさん!俺、頑張りますから見てて下さい!」と、気合を入れて決意を述べる。

ケンスケの決意にリツコは「期待しているわよ相田君」と肯き、肩から手を離してソファに戻る。そして珈琲を一口。「じゃ、実験手順の確認をするわよ」と加持に向って目線で合図を送り、話をするよう促した。

リツコより話を振られた加持だったが、話をする前に「…リっちゃん、俺は葛城をケンスケにやるなんて言った覚えはないんだけどな…」とまずは抗議をした。しかしリツコは気にしない。ニヤリと笑いながら「加持君、せっかく可愛い弟分が頑張ろうって気になってるんだから、ミサト位くれてやりない。もう加持君はミサトに拘りなんてないでしょ?あの程度のメスなら私がいくらでも都合してあげるわよ」と切り捨てる。
リツコの指摘に降参と両手をあげた加持は、ケンスケの方に振り向くと「そう言う事になるらしい、葛城のほうもオマエに方針を決めさせてやるよ」と肩をすくめ、それから今後の予定を語り始めるのだった。

「じゃあ話を進めるぞ」と言いながら三人に目を合わせ、異論がない事を加持が確認する。

「監視カメラと盗聴器を使って二人を監視してきたが、特に大きな問題は起こっていない。タクシーで何を話していたかはわからないが、部屋で話していた内容から判断するに問題はないと思われる。事務所への連絡内容も想定している範囲内だ。…今は葛城が風呂に入ろうと準備している所だな」

加持はモニターの一つを見ながら話をし、加持の視線を追ってケンスケたちもモニターを確認した。加持が「マヤちゃん」と合図すると、その意図を悟ったマヤが立ち上がってパソコンに向かい、機械の操作をした。すると「…たくも〜、部屋は最高、お風呂だって最高だったのにスタッフは最悪よね……」「…機嫌を直してよアスカ、取り合えず明日はオフなんだから観光して気分を変えましょ。じゃあアタシもお風呂使ってくるから」と音声が流れ出した。
会話の邪魔にならないよう必要最低限に音量を絞ってからマヤは戻る。

「…とまあ葛城たちは不満たらたらのようだな。まあそう言う風に仕向けたわけだが」
「でしょうね、空港から始まってトラブル続きですから。…でもまあ今なら加持さんたちがそう仕向けた理由がわかりますよ。くくっ、楽しむ為にはこれくらいの手順を踏まないと面白くないってのは」
「そうだなケンスケ、もしかしてまどろっこしいと思っていたりしたか?」
「はい、実はそうなんですよ。実験だけならダミーの監督とか撮影隊でも仕立てて、それで洗脳が始まってから入れ替われば済む話ですからね。そうでなくてもスタンガン使うとか、飲み物にでも薬を仕込むとかすればって思っていました」

アスカたちに不満が溜まっている現状を確認し、ケンスケがそれに同意する。

(くくっ、なるほど、手順を踏むと楽しいよな〜。で、昼は反省しているように振舞って、夜になると調教して、それで次の日の昼にギャップをまた楽しむっと。ゼーレの皆さんも葛城ミサトに叩きのめされて、その鬱憤をこれから晴らしたりするわけですね?くくっ、道化ってのはこういうのを言う訳だ)

「その通りだなケンスケ、そうすれば確かに手っ取り早いしリスクも減る。だがな、何事も楽しくやらなくちゃいかんと思わんか?アスカに反省したって振りをするのは楽しかっただろ?葛城みたいな腕っ節に自信のある女を好きに出来るって思えば楽しい気持ちになってこなかったか?」
「はい!も〜楽しくて楽しくて!笑いを堪えるのが大変でしたよ!」
「ふふふっ、相田君、急に笑い出したりしてボロを出したりしちゃ駄目よ?」
「はい、リツコさん!」
「でも先輩、洗脳を始めてしまったら、もうその心配をしなくても良いんじゃないですか?ボロが出たりしても、どうせその記憶は消してしまう訳ですし」

楽しかった日中を思い出し、笑いあうケンスケと加持、それを嗜めるリツコ。マヤは会話の内容が杞憂であると指摘をしたのだが

「ふふふっ、わかっていないわねマヤ。真面目に振舞って、それで心の中で笑うのが楽しいのよ。それに私達にとっては映像で確認するしかないんだから、加持君たちがそんなドジを踏んで慌てるのを見たり、その後始末を私達がする羽目になるなんて興醒めも良いところだわ。…それともマヤ、あなたも参加してみる?仕事に支障が出ないようなら私は構わないわよ?」
「!いえいえ先輩っ!私は先輩の側が一番なんです!先輩から離れるような事はしたくないですから!」

マヤはリツコにからかわれ、二人きりで仕事する時間が少なくなっては構わないと慌てるのだった。

マヤとしても機嫌が悪くなるリツコを見たくはない。仕事に一段落着いた時に可愛がってもらうのが一番の楽しみなのだから、機嫌の悪いリツコではそれも望めなくなるだろう。参加しても良いと言われても納得出来るものではなかった。

(〜〜先輩いじわるですぅ!参加なんてしたら先輩に可愛がってもらう時間が減るじゃないですかぁ!で、でもでもぉ、機嫌の悪い先輩にいじめてもらうのも少し素敵だったりするかも……)

リツコの関心を得る事が一番であるマヤであったが、加持たちがドジを踏み、その機嫌が悪くなるのを少し期待してしまっていたりする。加持はそんな妄想にふけるマヤを「…マヤちゃん、話はあと少しだから戻ってきてくれ」と引き戻した。

「よし、それじゃ葛城が風呂からあがったら空調に催眠ガスを流し始めてくれ。それで葛城たちは自然と眠気が出てきて早晩ベッドへと行く事になる。眠ったのを確認出来たら、違う強力な催眠ガスで改めて眠らせる事にするぞ。そしたらここに連れ込んでセッティングして、洗脳を開始しようか。失敗はないと思うが最後だから気を引き締めていくぞ。多分決行は一時間後くらいだ」と、加持は話を纏めるのだった。



◆ ◆ ◆



カチャリと小さい音を立てて、俺は惣流の眠るスィートのドアを開ける。惣流はリビングから続くベッドルームで寝ているはず、それはカメラで確認してきた。…くっ、こんなに緊張するもんだとは思わなかったな、やはり実戦は違うって事か……。っ心臓の音がどくどくって頭まで響いてやがる!口ん中がいつの間にか唾で一杯だ!……音を鳴らさないよう注意して……。俺はゴクリと唾を飲み込んだ。


ケンスケは照明を点ける事はしなかった。ありえるはずもないが、万が一目標が起きていたらと考えると躊躇われたからだ。だが何よりも雰囲気と言うものがあるだろう。この手の襲撃で照明を点ける等無粋と言うものだ。
常夜灯の抑えられた灯りのみ頼りにして、ベッドルームに続くドアの前まで来たケンスケは加持に向って振り向く。耳元のイヤホンにリツコからの警告はない。無言で頷く加持にケンスケは頷き返し、大きく深呼吸する。音を立てないように注意して、ベッドルームに続くドアをそっと開けた。

(……あれが惣流だよな……で、こっちが葛城ミサトっと。…月明かりがあるとだいぶ違うもんだな、リビングは常夜灯だけで足元がよく見えなくて大変だったけど……こっちはシルエットまでハッキリわかる。っくっ、痛いくらいにチンポが勃っちまうぜ!このスリル!堪んないね!……さて、じっくりと観賞し続けたいがそれは後回しだな。まずは仕事を終わらせないと……)

カーテン越しの月明かりでアスカとミサトのシルエットが浮かび上がっている。まるで死んでいるかのようにピクリとも動かないが、布団越しにアスカの胸の辺りがかすかに上下しているのがケンスケには確認出来た。
後ろを振り向くと、其処には加持の他にゼーレから派遣されている男たちが6人。万が一の場合に備えてと、アスカとミサトを運び出す為の要員である。皆、にやついた笑いを浮かべていた。

(くくっ、どんな夢を見ているんですかね?楽しい夢だと良いよな惣流……)

ケンスケは手錠を二つと黒のアイマスクを取り出した。加持の方を確認したケンスケだったが、ミサトの眠るベッドの脇に立って同じ様に手錠とアイマスクを用意しているのを見た。

(……さて、いよいよだぜ惣流。……くっ、このスリル堪らんぜ!いつ起きるかいつ起きるかってドキドキしちまう!そんな訳ないのにな!っ……さて最後の仕事だ。手早くやらんと加持さんに怒られちまう。名残惜しいが観賞はあとのお楽しみにしないとな……)

念の為と睡眠薬の沁み込んだ布切れを取り出しアスカの鼻先に被せ、十秒ほどの時間を数える。それからケンスケは被さっている薄い夏布団をゆっくりと剥ぎ取っていった。

(……ふ〜ん、こうやって直接見るとまた趣が違っていやらしいもんだな。…色気のないパジャマだけど微妙に着崩れて、胸元はだけて……くっ、以前の俺なら売れるぞ〜って興奮しているな……。くくっ、もっと売れるような素敵な寝巻きをプレゼントしてやるよ……)

じっくりと観賞し続けたいのを我慢したケンスケはアスカの足首に手錠を掛ける。身体を引っ繰り返すと後ろ手に手錠を掛ける。ケンスケには「カチャ」と小さく響く拘束の音がやけに響いて聞え、それがまたスリルを感じて興奮の材料となった。
アスカの身体を再度入れ替えて、アイマスクを施すと準備完了。安堵の溜め息を吐いてケンスケは後ろに振り向く。同じ様にミサトの拘束を終わらせ、右親指でサムズアップする加持を見たケンスケは微笑んでサムズアップを返す。
そしてケンスケは監視カメラの方向にサムズアップしてリツコとマヤに合図。すると照明が点いて部屋は明るくなった。上手くいったと安堵の溜め息を漏らす。これでようやく自分の仕事が終わったのだ。

「……いや〜加持さん、緊張するもんですねぇ。俺、途中から勃ちっぱなしで困りましたよ。でもこれって病み付きになりそうですね」
「まあな、俺もこのスリルにはいつまで経っても慣れる事は出来んよ。くくっ、慣れたいとも思わんけどな」
「まったくですね、加持さん。…で、準備は見ての通り完了しました。ゼーレの皆さん、運び出しの方お願いします」

ケンスケが加持との会話を終わらせて後ろを振り向く。其処には下卑た笑いを浮かべている6人もの男たちがいた。ゼーレからの派遣要員である。ケンスケの要請にゼーレの派遣員は声を合わせて「了解!」と一斉にサムズアップで返した。

「さあ、あと一踏ん張りだ、よろしく頼むぜ」と加持が男たちに指示をすると、ゼーレの派遣員は動き出す。アスカとミサトの身体を抱えあげ、掛け声を出し合い、スィートからアスカたちの身柄を運び出したのだった。



◆ ◆ ◆



アスカとミサトを首尾よく拉致する事に加持とケンスケは成功し、それで準備をゼーレの男達に任せて司令室へと足を運んでいた。

「加持君、今夜の処置はどうするの?私は何をすれば良いのかしら?」
「…そうだな、これからアスカたちは身体の変化に戸惑いを覚えていく事になる。遊び心は大切だが不確定要素は排除しなくちゃならんよな?だからリっちゃん、葛城が事務所に連絡を入れても不満を漏らさないよう、そう仕向ける事は出来ないか?」

加持の注文に少し考えたリツコは答えた。

「……可能よ。要は毎日連絡を入れさせれば問題はない訳でしょ?なら自分から事務所に連絡するのをタブーだと思いこませて、人格が切り替わってから連絡を入れさせれば良いのよ。で、日中に連絡があったとしても、夜に纏めて報告するって言わせれば良いだけ。それくらいなら何とでもなるわ」
「…そうか、それなら確かになんとかなりそうだな。それとヘッドセットを常時着用するのが当然と思わせる。これは今回の実験の目的だから当然だよな?」
「ええ、それは言われるまでもない事よ。プログラムはもう出来ているわ」

加持の問い掛けにリツコは自信を持って肯いた。なにしろ今回の実験は発明したヘッドセットを常時着用させる事が計画の前提なのだ。

「そうか、リっちゃんには言うまでもない事だったな。悪かった。それでだ、人格を切り替える条件付けはどうしたら良い?」
「そうね、それがネックになるんだけど……ある時間になって、ある条件が発生したらって言う風に本人に自覚させるとスイッチになりやすいわね。
だから今回は照明を利用する事にしてるわ。室内の灯りが落ちて、それからライトがピンクにでも変わったら自覚しやすいかしら?
その上でヘッドセットからの信号を補助に使えば、いちいちシステムを使わなくても人格の入れ替えが出来るようになると思うけど……」

ヘッドセットを使うのは初めてだ。もちろん調教済みの奴隷を使って予備実験を繰り返してはいる。だが素人を使うのは今回が初めて。データが充分とは言えず、リツコも一抹の不安は拭えない。語尾が自信なさげに小さくなってしまう。
だが加持はリツコと言う人間をかなり理解している。リツコは本当に自信がない時はハッキリと出来ないと言う科学者だ。自信なさげな口ぶりだが成功するに決まっている。だから別の懸念を口にした。

「なるほどね、するとこのスィートだけが切り替えの対象になる訳だな。…リっちゃん、屋外ではやっぱり不可能かい?」
「ええ、視覚を利用した暗示として、どうしてもライトを使わなくちゃいけないんだけど、工事が完了しているのはスィートだけよ。だから残念ながらそれが今のアタシの限界って訳。それに洗脳が完了して新しい人格が出来上るまで不安定だから、ヘッドセットからの信号を受け取って、脳波の状態を確認しないといけないわね」
「いや、それで充分だよリっちゃん。つまり洗脳が進んで脳波が安定すれば、外での調教も可能になる訳だろ?それに新しい人格の植え込みが終われば、ヘッドセットを使って人格を切り替える事も出来るようになるんだろ?」

リツコの回答に加持は安堵した。別に屋外での人格切り替えをしたいと思っていた訳でない。ただ何気なく聞いたに過ぎないのだ。
そしてリツコの言葉の意味を読み取れば、脳波が安定すれば外に出しても良くなるという事。そして照明の切り替えさえ出来ればスィートじゃなくとも、洗脳が完了するとヘッドセットからの信号で人格の入れ替えが出来るようになると示唆している。

理解の早い加持にリツコは「そうね、それはそうなると思うわ」と微笑んだ。

「よし、それじゃあリっちゃん、ライトを合図に意識が切り変わるで問題ない。で、照明が切り替わる時間だけど10時に…いや9時半かな?葛城が事務所に連絡する時間が必要だからな。そこらへんの調整は任せるが10時になったら開始出来るようにセットしてくれ。それで6時に起床するまで新しい人格になるよう調整出来ないか?」
「わかったわ、それじゃその方向で調整しましょう」

加持がオーダーを伝え、リツコが了承する。かくしてアスカとミサト、初日の洗脳調教の方針が決まった。リツコはコンソールを操作する為にデスクへと向い、自らプログラムを打ち込みながらマヤに指示をする。狂気の科学者赤木リツコは信頼する弟子である伊吹マヤと共に、性的洗脳装置、MAGIシステムを立ち上げていくのだった。


システムの立ち上げが始まると一斉に機器類の電源が入れられた。モニターには次々と文字とが映し出され、映像が切り替わっていく。ケンスケはその光景にはただ圧倒されて見守るしかない。やがてモニターとは別の大スクリーンには一つの映像が固定された。

「ケンスケ、スクリーンを見てみろ。リっちゃんの準備が終わるまで少し時間が掛かるから、それまで説明してやる。わからん事があったら遠慮なく聞いてくれ」
「!っは、はい!」
「いいか、スクリーンに映っているのが今の葛城とアスカだな、ここまでは良いな?」

無言で肯くケンスケ。ゼーレの派遣員がなにやら細長く大きな白い円筒形の物体に、アスカとミサトをセットしていたのをケンスケは知っている。邪魔になってはいけないとケンスケは参加しなかった。だが、今スクリーンに映っているのはその中身だ。

(……スゲェ…こんな風にセッティングしてたのか……)

モニターにはそれまで白い円筒が二本しか映っていなかったのだが、映像が切り替わってアスカとミサトが映し出されたのだ。

そして映し出された映像のアスカとミサトだったが、まず何も身に着けない全裸である。シートらしきものに座らされ、腕は肘掛に括り付けられ、脚は肩幅くらいに広げられ、同じ様に括り付けられている。そして股間にはなにやら無数のコード。乳房の部分も同様にコードが延びており、注目を引くのは髪がゆらゆらと揺れている事だった。

「遠巻きにだがケンスケもセッティングを見てたよな?葛城とアスカが今入っている容器だが、アレをリっちゃんはエントリープラグと名づけている。MAGIに参加する為の差込にするって事だな」
「…………」
「で、髪が揺れてるからわかるだろうが、あの中はL・C・L (Link−Connected−Liquid)ってオレンジの液体で満たされてるんだ。肺での直接呼吸を可能にしている。電解質の性質を持っていてな、LCLを通じて脳と直接コンタクトが出来るんだよ」
「……す、凄いですね加持さん……」
「そうだな、ここらへんはリっちゃんもこれ以上詳しくは教えてくれんから次にいくぞ?人間にはA10神経って呼ばれる部位があってな、それは感情を支配する部位とされているんだ。つまり快楽に直結している。
赤木博士とリっちゃんはな、これに注目したんだ。感情を支配出来れば鬱病や適応障害なんかの精神病の大半は治す事が出来る。それに病は気からって言葉があるだろ?脳内物質をコントロール出来れば、これも治療に利用できる。例えば怪我した時に新陳代謝を高めたり、免疫力を高めたりって感じだな」
「…………」
「で、何でリっちゃんが何故性欲に注目したかだけどな、性欲が一番利用しやすいんだよ。いわゆる三大欲求である食欲、睡眠欲、性欲の内、食と睡眠に関してはどうしたって人間には必要だからな、限界まで追い込む必要があるんだが、そうなると人間ってのは死んでしまう恐れが高い。それに追い込むのに時間が掛かるし、それを維持するのも大変だ。それに引き換え性欲はどれだけでも高める事が出来るし、刺激を送り続ければ維持するのだって比較的容易だ。だからコントロールには性欲が適当だとリっちゃんは判断したんだ」

正直ケンスケには理解し切れなかったのだが、とにかく凄いと言うのはわかる。

「…加持さん、俺には難し過ぎてよくわかんないんですけど、とにかく凄いのはわかります。それから何で性欲を利用するのかも、何となくですけどわかりました」
「まあそうかも知れんな。機会があったらリっちゃんやマヤちゃんに詳しく聞いてみろ。…っと、いよいよだぞケンスケ、準備がもう直ぐ終わるみたいだ」
「!?」

加持の言葉に慌ててケンスケはリツコとマヤが操作している方に振り返った。するとリツコは席を立ってマヤの後ろに回り、指示をしながら各モニターを交互に確認しているところである。「先輩、これで終了です」とマヤがリツコに報告すると、リツコは大きく肯いて「ご苦労だったわねマヤ」と労う。そしてケンスケたちに振り返った。

リツコが「待たせたわね加持君、相田君、今から始めるわ」と宣言する。肯く加持とケンスケ。肯き返したリツコはマヤに振り向き「マヤ、エントリースタート」と力強く言葉を発した。

「了解です先輩、L・C・L電化、第一次接続開始します。……電圧が安定しました。いつでもいけます先輩」

マヤの報告にリツコは肯き、自分の目でもすばやくモニターを確認した。

「…マヤ、第二段階に移行。A10神経接続を開始しなさい」
「了解、A10神経への接続を開始します。……各部異常ありません。A10神経への接続が完了しました先輩。誤差は許容範囲内です」
「そう、順調ねマヤ、シナプスの結合状態はどうなっているの?」
「……これも誤差は許容範囲内です。異常ありません先輩」
「第三段階に移行、ナノマシン注入開始」
「了解先輩、ナノマシン、注入開始します」

手早く確実に、手馴れた様子でマシンを立ち上げるリツコとマヤ。実に活き活きしているとケンスケは思う。実験が楽しくて堪らない様だ。マヤもリツコほどでないにしろマッドなんだと思いつつ、ケンスケは実験を見守り続けた。

「どう?パルスは安定している?」
「…パルスもハーモニクスも問題ありません。いけます先輩」
「そう、どうやら大丈夫そうね。……マヤ、洗脳開始」
「了解、カウント始めます。10,9,8,7,6,5,4,3,2,1……覚醒します先輩」

覚醒の言葉に視線をスクリーンに移したケンスケは、ゆっくりと目を開けていくアスカとミサトを見た。
うつろな表情で焦点の合わない瞳、口元を僅かに緩ませて開くアスカとミサト。しばらくすると股間を擦り合わせる仕草を始める。

「…とまあこんな感じよ相田君。感想はどうかしら?」
「!っい、いや、ただ凄いとしか。…そ、その覚醒って言ってましたけど、惣流は起きているんですか?」
「…うふふっ、吃驚してくれたなら嬉しいわね。…それでアスカとミサトだけどね、確かに起きてはいるけど夢うつつって感じかしら?これから起こる事や聞いた事なんかは、夢みたいに覚えていたり、覚えていなかったりよ」
「そ、そうですか……」
「今は全くの外界から隔離された状態ね、モニターもあるけどスイッチを切ってあるから今は何も聞えない状態。でもスイッチ一つでこちらからの指示は伝える事が出来るし、向こうの音声も拾う事が出来るわ」

リツコはマヤに「聞いていたわね?向こうの音声を拾って」と指示をした。

すると「うっ………っはぁ………ん……っ……っあ………っ…ふうぅ……」とアスカが喘ぎ、「はあうぅ……あっ……ふぁぁ………ほぁぁっ……っ………ぁ…」とミサトが喘いでいるのがスピーカーから流れてくる。

(……スゲェ…喘いでやがるよ……これで正気に戻っても覚えていなかったりするのか……)

惣流と葛城ミサトが太腿を擦り合わせようと喘いでいる?乳首が明らかに勃ってる?
衝撃の光景にスクリーンから目が離せなくなってしまうケンスケだった。

「それでこの性行為を媒介にした洗脳だけど、留意しておいて欲しい事があるわ。性欲を刺激してやらないと、新しい人格に定着させるのが難しいのよ。それでアスカにもミサトにも色々体験させる事が必要って訳。強烈であればあるほど定着させるのが容易になるわね」
「…………」
「こんな半覚醒の状態が一番暗示が掛かり易いわ。だからこの状態で色々見させて学習させて、そして色々と言い聞かせるのよ。後処理で都合の悪い記憶は消去するんだけど、指示された内容を身体は忘れないって寸法ね…相田君、わかるわよね?」
「っは、はい、リツコさん!」

食い入るようにスクリーンを覗き込んでいたケンスケだったが、リツコから問い掛けられた事で意識を引き戻す。リツコは「うふふっ、期待しているわよ相田君。とことん無様に堕としてあげるのよ?」と念を押してから加持に話を振った。

「じゃあ洗脳内容は確認したわ。初日だからそんな感じでしょうね。それで肉体改造だけどどうするつもり?取り合えずメス豚らしくいつでも発情状態にしようって、マヤが言うから身体中を敏感にしていくわ。それから性行為に関する嫌悪感は適時調整して、最終的にタブーは全てなくならせるわね。そして両穴を拡張するわよ。メス豚ならあらゆるチンポを咥え込めないと話にならないから。…加持君に相田君、他にリクエストがあれば言って頂戴」

リツコに話を振られてケンスケは戸惑ってしまう。確かにリツコからは期待しているから徹底的にやれと言われている。だがこんな話になるとはケンスケは想像していない。それで加持に決めてもらおうと振り返ったのだが「ケンスケ、アスカもミサトも方針を決めさせてやるって言ったんだ。だからオマエが決めろ」と丸投げしてくるのだった。

(……え、えっと、本当に俺が決めていいのか?…肉体改造か……一体どうすりゃ良いんだ?)

ケンスケは考え込む。色々とやりたい事はあるのだが、加持やリツコを差し置いてという考えがどうしても抜け切らない。困ってしまってふと視線をあげてみると、加持にリツコ、それにマヤまで、一体どんな提案をしてくるのかと期待の眼差しで見ているのに気が付く。それでケンスケは腹をくくった。

「…加持さん、両穴が塞がっているんだから後はオッパイとクリトリスですよね?」
「…ああ、そうだな。…それで?」

ケンスケは加持に答えずリツコに質問した。

「リツコさん、葛城ミサトですけどオッパイを大きくする事って出来ますか?それから感度も更に高めるとかは?そ、それから惣流ですけど、クリトリスを大きくする事って出来ますか?そ、それで感度を更に高めるって出来ませんかね?」

ケンスケがアスカとミサトの肉体改造について、ミサトを巨乳化、アスカを巨陰核化へと方針を決めたのは単純な理由からだ。ミサトがアスカに比べると巨乳であり、もっと大きくしたら面白いのではないかと考え、余ったアスカについては、それならクリトリスだろうと考えたのに過ぎない。ついでに感度も高めれば面白いかなと思っただけだ。
だが加持は提案するケンスケを見てニヤニヤ笑い、マヤは微笑ましそうな表情をした。質問されたリツコは口角を吊り上げニヤリと笑い、ケンスケに逆質問をしてくる。

「…うふふっ、オッパイを大きくするってどのくらい?大きくしすぎると目立ってしょうがないわよ?それにアスカだけどグラビアアイドルよね?クリトリスを敏感にしすぎたら擦れて濡れちゃうだろうし、大きくしすぎたら目立って水着なんて着れなくなるかも知れないわよ?それでも良いの?」

(った、確かにそうだよな?そんな事しちまっても良いのか?で、でも他にどうすりゃ良いってんだ?)

リツコに逆質問されたケンスケは意表をつかれて戸惑ってしまった。「あ…い、いや、その…で、でもですね…」と泡を食ったような態度を取ってしまう。加持とマヤはニヤニヤ見ているだけ。見当外れな意見だったかと、恥ずかしくなったケンスケは俯いて黙り込んでしまう。そしてそんなケンスケを見て三人は堪えきれずに吹き出し笑い出したのだった。

「くくくっ、いやケンスケ、それで良いんだ!リっちゃんのオーダーは徹底的にやれだからな!俺だってケンスケに任せるって言ったんだから何をしようと構わんさ!それにだ、俺は葛城に未練なんて欠片もない!フォローするって言ったんだから、どうなってもフォローはちゃんとする!大体だな、一度あそこまで堕ちきったメスってのは身体がそうなっちまって忘れないもんなんだよ!それなのに再支配しようと思わんかったのは一度逃げた奴には興味がなかったからに過ぎないんだって!っくくっ、だ、だから何も問題はない!その方向でいこう!」
「そうよ相田君、それで良いの。先輩が徹底的にって言ったんだから、もっともっと徹底的でも構わないのよ?」
「うふふっ、相田君、期待通りの答えだったのよ。実は加持君と話していてね、最終決定ではないけど取り合えずそうしようって言っていたの。っうふふふっ!任せておきなさい、ちゃんとやってあげるから!ふふっ、相田君、これからもその調子で頑張って頂戴ね」

笑いながら判断を賞賛する三人にケンスケは嬉しくなり、そしてまだまだ覚悟が足りないと悟る。他人に指摘されたくらいでコロコロと意見を変えるようではいけないのだろう。

「さあ、忙しくなるわよマヤ!」
「はい先輩!頑張ります!」

方針が決まったのでリツコとマヤは猛然とキーボードを叩き始めた。リツコとマヤは各種データを取り、それを比較し、相応しい薬物と分量を選び出さないといけない。どうしたって個人差があるのだ。それに生贄からサンプルをとっていろいろ推論しなければいけないし、新しい実験だから不確定要素を埋める必要もある。仕事はいくらでもあるのだから。



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