< 注意 >



この話には痛い描写が含まれています。
特定の人物に愛着があり、その人物が惨い目にあうのは耐えられないという方は、読まないで下さい。
読んだ後文句言われても困ります。
また、まったくエヴァキャラである必然性のない話です。
あー多少はあるかな?
ともかく、ある程度割り切って名前と姿形だけエヴァキャラと思って下さい。
以上の注意点によく留意し、納得した方のみお読み下さい。








─ 闇の唄 ─

「幸せの再分配」



書いたの.ナーグル



 風が人の神経を逆撫でするように頬を撫でていく。
 青く、雲一つないまでに晴れ渡った空も人を馬鹿にしているようだ。
 空も太陽も全てが君を見下している。
 気持ちの良い昼下がり…。くそ食らえ。
 全てが君だけをその恩恵から外している。

「ケッ。どいつこもこいつも」

 口汚く毒づく。だが、誰かに聞かれて、それも強面の男に聞かれて因縁を付けられるのもいやなので、その言葉はとても小さく誰の耳にも届かない。君はそう体格が良いわけでもないし、多少の目端は利くが頭が良いわけでもない。だからトラブルに巻き込まれたとき、今まで例外なく君は惨い目にあってきた。大きなトラブルでなくとも、常に小さいトラブルは便器の黄ばみのように君にまとわりついている。恐らく、一生の付き合いになるだろう。
 君は達観とした気持ちでそれを受け入れていた。
 納得…ではない。世の中にいわれのない怨嗟を向けることで誤魔化す。そうやって今まで生きてきた。

 今日だってそうだ。

『この無能』

 自分以上に無能なくせに、声だけでかい課長の叱咤の声が脳裏に甦る。くすくす笑う同僚達。表だって笑うこともできない小心者。自分より無能な存在を認識することで、自分を相対的の大きく感じることが出来る。そして偽りの安寧に身を任せる。
 小物はお前達の方だ。心の中で君は毒づく。一体何度同じ行為を繰り返したことか。

『聞いているのか!?』

 業績の悪化…倒産の危機を肌に感じるのだろうか。近頃の怒鳴り声はヒステリックだ。胃が痛む。まだ20代前半の若さなのに、弛みを持ち始めた腹が気になる。頭髪も頭頂部が薄くなってきた気がする。
 今日も朝から嫌味混じりの罵声を浴び、客を取った後の売春婦のように疲れてしまう。そしてそのまま無気力な顔をして街に出た。
 乾いた空気の中無言で君は歩く。決まり切った売り文句を言い、商品を売りつけようとする。
 …まったく売れない。そもそも売れるのだろうか?
 自分の商っている商品を思い返し、君は塩をふった野菜のようにげんなりとする。
 俗に言う性産業製品。
 避妊具や夜の生活を充実させるための大人の玩具…。人口が減った今、避妊具は使用すること自体が悪とする風潮がある。後者はそもそも単価が高い。そう簡単に売れる物ではなかった。
 今日も大量に売れ残ることは明白だ。
 昼前だというのに、君はすっかりと疲れ切っていた。まばらに木がはえた小さな公園のベンチに座り、空を見上げて朝から黄昏る。


 頑張って販売成績を伸ばしたところで、それでどうなると言うんだ?

 神を感じられなくなった巡回牧師のように強ばった顔で自問自答する。
 成績が上がれば多少給料も増すだろうが…。
 金が増えたといっても、多少の端金が増えたって嬉しくも何ともない。もっとドカンと増えるなら話は別だが。
 そもそも多少増えた給料を何に使う?
 また風俗にでも使うか?
 それもカバが服を着たんではないかと思うような安い女を買うことに?
 しかし、君の給料ではそれでも精一杯だ。

 金さえあればもっと美しい女を買うことが出来るのだが。

 そして外見からはわからない巨大な一物の持ち主である君の下で、美しい女は悲鳴のような声をあげて身悶えるだろう。君が他に誇れそうな物と言えば、ゴキブリのようにタフで、野生馬のように荒々しく、プラナリアのような回復力を持つ自慢の愚息と精力くらいだろう。

 あまり良い思い出ではないが、君の一物を見たときの娼婦の顔を忘れられない。口をダッチワイフのようにポカンと開け、本当にカバになってしまったかのようだった。そして君に組み敷かれ、小太りの体を捩って忘我の叫び声をあげ、ついには気絶してしまった。
 女の浮かべる忘我の顔は、吐き気を催すほど醜悪だった。
 それでも君は料金分だけ白濁した欲望を吐きだしたのだが。

 君の愚息は普通の男性の物と些か形が変わっており、肉茎の表面にはニキビのように小さなブツブツが無数にあり、亀頭部分は本当に亀の頭になったように凶悪に歪んでいる。
 最初はそのグロテスクな形に恐れおののいていた娼婦達は、いつも最後にはほれぼれとしながらしゃぶったものだ。

 これならどんなに美しく、高貴で、貞淑で、不感性な女であっても必ず我を忘れさせてやれるのに。


カーン


 澄んだ音が街全体に染み渡るように響いた。
 正午の合図のチャイムだ。それに続いて曲名がわからないが何かクラシック音楽が流れる。

 否応なく仕事のことを思い出さされ、君は陰鬱とした思いを胸に呑み込んだ。

 じくじくと血がにじむように感情が迸る。
 世の中にはこんなことよりも楽しい、身になることがあるはずだ。
 成績を上げるために足を棒にするより、有意義な時間の使い方があるのではないか?
 そう、そうだ。今の自分は本当の自分ではないのだ。ふとそう思う。
 たわいのない、6歳児の夢のような空想だ。かつての君にも夢があったことは間違いないが。選ばれた巨大ロボットのパイロット…世界を救う英雄。
 そんな荒唐無稽の夢でなくとも、軍人になって戦艦に乗るとか、趣味のカメラをいかしてジャーナリストになろうとか、色々考えていた。現実は厳しいことはわかるが…夢のどれかは叶っていたはずだ。

 だが夢は叶わなかった。そして君はここにいる。
 その一方で、世の中には幸せに暮らしている者達もいる。
 大きな屋敷に住み、燃費の悪い外車を乗り回し、美しい女を侍らせて…。

 そう考えるだけで胃がムカムカする。世の中にこの黒々とした思いを吐き出したい。不公平に対して呪いをかけたい。なぜ自分だけがこんなに不幸なのか。相対的な問題であることを理解する気もなければしたいとも思わない。
 いつからだろう。鬱屈した思いが溶岩のように心を焼き始めたのは。
 最初はタダの妄想だった。
 幸せな人間に自分の不幸せを分け与えてバランスを取る…。
 憎悪の対象は全ての存在。人、建物、空気、雲、太陽………なにより自分自身。
 いつしかその妄想は歪んだ指針を持つようになった。

 あの男はもう年を取っていて金持ちじゃない。見逃してやる。
 あの女は幸せそうに笑っているが無理をしている。その証拠にあんなに苦労を皺にして顔に刻んでいる。
 あの男は強そうだ。夜道で背後から襲っても勝てそうにない…。見逃してやる。

 そう、彼が幸せの再配分の対象に選んだのは彼より弱い存在ばかり。
 そして美しく若い女ばかり。

 濁った目の端に映る幸せそうな人々。
 若くハンサムな男に肩を抱かれ、何ごとかを囁かれてはにかむ女性。公園で遊ぶ子供を見守る若い母親。一昔前のコギャルと呼ばれた存在とは違う、時代をさらに遡ったような清潔な制服を纏った女学生達。


 不幸を分かち合うべきだ。


 復讐してやる。


 先週まではそう思うだけだった。
 だが今日は違う。
 切欠は実に些細なことだったが、今の君は悪魔の契約書にサインをしたように覚悟を決めていた。邪悪に歪んでいても確固たる信念が君の体を支えている。

(そうだ。今日の俺は漠然とここに来たのではない。)

 目的があってここまで来たのだ。
 目の前にそびえる、高級マンション…俗に言う億ションを見上げる。20階建てはありそうな高層マンションだ。家賃は…もとい、部屋代は幾らなんだろうか。2億は下るまい。

 グランドマンション・ネルフ。

 ありとあらゆるサービスが行き届き、いわば世の中の勝ち組が暮らす、君とは縁のない白亜の城。



 勿論、セールスに赴くのではない。先週、セールスの途中に偶然見かけた1人の女性に会うためだ。





 気怠げにベンチに座り、営業途中の休憩を取っていた彼は、その時、息をすることを忘れた。
 美しい女性だった。
 それも今時珍しいほど清楚な雰囲気を持った大人の女性だ。
 風になびく長い黒髪が目に眩しかった。人の良さを感じさせる少し垂れた目が眠そうに瞬く。
 慣れた様子でほつれ毛を手櫛ですく姿が、飾り気のない色気を感じさせた。思わず股間が熱くなった。桜色の唇から漏れる声は、きっと姿同様上品で慎ましいのだろう。

(いい女だな。あんな女を啼かしてみたいぜ。…待てよ、あの女は)

 そう、彼女を知っている。
 大分様子が変わっていたのですぐには気付かなかった。
 昔の彼女は貧相な体をしていた。胸は今のように男の手に余りそうなほど豊満ではなかった。水泳の授業を横目で見たときには、申し訳程度にしかなかったはずだ。やせぎすで、根暗な女という言葉がピッタリな少女だった。
 しかし今の彼女は、モデルが泣いて逃げ出しそうなほど豊満で、それでいて均整の取れたスタイルをしていた。背がもう少し高かったら本当にモデルにだってなれただろう。
 それにあんなに爽やかな笑みを浮かべるなんて、過去のおどおどとした姿からは想像もつかない。地味な印象を与えるだけだった眼鏡は、今は理知的で清楚な印象を与える。正直、他人のそら似と思う方が自然だと思う。
 だが、あの愁いを帯びた儚げな瞳と、口元の艶めかしい黒子、そして古めかしい遠視用の眼鏡は覚えている。

「知っているぞ…俺は。あの女を」

 彼女は…彼が学生の頃、ほんの一時転校してきた同級生だった。
 自分が今のようにねじ曲がるなどと、とても想像できなかった時代。
 彼女は当時の友人…今は憎悪の対象である同級生に淡い恋心を抱いていた。彼はその思いに気付いていなかったようだが、君には手に取るようにわかった。同じ思いを、その友人の同居人相手に抱いていた君なら。
 彼女は…山岸マユミという名前だった。

 地味で暗い女…。同窓会に時に出会っても、あんな人いたっけと周りから言われる…。そんな女のはずだった。
 当時のイメージのままだったら、君はそれ以上何も思わなかっただろう。いや、そうでなかったとしても、変わったなと思うくらいだった。
 精々マスのネタが増えるくらいだ。

 だが、たまたま耳に入った彼女と知りあいらしい中年の女性との会話が耳に飛び込んできたとき、意識は泡立つ溶岩のように煮えたぎった。反射的に振り返りそうになるのを必死に堪えて耳を澄ませる。

『山岸さん買い物? おっともう碇さんだったわよね。いつまでたっても慣れないわ…』
『やだ、マヤさんたら。もう結婚してから1ヶ月以上経ってますよ』
『そうなのよね。…それにしてもあなたを見てるだけで私も元気になりそうよ。
 幸せ一杯って感じで』
『そうですか? でもそれを言うならマヤさんだって…』
『家の人なんてそんな大した人じゃないわよ。それに比べてシンジ君…優しい素敵な人だもんね。
 学生の頃からの秘めた思いを成就させる…。ラブラブ過ぎて、端から見てるだけで溶けちゃいそうよ』
『あ、あはははは(なんて言えばいいのかしら)』
『それはそうと、シンジ君も大変ね。新婚なのにアメリカに長期出張だなんて』
『…寂しいですけど、毎日電話がかかってきますから。それに、お互いのこと…よく…理解し合ってますから。
 あとちょっとの…辛抱だから』
『はいはい、もうお腹一杯♪ 邪魔してゴメン。それじゃね』





 数秒間君は立ちつくした。
 記憶の中にあるそのままのマユミの声が何度もリフレインする。
 彼女にとっては、あるいは君にとっても運の悪いことに最悪の条件が揃いすぎてしまった。
 心が嵐の中の小舟のように激しく乱れる。

 山岸…。碇…。シンジ…。

 懐かしい名前が千々と心の中を駆け回る。悪魔の用意したピースは全て揃った。
 シンジ…碇シンジ。
 かつての友にして、君が求めても得られなかった物をいとも容易く手にした存在。
 そしてそれを重荷に思い、投げ捨てるように放棄しようとした。
 君が絶対的な存在と思っていたエヴァンゲリオンパイロットという奇跡、それを彼は否定してしまったのだ。
 裏切り者だ。

 その裏切り者と…自分同様負け犬になっていなければならないはずの女が結婚した?
 それも勝者としか思えない姿になって。
 目で追っていくと、マユミはネルフと横文字で名前の書かれた大きなマンションの入り口に向かっていた。あそこに住んでいるのは明白だ。また神経を逆撫でしてくれる。


 あの女も裏切り者だ。
 シンジやトウジ同様裏切ったんだ。

 耳鳴りがする。胸の鼓動が太鼓の音のように耳に響く。
 何かが、誰かが囁く。

 罰を与えなければ。
 不幸を再分配しなければ。
 俺が不幸なのは奴らの所為だ。

 自分だけ不幸だなどと、負け犬だなんて認められない。認めるわけにはいかない。

 そうとも。

(覚悟しろよ…シンジ。山岸…いや、今は碇マユミか。お前達には、陰気でじめじめとした涙がお似合いなんだ…。
 幸せな笑顔なんて絶対に許さない。シンジ…俺はお前を…許さないぞ)

 そこにいるのは相田ケンスケという名前の鬱屈した青年ではない。
 心が巻き貝のようにねじ曲がった復讐鬼がそこにいた。

(お前のことだ…。きっと心からあの女を愛してるんだろうな?
 だが、その愛が深ければ深いほど、お前は苦しむことになる)

 あのマユミの体を…俺が…思う様に。ゴクリと唾を飲み込んだ。
 同時に回想は終わり、目の前に現実が確固たる巨大さで広がる。
 今ならまだ間に合う。何気ない顔をして引き返し、いつもの日常に戻るのだ。

「今更…後に引くかよ」

 口の中に広がる唾液の感触は、どこか甘美に感じられた。



 悪魔に魂を売る準備は出来たか?
 ならば、クリックしたまえ。






[Index]