The Best Of Me (ギムナジウム編)



 神という名の存在を強く信じているわけではなかったが、彼は礼拝堂に満ちた透明でありながらどこか緊張感も漂う空気が好きだった。
 午後遅くの、斜めからさし込む柔らかな光がステンドガラスを通して床に落ちている。暖かなオレンジ色をした斜陽の光は、少年の頬にも落ちていた。
 
 ドイツの格式あるギムナジウム。晩夏の日差しはそれほど強くはなく、むしろ秋の郷愁を既に漂わせている。制服に身を包んだ数人の生徒たちは礼拝堂の思い思いの場所に腰かけ、シスターの話に耳を傾けていた。

「では、その続きの11章を読んでいただけますか」

「はい」

 1番前の席に腰を下ろしていた彼は、そう言われると静かな声で答え、改めて手にしていた聖書に目を落とした。

「イエスは十二人の弟子に指図を与え終わると、そこを去り、方々の町で教え、宣教された。 ヨハネは牢の中で、キリストのなさったことを聞いた。そこで、自分の弟子たちを送って、尋ねさせた。『来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。』」

 清潔に整えられたつめ先をもつしなやかで長い指が、流れる声と共に字を追っている。声は静かで柔らかく、だが甘さとは無縁の凛とした張りがあった。
 白く滑らかな頬に落ちたあかりが、何らかの意図をもって精緻な筆で描いたかのような複雑でいて美しい彩を生み出している。まぶたがゆるく伏せられているせいで長い飴色のまつげの下に淡い影ができていた。

 彼の他に最前列に座っている生徒はいない。見たところ7,8人の生徒が集まってきているようだが、みな彼よりも後列の、しかも隅の方に座っているのだった。
 これには理由がある。斜め後方からだとこの少年の横顔をこっそりうかがうことがたやすいからである。
 少年は確かにしなやかで整った容姿を有していたが、中身に少女めいた甘やかさなど一滴たりともない。だが、それにもかかわらずひそかに彼を遠巻きにして眺めてはため息をついている少年たちは少なくなかった。
 
 彼の名はフランツ・ハイネル。憧憬の視線を着慣れた制服のように自然と身にまとっている少年である。
 色が白いためにやけに艶めいて見える赤い唇が動くのをうっとりと見つめている者。長い指が文章を追っていくのに目を奪われている者。 
 だが当の本人だけはそれらの視線に全く気づかず、ただとうとうと聖書を読み上げるのだった。

 少し気だるい空気に満ちた夏の午後。喧騒は遠く、静寂にたゆたう少年の声・・・・。

 

「ハイネル、メシ食いに行こうぜ!」



 心地よい緊張感を一気に砕けさせるような声が、ドアを乱暴に開ける音と共にした。
 もちろんその声の主は視線の一斉射撃を浴びることとなったのだが、彼は全く頓着していないようだった。ズカズカと歩いていった先は最前列で先ほどまで聖書を読みあげていた少年、フランツ・ハイネルのいる場所である。

「グーデリアン!貴様、何回言ったらわかるんだ。礼拝堂は心を静めて己の内面と向き合うべき場所だ。お前のような騒がしいヤツが来る場所じゃない!」

「でもハイネルの声のが大きいじゃん」

「お前が出させてるんだろうが、お前が!」


 冷たいほどに整った横顔を見せていた少年が一転、金髪碧眼のいかにもヤンキーといった雰囲気を漂わせている少年が絡んだ途端に柳眉を逆立てて怒り出したが、周囲の反応は『またか』といったものだった。明らかにこんな展開に慣れている。
 もちろん、ハイネルに絡んでいるこの少年こそ(自称)アメリカ1のクールボーイ、ジャッキー・グーデリアンである。


「フランツ・ハイネルくん」

「は、はい!」

「申し訳ないけれど、退室していただけるでしょうか?ここはそのように騒いでよい場所ではありません」

「す、す、すみません!」

「ホントだぜハイネル。お前って優等生って騒がれてるワリには案外ヌけてるとこがあんだよな」

「うるさい!元はといえばお前が・・・・!」

「ハイネルくん?」


 シスターの二度目の呼びかけは語尾が鋭く切れ上がっていた。
 慌ててハイネルはグーデリアンの背を押しながら自分も席を立つ。

「はい!すみませんでした!」

「なんだよハイネル、背中押したら危ないだろ?転んだりしたらどうすんだよ!」

「うるさい!貴様など転ぶなりなんなりして、一度機能してない脳に刺激を与えてやった方がいいんだ!」

「相変わらずカワイイ顔して言うことキツイんだから、ハイネルちゃんてば」

「グーデリアン!」

「ハイネルくん!!ここは礼拝堂だと何度言わせたらわかるのですか!?」

「すみませんでした!!!」




 かくして少年二人は由緒あり格式高き礼拝堂を後にしたのだった。






 そもそもフランツ・ハイネルは現在父の仕事の都合で日本のインターナショナルスクールに籍を置く高校生である。日本に移る前はこの学園に(わずかな日々であったが)通っていた経験もある彼は、元来の学問好きが昂じ、長い夏休みを利用して自分が通うはずだったギムナジウムの夏期講習に参加しているのだった。夏期講習に外部生が参加できるのはわずか二週間だが、礼拝堂にてシスターの話を聞くのは自由に許可されている。
 ハイネルは図書室で時を過ごした後礼拝堂に向かうのが好きだった。
 そこにいると、いつも身がひきしまる思いがする。自分を育んできた、森の香漂うドイツの伝統ある寄宿舎と学び舎。礼節と勤勉を貴び不正と怠惰を否とする、父祖から連綿とうけつがれてきたドイツの清く正しい精神を学ぶべき場所。

 ・・・・が。

「全く、何でお前までこんな所までやって来たんだ」

 ため息まじりにもらしたハイネルの言葉をひきついで、彼の隣を歩いていたグーデリアンは元気よく答えた。


「へ?だから言ったろ。ハラ減ったからメシ食いに行こうってさ」

「そういうことではない!なんでお前までわざわざギムナジウムの夏期講習をとったりしたんだ。まさか頭でも打っていきなり勉学意識に目覚めたわけでもないだろう?」

「ひどいよハイネル〜。どうしてオレの『いつでも一緒にいたい』っていう純なオトコゴコロをわかってくれないかな!」

「ばっ・・・冗談でもそういうことを言うな、バカ!」


 真っ赤になりながら、隣を歩く一つ年下の少年の胸を懸命に押し返しているハイネルの様子からはいつもの冷たい雰囲気が払拭されて、年相応の少年に見える。
 グーデリアンの方も、バカだの脳なしだのと罵倒する言葉を連呼されているわりには極めて楽しそうだ。
 更に付け加えるならば、文句を言いながらもハイネルの足は自然と学舎のはずれにあるカフェテリアにと向かっているので、やはり満更でもないのだろう。



 昼食時にも夕食時にもずれているためいつもよりは少なかったが、それでもカフェテリアには何人かの生徒たちの姿が見受けられた。良家の子弟ばかりが集められているとは言え、育ち盛りの少年たちであることには変わりがない。
 ハイネルがカフェテリアに足を踏み入れると、明らかに場の空気が変わった。あからさまに騒ぎたてるような少年は格式あるこのギムナジウムには存在しないが、ほとんど全ての視線が彼に注がれているのは明らかである。視線が熱を放つならば、さぞかし立派なサウナルームができあがるだろうと思われるほどの好奇と憧憬に満ちた目線が彼の元には集中していた。

 何と言ってもフランツ・ハイネルである。入学後すぐに極東日本に移ってしまったが、それゆえに彼の存在はますます特別視されるようになっていた。
 だが、ハイネルは全く揺るがない。注視されることに慣れているというより、そもそも彼は自分の容姿や資質がどれだけ人の関心を集めるのかということに興味がないのだ。興味がない以前に全く気づかない。気づかないので反応しようもないのだった。



「この前の模擬、ハイネルがまた一位だったらしいぜ」

「また!?学年関係なしの一斉模擬だろう?全く、天からニ物も三物も与えられたヤツはいいよなぁ」


 遠目でハイネルの姿を追い掛けながら、ポテトのスープを口にしていた少年がポツリとつぶやいた。向かい側に座っている少年もうなづいてみせる。襟元に止められた学章から判断するに、ハイネルよりも一学年上らしい。
 上級生たちはもはや学年が下の少年に負かされたことを悔しがるでもなく羨望の吐息をこぼすのみだ。ライバル心を抱くには相手があまりにも高みにいるせいだろう。

 別のテーブルでは下級生達がやはりハイネルの噂話に花を咲かせていた。声はひそめられているが、口調には隠し切れない好奇心が浮かんでいる。


「ハイネル先輩ってさ、めちゃくちゃモテるんだって?」

「そりゃそうだろ。顔も頭もいい上に運動神経までバツグンって聞いたぜ。でもさ、本人はぜんっぜんその気がないから告白されても殴り倒してるってウワサ」

「殴り倒す!?」

「そうそう。何ていうか、男に告白されるのがイヤだっていうよりも、単にわずらわしいみたいな感じでこうボカッ!と」

 
 小さくパンチの仕草をしてみせた少年に、もう一人の方は自分が殴られたかのように顔をしかめてみせた。

 日本にいる間にぐんぐん背が伸びて随分大人びてきたようだが、それでもまだハイネルのすらりと伸びやかな肢体はしなやかで、悪い表現をすれば脆弱な印象が強い。だが、実は彼はボクシングを習っており、その腕っぷしはかなりのものだという噂だった。
 彼については、他にもあの若さで壷集めに興味があるらしいとか、日本の懐石料理などという大方のドイツ人にとっては未知の料理が好物らしいだとか、眠る時はナイトキャップを着用しているらしいだとか、スキーも料理もプロ級で何ヶ国語も自在に操るのだとか、とにかく真偽のほどを疑うような噂が飛び交っている。これらの噂が全部真実だとしたら、きっとフランツ・ハイネルという少年はモータースポーツの最高峰に位置するサイバーフォーミュラにレーサーとしてデビューし、あまつさえゆくゆくはマシンデザインや監督やオーナーまで手がけてしまうに違いない、というジョークまで飛び交っているほどだ。


 まあそんな噂が飛び交うほど、ギムナジウムの生徒たちがフランツ・ハイネルという少年に興味をもっているというわけである。彼は(本人が聞いたら死ぬほどイヤがりそうだが)まさしくギムナジウムの隠れアイドルだった。お姫サマか王子サマかといった扱いをひそかに受けていたと言っていい。
 そして、典雅極まりない容姿をもつこの王子サマは、同時に難攻不落の鉄壁の守りで、どんな少年の思いも跳ねのけることで有名だった。
 誰のものにもならないこそ、誰もが安心して遠巻きに眺めていられる、まさしく高嶺の花のような存在なのである。・・・・・訂正、だったのである。





「あ、ハイネルのそのスープも美味そう。ちょっと味見してみていい?」

「グーデリアン!お前はもう自分の分のオニオンスープを食べたじゃないか!コラ、人のスープ皿にスプーンを入れようとするな、みっともないから!」

「だってハイネルのポテトスープが美味そうなんだもん」

「全くお前はしょうがないヤツだな。・・・ホラ!」




 今、自分たちは何を見たのだろう?




 その場にいた少年たちは、声なき悲鳴をあげ硬直した。

 アレは夢だ。夢に違いない。自分は今幻覚を見てるんだ・・・。

 誰もがそう思い、目をゴシゴシとこすってから再びそちらに視線を向けた。
 まずハイネルの姿が目に入る。これはいい。いつ見ても清く整った姿の持ち主だ。

 問題なのは、そのすぐ隣に背の高い金髪碧眼の少年が腰をおろしていて(外部生らしく制服は着ていなかったが)いることだった。いや、そうではない。問題はそうではなくて、グーデリアンと呼ばれたその少年に、ハイネルが自分のスープ皿からスープをすくって食べさせてやっていることなのだ!

 
「サンキュ、ハイネル。やっぱ美味いよなぁ、このポテトスープも。な、オレがもらってきたスペアリブ食べるか?お返しにオレが食べさせてやるからさ。ほら、あーんして!」

「何があーんだ、いるかそんなもの!」

「遠慮すんなよ、ホラ、あーん!」

「押し付けるな!いらんと言ってるだろうが!」

「ほら、口開けないと折角の料理が落ちるぜ。・・・な?」

「いらんと・・・・・・・んん!」




 食べた!
 食べた!
 食べた!
 あの「アイスドール」とひそかに呼ばれたハイネルが!



 周囲のテーブルでは、もはや自分たちの食事どころではなくなってしまった少年たちが彼らの一挙手一投足をかたずを呑んで見守っている。
 一人の少年など生唾を呑みこんでしまい、隣の少年にhush!(「シーッ!」)の仕草をされてあわてて息をひそめなくてはならなかった。

 ハイネルもそうだが、金髪の少年、つまりグーデリアンも視線が全く気にならないタチらしい。これほどあからさまに視線を浴びているというのに頓着なく食事のやりとりを続けている。


「なあハイネル、このポトフも美味いけどさ、この前ハイネルが作ってくれたヤツ、あれ美味かったなあ。また作ってくれる?」

「お前は私が折角作ってやっても物の味もわからないほどかっこむじゃないか!美味いもまずいも分かるものか」

「ハイネルが作ってくれるメシが美味いっていうコトはオレにだってわかるぜ」

「ま、まあ・・・その、お前はたくさん食べてくれるから、作りがいがあると言えばそうなのだが」

 にっこりとグーデリアンに笑いかけられたハイネルはぶっきらぼうにそう言い捨て、横を向いてしまった。だがすねているその横顔は照れのせいでほんのり赤い。



 頬を染めてる!
 あのハイネルが!
 っていうかあのオトコは誰だ!?



 居合わせた少年たちを静かなパニックに落とし入れている張本人たちは相変わらず二人だけの世界を展開し、やがて肩を並べるようにしてカフェテリアを出ていった。
 ちなみに、


「な、今日もハイネルの部屋に遊びに行っていいだろ?」

「お前はそんなことを言って、この前も私の部屋に泊まっていったじゃないか!」


 ・・・という会話が繰り広げられ、阿鼻叫喚の地獄絵図・・・というのはさすがに大げさだが、更なる混乱を招いたのだということをここに付記しておく。
 



 
 夏が過ぎ、ハイネルもまたギムナジウムを去った。彼は再び日本での学園生活を送っていることだろう。
 彼を失ったギムナジウムでは、「あのハイネルがとうとう男におちた!」という噂が飛び交い別の意味での喪失感に襲われた少年たちは悲嘆にくれていたのだが、真実は今のところ闇の中である。




 たまにはこういうアホな話も書かないとどうにも落ちつきませんね!
 あんたが書いてるのいつもアホな話やないか!という鋭いツッコミが突き刺さるようですが(笑)。
 これが表バージョンで先日のが裏バージョン(ちゅーしかしてませんが)ということでよろしくお願いいたします。裏ver.を読まれた方々の記憶を消してマインドアサシン!古すぎですみません(笑)。

 それにしても、私がこういう話書くといっつもおんなじ感じで申し訳ないです。グーハーは基本的に「永遠のワンパターンカップル」でいいと思ってるんですけど(なんか彼らって何十年たってもおんなじことやってジャレあってて周囲に冷たい目で見られてそうだと思います。私だけじゃないですよね?)、でも私が思うワンパターンはこんなのじゃないんです!もっと素敵なのです。筆力が、筆力のなさが憎い!(笑)

 ギムナジウムという色っぽい設定も私が使うとほ〜らこの通り!(笑)
 むだに長いだけでつまんない話書いちゃってすみませんでした・・・・・。

 せっかくのギムナジウムなので、もっといろんなキャラ(加賀とかランドルとか)を出してドタバタするのもよかったなぁと思ってます。いつか書きた・・・なんて言いませんのでご安心を!(笑)
 あと念のため。このシリーズの二人は(まだ)清い仲です悪しからず。


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