「まずい」

「そう言うなよ。これでもムリ言ってなるべくいい豆で淹れてもらったんだぜ」


 コーヒーを一口すすってすぐに吐き捨てたハイネルの言葉を予測していたかのように、グーデリアンがなだめるような声を出した。
 同じシーツを分け合い、情事の後特有の気だるい雰囲気に満たされながら他愛もない会話を繰り返していると、まるでこうしている時こそが本当の自分で、それ以外の自分がウソであるかのように思えてくる。
 だが、そうしていてさえ、ハイネルはベッドサイドテーブルに置かれた時計の針を気にせずにはいられないのだった。後数時間で、彼は彼が属すべき世界に戻らねばならないのだ。

 あと二時間もすれば、ハイネルは身なりを整えてこのホテルをチェックインしなければならないだろう。会社の重役として出席する予定のミーティングがある。
 甘い雰囲気が薄らぎ、普段のスキのない姿を取り戻そうとしつつあるハイネルに敏感に気づいたのだろう。グーデリアンは手を伸ばすとハイネルの時計を取ってやった。


「時間が気になるかい?シンデレラ」


 からかうような声をかけられ、ハイネルは渋い顔を作った。なだめるように頬に一つキスを落とし、グーデリアンは続ける。

「お前の場合はガラスの靴の一つも置いてってくれないもんな。捕まえる方の身にもなってほしいぜ」

「私は・・・・」

「なあハイネル」

 重さを感じていないかのような動きでハイネルを抱き上げて自分の腰の上に座り込むような形にさせると、グーデリアンは至近距離からハイネルの目をのぞき込んだ。

「今何考えてる?」

「・・・・・・なにも」


 目をそらしながらそう答えれば、グーデリアンが息だけで笑った気配があった。吐息のような笑みだった。
 まぶたに落とされるグーデリアンのキスを感じつつハイネルはまぶたを伏せる。

「ならそんな顔しないでくれよ。12時になって魔法が解けるまでは王子様といてくれるんだろ?」

「・・・私が渋い顔をしているのはコーヒーがまずいからだ。苦いばかりで旨みが全くない」

「じゃあオレが口直しさせてやるよ」


 コーヒーの香りのするキスは、奇妙にほろ苦かった。切ないような気持ちを振り切りたくて、ハイネルは自分を抱きしめてくる男の太い首筋をきつく抱きしめ返す。


「お前が好きだ」


 普段の陽気さとはうってかわった真剣な声でグーデリアンは言った。


「お前が好きなんだ、ハイネル・・・」



 グーデリアンのその言葉が怖くてハイネルは強く眉間に力をこめ、目をつぶった。その言葉にすがって全てを振り捨ててしまいそうな自分が怖かった。

 目を閉じると様々な事が彼の脳裏をよぎる。

 父のこと、会社のこと、レースのこと、モラル、プライド。

 自分の信じていたもの、自分の信じたいもの、自分が歩んできた道、これから歩んでいくだろう道、ルール、規範、道徳、世間の目、常識、ありとあらゆるしがらみ。

 目に見えないそれらに体中を縛りあげられて、息をもできない気分になる。もがけばもがくほど糸に絡めとられ身動きができなくなっていき、クモの巣にかかった蝶のような気分になる。
 
 心が二つに引き裂かれそうだった。


 家族を愛してる。

 これまでの自分の人生に自信を持っているし、後悔など全くしていない。彼は自分の為すべきことをわかっていたし、そのために最大限の努力を払ってきた。


 家族を愛してる。
 これまでの自分に誇りを持っている。


 ・・・・・彼が欲しい。



 父が誇りを持てる息子でありたかった。
 彼にとって父の存在は大きく、憧れであり、また目標でもあった。
 父のようになりたかった。

 彼の父親は、彼に全てを与えてくれた。家族としての愛情も、人としてのあり方も、企業人としての振る舞いやたしなみも。
 だが、彼の父親は彼に、この世には理性や常識の及ばない情熱があるのだということを教えてはくれなかった。
 息もできないほどの強さで抱擁されると、目も眩むような陶酔が訪れるのだということも。



「ハイネル。会議に出席しないといけないんだろ?」

「・・・言うな」


 湿った音をたててキスを繰り返す合間にグーデリアンが聞けば、ハイネルは不機嫌そうな声で短く答えた。まだ何か言い募りそうな気配のグーデリアンを制し、再びハイネルが口を開く。


「いいんだ。会議は欠席する。・・・いいんだ」

「本当にいいのか?」


 何度も言わせるならもう帰る、と相変わらず素直ではないハイネルに思わずグーデリアンが吹き出すと、彼は怒って手をあげてきた。半ばじゃれ合いのように戯れているうちに互いに触れる手に熱がこもっていき、シーツの波へと逆戻りとなる。

 その後もう一度抱き合い、手早くチェックアウトを済ませた二人は、人目につかない裏口で短い別れの抱擁を済ませた。
 次はいつ会えるか分からない。
 まだグーデリアンには告げていなかったが、ハイネルには現在所属しているS.G.Mを離脱して自分自身のチームを持つという構想があった。そのため彼は普段よりも更に多忙であり、こうして抱き合える時間は本当に貴重だった。

 別れる時は、ベルボーイの一人もいない古いホテルの裏口に立っている自分がいかに場違いであるかを今更ながら意識させられ、ハイネルはいつも不安になった。

 どこでも馴染めるグーデリアンと違い、彼は自分がいるべき場所でしか呼吸ができない。

 今この場にいる自分がひどくそぐわないように、グーデリアンと抱き合う自分もアンバランスで、いつこの不安定な状態が崩れ落ちてしまうかと思うと、ハイネルの胸は暗い不安で満たされる。

 口にはけして出さなかったが、心からグーデリアンが欲しかった。
 彼が欲しいからこそ、いつか来るであろう別離の時を恐れていた。


 小さなボストンだけを手にしたグーデリアンは、ハイネルの不安を吹き飛ばそうとするかのような晴れやかな笑みを浮かべている。


「なあハイネル。後はお前だけなんだぜ。お前が決意するだけだ」

「決意?何の決意だ?」

「オレと生きてく決意」


 ハイネルは絶句し、瞬間子供のように無防備な表情でグーデリアンを見た。

 
「いきなり何を言うんだ。いい加減なことを言うな」


 声が上ずっていないかどうか、ハイネルは自分でも自信がもてなかった。スーツケースを握っていた手が緊張のあまりかいた汗で滑る。


「これだけは覚えといてくれ」


 落ちついたグーデリアンの声。
 こういう時のグーデリアンの声は、他の誰の声よりも深くハイネルの意識に入り込んだ。
 ハイネルの白い、滑らかな両頬を大きな手で包みこみながらグーデリアンは続ける。

「お前がオレを選んでも、お前は何も変わったりしない。お前はお前、フランツ・ハイネルのままだ。お前はその、誇り高いフランツ・ハイネルのままでいていいんだ。オレはそのままのお前を愛してる」

「グーデリアン・・・」

「お前は一人じゃないんだ。そして、オレも一人じゃない。だからオレはその時が来ても逃げないぜ」 


 口調は穏やかで口元にも笑みが浮かんでいたが、青い目だけは真剣だった。







「フランツ?」

 名を呼ばれ、ハイネルははっとして顔をあげた。無意識のうちに指が唇に触れている。
 コーヒーの苦味が残る口内。そこを余さずたどっていった熱い舌・・・・。
 たった二時間前に別れた男の残した痕跡がまだ体中に残っている。囁きは耳に、キスは唇に、そして体の最も奥深い場所はまだ彼の感触を残している。


「大丈夫か?やはり激務がたたっているのではないか?」


 謹厳実直を絵に描いたような容貌の父親が、灰色がかった青い瞳にわずかに心配の色を浮かべてハイネルを見つめていた。
 常に、この父を真っ直ぐ見返すことのできる、真っ直ぐな人間でありたいと思っていた。


「お父さん」

「なんだフランツ。いきなり改まったような声を出して」

「先ほど私は、新チームのレーサーはまだ決定していないと言いました。その通り、これは私が脳裏で描いたシナリオに過ぎず、まだ本人に打診さえしていません。しかし、私の中では既にドライバーは決定しているのです」

 ほう、とハイネルの父は感心したような声をもらした。
 彼の息子が何かを実際成し遂げる前にこのようなことを言い出すのは珍しい。フランツ・ハイネルは不言実行を常とする青年なのである。

「お前が選んだドライバーとは、一体誰だね」

「ジャッキー・グーデリアンです」


 一息に言い切り、ハイネルは父の反応をうかがうためにそこで口を閉じた。
 ブルーグレイの瞳は驚きのためかわずかに見開かれたが、目に見えてあらわれた反応はそれだけだった。
 

「それはまた思い切った選択をしたものだな。正気か?お前たちは犬猿の仲だと聞いているが・・・」

「それでも私はジャッキー・グーデリアンを選んだのです」


 緊張のあまり、テーブルに置かれたハイネルの拳は堅く握りしめられていたが、それでもハイネルは父から目をそらさなかった。


「他のレーサーを雇うつもりは・・・」

「ありません。私が選んだのはジャッキー・グーデリアンです。それ以外の人間は望んでいません」

「まあそうムキになるな。何も反対しているわけじゃない。言っただろう?この件に関してはお前に一存したのだから今さら口を差し挟む気はないと。ただ少々意外だったから確認してみただけだ」

「私が欲しいのは彼だけです。ジャッキー・グーデリアン、彼だけが欲しいのです」


 ハイネルの父の口元に浮かんでいた笑みが消え、わずかにいぶかしむような色がその目に浮かんだ。
 だがそれもすぐに霧散し、彼はすぐに冷静沈着な表情を取り戻すと話を続けた。
 一人の父親としての顔。一人の企業人としての顔で。

 厳しいが、申し分のない愛情を息子に注いでくれている父だった。ハイネルは掛け値なしにそんな父親を愛している。
 父親は無償の愛を与えてくれる。ひたすら満たしてくれる。


 だが、もうハイネルはそんな愛情だけでは満足できなかった。
 もっと激しく熱い、圧倒的な力で心と体の全てを奪い尽くしていくような愛情を知ってしまった。そんな愛情を抱き、抱かれる喜びを知ってしまった。



 彼を欲することは、あなたを裏切ることになるのだろうか?



 父親と同じように冷静な仮面をかぶりつづけながら、ハイネルは胸の内に渦巻く炎に身を焦がしている。

 いつかその時がやって来るのかもしれない。
 全てと真正面から向き合い、受け入れなければならない時が。

 その先に待っているのは驚愕か嘲笑か慟哭かはわからない。
 だが、それを受けるのも二人だ。一人じゃない。

 その時に一つの世界が終わるのか始まるのか、まだ誰にも分からなかった。



 タトゥーのあのユーメーな曲がまさに「running through my head」状態だったのでとりあえず先に吐き出してしまうことにしました。他に書きたい話があったのですが、だってホントに頭の中をこの曲がかけめぐってどうにもならなかったんですもん!(笑)そういう時はロクなことになりません。現に私は未だに砂が終わらなくて大変な思いを・・・(笑)。

 というワケで、そういう環境にある方はt.A.T.uのALL THE THINGS SHE SAIDを聞きつつこのお話を読まれると笑えてなかなか楽しいんじゃないかと思います。ギャグでしかありえません。ギムナジウムの制服着てキスしてるグーハー・・・。←まだ言ってます。でもプロモ全部見ましたが思ってたよりフツーでした。グーハーがレーシングスーツ着て濡れたまんまキスしてるプロモビデオが出たら10万出しても買いますね!

 私のチャレンジャー魂をここにたたえましょう。「現代のイカロス」とたたえられてしかるべきですね。無謀な挑戦ばかりしている懲りない精神はある意味たたえられるべきかもしれませんが、・・・・1回くらいチャレンジ成功させろよ!(笑)
 ところでこの話はホントはもっと・・・かなり長くなるべきものだと思うので、いつか気力があったらちゃんとした長さで書きたいと思います。気力があったら。でもそう思ってても1回エンドマーク打つともう書く気しませんよね?
 しかしこの話のハイネル大変そうだなあ・・・ってヒトゴトか!(笑)


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