All I Want
見事日本で頭の固い、おエライ重役たちを説得することに成功してからというもの、ハイネルがとった行動はグーデリアンでさえも舌を巻くほどの迅速さだった。
あっという間にスポンサー集め、スタッフ編成にマシンの熟成と、それこそ息をもつかせぬスケジュールをこなし、正式なレーシングチームを設立してしまったのだ。
怒涛のような準備期間が過ぎ、今日は記念すべき初参戦の日である。どのスタッフの表情にも期待と不安の色が入り混じり、どこか浮き足だっていた。
予選でグーデリアンが得たポジションはサードロウ、六番手だ。ハイネルやグーデリアンは不満らしいが、初参戦でこの成績はよくやったというよりもむしろ出来すぎである。ポッと出のチームがいきなりポールポジションをもぎ取れるほどこの世界は甘くはない。
シグナルがグリーンに変わり、いっせいにマシンたちが咆哮をあげて飛び出していった。グーデリアンのマシンはロケットスタートを決めて4位に上がっている。
わあっとピット内に歓声が上がった。
「ファーストラップ、グーデリアンとトップのマシンのタイム差は?」
ハイネルのきびきびした声が飛び、どこか緊張したスタッフの声がすぐにかえる。
「コンマ2秒差です。ですが、前をいく3位のマシンと2位のマシンはスピードが上がっていません。ジャッキーよりコンマ5秒落ちです」
すぐにグーデリアンに向け、前のマシン、後ろのマシンとの秒差が記されたボードが提示される。それを目にしたグーデリアンは、さらにペースをあげた。
「すごいな・・・グーデリアンの走りは」
初めてジャッキー・グーデリアンの本気の走りを間のあたりにしたスタッフたちの一部が、その走りに圧倒されていた。
「ハイネルさんが自分の夢を託したレーサーだぜ。当たり前だろ」
そのうちの一人のつぶやきを引き取って言葉を続けたのはマックス・ガーランド。かつてグーデリアンに勝負をしかけ、敗れた男だ。彼は正ドライバーとしての勝負には負けたものの、テストドライバーとして地道な努力を重ねてきてくれた仲間だった。
テストドライバーにとって、本選を目にするのは辛いことである。自分が汗水流して何十周、何百周と走らせてデータを取り、熟成させたマシンを、晴れやかな本番では他の人間に与えなければならないのだ。本番直前までのテスト日程を終えると、レースを見ずに去っていくテストドライバーは多い。
けれど、マックスはそうしなかった。確かに辛い気持ちはあるのだが、それよりもこうして、自分も参加して作りあげたマシンと、自分が認めた男であるジャッキー・グーデリアンの走りをみとどけることを選んだのだ。
そして、彼だけではなかった。ジャッキー・グーデリアンの駆るたった一台のマシンのために、ここにいるスタッフたちはここ三日ほど不眠不休に近い状態で働き続けていた。ただでさえ新興チームである彼らは、負っているものが多い。少しでもマシンをより良くするため、彼らは努力を惜しまなかった。
ここにいるスタッフたちは全員が、いつ倒れてもおかしくない状態である。それでも誰一人として弱音をはかず、むしろレース本番が近づくほどに生き生きと立ち働いていった。
そしてそれは、監督であるフランツ・ハイネルも同じだった。何度もチームドクターから休むように進言されても彼は頑として受け入れず、毎日自分の夢のために動いた。
マシンを駆るグーデリアンも、ピットで見守るハイネルやスタッフ、マックスたちも、全て同じ目標に向かってこの場にいるのだ。皆が同じものを見て、同じものを夢見ていた。
・・・・レースに勝利すること。
彼らの夢は、単純だが、この上もなく純粋である。
周回は15周目に突入した。
グーデリアンは三位のマシンを抜くことに成功し、二位を走行中のマシンのすぐ後ろにつけている。
全ては順調かと思われたが、テレメタリーで微妙なマシンのコンディションにチェックを入れていたクルーの一人が、緊張した面持ちで監督であるハイネルに報告をした。
「ハイネルさん・・・エンジンがオーバーヒート気味です。シュミレーションよりもダメージが大きく、このままではエンジンがもちません!」
「至急ピットインして処置を施さねば、全周回をこなすのは不可能と思われます」
他のクルーが補足説明を入れた。
ピット内に緊張が走る。どれほどシャシーやマシンバランスが優れていようとも、エンジンが音を上げてしまえばマシンは動かない。
まして、今グーデリアンは猛烈な追い上げ状態に入っていた。すさまじいコーナリングに、恐れを知らずにアクセルを踏みこんでいくストレート区間。見ている者の闘争心までも呼び醒まされそうな走りだったが、その分エンジンにかかる負担も大きい。このままでは間違いなくオーバーヒートでエンジンが沈黙してしまうだろう。
ハイネルとしても苦渋の選択を強いられていた。あのマシンのポテンシャルと、グーデリアンのドライビング技術を考えあわせれば、十分優勝も可能である。だが、ムリな挑戦をすればエンジンがいかれ、すべてが水泡に帰してしまうかもしれない。オール・オア・ナッシング、あまりにも危険な賭けだ。
ハイネルが迷っていたのはほんのわずかな間だけだった。無線を通じて自チームのドライバーに語りかける。
「グーデリアン、このままいったらエンジントラブルが出るかもしれない。応急処置をほどこすから一度ピットに戻れ!」
だが、ハイネルの呼びかけに対し、グーデリアンから即座にかえってきたのは否定の言葉だった。
「イヤなこった!せっかく追い上げてるってのに、ピットインなんかしたら全てがムダになっちまうじゃねーか!オレは絶対にこのまま走り続けるぜ!」
「グーデリアン、そのままではマシンがもたないかもしれないんだ。お前の気持ちはわかるが、・・・」
「ピットインはしない。このままいく。オレは走りたいんだ!結果なんて関係ない。ただ走りたい。ハイネル、お前にだってオレは止められないぜ!ハイネルにだって分かっているはずだ。お前だってレーサーなんだから!」
「グーデリアン!」
ハイネルの悲痛な声がグーデリアンの耳を打った。グーデリアンとしても、ハイネルのそんな声を聞きたくはなかった。
それでも、ゆずれないものがあるのだ。一度火がついた荒ぶる魂は、マシンエンジンを燃え尽くすまでおさまることはない。ただがむしゃらに突き進み、燃えあがっていくのみだった。
「ハイネルさん!」
「監督!」
クルーたちが青ざめ、何とかハイネルにグーデリアンを止めてもらおうと懇願の眼差しを向ける。
ハイネルはぎゅっと目をつぶった。脳裏を自分のマシンを駆るグーデリアンの映像が駆けぬける。
ピットとレーストラック。空間は隔たっていても、ハイネルはいつでもグーデリアンの感じている感覚を追うことができた。それは、ハイネルがかつてグーデリアンと真剣なレースを戦いぬいたことがあるからなのかもしれない。互いに惹かれあい、心が通じ合っているからなのかもしれない。
理由はどうあれ、確かに二人は同じ視点、同じ感覚を共有することができるのだ。
ジャッキー・グーデリアン。いつも笑みを絶やさない男が、一度ステアリングを握ると獲物をねらう獣の顔になる。
ヘルメットの下の青い目は前だけを見据え、腕は重いステアリングを死にもの狂いで操る。右足はピリピリとした緊張にしびれ、ほんの少しでも多くアクセルを踏みこもうと待ち構えている。
目の前には一台のマシンが。今の獲物だ。狂ったように甲高い音をたてて回転するエンジン音とともに、もう一人の自分が耳元でがなりたてる。
『あのマシンをぶち抜け、追い越せ、お前にならそれができるはずだ。なぜなら・・・・お前がこの世でもっとも速いドライバーだからだ!!』
気づくと、無意識のうちにハイネルの両腕は固くこぶしが握られ、汗をかいていた。
ハイネルはそのことに気づき、じっとりと汗で湿った手を開き、見つめる。まるで今までグーデリアンとともにマシンを操り、指がまだステアリングの重さを覚えているかのようだった。
一つ深呼吸。
それから、ハイネルは凛とした声でハッキリと宣言した。
「グーデリアンの好きなようにさせろ。私が責任をとる」
「監督!」
「ハイネルさん!?無茶です!」
スタッフたちはハイネルを止めようとし・・・口を閉ざした。
ハイネルの意識は、すでにスタッフたちの上にはなかった。彼の視線はただ、モニター上のグーデリアンのマシンに注がれている。そのあまりにも毅然とした眼差しに抗しきれず、自然スタッフたちもモニターに目を向ける。
スポンサーロゴを山ほど積まれた、青いマシン。まだ新興チームである彼らのマシンには、のせられるだけロゴをのせているので、見た目は決して洗練されていない。
だが、彼らにとってはこの世のどんなマシンよりも美しく、たくましいマシンだった。
「前車との差がコンマ5秒です。完全に射程圏内に入りました!」
興奮を隠し切れない、上ずった声がピット内に響き渡る。スタッフたちは騒然となってグーデリアンの走りに注目した。
すでにグーデリアンは一位を走行中のマシンのスリップ・ストリームに入っている。そうすることによってスピードを稼ぐことはできるが、その分前のマシンから放出される熱をまともに受けてしまい、自分のマシンにダメージを追うこともある。
仕掛けるのが速すぎれば十分にスピードがのっていないため失敗に終わるし、遅すぎればマシンにダメージを負う。グーデリアンは全神経をつま先と両腕に集中させ、前のマシンをにらみつけた。
コーナーを一つ、二つ・・・三つ抜けたところでオーバーテイクポイントがくる。その瞬間にすべての勝負がかかっていた。
三つ目のコーナーを抜ける。前をいくマシンは背後にいるグーデリアンのマシンから受けるプレッシャーに押されたのか、わずかに左に寄った。
そこに猛然とグーデリアンのマシンが襲いかかる。わずかに空いた右のスペースにマシンのノーズを突っ込み、思いきりアクセルを踏みこむ。
そのまま強引にトップをいくマシンにグーデリアンのマシンが並んだ。だが、それもつかの間、すぐにまたコーナーが待ち構えている。
「あのドライバーは狂ってる!」
コーナーのすぐ前の観戦席にいた客の一人が、半ば呆然としたように叫んだ。左回りのカーブだったため、グーデリアンのマシンはアウト側にある。あまりにも激しいブレーキングにタイヤスモークが上がった。マシンの後ろに真っ白な煙が立ち上る。
タイヤがロックされ、一時的なマシン操縦不能状態に陥るが、グーデリアンは落ちついていた。舌で唇をしめらせ、ステアリングを握る両手に力をこめる。
「いけっ」
「グーデリアンさん!」
「ジャッキー!!」
いつしかスタッフたちは、我を忘れてグーデリアンのマシンを応援しはじめていた。誰も止めようなどとは思っていない。誰もがモニターを見つめ、胸のうちに燃えあがる炎をもてあましながら、自分のチームのドライバーを見守っている。
グーデリアンのマシンが、鮮やかに前を行くマシンを抜き去った。
その瞬間、観客たちは総立ちとなり、すさまじい歓声が辺りを覆う。
当然、ピット内のスタッフたちの喜びようもすさまじかった。誰も彼もが肩を叩きあい、笑い合い、叫びあっている。
マックスも喜びにあふれんばかりの笑みをこぼしながら、監督であるハイネルに駆け寄った。その肩を叩こうとしてあげた手が止まる。
ハイネルは厳しい顔をしていた。
「・・・・ダメだ」
ハイネルが漏らしたのは、そのたった一言だった。
「え?どういうコトです?ハイネルさん」
マックスはそうハイネルに問いかけたが、返事を待つまでもなかった。
興奮した観客たちの歓声が、やがて切ない吐息に変わる。
ジャッキー・グーデリアンのマシンの後部から白煙が上がっていた。スローダウンした彼のマシンの横を、つい先ほど死にもの狂いで抜きさったマシンが悠々と追い抜いていき、次々と後続のマシンがやってきては去っていく。
グーデリアンはマシンをグリーンゾーンに止め、ステアリングを外した。
エンジンブローによるリタイヤ。結果を言葉にすればこれだけで済んでしまう。ハイネルとグーデリアンのレース第1戦目は、こうして幕を閉じた。
ピットに戻ってきたグーデリアンを最初に出迎えたのはハイネルだった。ほかのスタッフたちはマシンの回収や後始末に追われている。
誰もいないピット奥で、レーサーと監督は二人だけで向き合っていた。
「怒ってるか?ハイネル」
・・・指示を無視して走りきろうとした自分を。
汗を吸って重くなった金髪を無造作にかきあげながらグーデリアンが聞くと、まだ額にはりついていた髪をていねいにあげてくれる指があった。ハイネルの指だ。
優しい仕草で髪を額になでつけると、ハイネルは笑った。穏やかで優しく、美しい笑顔だった。
「お前が走っている間、私もステアリングを握っていた。・・・おかしいと思うか?だが、それが本当の気持ちなんだ。ピットに立ち、モニターをにらみつけながら、私の目はお前と同じ風景を見ていた。感じるはずのない風まで感じていた。・・・・・いいレースだったな」
その言葉にグーデリアンも笑うと、ハイネルのメガネをとりさって唇を合わせた。互いの気持ちは、それだけで十分に伝え合うことができた。
自然とハイネルのまぶたが下りる。お互いの体を抱き締め合い、その感触を確かめあいながら、彼らは無言で言葉を交わしあっていく。
角度を変えて、もう一度唇を合わせる。
「・・・確かに、いいレースだったな」
唇が離れると、グーデリアンはそのままハイネルの額やこめかみ、口元に小さなキスを送りながら言った。
頬に、顎先に、それから耳元に。
「・・・でも、レースは勝たなきゃ意味がない。最後まで走りきってチェッカー・フラッグを受けなきゃ、本当のレースを戦ったことにはならないんだ」
グーデリアンの言葉は力強さに満ちていた。リタイヤしてしまったことの悔しさよりも、新たな決意に満ちた男の声だった。
その言葉に、ハイネルのグリーンアイズが不敵な輝きを帯びる。白い手でこぶしを握り、彼はグーデリアンのレーシングスーツを着こんだ胸元をドン、と叩いた。
「言われなくてもそのつもりだ。目標は困難なら困難なほどいい。その方がやりがいがあると言うものだ」
ノーブルに整った外見を持つハイネルの口から不遜きわまりないセリフが漏れると、グーデリアンは笑い出した。心底楽しそうな声だった。
「相変わらず熱いね!それでこそオレのハイネルだぜ」
その言葉にわずかに頬を赤くしつつ、ハイネルはグーデリアンの鼻先に指をつきつけた。
「そんな軽口をきいていられるのは今のうちだぞ?今回はこんな結果に終わったが、まだ勝負は始まったばかりだ。これからはますます大変な日々になる。・・・お前に、耐えられるか?」
「望むところさ!」
そうして、二人はもう一度だけ静かなキスを施した。
それから立ちあがり、皆が忙しく立ち動くピット先へと戻る。
皆の顔にあるのは、やはり失望ではなかった。ハイネルやグーデリアンの姿を認めると、すぐに声が飛ぶ。
「ハイネルさん!今回、エンジンはダメになってしまいましたが、他の電気系統は全くのトラブルフリーでした。この分なら、エンジンさえ仕上がってくれば次回は相当いいところにまでつけるはずですよ!」
「ジャッキー、見たところ、左のタイヤの方がタレが大きい。ブレーキの使い方にまだムラがあるようだな。次回のセッティングは、Bパターンも試してみよう」
どの顔も、悲壮感など微塵も感じさせない。来たるべき次のレースに向け、もう決意に満ちて行動を起こしているのだ。
テストドライバーのマックスが、グーデリアンの方を見てニヤリと笑った。
「次のレースに向けて、テスト日程はいよいよ厳しくなってくるぜ。次のマシンテストで、いい結果を出した方が次のレースに出るって言うのはどうだ?」
その言葉に、グーデリアンも不敵な笑みを返す。
「何度やっても結果は同じさ。・・・いいぜ、受けてたってやる。オレが誰よりも速いってコトが分かるまで、何度だってな!」
グーデリアンの青い瞳もまた闘争心に満ちていた。たった一度のリタイヤでめげているヒマはないのだ。次から次へとやることは山積みで、心休める暇もない。
・・・だが、不思議と疲れてはいなかった。むしろ、気力に満ち、どんな困難でも乗り越えられそうな気がしている。
それは、このタフで心から信頼できるスタッフたちと、そして・・・・グーデリアンは背後を振り仰ぐ。
そこには、いつでもハイネルがいた。クールに澄んだ緑の瞳の奥に誰よりも激しい情熱を押し隠し、ひたすら夢に向かって突き進んでいく青年が。
ハイネルの姿を認めると、またグーデリアンは己の役割を果たすべく、スタッフたちの元へと歩み寄っていく。胸のうちでは燃えるような思いが渦巻いていた。
ハイネルとともに、自分はいつでも競い合い、支え合い、この激動のレースの世界を生き抜いていくだろう。そして、いつか必ず勝利者となる。
望むのはそれだけだった。そして、自分やハイネル、そしてクルーたちの技量があれば、けしてそれは実現不可能な夢物語ではない。
今日は別のマシンが1番最初にチェッカー・フラッグを受けた。だが、そんなことを許すのは今日だけだ。次は絶対に自分たちが表彰台の1番高い位置を占めてみせる。そのために。
・・・・・・彼らには、立ち止まっている時間などないのだった。
というわけで!『都市はさわやかな朝を迎える』の番外編というか、続編です。
zipさん、4000番を踏んでくださってどうもありがとうございました!遅くなってしまって申し訳なかったですけど、謹んでこのお話を進呈させて下さい。少しは楽しんでいただけるといいんですけど。
始まりからは想像もつかないような、レース小説となり果ててしまったこのシリーズ・・・。(いやまぁ、最初からカーチェイスを入れようとは思ってたんですけど)
で、でも!とても楽しかったです。始めたばかりの頃は『ぜったい誰も読んでないよな・・・』と思っていたんですが、途中や完結した後、いろいろな方がメールやBBSで感想を下さって、本当にうれしかったです。それ以外の読んで下さった方も、本当にどうもありがとうございました。
1年くらいたって気が向いたら完全版にして本に・・・本に・・・できそうもないかな、めんどくさがりの私では(笑)。
何はともあれ、zipさん、『都市・・・』を読んで下さっていてありがとうございました!zipさんの励ましがなかったら、多分この話の完結はあと二ヶ月くらいは先だったのではないかと思います(笑)。