Gargoyle 12


 目をそらすことさえ忘れ、ハイネルはグーデリアンを見つめていた。
 薄闇にあっても炯とした光を放つ青い瞳は半ば閉ざされている。荒削りなラインで構成された鼻梁や顎、その下に続く太い首、逞しくしなやかな筋肉に束ねられた肩や、はだけたシャツの間からのぞく厚い胸。

 あの青い目が体中を辿り、唇が、指が、腕が触れ、跡を刻み、そして・・・。

 グーデリアンが伏せていた目を上げてハイネルを見た。その青さ。

「・・・っ」

 何をされたわけでもないというのにハイネルが鋭く息を呑む。喉がからからに渇き、呼吸が浅くなっていく。
 貫くようにハイネルを見つめていた青い瞳が不意に流され、ベッドに横たわったままの男を一瞥したのが分かった。
 男の肩口から微かに流れ出る甘い血の香り。何度も放たれた精と混じり合ったその香りは部屋に満ちた酒精よりも月の律に縛られたハイネルの意識を酔わせる。既に何度か精を吐き出しているというのに、直前までグーデリアンに高ぶらされていた体の芯が熱く疼く。


「"男"が欲しいんだろう?」


 言葉を紡ぐグーデリアンの肉厚の唇。唇が動き、呪文のような音を生み出し、その合間からちらりと白い歯と赤い舌がのぞいている。あの唇が体のあらゆる場所を吸い上げ、ざらついた舌が這い、歯が甘噛みを加えた・・・。
 ぞくりと、背筋を熱い戦慄が這い上がる。


「違う!」

 感覚を振り切るように発したその一言だけで喉が焼け付くような熱さを感じた。体の中を血が駆け巡る、その感触さえ明確に感じられる。どくどくと生の脈動を刻み、甘く熱い血が押し出され、体の隅々にゆきわたっていく感覚。熱い血が体中を駆け巡り、喉を干上がらせていく。

 汚らわしく呪われたこの体。ハイネルは自らの腕に爪をたてた。

 "飢え"が訪れる周期は感覚が鋭敏になって冴え渡り、神経が研ぎ澄まされる。彼に・・・フランツ・ハイネルにとって最も神聖な存在であるレースに関わっている時に得られる感覚に一種似ているのはひどい皮肉だ。
 自らの体中を血が巡る感覚。狂おしく意識を引き付ける甘い血と男の精の香り。ベッドに横たわる男の息遣い。グーデリアンの瞳の青。


 
 喉がひどく渇いている。


 マシンに搭乗している時と飢えに苛まれている間は自分に対する意識と同じように他に対する感覚も冴える。
 グーデリアンの青い双眸とは別に、ハイネルには男の目が自分の体の上で留まっているのも感じられた。ベッドに縫い付けられた男の目が、自分が浅い呼吸を繰り返すたびに薄いシャツの下で上下する色づいた胸の尖りに向けられているのが分かる。酒精と欲に濁った、浅ましい獣のような目だった。荒々しく繰り返される呼吸もまた獣のそれである。だが。


 ・・・・・今の自分とどこが違う?


 鏡を覗けば、きっとくっきりとした緑が見返してくるだろう。耐えられない飢えに襲われ、己の浅ましい性に耐えられず鏡の向こうの自分を睨みつけた時にだけ思い知らされる自分の瞳の緑。呪われた獣が持つ色だ。この緑は青い血が透ける白い肌を持ち、濃く濁りきった血を高貴のしるしと驕った愚かな一族の末裔の証。


 ハイネル家の男子には、月の律に操られ、男の精を欲する者がある。体の奥深くに命のみなもとである男の精を取り入れたいと欲する狂おしい飢えが訪れる。

 喉がカラカラに干上がり、体が芯からうずき、熱が体内で逆巻いているかのようなのに手指は冷たく・・・・。


「男が欲しいんだろう?」


 いっそ優しいともとれる口調でグーデリアンが囁く。この世で最も巧みに甘言を弄する悪魔の顔で。


「違う、・・・私は違う!」


 乾ききっているせいか、叫んだ声は掠れて彼の声ではないかのようだった。自分でも笑い出したくなるほどの情けない声となった。
 グーデリアンがこちらを見ている。汗を吸い乱れ落ちた長い前髪の合間からわずかにのぞく青い瞳は奇妙な静謐をたたえている。唇が何か音を紡ぐかのように静かに動いたが、ハイネルには読み取ることが出来なかった。・・・出来なかったのではない、理解したくなかっただけだ。
 そのままグーデリアンは無言でハイネルから視線を外し、俯いた。荒削りなラインで構成された、野性味を感じさせる造りの男だが、こうして黙っていると意外なほど思慮深い、寡黙な男に見える。



 そこにハイネルなど、ましてベッドに横たわる男の存在などないかのようにグーデリアンの指が己の肉の象徴にかけられた。
ゆっくりと、無造作と言っていい手つきで今は力を失っているそれに刺激を与えていく。目が離せない。


 
 喉の渇きが一段とひどくなった。



 俯き加減のグーデリアンの顔に濃い蜜色の髪がかかり、目元を覆い隠している。そのせいでハイネルからはさらされた横顔の薄く開かれた唇のみが見てとれた。呼吸のたびに淡く開閉を繰り返す唇。そのあわいから吐き出される熱い息。
 シャツを通しても分かる逞しい腕と、そこから伸びた大きな手のひら。節太い指。
 その指が男の象徴に絡み、うごめいている。ハイネルの体の奥深い場所を暴き、掻きみだし、否応なしに快感を引き出した肉に刺激を与えるために。
 既に何度かハイネルの中に精を放っているそれは濡れており、あまりに生々しい存在感に満ちていた。滑らかな指の動きに促されて少しずつ漲っていく。


「あ・・・・」


 自分の体には何も施されていないというのに、ハイネルの唇から熱い息が漏れた。
 みるみるうちに力を取り戻し、逞しく反り返っていくグーデリアンの男根。
 圧倒的な質量で体の狭い場所に押し入り、傍若無人に突き進み、荒々しい律動を刻んで痛みと混乱と歓喜を無理矢理ハイネルから引きずり出した肉の塊。

 初めに感じたのは暴力的なまでの衝撃だけだった。その筈だった。
 だが、あの男の隆とした肉の象徴がひどい圧迫感と共に突き入れられ、隘路を進み、最も奥めいたところにまで到達して感じる部分を容赦なく擦りあげた時の、あの全身がそそけだつような感触をもうハイネルは知っている。無視してしまうには知りすぎていた。



 額に乱れて落ちかかった粗い金髪の狭間からわずかにのぞいた青い目が再び上げられ、ハイネルを貫いている。乾きを癒すかのように、わずかに開かれていた唇を舌がたどった。

 親指が先端をくすぐり、張り出した部分に刺激を送り、液体を塗りこめるかのような動きで太い幹を大きな手が上下にしごいていくと、まるでそれが空気を奪い去る作業であるかのようにハイネルの息苦しさが増し、シャツの裾で隠された部分に行き場のない熱が溜まっていく。

 男のしっかりとした顎に汗が伝い、床に落ちた。

 グーデリアンの欲が一段と硬く反り、逞しさを増す。少し苦しそうな顔で眉根を寄せ、背徳の行為から得られる快楽に耐えている男の姿。こらえきれないように短く詰めた息が唇から吐き出された時にのぞいた男の舌が、アダムとイブを誘惑した蛇のようにちらりとうごめいて厚い唇を濡らした。

 ハイネルは自分の耳元で自分の心臓が脈動を繰り返しているかのような錯覚を得ている。乾いてかすれた呼吸音と、押し出されて脈々と体中を巡る熱い血潮。

 薄いシャツの裾をきつく握りしめ、ハイネルは激しい衝動と戦っている。男として最も正直に肉欲を伝える部分が浅ましく力を持ち始めていた。
 だがフランツ・ハイネルを絶望の縁へと追いやっているのは、ゆっくりと力を得て形を変えつつある己の肉に対する嫌悪ではなかった。熱の放出を待ちかねて彼を苛んでいる甘く苦しい感覚が、薄いシャツを押し上げている男の性よりも更にその奥、グーデリアンを受け入れていた処からより強く生じているその事実だった。


「ハイネル、」

 
 
 

 "欲しいんだろう?"





 グーデリアンの唇だけが動いて音のない言葉を紡ぐ。
 それは問いかけでさえなかった。哀れな殉教者に絶対的な支配力を誇る指導者がかける言葉のように傲慢な、抗いを許さないことば。



 "お前はこれが欲しいんだ"



 酸素を求めて開いた唇が呑み込んだ空気は熱砂のように喉に張りついて絡みつき、一層ハイネルの言葉を奪った。


「私は・・・」

 

 
 欲しくてたまらなかった。



 言われるまでもない。本当は、誰よりも自分がよく分かっている。
 どんなに理性や言葉で取り繕おうと、『その周期』が訪れるたびに、身体の衝動に任せて男の精をすすり、奥で熱いそれを受け止め、血の香りに酔いたかった。それが否定しようのない事実だ。
 耐え難い飢えに襲われ、鏡の中の自分を睨みつけるたびに見返してきたあの緑の瞳。


 ・・・・男を欲して狂う目だ。



 喉がかわく。ひどく乾く。満たされることしか考えられなくなっていく体の飢え。

 欲しくてたまらない。それは自分でも分かっていた。
 それでも否定し、抗わねばならなかった。




「ハイネル、お前にとって肉欲は汚らわしい獣の情動か?理性の王たる人とは無縁の」


 こんな場所にはそぐわない、いっそ思慮深い哲学者のような静けさで男が聞く。
 彼もまた体の内側から食い破られそうな衝動に耐えながら男にこたえた。


「・・・人を人たらしめているのは、本能を律することの出来る理性だ」


 男が欲しくてたまらない。それは事実だ。
 けれど自分の中の異形に屈するわけにはいかない。
 ・・・人であるために。あり続けるために。



「理性?理性を忘れるのは人じゃないからか?ならば今のオレは人じゃないな。・・・・あの男も」




確かにその瞬間までのわずかな間、ハイネルの意識はベッドに仰臥するその男に向けられていなかった。


『はあはあ、・・・・・は、』



 酒と欲に濁った目。荒い呼気を吐き出すばかりの唇。放出を待ちかねて震える剥き出しの雄。手淫をしようとして果たせずに何度も伸ばされる力の入らぬ手。
 忘我の縁を漂う男の目。そこに理性の光はない。
 
 まるでサーキットにいる時のような気安さでグーデリアンがハイネルの肩に手をかけた。少年が秘密のいたずらの企みを告げる時のように、背後からわずかに笑みを含んだ声で言う。



「可哀相に。お前が欲しくてたまらないんだ」


 ・・・・・オレと同じように。


 グーデリアンに囁きを吹き込まれ、ハイネルの背中が震えた。
彼を震わせたのは吐息の熱さだけではなかった。彼がハイネルの白い手を取り、脈打って息づいている自分の欲望に導いたからである。

 握らされたそこは熱く、堅く漲っており、・・・指になじむ、よく知った感触だった。感じるぬるつきと熱さ、その形が指先を通してハイネルの体の芯に伝わり、そこからじわじわと熱が生じていく感覚。



「っ・・・・」


 喉がかわく。ひどく乾く。満たされることしか考えられなくなっていく。



「お前が欲しいんだ、ハイネル。・・・お前もだろう?」


 手の中に感じる熱く滾った肉塊。そこに導いた男の手が去っても、ハイネルは指を払うことが出来なかった。



「認めるだけでいい。そうしたら楽になれる」


 どんな悪魔も、これほどに優しい声は出せないだろう。

 ベッドに横たわる男にいっとき視線を奪われていたハイネルは、欲の象徴に触れていた手を離すとゆっくりと体を返し、間近のグーデリアンと正面から対峙した。小さく開かれた唇は細かくせわしい呼吸を繰り返し、汗に濡れた髪が白い額やすっきりとした首筋に張り付いている。緑の瞳は奇妙なほど静まっており、飢えている時の狂おしいまでの情動も淫蕩な影も射してはいなかった。


「乾くんだ」


 ひどく掠れた声。
 細く繰り返される息が震えている。ハイネルの目はグーデリアンから離れない。男もまた、わずかに低い位置から見上げてくる彼のグリーンアイズを静かに見返していた。


「私の中には、・・・私では制御できない異形がいる」


 体の横に下ろされていたハイネルの手が、微かに震える手が上げられた。
 ためらうように伸ばされたその手はグーデリアンのシャツの袖口をつかみ、・・・そのまま滑り落ちるように更に下げられ、隆と勃ちあがった男の象徴に触れた。両手で軽く捧げ持つように触れているだけで、その圧倒的な熱と質量に酔いそうになる。


「私の中に、・・・飢えた異形が」


 ベッドに仰臥した男が更に興奮したのが空気だけで分かった。今のハイネルには、見ずとも男の反応が手に取るように分かる。

 グーデリアンの大きな手がハイネルの艶やかな栗色の髪に落とされ、場違いなほど優しくすいた。その手は少し汗をかいたせいでしっとりとした感触を返してくる滑らかな髪から白い頬をなで、顎先にまで落ちて秀麗に整ったハイネルの顔を上げさせた。薄く笑んだ唇が近づいてきて、彼の耳朶にささやきを落としていく。
 


「お前の中の獣を満たしてやれ」





 顎先から指が離れていたのを待っていたかのように、ハイネルが静かに膝を折った。ベッドの上の男が意のままにならぬ体をかかえ、必死に視線だけで自分の姿を追っているのが彼にはよく分かっていた。ベッドに横たわる男がわずかに指を動かしただけで、呼吸を荒げただけで、その欲望滴る目を見開いただけで淀んだ空気がかき乱され、ハイネルの鋭敏になった肌を刺激する。
 男の視線が狂おしいまでの熱情をたたえて自分の白い横顔に注がれているのに気付いていながら一顧だにせず、ハイネルは手を伸ばし、自分の前に立つグーデリアンの肉に触れた。
 顔を寄せていきながら大きすぎるそれを迎えいれるべく唇を開いていく。




 
 喉がひどく渇いていた。


 



夢寐・・・(むび)

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